第47話 住むところが無くなった
翌朝、支笏湖温泉の旅館での最後の朝食を取って、今後の復帰計画を神部と練った。
ここまで状態を確認しながら練習をしてもらったが、若いだけあってかなり経過が良いように感じる。恐らく今の状態であれば医師の診断も悪いものではないだろう。
残念だが胸骨を繋いでいる板の取り外しは当分先の事にはなってしまうと思う。だが、それによって運動に大きな支障が出るという事は無いと思われる。
そこで、ここからの二週間、牧場へ行き、実際に竜に乗って毎日練習をしてもらう。
今現在、荒木が乗っていた竜が安楽死処分となっており一頭少ない。残りの四頭のうちの一頭を荒木用に回さなければならず、その『合わせ』を行わないといけない。丁度良い機会なので、合わせを兼ねてその竜で練習をしてもらう。
苫小牧にある瑞穂体育大学の竜杖球部に練習参加できるようにしておくので、そこで存分に練習したら良い。そこは体育大学なので、例の不思議な感覚の打球についても相談すると良いかもしれない。何なら引退後の事を考えて少し抗議を受けておくのも良いかもしれない。
神部の話はだいたいそんな感じであった。
「じゃあ、しばらくは大学生たちと一緒に調整って事ですか。大学なんて行った事無いから楽しみですね」
荒木が楽しそうに笑顔を作ると、神部は昨晩の事を思い出したらしく、じっとりした目を向けた。
「まさかとは思うが、お前が楽しみにしているのは大学生のお姉さん方じゃねえだろうな?」
二人の間に静寂が訪れる。
「あはは、やだなあ。そんなわけないじゃないですか。あはは。だって、ほら、ねえ。この真剣な目を見てくださいよ」
自分でも驚くほど乾いた笑い声を発する荒木を、神部がさらにじっとりとした目で見る。
「俺には邪な事考えている目にしか見えねえけどな」
ピシリと言われてしまい、荒木の笑顔が引きつった。
そんな荒木に神部は真顔で説教を始めた。
「お前な。職人選手にとって下半身問題は致命的だぞ。相手の女性にいやらしい事されたって訴えられたら、そこで選手生命が終わる事だってあるんだからな!」
外国ではそんな事はほとんど問題にならないが、ここ瑞穂ではその小火に報道が燃料をくべにくべて大炎上させるという悪習がある。それを見越してありもしない事をでっちあげて大炎上を仕掛ける性悪の人もいる。
「若いうちは、その有り余る元気をあっちこちに撒き散らしたくなるもんだがな、昨日の娘、あの娘一人にそれを注いでおけ。その方が選手としては好意的に見てもらえるからな」
神部の説教が終わると、荒木はしゅんとしてしまったのだった。
部屋に戻り、荷物をまとめて受付に向かうと、玄関に大きな旅行鞄を持った女性が腰かけていた。
後ろ姿でも荒木にはそれが誰かわかった。
荒木が自分の顔を見た事で、神部にもその女性が誰かわかったらしい。清算は俺がやっておくと言って、一人で受付に向かって行った。
どうしたのと声をかけると、美香はびくっとして荒木を見上げた。
「雅史君、どうしよう……私、お仕事クビになっちゃって、住むところが無くなっちゃった……」
実は美香は住み込みでお金を多く貰える仕事を探して、この温泉の芸子という仕事に行きついたらしい。
少し体を触られたりはするが、それ以上の事は無い。とにかくお金が貰えて食と住が確保できる。知らない人に体を触られるのは嫌だけど、それだけお金が貰えるのなら我慢。そう思っていたらしい。
ところが、昨日の事がきっかけとなって、今日出勤したら解雇を通達されてしまったのだそうだ。
どうしようと言われても荒木も寮生活である。まさか寮に呼ぶわけにもいかない。そんな事をしたら見付球団全員に知れ渡ってしまう。伝説級のお馬鹿さんとして未来永劫語り草になってしまうだろう。
……神部に知られてしまった時点で、そうなる可能性はかなり高いと言えばその通りなのだが。
思わず荒木は頭を抱えてしまった。
清算を終えた神部は二人の状況を見て、また何か揉めてると思ったようで小さくため息を漏らした。
旅館の喫茶室に場所を移し、三人で今後を相談する事になった。
神部としてもこの問題がどうにかならない事には、荒木は竜杖球どころではないと感じたらしい。そこで神部は改めて荒木と美香との出会いから、ここまで美香の身に起こった事を知る事になった。
「なるほどな。確かに、俺が荒木でも同じようにしただろうな。荒木が昨日、職人選手でいられるのは彼女の両親のおかげって言ったのもわかる気がするよ」
そうか、そういう事情かと言って神部は珈琲に口を付けた。
「荒木はどうしたいと思ってるんだ? 上手くすれば来年一軍に昇格できるかもなんだろ? 借金だけ肩代わりして彼女はここに置いていくつもりなのか?」
最終戦まで残り二か月。
例えば住み込みの仕事を世話したとして、もし見付に呼びたいというのなら、雇い主側にもその旨を伝えておかないといけない。
だが、たった二か月の話として引き受けてくれるところなど、そうそうあるものではない。
そこまで神部から説明を受け、一か所だけ美香を引き受けてくれそうなところを荒木は思いついた。恐らくそこなら拒絶はされないと思う。問題は美香が気が引けてしまわないかだけ。
それはどこと聞く美香に、荒木は真剣な顔を向けた。
その真剣な眼差しにドキリとし無意識に頬が赤く染まる。
「土井さんだよ、土井牧場の。美香ちゃんも知ってるでしょ。以前挨拶に行った時、土井さん、もの凄く美香ちゃんの事心配してたよ」
荒木は美香がその選択肢を忘れているのだと思っていた。
だが美香の顔が曇ったところを見ると、どうやらそうではないらしい。意図して選択肢から抜いていたらしい。
「土井さん、本当に私の事を心配してくれてたの? 私、土井さんってうちが無くなる時にお母さんと口論になってた印象が強く残っているんだけど」
何について口論していたのかはわからない。だが何となく予想はつく。お金をかけて改修したのに合宿がダメになり、それが急な宣告だったから揉めたのだと思う。
美香としてはその時の非情な土井の顔が強く印象に残ってしまっているのだ。
「俺は安達荘と同じくらい土井さんにも恩義を感じてる。例え美香ちゃんでも、恩人をそんな風に言って欲しくは無いな」
珍しく強い口調で言われ、美香は素直に謝罪した。謝罪はしたが、わだかまりが解けたわけではなく、なかなか返事ができずにいた。
そんな美香に神部はかなり冷たい目を向けた。
「この娘、昨日あの芸子に言われた事、もう忘れちまったのかな。俺ですら覚えてるのに」
神部はボソッと呟くように言ったのだが、美香の心にはばっちりと響いた。
『人の好意を踏みにじる女には永遠に幸せなんて来ない』
芸子はそう言って美香の頬を叩いた。神部が言うように、まだ何時間も経っていないのに。
美香は恥ずかしそうな表情で荒木の顔を見つめ、こくりと頷いた。
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