第5話 仕事始めの恒例行事
年が明け四日が経った。
新年最初の仕事といえば、どの球技のどの球団でも、選手と関係者全員を集めての『出陣式』である。
朝早くに見付球団の本社に集まって、そこで輸送車に分乗し、浜松市の北部磐田市にある秋葉神社へと向かう。
その車内で荒木の隣に座ったのは若松であった。
どうやら最初から隣の席に座るつもりだったらしい。荒木が輸送車に乗り込むとそれに続いて乗り込んできた。
ペコペコと頭を下げていると、若松が肩に手を置き、空いている席を指差す。促されるままに座ると隣に若松が座った。
「君の事はうちの妻からよく聞いてるよ。君が一軍に上がるって聞いて大喜びしてたぞ」
口元をニヤニヤさせながら、覗き込むようにして若松が荒木の顔を見た。
非情にバツの悪そうな顔をして黙っている荒木の肩をパンと叩き、若松は楽しそうに笑い出した。
「今日も今日とて、出かける寸前まで君を家に呼んで来いってうるさくてさ。どう? 別に今日じゃなくても良いんだけど、来れないかな? 君も知ってると思うけど、あの人ああいう性格だからさ……」
苦笑いする若松に荒木は愛想笑いで返した。
「広岡先生には大変お世話になりましたからね。久々に先生に会いたいって荒木が言ってたって伝えておいてください」
久々に自分の妻が旧姓で呼ばれるのを聞いて、若松は気恥ずかしい気持ちを抱いた。
交際していた頃は教師であったが、結婚した時には、すでに広岡は教師では無かった。恐らく『広岡先生』と言われて、交際時代の事を思い出したのだろう。
「俺さ、あの人の教師時代がどんなのだったかって知らないんだよね。実際どうだったの? その、評判とか」
あくまで世間話、そんな感じの若松の聞き方であった。
自分は直接授業を受けた事が無いから、あくまで先輩たちから聞いた話と合宿の時の印象と断った上で広岡の教師時代の話をした。
「俺は合宿の時の『何事も楽しんでやらないと効率は上がらない』ってのが印象に残ってますね。楽しい先生でしたよ。色んな意味で」
クッソ寒い中、水泳部に放り込まれて泳がされたのは今でも恨みに思っていると言うと若松は大笑いした。
秋葉神社に到着した一行は社を前に全員整列。社長の松園と関根監督の二人が代表で神主からお祓いを受けた。
その後、全員揃って二礼二拍手一礼。社の中でも再度お祓いがあり、神主が祝詞を奏上。
最後に一人一人順番に榊の枝を神前に供え、二礼二拍手一礼し祈祷は終了した。
祈祷が終わると再度輸送車で球団本社に戻り、そこから式典が開始となる。
式典はまず社長である松園の挨拶から始まった。次に関根監督の挨拶となった。
二軍から若手を呼ぶ予定だったのが昨年は結局広沢しか呼べなかったと関根は残念そうに言った。
今年は、できればもっと若返りをはかっていきたいと述べた。
「これまでなかなか若手を呼べなかった原因は夏頃にやっと判明した。まさか二軍の指導者があのような人物だとは思ってもみなかった。二度とあのような事が無いようにしていただきたいですな」
球団というのは選手たちだけじゃない、職員を全て含めて一つの球団なのだ。
悪意を持って足を引っ張ろうという者は、例えばそれが受付の職員だとしても、試合に関係の無い職だからではなく、容赦無く切っていくべき。それは例え社長であっても聖域では無いと関根は指摘した。
新年早々の手厳しい指摘に、会場の職員たちが一様にバツの悪そうな顔をした。
関根の挨拶の後は、新入団選手の挨拶である。
今年の新人も二人。
一人は鞍ヶ池高校出身の土橋尊裕、そしてもう一人は三光大付属高校出身の飯田浩。
毎年の事ではあるが、一言挨拶をと言われ新人の二人は戸惑った顔をした。散々悩んだ末、出身校校名と名前を言ってよろしくお願いしますと頭を下げた。
「福田水産は今年も郡予選決勝で敗退だったんだよな。今年の三年生に長縄と溝口っていう良い選手がいたんだけどさ、育成枠って事で体育大学に進学したらしいね」
そう言って若松が荒木のコップに麦酒を注いだ。見ると若松のコップも空になっており、瓶を傾けて麦酒を注いだ。
「大学に行っちゃうと、うちに選手で来るかどうかはわかんなくなっちゃいますからね。もしかしたら南国や西国の球団の選手として立ちはだかるかもしれないですもんね」
麦酒をくいっと喉に流すと、若松は学生契約はつらかったと言い出した。
荒木のような勧誘による正式な契約の場合、年俸が支払われ、さらに契約金も支払われる事があり、一月から寮で生活ができ、その寮費も球団が支給してくれる。
一方で学生契約の場合、そもそも球団が出してくれるのは入学費と学費だけ。それ以外は全て実費である。
入学先は球団が提携しているいくつかの学校から選べるのだが、基本は体育大学。これは最終的に球団から契約更改が無かった場合に、最後の道として体育教師という道が確保できるためである。
球団の社員扱いで入学するため、単位を一つでも落とせば契約解除となってしまう。さらに大学でも竜杖球部に所属する事が義務付けられている。そのせいで、途中で契約終了になる学生が後を絶たない。
四年間、とにかく品行方正に竜杖球に打ち込みながら学業にも励まなければいけないのだ。
「他の大学生なんてさ、やれ異性と逢引きだ、やれ飲み会だ、やれ短期労働だって、遊びまくってるわけじゃんか。それを横目に修行僧のように学生やってなきゃいけないんだぜ? 普通はやってられないよ」
昔の事を思い出し、若松は遠い目をして同じ境遇の栗山の姿を探した。
そんな若松を荒木はじっと見た。
「あれ? 確か以前、広岡先生って大学時代に竜杖球部の補佐してて若松さんと知り合ったって……」
荒木からばっと顔を反らして若松は麦酒の入ったコップを口にした。
「いや、まあ、それとこれとは別っちゅうか。何ちゅうか。竜杖球部だって飲み会とか色々あったりしてな。当時、うちの妻は全部員の憧れの的だったんだぞ! 明るくて飲んでても楽しくてな」
その『全部員の憧れの的』を自分たちは貧乳と煽ってからかっていたのかと思うと、荒木の額に思わず冷や汗が垂れる。
「確か広岡先生が言う話では、若松さんから言い寄って来たって話でしたけど、本当なんですか? 以前聞いた話では、飲み屋で偶然知り合って、そこで言い寄られたって……」
若松はぎょっとした顔をし、わざとらしく咳払いをした。その顔は酒に酔ったのか、恥ずかしさからなのか、赤く染まっている。
「……あの人がそういうんなら、きっとそうなんだろう」
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