第15話 広岡との思い出
その後、一旦家に帰り、見付駅で集合して一杯やろうという事になった。
さすがに川村は地元の大学に進学しただけの事はあり、見付駅前の飲み屋事情に精通している。ここは料理は良いが酒がイマイチ、ここは酒は旨いが値段が高い、ここは落花生を味噌で和えたものが絶品などなど。
その中の一軒『居酒屋 鼈甲蜻蛉』に入る事になった。
川村のように地元に進学した、もしくは地元に就職した者は、伊平牧場にちょくちょく乗竜に来ているらしい。
川村もよく藤井と来ているし、漁師になって真っ黒に陽に焼けた浜崎や、学生時代にも増して精悍な顔つきになった伊藤とばったり会ったりという事もあったらしい。
宮田は大学で真面目に送球に打ち込んでいるようで、卒業以来全く会わないのだとか。
川村はここで色々な話を聞くらしく、杉田はどうやら信濃郡の大学で篭球の選手として頭角を現してきているという話を耳にしたのだそうだ。
戸狩は大学で史学部に入学したらしく、高校時代から付き合っていた女性と学生結婚して、現在は遺跡の発掘調査に参加しているのだとか。
「俺はただ漠然と竜杖球やってて、水産高校だからって止級の牧場を就職先に選んだだけだったんだけどな。まさか止級の竜による竜杖球の職業球技戦が始まるだなんてな」
それも水着のお姉ちゃんだぞと、川村は鼻の下を伸ばして荒木に言った。
報道によれば、止級の女子竜杖球は、高校、大学共に部を持つ学校すらろくにない状況で、球団の資金によって急遽大学で部を設立させているらしい。
そうはいっても竜杖球の経験など無い。高校時代に戯れで男子に混じって竜杖球で遊んだという者ばかり。それも男子は呂級という駆竜に対し、女子は止級という泳竜。さらに竜杖の形も異なり、男子のように丁子の竜杖で打ち出すのではなく、先に網が付いていて、そこに入れて持ち運ぶ。
何もかも勝手が違うため、全員が素人という状況なのだとか。
当然ながら監督もいないし指導者もいない。球団も大学も完全に手探りの状態なのだそうだ。
そんな中、一部の金満球団は海外から指導者を招いて大学に派遣したりしているらしい。
今年から竜杖球協会が主催となって、夏に大会を開催する事になったのだそうで、かなりの観客動員が予定されているのだそうだ。
「じゃあ、もしかしたら、川村先輩もそっち方面を生業にするという事も?」
荒木に問われ、川村は腕を組んでおつまみのお品書きに目をやった。
「そもそも俺は獣医志望だからなあ。資格が取れれば普通に獣医だと思うなあ。止級の獣医は数が少なく奪い合いだっていうからな。だけど、もし受からなかったら、牧場で馴致をやるかもしれない」
乗竜の経験のある者はそこまで多くは無い。元竜杖球部というのは、それだけで牧場からは重宝される存在なのだそうだ。
「そう言えばさ、お前見付球団に入ったんだよな。見付っていえば広岡ちゃんが嫁いだ若松選手がいるところじゃん。もう先生には会ったの?」
つい先日若松選手の家に呼ばれて、そこで広岡と会った事、若葉という広岡そっくりな娘がいた事を話すと、川村は顔をくしゃっとさせて大笑いした。
「そっか、あの広岡ちゃんが一児の母なのか。俺、一年からずっとあの先生だったんだけどさ、ほんと面白い先生だったよ。あの先生のおかげで三年間退屈しなかった」
広岡はかなりずぼらなところのある先生で、スカートのジッパーが降りている事がしょっちゅうであったらしい。しかも女子生徒がそれを指摘しても、ちっとも恥ずかしがる素振りをみせなかった。
一学期の中間試験で監督に来た広岡は、試験開始数分で寝てしまった。それだけならまあ良くある話なのだが、広岡は結構寝言が酷いのだ。人が真面目に試験を受けている時に、ああでもないこうでもないと寝言を喋る。堪りかねた生徒にうるさいと試験中に叱られるという事があったらしい。
二年生の時にはもう生徒からはかなりの人気者で、同じ目線で接する感じになっていた。ただそのせいで、騒がしいと言って他の先生が乱入してくる事が度々あって、広岡が先生に叱られるという事があった。ところが生徒は広岡の側に立ち、授業の邪魔をするなの大合唱。青筋立てて引きつる教師に、広岡が平謝りするというような事もあった。
だが、三年生になってからは、毎日どこか元気が無かった。
女子生徒たちが心配して何かあったのかとたずねても、大丈夫だからとしか言わなかった。ちょうど竜杖球の顧問になったという話が広まった頃であり、川村たちが広岡をいびっているのではと変な噂を立てられてしまったのだそうだ。
卒業の時は女子生徒たちが広岡のところに集まって号泣であった。
広岡が退職したというのは、多くの人は卒業後に知った。川村たちは実は夏過ぎには知っていたのだが、部長の浜崎から口止めされていたのだそうだ。
数々の思い出話の後で、川村は麦酒をぐいっと飲み干して拳を握りしめた。
「俺は未だに納得がいかねえよ。俺たちを憐れだと思って手を貸してくれて、俺たちのために戦ってくれた広岡ちゃんが、何であんな事にならなきゃいけなかったのか」
広岡は『社会に出れば良くある事』と言っていたと荒木が言うと、川村の顔が急に興奮で赤く変色した。
「良くある事と、あって良い事ってのは違うだろ! あの後だって野球部の広瀬や、蹴球部の大沢は平然と学校に残ったんだろ? 何で広岡ちゃんが辞めて、そいつらには何のお咎めも無いんだよ! おかしいだろ、そんなの」
その川村の表情に荒木はかなり驚いた。その後武上という変な顧問が来て、武上の下で一年を過ごした事で、すっかり広岡の事は過去の話となっていた。だが、三年生たちにとっては未だにあの日、あの花弁学院とのあの一件の後で時計が止まっているのだ。
荒木は麦酒を川村の空いたコップに注ぐと、川村の目をじっと見つめた。
「久々に会った広岡先生は、とても幸せそうでしたよ。先輩の気持ちもわかります。だけど、本人がそれで納得なら、俺たちは納得するしかないじゃないですか。今さらお礼参りなんて歳でもないでしょうし」
そうなだめる荒木を川村は冷酷だといってなじった。だが、荒木は引かなかった。
「俺は! そもそも競竜の騎手になりたかったんですよ! 竜杖球の職人選手なんかじゃ無く! それを中学のゴミみたいな担任のせいでその道が閉ざされてしまって、渋々竜杖球やる事になったんです! あの先生の事は今でも恨んでる。だけど、今さらどうにもならないじゃないですか!」
中学三年の時に戻れるわけじゃないのだから。花弁学院と試合をしたあの日に戻れるわけじゃないのだから。過去が変えられるわけじゃないのだから。
突然激昂した荒木を目にし、川村はふっと我に返り冷静になった。
川村は元々頭が切れる。それだけに荒木の言いたい事も瞬時に理解した。
「そうだよな。お前の言う通りだ。俺たちは過去の苦い思い出として残していくしか無いんだよな。荒木、お前もちゃんと社会人になってるんだな。ちょっと見直したよ」
その後川村は、広岡に会ったら川村がよろしく言っていたと伝えてくれと言って家路についた。
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