第16話 合宿開始
一月も残り幾日。
同時に移籍の回答期日も残り幾日。
そんな中、荒木は一通の封筒を手にして見付球団の事務所へ向かった。
二月に月が替わり、全球団が一斉に合宿を開始。
これは竜杖球に限った話ではなく、曜日球技も同様である。
この時期、外気温が非常に低いので合宿地は基本的には温暖な場所という事になる。
曜日球技のような人気球技は基本的には南国、特に台湾で行われる。野球、蹴球、闘球、避球の四競技の球団が、一斉に南府、台北郡、台南郡、高雄郡に集まって来る。
それに合わせて報道も取材しようと南国に向かう為、この時期の南国は非常に賑わう事になる。
さらにこの時期は、選手たちも四月から始まる公式戦を見に来てもらおうと、駆けつけた応援団への対応が手厚くなる。それ目当てに遥々やってくる人たちも押し寄せるので、どこの宿も予約で一杯である。
では曜日球技の中でも、室内球技である排球、送球、篭球は合宿を行わないかというとそうでもない。
やはりこの時期は体育館が寒いので、温暖な地に合宿に向かう。そんな室内球技に大人気なのが豊日郡。
豊日郡は湯布院、別府に代表されるようにとにかく温泉が多い。郡府である府内市にも当たり前のように温泉が湧いている。
篭球は主に府内市で、排球は主に湯布院市で、送球は主に別府市で合宿を行っている。
そんな曜日球技が観光地の一角で合宿を行う中、竜杖球はというと薩摩郡で合宿を行っている。
そもそも南国が一杯となったら、薩摩郡くらいしか合宿の場所が空いていないという寂しい事情もある。さらにいうと竜杖球がやれるような広い練習場が無い。
練習試合の会場は霧島球団の球場を借りる事になっている。
竜杖球職業球技協会も合宿の為に薩摩郡の各地に合宿所を作って、厩舎を立てたり、竜運車を多数手配したりと支援や資金援助を行っている。
各球団は薩摩郡各地に散らばって、最初の二週間は高校生や大学生相手に練習試合を行う。
二月の中頃からは対戦相手が職業球団に代わる。
三月の三週で合宿は終わり、四月からは公式戦が始まる。
この日程は竜杖球だけでなく、どの球技も同様である。
府内空港に降り立った荒木は、西海道高速鉄道に乗って霧島駅へと向かった。
竜杖球の合宿地は大きくわけて三ヶ所。霧島市、姶良市、鹿児島市。その中の鹿児島市に向かった。
多くの選手は既に合宿初日を済ませており、温泉に浸かって合宿二日目を迎えている。
荒木は契約の関係で一日遅れでの合宿入りであった。
合宿所は鹿児島市でもかなり西の外れにある中山町というところ。そこにある一軒の民宿に向かった。
複数の民宿を借りているらしく、事前に事務所から案内のあった民宿へ向かった。
玄関から建物に入ると民宿の方が偶然通りかかり、荒木を見てお待ちしておりましたと言って部屋を案内した。
そこは民宿の中でもそれなりに広い部屋で、事務員と思しき男性が三人低い机の前であぐらをかいて何やら電脳に向かって打ち込んでいる。
事務員は荒木の到着の報告を貰っても、眉一つ動かさずに、机の前に座るように促した。
一枚の紙を差し出し、ここの民宿に宿泊する事になっているから、これからそこに行き荷物を置いてから練習場に向かうようにと案内された。
さらに初の合宿という事で注意点を何点か説明。注意点といっても、住民と揉めないようにだとか、羽目を外さないようにだとか、まるで中学校の修学旅行の注意点のような事である。
事務員はそこまでを全く表情を崩す事無く、感情もあまり乗らない平坦な口調で、実に淡々と説明。一瞬歓迎されていないのかなとも思ったのだが、恐らくはこれがこの人の仕事のやり方なのだろうと納得する事にした。
「説明は以上ですが、荒木選手の方から何か質問はございますか?」
そもそも突然ここに行けと言われ、右も左もわからずに来たのだ。質問も何も全てがわからないというのが本音だっただろう。
口角を片側だけ上げ戸惑いの顔をすると、事務員はくすっと笑った。
「荒木選手、話は聞いています。皆、荒木選手のが来るのを心待ちにしておりましたよ。早く練習場に顔を見せに行ってあげてください」
最後に事務員の笑顔が見れて、荒木は何か救われた気持ちがした。軽い足取りで自分に宛がわれた民宿へと向かう。
永田川沿いに何軒かある民宿のうち、橋を渡って川の西側の一番南。説明にあった練習場からは最も遠い民宿である。
玄関を通り、二人部屋の一室に荷物を置く。
既に同室の人物は自分が同室である事を知ってくれているようで机の上に『ようこそ、今晩呑みに行こうぜ!』と鉛筆で書いた置手紙が置いてある。
荷物を置き、練習着に着替え、練習場へと向かった。
すると、練習場に着く前に偶然一人の選手に出会った。どうやらちょうど休憩時間だったらしい。
その選手は嬉しそうな顔で気さくに肩を組むと、よくうちを選んでくれたと嬉しそうに言った。
ここまで遠かっただろうやら、ここは飯が旨いやら、取り留めの無い話を荒木に語りながら練習場へと向かった。
「おおい! 若松! 荒木が来たぞ!」
その男性――杉浦選手が大声で若松選手を呼んだ。
その声に真っ先に反応したのは若松では無く広沢であった。広沢が全力で駆けて来て、がばっと荒木に抱きついた。
「久々だな、おい! 置手紙見たか? 良い居酒屋を見つけたんだよ! さっそく今晩行こうぜ!」
嬉しさに任せて広沢が荒木の背をパンパンと思い切り叩く。
荒木は思わず咳込んでしまいそうになった。
「広沢、それってあれだろ、あの黒豚の筋肉の角煮が出るとこだろ。行くんなら俺も連れてけよな」
杉浦がそう言って広沢の肩をパンと叩くと、広沢もじゃあ歓迎会にしましょうと嬉しそうな顔で提案。そこに何の話で盛り上がっているんだと言って若松が寄って来た。
さらに怪我後の復帰を手助けしてくれた指導者の神部が。
そこから尾花が来て、渋井が来て、八重樫が来て、角がやってきた。
そして、喧噪に気が付き監督の関根がやってきた。
関根はいつ見てもニコニコと笑っている。そして動じない。
この時も選手たちが全力で走って駆けて来る中、悠々と歩いて近づいて来た。
選手たちも荒木の前に道を開く。
関根は荒木の前で立ち止まると、右手を差し出した。この年齢にしては背筋がピンと伸びて異常なほど姿勢が綺麗である。
荒木はその関根のしわしわの手を両手で取った。
関根の年季の入った顔に多数の皺が寄る。
「荒木君。球団の方から聞いておるよ。本当は昨年の夏に呼ぶ予定だったのだが、獅子団の方から駄目と言われてしまったらしくてね。半年熟成してどれだけ旨味が出たのか見せていただこうかな」
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