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第48話 私は怖い

 美香一人で行かせるとそのまま逃げてしまいかねないと危惧し、荒木も土井牧場へ付き添う事になった。


 レンタカーを借り、二人で秋の北国を走る。

 少し開けた窓から入り込んだ風が、美香の伸びた髪をゆらゆらとたなびかせる。美香の髪が揺れるたびに、何とも言えない良い香りが車内に漂った。


”まるで昔の花魁の身請けみたいだな”


 そう言って笑った神部の言葉が思い出される。

 神部は特に考え無しで言ったのだろうが、荒木も美香もその言葉は胸に刺さった。

 当人たちの考えはどうあれ、確かに傍から見たら荒木が金で花魁の美香を買ったようにしか見えない。荒木の志はどうあれ、結果的にはそういう形になってしまっている。


 車内は少し重苦しい雰囲気となってしまっている。

 車に乗ってから、荒木も何度か美香に声をかけてはいるのだ。


「美香ちゃん、今日は朝は何を食べたの?」


 ぴくりとして、朝はいつも食べてないと蚊の鳴く様な声で言われてしまった。

 食べ損ねたとかなら何か食べようかともなるのだが、いつも食べないと言われるとその先が続かない。


「美香ちゃん、土井さんのとこに行く前にどこかでお昼食べない?」


 このまま行くとお昼の少し前に到着しそうで、そうなると先様にご迷惑がかかってしまう。だからご飯を食べてから土井さんのところに行こうと言ったのだ。

 だが、美香の返事はたった一言。「うん」だけ。


「前にさ、広沢さんや小川さんと行った拉麺屋さんが室蘭にあるんだけどさ、そこで良いかな?」


 返事が無い。

 味噌拉麵で煮豚がとても美味しくてと必死に拉麺の説明をする。

 信号で停車した時に、再度どうかなとたずねると美香は無言で頷いた。



 拉麺を食べ終えて車に乗り込んだ荒木は、車を発進させずにじっと空を見ていた。

 そんな荒木を美香が横目でちらりちらりと見る。


「もしかして俺がした事で、美香ちゃんの事、傷つけちゃったかな」


 「えっ」と声を発し顔を強張らせ、美香は荒木の顔を見続けた。

 そんな美香を見ずに荒木は続けた。


「確かに、美香ちゃんからしたら屈辱的だよね。まるでお金で買われたような気がしちゃって」


 ちらりと美香を見て、荒木はまた視線を空に戻した。

 美香は膝の上で手を組み、じっとその手を凝視している。


 そうじゃない。そう美香はぼそっと呟いた。


「……そうじゃないの。私怖いのよ。私と雅史君は友だちでしかないじゃない。それは、その……そういう事もしたけど。その友だちにこんなにしてもらって、私はどうやってそれに報いたら良いんだろうって」


 まだ何も報いる事ができていないのに、受ける恩だけはどんどん肥大化していく。もう、どうやって返していったらいいのか見当もつかない。

 そう言って美香は組んでいる手を震わせた。


「俺は、美香ちゃんが俺の事を応援してくれればそれで良いんだけどな。いつも穏やかな笑顔でいてくれて、声が聞きたいって時に聞かせてくれて。挫けそうな時に頑張れって言ってくれたら、俺はそれで満足なんだけどな」


 高校二年の春、初めて会った時のような健康的な笑顔を見せて欲しい。

 美香の顔をじっと見つめて荒木は言った。

 だが美香は無言で俯いたまま。


 これ以上は美香を泣かせてしまうだけだと感じた荒木は、話題を変えようと柏手を打った。

 予想以上に良い音がして、美香はびくりと体を震わせた。


「そういえばさ、美香ちゃん携帯電話どうしたの? 電話したけど繋がらなかったんだけど」


 すると美香は実にバツの悪そうな顔で荒木から顔を背けた。

 渋々という感じで鞄から出してきたのは、荒木の知っている携帯電話とは違う携帯電話。

 「実は……」と言って、非常に言いづらそうに事情を話した。


 父の借金を背負う事になったその日、気が動転していた美香はまず荒木に電話をした。

 だがすぐに試合の事故の事を思い出して電話を切り、電子郵便を送った。『退院したら連絡ください』という文言で。


 そのすぐ後の話だった。

 手が滑って道路に携帯電話が飛んで行ってしまったのだった。

 運悪くそこに大型輸送車が通り、携帯電話は木っ端微塵。しかも中に入っている通信情報の札も割れてしまっていた。


 渋々携帯電話を買い直す事になったのだが、通信情報の札が割れていたので電話番号が変わる事になってしまった。しかも間抜けな事に携帯電話に登録されているからと安心しきっており、荒木の携帯電話の番号がわからなくなってしまったのだった。


 あまりにも間の抜けた話に荒木は笑い出してしまった。そんなに笑わなくても良いと美香は拗ねた顔をしたのだが、それでも荒木は笑い続けた。

 さすがに恥ずかしくなり、美香は顔を真っ赤に染めて、「もう!」と言って荒木の腕を叩いた。


「良かった。嫌われちゃったのかと思ってた。避けられたのかと思ってた。そっか、美香ちゃんのポンだったんだ。そうなんだ」


 ゲラゲラ笑いながら荒木は車を走らせた。

 誤解は解けた。これからはきっとお互いの時間が色々と解決してくれるだろう。そう考えたら、何とも晴れやかな気分であった。


 途中、信号で停まった時に、荒木は懐から自分の名刺を出して美香に手渡した。もし同じように連絡先がわからなくなったらそこに連絡するようにと。


 その名刺は見付球団の正式な名刺ではあったが『獅子団所属』という肩書が記されている。

 だが、美香は知らない。実はこの名刺は関係者以外には誰にも渡していないという事を。


 大事そうに財布にしまった美香だったが、急に何かを思い出したらしく、次の信号で停まった時にペンを差し出した。


「また失くしたら困るから携帯電話の番号書いて」


 恥ずかしそうにいう美香を見て荒木は笑い出し、さらさらと番号を書いて手渡した。

 今度は財布を落とさないようにねと荒木が笑うと、そんなにドジじゃないと言って美香は怒り出してしまった。


「辛い事があってもさ、いなくならないで相談してよ。俺じゃあ何の解決もしてやれないかもしれない。だけどさ、喜びも悲しみも分ちあうってのが友だちってもんだって俺の婆ちゃんが昔言ってたんだよ」


 喜びは分ちあうと倍になり、悲しみは分ちあうと半分になる。三人いれば三倍だし、四人いれば四倍になる。だからそんな友だちをたくさん作りなさいというのが婆ちゃんの教えだった。


「素敵なお婆様ね。お婆様のお歳まで経験を重ねて、得られた答えがそれなのね。私もそんな素敵なお婆様が欲しかったな」


 言ってから美香は、自分は何を口走っているんだろうと我に返って顔を赤く染めた。

 荒木はそんな事気にせず良い婆ちゃんなんだよと祖母自慢を始めた。



 昼食前に比べ、かなり車内の雰囲気は明るくなっている。


 室蘭市を出て、車はいよいよ伊達町に入った。

 美香が生まれ育った町、そしてそんな美香を家族諸共追い出した町に、再度戻って来たのだった。

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