第7話 久々に広岡に会った
照れながら姿勢を正している荒木に広岡が、何でそんなに畏まってるのとたずねた。
何でも何も以前は部活の顧問、今は球団の大先輩の奥方。畏まるに決まっているではないか。
手土産を手渡すと広岡がけらけらと笑い出した。
「何? 何? 荒木君ってこういう事ができるようになったの? うわあ、なんかちゃんと社会人になってるじゃない!」
この態度、本当にあの頃と何にも変わってない!
嫌になるほどに。
ぴゅうと冷たい風が吹き、双葉が「くちゅん」と可愛いくしゃみをした。
「ささ、荒木君、寒いから早く家に上がって」
庭で冷たい水で足裏を若松に洗ってもらい、玄関で手拭いで拭いてもらい、暖房器具で温められた客間に双葉は元気よくやってきた。
来て早々に広岡に鼻紙を渡され、垂れた鼻水をかむように言われる。最初は嫌がった双葉だったが、広岡に無言で睨まれたようで、口を尖らせて鼻をかんだ。
その広岡の顔は荒木からは見えず、若干どんな顔だったのか興味が湧く。
双葉はどうやら荒木に興味津々らしく、荒木の反対側の席で膝立ちとなり、机に肘をついて、足をばたばたさせてじっとこちらを見ている。荒木が微笑むと双葉も笑顔を向ける。
実に可愛いのだが……どうにも広岡先生と同じような顔が愛想を振りまいているという事に違和感を感じる。
荒木の顔を見てニヤニヤしていた広岡がお茶を淹れに部屋を出て行った。
入れ替わりに若松が部屋に入ってきて双葉の隣に座ると、双葉は若松の膝の上に座った。
「久々に会って、どう? 三年ぶりなんだっけ。やっぱかつての先生って緊張とかするの?」
すると荒木が口元を引きつらせて笑顔を見せた。その表情が答えだっただろう。
若松は豪快に笑い出した。
「でも、俺は担任じゃなく部活の顧問でしたからね。担任だったらもっと気まずい気持ちになったんでしょうね」
そう荒木が言った時だった。部屋の扉がカチャと音を立てて開いた。
「ふうん。そうなんだぁ。荒木君、私と会うの嫌だったんだぁ。へぇ、そうなんだぁ」
お盆の上に荒木の買ってきたお菓子と珈琲を乗せて入室してきた広岡が、非常に冷たい目で荒木を見る。
いや、その、あのと、あたふたする荒木を、若松がげらげらと笑い飛ばした。
お茶と茶菓子を荒木の前に置き、広岡は悪戯っ子のような目を荒木に向ける。
「私はこぉんなに楽しみにしてたのに、まさかそんな事言われるだなんて。心外だなあ。最後の日、『何かと楽しかった』って言ってくれたの、私、嬉しくって、いまだに覚えてるんだけどな」
そういうところだぞと内心で荒木は指摘していたのだが、当然口には出せなかった。
若松は終始爆笑である。
「俺はこれまでそういう経験無いんだけど、やっぱり俺も高校時代に接点の多かった先生に会ったら気まずいって感じちゃうと思うなあ。気まずいというか気恥ずかしいっていうかね」
若松が広岡の淹れた珈琲を飲んでいると、膝上の双葉がお茶菓子の封が開けられずに苦戦していた。それを若松が無言で開けて手渡した。
双葉が若松を見て嬉しそうに微笑む。
そんな微笑ましい二人を見ながら、広岡もお菓子を口に運んだ。
「ふうん。そんなもんなんだ。私は恩師に会えたら嬉しいし、教え子が活躍してるって情報が入ったら嬉しくなるし、会えるってなったら喜んじゃうんだけどなあ」
広岡が茶菓子を頬張りながら二人の顔を交互に見て、少し拗ねたような顔をする。
そんな広岡に若松は、先生と生徒では感じ方が異なるし、男女でも大きな差があると諭した。
広岡は口では納得したような声を出したが、顔は全く納得いっていないという感じであった。
そうは言っても徐々に広岡と荒木は三年の時を巻き戻し始め、学生時代の話で花が咲き始めた。
「そういえば、先生の後任って武上先生って人になったんですけど、先生はその人の事って覚えてます? 先生と若松さんの大学の後輩って本人は言ってましたけど」
