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第12話 良く研究して来ている

 二軍の太宰府球団の指導者をしていた森という人物は、どうやら今年から一軍の指導者になったらしい。


「実はね、日野監督に見付球団の新人に凄い人がいるって荒木選手を紹介したのは私なんですよ。当時はほら見付の指導者の福富さんがね……。私はそれを勿体ないって思ってましてね」


 まさか、恩を着せてくるとは思わなかった。交渉ってそういうほんの少しの接点をこうやって使ってくるものなんだなあと、荒木は少しだけ学んだ。


 ここまで交渉してきた五球団と違って、荒木が明らかに耳を傾けていると感じ、市川は少しだけ焦った顔をしている。

 市川も今日までに、荒木という人物の情報をかなりまで収集してきている。そもそも高校の時点で幕府球団と稲沢球団、多賀城球団の勧誘を断って見付球団に入団している。なぜうちを選んでくれたのか、球団内ではよくわからないと皆が言い合っていた。本人は周囲に契約金が貰えたからと無邪気に言っていたそうだが、恐らくはそれだけじゃないだろうと感じている。

 市川たちが出した答えは、恐らく情に脆いという事。


 しかも少しだけ契約書の説明をすると、すぐに森に担当を代わり、獅子団での思い出話を始めた。

 さすがに獅子団で一緒にやっていただけあり、太宰府球団もよく研究していると市川は舌を巻いた。


「では、良い返事がお聞かせ願える事を願っています」


 交渉者がそう言うと、森は荒木と肩を組んだ。


「鴻野と安部が君とやれるのを楽しみにしていたよ」


 そう言って担当の二人は荒木と握手してから応接室を退室した。

 脱力して椅子に座り込んだ荒木を見て、市川はかなり心が揺れていると感じた。



 その日はそこまでで、残りの五球団は翌日という仕切りとなっていた。


「荒木選手、ご苦労様。どう、今日一日の感想は? あ、どこが良いと思ってるとかいうのは言わないでね。規約に触れちゃうから」


 湯飲みの蓋を取り、残ったお茶を飲みながら市川はたずねた。

 市川としては一日の締めの世間話感覚であったのだが、荒木は本気で考え込んでしまっている。


「最初に台北球団が持って来てくれたお菓子、あれに感動しましたね。南府球団のレイシの寒天も絶品でしたね。あと、たこ焼きをお菓子にしたの、最初はえって思いましたけど、結構美味しかったですね。あと萩の月、いつ食べてもあれは旨いですね!」


 そこまで真剣に考え込んで、出てきた返答が手土産が美味しいと言ってきた事で、市川は椅子から落ちそうになった。

 ただ、ふと考え、二球団分の手土産の感想が無い事に気付いた。


 函館と太宰府。


 市川から見ても、太宰府球団の時に明らかに荒木は心を揺さぶられたように見えた。もしかしたら函館の時にも何か荒木の琴線に触れるような文句があったのかもしれない。



 翌日の交渉は北府球団からであった。

 前日同様、担当者は二人で、手土産を手にやってきた。前日同様、契約の話になると急に荒木はつまらなそうな態度をとる。慌てて交渉人が話を切り上げて、残りは雑談となる。


 ここまでを見てきた市川は、恐らく彼らは事務所に帰って手応えは無かったと報告するのだろうなと感じていた。


 北府球団の後は稲沢球団。昼食を挟んで幕府球団となった。



 幕府球団の担当者は、まず謝罪から入った。

 二軍時代に自分たちの球団の選手が大怪我を負わせてしまって申し訳ないと頭を下げた。

 その後、手土産を渡してきたのだが、露骨に他の球団よりも高級そうなお菓子であった。

 さらにその後の契約説明では、他の球団が提示してきた金額よりも明らかに高額の金額を見せてきた。稲沢と西府もかなり高額ではあったが、そんなのは目じゃないくらいの金額であった。

 この金額には怪我をさせてしまった謝罪金も含まれていると交渉人は説明したのだった。


 しかもどうやら幕府の交渉人はどこかから情報を得ているらしく、最初から契約書の説明は長々とは行わず、極めて簡潔に要点を数点だけ説明。

 どこの球団も交渉に来ている以上、交渉時の様子を他の球団に話す事は無いだろうから、恐らくは荒木という人物を徹底的に調べ尽くしてきた上での、この対応なのだろう。


「高校の時の勧誘でもそうでしたけど、相変わらず幕府球団は金がありますねえ。ずば抜けてる」


 幕府球団の担当が退出した後、荒木は契約書の金額をしげしげと眺めながらそう感想を漏らした。



 最後が苫小牧球団であった。

 苫小牧球団も獅子団では同じ球団である。太宰府球団同様、苫小牧球団も二軍指導者が付き添いでやってきた。


 これまで交渉に来た球団は、どの球団が交渉に来ているのかという情報だけは入っている。当然、この球団だとこのくらいの金額、この球団はこれくらいじゃないかという予想は立てている。

 恐らく今日の球団は、金額はこのくらいまで用意できるという話を聞いており、待合室で最終的な金額を書き込んで交渉にのぞんで来ただろう。


 にも関わらず、苫小牧球団の提示してきた金額は明らかに低い金額であった。

 苫小牧球団だって荒木がどんな人物か事前調査は万端だろうに、この低い金額はいったい?


「うちが強豪ではなく、そこまで観客動員が無い事は、荒木選手も昨年一年で知ってくれた事と思います。昨年末の最終戦、うちの球場は過去最高の動員を記録しました。私たちは今はこれしか出せませんが、いずれ荒木選手と共に、毎回あれだけの観客動員がかけられる球団にしていきたいと思っています」


 そのためにお力をお貸しくださいと言って交渉人は頭を下げた。


 そう来たか。

 市川も荒木も苫小牧球団の交渉の巧みさに驚いた。

 確かに荒木としても、優勝のかかった最終戦にとんでもない観客が訪れてくれた事は記憶に新しい。荒木が来てくれれば毎回あれだけの動員がかけられる。


 苫小牧球団のある日高郡の隣の室蘭郡には竜杖球の球団が無い。他の球技は球団を置いているのに。空港があって人口も抱えているのに球団が無いのだ。

 つまりはその分の観客をこちらに誘引できると苫小牧球団は考えている。そうなれば北国の二大都市、北府、函館の球団とも金銭的には互角に渡り合えるはず。

 この事は獅子団時代、佐々木や竹本から荒木も耳にしていた。


 順番がまた好運だっただろう。

 荒木の入団の勧誘の時、見付球団が順番は最後であった。そこで恐らく他が提示しなかったであろう契約金を提示し、うちは貧乏球団だから一緒に盛り上げてほしいと勧誘したと聞いている。


 恐らくその話を獅子団の選手たちから情報として聞いたのだろう。

 そして苫小牧球団が感じたのは『荒木は窮乏に弱い』。


 これは戦略の練り直しだと市川は感じた。

 そこで本来予定されていた見付球団の交渉を翌日に回し、昼食を取りながら話をしましょうという事にしたのだった。

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