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第46話 お父さんが行方不明

 部屋に残された二人はしばらく目も合わず無言であった。

 正確には荒木は美香を見ている。だが、美香の方が顔を背けてしまっている。


 美香から何か言ってくれる事を荒木は期待したのだが、美香は俯いてしまい何も話す事はないという雰囲気を醸している。それでも荒木を拒んではいない。


 荒木が美香の肩に置いた手を二の腕の方に下げる。美香の体がびくりと震える。

 子供をあやすように、ぽんぽんと二の腕を叩くと、美香は小刻みに震え出した。


 そんな美香を荒木は優しく抱き寄せる。

 すると美香は突然荒木の膝に突っ伏して、わんわん泣き始めてしまったのだった。

 荒木は無言で美香の背を撫で続けた。


 確実に美香の身に何かがあった。この美香の態度で荒木の推察は確信に変わった。

 美香の身に起こる事といえば思いつくのは一つだけ。お金の問題だろう。

 だけど、美香が背負った借金は俺が立て替えてあげたはず。じゃあ他に何が?


「……もしかして、おじさんとおばさんが見つかったの?」


 荒木の問いかけに美香は泣きながら顔を横に振る。


「泣いてちゃわかんないよ。でもお金の関係なんでしょ? 急にこんな仕事を始めたって事は」


 反応なし。

 もう少し気分が落ち着くまで泣かせておくしかないかと思い、荒木は優しく美香の背を撫でた。


 美香を撫でながら荒木は、何でこの娘はこんなにお金で苦労しないといけないのだろうと感じていた。

 再会した時の美香は、およそその歳で背負うような額じゃない借金を背負わされていた。元の金額がどれだけだったかはわからない。だが、民宿の経営が赤字だったからといって、一家離散で借金を等分したとして、美香の背負った初期の金額はそこまで高額では無かったはずなのだ。


 実はその後で話を聞き、美香の借金がとんでもない額になった理由は判明している。利子が払えず、闇金融でお金を借りてしまっていたのだ。さらにその借金に利子が発生し、さらに別の金融でお金を借りた。その結果、わずか一年ほどで借金は膨らみに膨らんで、とんでも無い額になってしまっていた。


 あの時苫小牧でその借金は全て返済させた。

 じゃあ、いったいそれ以外に何があったというのだろう?


 少し落ち着いたところで美香に水を飲ませた。水を飲み終えた美香は俯いて唇を震わせた。乱れた髪が顔に貼り付いて、何とも言えない艶めかしさを感じる。


「お父さん……行方不明になっちゃったんだって」


 美香がぽつりと呟くように話した。

 正直、何を言っているのだろうと荒木は感じた。お父さんどころか、お母さんだって行方不明のはずなのに。

 すると美香は、ぽろりと涙を頬に伝わせて、もう少しだけ言葉を続けた。


「お父さん、蟹漁船に乗ってたんだって。で、そのまま船ごと……」


 ぽたぽたと美香の顎から雫が垂れる。

 つまり金融機関は、安達のおじさんは亡くなったも同然だという事で、現在身元がはっきりしている美香に返済を迫ってきたという事なのだろう。


「それっていつ頃の話なの?」


 その問いに対する美香の答えは『わからない』であった。

 段階を追って返済計画を立てていたようで、初回の返済はしているらしい。何回で返済する計画かはわからないが、返済されずに利子だけが増え、その状態で美香に返済命令が下ったのだそうだ。


「お父さん……」


 そう言ってまた美香は本格的に泣き出してしまったのだった。



 暫くして神部と先輩芸子が二人で戻ってきた。

 神部の口の周りは口紅べったり。だいぶしっぽりと中庭を見てきたらしい。


 大泣きしている美香を見て先輩芸子は、今日はもうお開きだから帰りましょうと声をかけた。

 無言で頷く美香。


 そんな美香を見て荒木はそこはかとない不安感を覚えた。

 もしかしたら美香は、このまま、また自分の前から姿を消してしまうかもしれない。居場所がバレて、こんな仕事をしている事もバレた。だから別の温泉地に行ってしまうかもしれない。


「神部さん。ちょっと聞きたいんですけど、給料の前借りってできるんですかね?」


 その荒木の発言の意味がわかり、美香は荒木の顔を見て無言で首を横に振った。

 だが荒木は美香の顔を見ずに、神部に再度、どうですかとたずねた。


「球団は無理だな。だけど、選手だったら幾人か貸してくれる人はいるかもしれないな。聞いてみてやるよ」


 若松選手、八重樫選手辺りなら、気前よく貸してくれるだろうと神部は言った。


 美香は幽霊でも見たかのように恐怖した顔をし、壊れた玩具のように首を横に振り続けている。

そんな美香を先輩芸子はじっと見つめている。


「ダメよ……そんな……だって私、一度借金を立て替えてもらってるのに……」


 そう言って美香が荒木の袖を強く引く。

 だが荒木は美香を見ない。


「俺はもう決めたんだ。俺は恩を受けた人には徹底してそれを返していくんだ」


 まるで誰かに宣言でもするように言い切った荒木のすがすがしい顔を見て神部も頷いた。

 先輩芸子は思わず拍手した。


「ダメだから……私はそんな事してもらうような……」


 荒木を恐れるような目で見て、美香は少し体を反らし荒木から距離を取った。

 そんな美香の両肩を荒木は逃げられないようにがっちりと掴んだ。


「以前にも言ったけど、俺は美香ちゃんの御両親のおかげで職人選手になれたんだ。二人に恩返しができないから、美香ちゃんに恩を返すんだよ。だから美香ちゃんがそれを気に病む必要は無いんだよ」


 美香は目を見開いて首を横に振る。


 そんな美香の態度に先輩芸子は苛ついてきているらしい。徐々にここまで保ってきた営業の笑顔の仮面を外し始めた。

 すたと立ち上がり、美香の奥襟を引っ張る。そのせいで美香の白くて長い脚が浴衣から露出。ついでにその奥の桃色の下着も露わになった。

 美香は慌てて下着だけは浴衣の裾で隠した。


「何様なの、あんた! この人はね、あんたの事を大切に思って、こんな事を言ってくれてるのよ! 人の好意をあなたは踏みにじる気なの? そんな女には永遠に幸せなんてやって来ないんだよ!」


 先輩芸子は、そう言って美香の頬を思い切り叩いた。

 ピシッという冷たい音が鳴り響く。

 荒木と神部が思わず目を背ける。


「今回の事は上に報告するわ。お客様を前にして、ずっと震えてて、まともに仕事ができなかったって。芸子としての素質が無いって言っておく。だからさっさと辞めて他の仕事をあたりなさい」


 先輩芸子は笑顔を作り直して荒木の方にその笑顔を向けた。

 浴衣の袖からハンカチを取り出し荒木に手渡す。


「荒木選手っていうんですってね。私覚えましたからね。これから応援していきますから。これに大きく署名をお願いします」


 荒木は自分の荷物の中から油性のペンを取り出し、ハンカチを広げてさらさらと署名し日付を書いた。

すると先輩芸子は『麻理恵さんへ』って書いてくれとお願いした。

麻理恵は自分の本名だと言って。


「荒木選手の事は同僚の人たちみんなに宣伝しときますからね。絶対に一軍に行って活躍してくださいね。みんなで応援してますからね」


 今日は色々と申し訳ございませんでしたと頭を下げて、先輩芸子と美香は部屋を出て行った。

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