第14話 やっぱ金でしょ!
高校時代の勧誘の時もそうであったが、荒木家の家族会議は紛糾しまくった。
母は何をおいても金。とにかく職人選手なんだから金こそが全て、金こそが唯一の評価基準だと主張。謝罪金込みだろうがなんだろうが、給料がその値段である事には変わりは無い。
姉の澪は、金こそ全てではあるものの、そこは物価というものを考慮する必要があると主張。最高値の幕府は確かに年俸は高いかもしれない。だが、生活にかかるお金も高い。それよりは稲沢や西府の方が良いかもしれない。できれば南府か北府に行ってくれると嬉しい。
父は最初に選んだ球団で頑張って、より良い球団に変えていくのが労働者の務めなのではないかと主張。確かにお金は重要だが、いくらでも金で転ぶと思われては、それが悪名になってしまうのではないかと危惧した。
三人ともに言っている事は理解できるし、姉の願望以外は納得もできる。
特に父親の『いくらでも金で転ぶ』という一言は厳しいものがあった。実際荒木が考えているのもそこなのである。
こういう場合は、やはり婆ちゃんに相談するに限る。
祖母は小さな老眼鏡をかけ、一球団一球団契約を見ていった。全て見終えると老眼鏡を外し目頭を摘まんだ。
「雅君はどう考えてるの? 何に悩んでいるの?」
非常にふんわりとした聞き方をされ、荒木は腕を組み、首を傾げ眉をハの字にして悩んだ。
一つ一つ契約書に目を移して行く。
だが回答は出ない。
首を大きく傾げただけ。
「母さんと姉ちゃんは金、金、金だし、父さんは移籍なんて論外って言うし、俺、もう、どうしたら良いか」
うなだれる荒木の手を祖母はしわがれた手で取った。
荒木が生まれた時から、何度もこの手に抱かれてきたのだろうし、荒木の成長をこの手が触れて促してきた。その祖母の手が今回も荒木の真意を引き出そうとしている。
「父さんも、母さんも、澪ちゃんも、あなたの気持ちとは関係がないでしょう? 婆ちゃんが聞いてるのはね、雅君がどんな風に思ってるのかって事よ」
どんな事を優先したいのか。何が心の中で引っかかってしまっているのか。少なからず荒木にだって心が揺れている球団があるはず。それを分析すれば自分が何を優先したいか見えてくるはずだと祖母は諭した。
荒木は十一の契約書の乗った封筒から五つを残し、他の六つを封筒にしまって片付けた。残った五つを横に並べ、それを一つづつ見ていく。
一番左に置かれたのは太宰府球団。次に見付球団。その隣に幕府球団、右から二番目が函館球団、一番右が苫小牧球団。
太宰府球団、見付球団、苫小牧球団は獅子団でお世話になったから。それだけに選手とも交流があるし、一軍で合流した際に確実に仲間がいる事もわかっている。
幕府球団はもちろん金。
函館球団は、球団の状態からして自分が行けば確実に大きく伸びるという確信があるから。
いつの間にか祖母が隣に座っていた。
祖母はそのしわがれた手を荒木の膝に置き、荒木と一緒に五枚の契約書を見ている。
「面白いわねえ。普通の人はそこで自分がどのように扱ってくれるのかって思うのに、雅君は自分が行ってそこがどう良くなるのかに重点を置くのね」
祖母のその言葉で荒木は一枚の契約書に手を伸ばそうとした。
その時、祖母の部屋の扉が勢いよく開かれ、姉が夕飯だと呼びに来た。その勢いがあまりにも良すぎて、五枚の契約書が風で飛んで、どれがどれかわからなくなってしまったのだった。
夕飯の会話も荒木の移籍の話一色であった。荒木からしたら、せめて食事の時間くらいはその話題は止めてくれと思っていた。だが、澪と母にとっては大好物の話題のようで全く止めようとしない。
父と祖母は荒木の気持ちを察し黙々と食べているが、澪と母は二人で金、金と連呼している。
正直、荒木はげんなりしてしまっていた。
「澪ちゃん。お金のお話というのは下品な部類のお話なのよ。ご飯を食べている時にする話じゃないのよ。外で恥ずかしい思いをしないように、ちゃんと覚えておきなさいね」
祖母からたしなめられ、澪は嬉しそうな顔で「はあい」と返事した。
だが、母は叱られたと感じたようで口をへの字にして気分を害したという顔をしている。
風呂に入り、自分の部屋に戻ってからも、荒木は五枚の契約書を凝視した。
来月からどの球団も合宿に入るので、それまでに回答をいただきたいと球団からは言われている。
すでに一月も残り幾日。そこまでのんびり悩んでもいられない。
ふと、この際だから美香ちゃんに決めてもらったらどうだろうかという気持ちが沸いて来た。
携帯電話を手にし、発信履歴から美香の携帯電話を探し出す。
だがそこで、美香ちゃんだってそんな事を急に言われても困るよなと思い直した。
しかも、美香ちゃんと電話しているところに姉に踏み込まれたらどんな話になるかわかったものではない。
前回電話をかけた時は、わざわざ姉が不在の時間を狙って電話をかけたが、今回は家にいる。仮にかけるとしても姉がいない時でないといけない。
母も同様。さらにいえば祖母も。
翌日、荒木は母の車を借り、浜松市の北部、伊平にある乗竜のできる伊平牧場へと向かった。
竜杖球の選手である事を告げ、軽く流す程度で竜を走らせ厩舎に戻ってくると、懐かしい人物と再会した。
最後に見た時に比べ少し太っただろうか。当時短髪だった髪はかなり伸びており、色も栗色に染めている。だが、その少し出た前歯、細い目、細い顎はあの頃と全く変わらない。
「わあ、川村先輩じゃないですか! お久しぶりです!」
荒木に声をかけられ、川村もびっくりしてきょろきょろと周囲を見渡した。荒木を見つけると、川村は細い目を見開いて荒木を凝視した。
「荒木! おお、久しぶり! いやあ、ご活躍だねえ! お前は高校の時もうちの最大の武器だったもんな。だけど職人選手だなんてなあ」
つかつかと近づいてきて、右手で荒木の肩を抱いて左手で荒木の腹をパンパン叩く。
川村は現在大学四年で、来年から南国小笠原郡の御蔵島に行く事にしたらしい。
御蔵島には双竜会、清流会、雪柳会、薄雪会、日章会という五つの会派が止級の牧場を開いている。その中のどこかで牧夫をしようと思っているのだそうだ。
川村は止級の竜の獣医になるために勉強をしていた。だが思った以上に獣医の試験は難しく、昨年の結果は残念ながら不合格。それならそれでと牧夫として雇ってもらいながら資格試験に挑戦しようと考えているのだそうだ。
御蔵島以外にも周囲の島にも牧場はあるのだが、御蔵島が一番会派が多く雇ってもらえる可能性が高そうという事らしい。
「え? 荒木って今年から一軍なの! すげぇ! 後で署名くれよ!」
川村が目を爛々と輝かせて荒木を見た。
いいですよと言いながらも、荒木は苦笑いしている。
「お前が凄い選手だって一発で見抜いた宮田は凄いよな。まあそうでなくてもお前は頭角を現したんだろうけどさ。それでもあの時、宮田の『縦ポン』の提案があったのは大きかったと思うんだよな」
その川村の一言で、荒木はこれまで悩んでいた全ての事がふっとんだ気がした。
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