第41話 美香が行方不明
翌日、小川と二人、美香の働いている総合商店へと向かった。
お惣菜売場に行ったのだが美香は来ていなかった。売場の壁は透明な仕切りになっていて調理の様子がうかがえるようになっており、しばらく見ていたのだが美香は現れなかった。
「何かあったのかもな。例えばお前と同じように急な病気で入院しているとか」
車に戻り総合商店で買った甘食を食べながら小川は言った。
店員に聞きたいところであるが、単にお客の一人にすぎない自分たちが、店員の事について根ほり葉ほり聞くのもと思いずごすごと総合商店を出てきてしまった。
とりあえず美香の家に行ってみよう。行ってみれば全てはわかるはずだから。そう言い合い、美香の住む借家へと向かった。
美香の借家は日高の中心街からはかなり離れている。周囲は長閑にも畑が広がっている。そんな中にボロボロの建物が建っている。
「えっ? あの娘、ここに住んでるの? 築何十年だよ、これ」
車を止めて最初に小川が言ったのがそれであった。
二階建ての一階。その一番奥。もっとも日当たりの悪い部屋に美香は住んでいる。
以前、美香の家に泊まりに来た事がある。
夜中に上の階と横の部屋からかなり楽しそうな話し声が聞こえてきていた。さらには外の階段を激しく駆け上がる音も。
ずいぶんと騒がしい部屋だと言うと美香はくすくす笑った。これで隣も上も誰も住んでいないんだよと言って。
一瞬ぞっとしたのだが、それぞれの隣に人が住んでいて、横と上の部屋が空いているから声が響いてしまうんだとか。こういう壁の薄い借家ではよくある事だと美香は笑った。寂しく無くて良いと言って。
それ以来、あまり荒木はこの家に寄り付かなくなった。
「表札がねえな……」
部屋の前まで行くと小川は即座にそう言った。
「いや、美香ちゃん表札入れないんですよ。変な人に付きまとわれてたから。家を探り出されるのが嫌だって言って」
荒木の説明を聞いた小川は、美香の事を『難儀な娘』と呼んだ。
とりあえず表にまわってみようと小川が提案。表にまわれば多少は部屋の様子がわかるはずだと。
荒木もなるほどとうなずき、二人で借家の反対側が見える一つ奥の道へと向かった。
道から借家までは畑で馬鈴薯が植えてある。馬鈴薯は背が低いのでその先の借家が良く見えた。
「右から三番目の部屋だったよな。窓掛けがかかってねえな。それもあの娘が意図的にやってる事なのか?」
荒木は唇を噛み、小さく横に首を振った。
美香は借家を引き払ってしまっている。ここに来た時点で、なんとなくそんな気はしていたのだ。
たまに集合郵便受けに広告を入れる人がいる。美香はそれを大事にとっておく質である。雨の日に靴が濡れた時、これを詰めておくと渇きが良いと言って。さらに生ゴミを捨てる際に袋の中に広告を敷いてから入れると、汁が垂れにくいんだと。
だが、郵便受けには広告が何枚も入っていた。枚数からいって最近引き払ったわけでは無い事は明白。
「でもさ、窓かけが無いって事はだよ、突発的に何か事件に巻き込まれてって事では無いと思うんだよ。何せこの借家を引き払う余裕はあったって事なんだろうから」
つまりは荒木の前からそっと姿を消さないといけない何かが美香の身に起こった。その可能性が最も高いと小川は指摘した。
「その『何か』って何だと小川さんは思うんですか?」
車に乗り込み、小川は内燃を動かさずに椅子にもたれ掛かった。
腕を組み、じっとぼろぼろの借家を眺め見る。
「言いづらいんだけど、やっぱ金だろうな。新たに借金ができて、これ以上お前に頼るわけにもいかないし、だけど早急になんとかしないといけないしで逃げちまったんじゃないかな」
荒木は知っている。美香には生活における荷物というものがほとんどないという事を。
窓かけ、着替え、包丁、そういった諸々を集めても、海外旅行用の大きな旅行鞄一つに収まる程度しか荷物は無い。
それを知っているがために、いつかふらっと美香がいなくなってしまうんじゃないかと、この部屋に来るたびに不安に思ってはいたのだ。
「これって……別れようって意味なんでしょうか……」
寂しそうに言う荒木に、小川はかける言葉が見つからなかった。
小川も内心ではそう感じていた。というよりも、最初に荒木から話を聞いた時点でそう感じていた。
恐らくは関係を清算しようとしたのだろうと。
「ずっと俺の応援団第一号でいてくれるって……言ってくれたのに……」
荒木の声は少し震えていた。
顔はうつむいており、その瞳は潤んでいる。
「わからねえだろ。関係を清算したって、応援団第一号ではいてくれるかもしれんだろ。そこに関しては諦めるのは早いんじゃねえか? お前が活躍したら、あの娘だってまたお前の前に姿を現すかもしれんじゃないか」
だから腐らずに復帰に向けて練習に打ち込め。そう言って小川は荒木の肩を叩いた。
翌日から荒木は長期滞在用の荷物を作って登別へと向かった。
さすがは登別、駅前には観光客がうろうろしている。宿泊所も異常に多い。
約束の時間まではまだまだあるという事で、駅前にある手湯に手を浸し、のんびりと待つ事にした。
十月になったというに、まだまだ気温が高い。そんな事を思いながら紅葉が美しい遠くの山を眺めていた。
「なんだよ、もう来てたのか。せっかくちょっと早めに来て手湯でも満喫して待ってようって思ってたのに」
そう言って荒木の肩に神部が手を置いた。
「今日からよろしくお願いします。できれば、その、来月から復帰できると嬉しいのですけど……」
荒木の挨拶が聞こえているのか、いないのか、神部は手湯に手を入れ、「ふああ」とだらしない声を発した。
「お前には休暇が必要なんだよ。そう神様が言ってるんだ。俺と一緒にのんびりしようじゃないか。焦って無理したら復帰は遅くなるだけだ。なるようにしかならん。お前の体の事はお前ですら理解はできないのだから」
そう言うと神部は手を拭き、鞄の中から何やら一枚の紙を取り出した。
「まずは今日から毎日あの山の奥まで足湯に浸かりにいくぞ。そこはな、なんと川が天然の足湯になってるんだよ。俺は車で行くけど、お前はそこまで歩いて来るんだ。ここからだと結構距離があるけど、決して走ったりしないようにな」
神部はニコニコ顔でそう言い切った。
呆れて言葉が見つからない。目の前のおじさんは、本気で練習にかこつけて温泉を満喫する気なのだ。
そんな荒木の冷たい視線に、神部は少しだけ焦った顔をした。
「勘違いすんなよ。これは遊びじゃねえんだからな。衰えた心肺機能ってのは一朝一夕では戻らねえんだ。いくら若いって言っても、急に動けばすぐに怪我する事になる。焦るな。温泉を満喫しながら徐々に戻して行こうや」
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