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第42話 復帰に向けて

「ずいぶんとのんびりだな。それじゃあ練習にならんぞ。軽く息が切れる程度。それくらいの早さで来ねえと。まあ、今のは初回だ、帰りはもっと速度上げて来るんだぞ」


 のんびりと川に足をつけながら神部は言った。

 いったい、いつからそうしているのだろう?

 足は温水で薄紅に染まっている。どうやら来る途中で購入したらしき飲料水まで手にしている。

 どうやらこの人は本当にこの人は温泉を満喫してしまっているらしい。


 ただ、ここまでの道のりは確かにかなりの勾配があり、早めに歩けばそれなりの運動機能の鍛錬にはなりそうとは感じた。

 最終的には走る一歩手前くらいの早さで歩いて来るんだと飲料水で水分を補給しながら神部は指導したのだった。


「まだ若いからな。俺も無理しても大丈夫とは思うよ。だけど、十年先、十五年先にこういうのは跳ね返ってくるんだよ。古傷ってやつだ。そうならねえように、焦らずいこうや。なっ」


 お前も川に足を入れてみろと言って神部は荒木を隣に座らせた。

 およそ川の水とは思えない完全な温水である。足の先からじんわりと温かさが伝わってくる。



「神部さん、ちょっと変な事聞いても良いですか? 神部さんって選手時代に、球の重さを感じない打球ってありました?」


 荒木の疑問に首を傾げ神部は鼻の頭を掻いた。


「なんだそりゃ? 球の重さを感じない打球? どういう意味だそれ?」


 いったい何を突飛な事を言い出したんだという顔で荒木の顔を見ている。何かの冗談を言っている、もしくは見た夢の話、あるいは最近見た漫画の話でもしているのだと感じたらしい。