若松は即答で「誰それ?」であった。広岡も首を傾げ、窓から外を眺め見て考え込んでる。
せめてどんな人か言われないと思い出せないという事であった。
「えっと、顔は綺麗系で雰囲気はかなり大人な女性って感じの人です。結構、その、良い体形で。名前は確か由香里だったかな? 大学時代は竜杖球部だったって言ってました」
『良い体形』と言う時に思わず荒木は胸を軽く包むような仕草をしてしまい、広岡が冷たい視線を向けた。
すると広岡より先に若松が「あっ」と声をあげた。
「ああ、由香里ちゃんか! 思い出した! 覚えてないかな? ほら、うちらが四年の時一年で入って来た、化粧のけばけばしかった娘。それでいて何かって言うと子供みたいに拗ねる娘がいたじゃん」
若松から特徴を加えられて、徐々に広岡も思い出してきたようで、パンと手を叩き、若松を指差した。
「ああ、あの娘! というか、あの娘、由香里ちゃんっていうんだ。私、面倒そうだったからなるべく絡まないようにしてたんだよね」
なんだか二人の評価が散々で荒木は徐々に武上が可哀そうになってきた。
しかも記憶の中では確か武上は若松に強く憧れていたはず。その若松からの評価がこんなだとは。
「そういえば、福田水産って決して竜杖球部が有名なわけでも無かったのに、よく荒木君が勧誘で入団なんて事になったよね。普通、郡代表って言っても無名校だと歯牙にもかけてもらえないんでしょ?」
その広岡の疑問はこれまで荒木もずっと感じていた事であった。良くて若松のように学生契約、普通は無視されるだろう。
実はこれまで広岡にはあえて言わなかったが、その答えを若松は聞いていた。
「美登里が顧問やってた時の夏の大会で暴力事件があったでしょ。あれで渡辺会長が謝罪に行ったじゃない。美登里はブチ切れて同席を拒否したって言ってたけど。あれで実は荒木の事は他の球団も目を付けたんだよ」
あの時、決勝での暴行が行われる前の映像が全国に流れた。それを見た各球団が最初の得点の映像に、あの先鋒は何だとなったらしい。
だから実は翌年は郡予選から各球団が調査員を派遣していた。郡山で行われた東国予選に調査に行った人の話によると、全ての球団の調査員の顔を見たという事であった。
実はあの年、優勝した東国の尽忠高校の斎藤、川相、準優勝だった北国の大江別高校の彦野、笘篠という四人の生徒も注目されていて、西国の協会から交渉抽選会を開くべきという話が出ていたらしい。
結局は生徒の自主性を重んじるべきという意見が出て、個別に交渉するという事になったと渡辺会長が会見で話していたのだとか。
「へえ、そんな話があったんだね。で、荒木君は何で見付球団を選んだの? やっぱ地元だから? お金……では絶対無いもんね」
広岡の発言で若松は大笑いした。あまりにも笑い声が大きくて、うとうとしていた双葉が起きてしまい、ぐずりながら広岡に抱き着いた。
「実は契約金を出してくれたのが見付だけだったんですよ。母と姉は反対だったんですけどね、祖母と父が見付が良いって言ってて。ここならきっと大切に扱ってもらえるからって。俺、お婆ちゃん子だから、祖母に薦められると弱くって」
そうだったんだと若松が変に納得した。
実は見付球団では、荒木がうちを選ぶ可能性はほぼ無いだろうという報告を受けていたらしい。東国の全ての球団が勧誘に来ており、恐らくは幕府か稲沢を選ぶのではないかという報告だったのだそうだ。
だから荒木が見付球団の門を叩いた時、球団は軽く狂乱状態になったらしい。
「まあ、まだうちでやると完全に決まったわけじゃないとは聞いてるけどな」
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