 そんな神部に荒木は先日の龍虎団戦での打ち込みの話をした。

 明らかにこれまでと異なっていて、打った時の球の重さをまるで感じなかった。打球も途中でかくんと落ちたように見えた。いつもよりも球の速度も速かった。

 いったいあれはなんだったのかと。


「なんだそりゃ。聞いた事ねえな。後でちと見付のやつらに電話して聴いてみてやるよ。だけど、もしそれが狙って打てれば、もの凄い武器になるんだろうな」


 神部の『狙って打てれば』という一言が全てを物語っているのかもしれない。

 確かに打てれば武器にはなる。だが、狙って打つのは難しいんじゃないかということだ。


「そうですね。確かに。俺の竜杖の制御じゃあ狙って打てるとは思えないですもんね。それを武器にするよりは、もっと竜を速く走らせられる方が武器になりそうですよね」


 お前の武器はその圧倒的な竜の速さ。それはこれまで色々な人に言われてきている。そこに他の人がやっているような高い操縦の技術を身に着ける方が先決かもしれない。

 そんな奇跡の一打を引き出すより、竜杖の打ち込み精度を上げる方が先かもしれない。


「さて。そろそろ宿に戻るか。帰りは下りだ。来た時よりも早く来れるだろうが、無理すんなよ。怪我するからな」


 そう言って神部が足拭き用の布を荒木に投げた。



 その日の夜、二人で温泉に浸かっていると、神部が今後の事を話してくれた。

 この周辺は温泉がとにかく多い。来週は洞爺湖に行き、二十日からは支笏湖に行く。そのどれもが基本は荷物を持った状態で登山。

 激しい運動を止められている以上、そうやって筋力と心肺機能を戻すしかない。


「焦る気持ちはわかる。でも今はどうしようもないんだよ。医師から許可が出れば竜に乗れるんだから、それまで辛抱するしかないんだよ。俺と一緒に温泉を満喫しようや」


 手ぬぐいを畳んで頭に乗せ、だらんと湯舟に身を委ね、「ふぃぃ」とだらしない声を神部はあげた。


「おめえは胸を湯に漬けるんじゃねえぞ。あくまで蒸気を当てるだけにしとけよ」


 「はいはい」と適当な返事をし、荒木は湯舟に座り直した。


「……神部さん、俺の一軍昇格って、やっぱり立ち消えなんですか?」


 荒木の顔をちらりと見て、誰に聞いたんだと神部はたずねた。

 球団の職員の方が見舞いに来て、昇格は一時保留になったと言っていたと荒木は答えた。


「俺は何も聞いてないよ。二軍に大怪我した選手がいるから、回復の手伝いしてやってくれって言われただけだ。そもそも昇格の話すら聞いてないよ。ただ、俺に声がかかるって事は有望な選手なんだろうなとは思ってるけどな」


 そうですかと呟き、荒木は少し表情を暗くした。

 そんな荒木に神部は湯を飛ばした。


「しけたつらしてんじゃねえよ。今の段階でくよくよしてもしょうがねえだろ。お前はさっき『立ち消え』って言ったけどな、球団の奴は『保留』って言ったんだろ? 保留って事は立ち消えじゃねえって事だろうよ」


 前を向け。

 神部はそう荒木を励ました。



 翌朝、朝食を食べながら新聞を読んでいた神部が、これを見てみろと荒木に新聞を渡した。

 そこに書かれていたのは、協会の処分の方向がある程度決まったというものであった。


 川相、駒田、吉村、山田の四人のうち、計画立案の山田は永久追放の方向らしい。

 今回の件への関わりを拒んだ川相の不問はほぼ決まったらしい。

 実行者の一人吉村とこの件を隠蔽しようとした駒田、この二人の処分をどうするかでまだ揉めているのだそうだ。


「川相が色々と話しちまったらしいからな。聞けば完全に故意だもんな。そりゃあそうなるだろうな。選手は殺し合いをしているわけじゃねえんだから」


 山田への処分は限りなく妥当だと神部も考えるらしい。

 さらに言えば今回の件を告発した形となった川相が不問というのも納得。

 問題は協会が駒田と吉村をどう処遇するか。


「俺は、より悪質だとして駒田が処分されるんじゃねえかと思うな。吉村は実行犯だが、それをやらせたのは駒田だって事らしいからな」


 もしくは両人共に処分もありえる。ただ、だとしても山田のように永久追放という事はないだろうというのが神部の予想であった。


「俺も新聞で読んだんですけど、駒田さんが言った『海外ではごく当たり前に行われている事』っていうのは本当なんですか? 吉村さんはそれで納得したって書いてましたけど」


 荒木の質問に、神部は食事をする手を止めて腕を組んだ。

 ふむと唸ってじっと荒木の顔を見つめた。


「嘘か本当かで言ったら本当だ。以前どっかの高校で試合中に相手選手ぶっ叩いて大問題になってたけど、試合中の事故にかこつけて選手を痛めつけるなんて、海外ではごく普通の事だよ」


 相手の選手が怪我したところで、自分が怪我しなければ問題無い。さらに言えば、審判の見えないところでなら何をしても問題にはならない。それがわかっているから、海外の選手はそういう行為から自分をどう守るのかを学ぶ。

 反則行為も競技のうち。それが海外のごく当たり前の考えなんだと神部は説明した。


「じゃあ、海外だったら大怪我した俺が悪いって事になるんですか? 山田さんや駒田さんが普通で」


 それについては神部は回答を避けた。国によってはそういう判断をする国もあると答えただけであった。


「うちらのように『卑怯』と思う国もあれば、『ずるい』と考える国もあれば、『賢い』って考える国もある。俺は海外の悪い部分を見習う必要は無いって考えるけど、国際大会で良い成績を出そうと思ったら、『賢い』って考えるような奴らに合わせないといけないだろうな」


 だから先ほど言ったように駒田の言い分はあながち間違ってはいないという事になる。だから、そういう行為からどうやって海外の選手は身を守っているのか、それを研究する事もこれからは大切かもしれないと神部は言ったのだった。

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