5 新しい生活 2
「掃除をしてくれるのは助かるんだけれど、本当にいいのかしらねぇ」
ポーラは困ったように呟いて、懸命に掃除をしているモニカを見つめた。
意地悪レジーナから貰った体に合っていないワンピースから使用人のお古の制服に着替えた。
紺色の膝丈のワンピースはモニカの体に合っていてちょうどいいサイズだ。
使用人用というにはスカートや袖の先に白いフリルが付いておりデザインがとても可愛い。
その上に白いエプロンを付けるとちゃんとした使用人に見える。
(顔が地味だから余計に新人のメイドに見えるわね……)
鏡に映った自分の姿を見て自虐的な気分になる。
せめて血が繋がっているのだからレジーナぐらい美しい女性に生まれたかったと思うが、今更仕方ない事だ。
(今私にできるのは掃除!追い出されないようにカイト様の役に立つことよね)
重い気分を切り替えてモニカは雑巾を握りしめた。
「私、掃除は得意なんです!ずっと掃除ばかりしていたから何でも言ってくださいね!」
自信を持って言うモニカにポーラは頬に手を当てて首を傾げた。
「珍しいお嬢様ねぇ。普通は掃除が得意なんて言う子はいなかったよ」
「私、ちょっと変わっているんですよ」
両親が死んでから家を追い出されないため意地悪レジーナに命令されて掃除をしていたことは何となく言い出せない。
もし知られてしまったらそんな女は嫁にふさわしくないとこのお屋敷から追い出されてしまうのではないかと不安になる。
「まぁ、カイト様が何も言わないからいいけれど。掃除をするなら程々にね。それからカイト様のお部屋は私か旦那しか入室が許されていないから入らないようにね」
「はい」
雑巾がけしているモニカに何を言っても無駄だと判断してポーラはため息をついて去って行った。
広い屋敷の中は掃除も行き届いていて特に必要が無いように思うが、何をしていいか分からず暇だと不安になる。
いつか意地悪レジーナたちが居ない場所で暮らすことを夢見ていたが、実際家を出てもやっていることはいつもとかわらない掃除。
この屋敷を追い出されたら行く所も無く路頭に迷うことになる。
(結局何も変わっていない気がするわね。でも、レジーナが居ないだけで気分がいいわ。カイト様もなんだかんだと優しいし……)
初めから嫁として受け入れられて可愛がられるとは思っていなかった。
嫁としては認めないが、お屋敷に居ることはどうやら認めてくれているようだ。
不安を打ち消すようにモニカは廊下の雑巾がけをしていく。
どれぐらい雑巾がけをしていだろうか、ポーラが呆れたように声を掛けてきた。
「モニカ様、そこまで必死に掃除をしなくて大丈夫ですよ。使用人の人数がすくないから掃除は業者に頼んでいますので」
ポーラに注意をされてモニカはハッと気づいて掃除の手を止めた。
確かにこの調子で掃除をしていてもモニカが出来る範囲はたいしたことが無い。
余計なことをしてしまったかと落ち込むモニカにポーラは優しく声をかけた。
「何かしていないと落ち着かないのはよくわかったから、お仕事を頼みましょうかね」
「ありがとうございます」
「庭で飼っている犬の世話と、植木に水やりをまずはお願いしましょう。あとはゆっくりしていていいんだよ。本を読んだり、裁縫をしたりいろいろやればいいじゃない?私たちだって年寄りだっていうこともあるけれど、結構ゆっくりさせて頂いているんですよ」
「……本ですか……」
そういう時間の潰し方があったかとモニカは頷く。
しかし残念ながら本などは持っていない。
それを察したポーラが微笑んで廊下の奥を指さした。
「このお屋敷に立派な図書室があるから、使っていいかカイト様にお伺いするといいですよ」
「図書館……ですか。そうですね、ありがとうございます」
(カイト様が図書館を使うことを許してくれるかしら)
妻という存在を認めていない様子のカイトに不安を感じつつ、久しぶりに本が読めるとワクワクしてくる。
カイトが帰宅したら早速聞いてみようと決めて、ポーラに頼まれた犬の世話に向かう。
「勝手に食べるから餌を置いておくだけでいいと言われたけれど、どんな犬なのかしら」
ポーラに手渡された器に入った餌を両手に持って庭を彷徨う。
石で装飾された噴水を抜けて、木々の間を探す。
噴水の近くに大体犬が居るからそこで餌を上げてくれと言われたが生き物の気配は全くしない。
相変わらず空はどんより曇っていて、太陽は見えない。
屋敷の周りを取り囲んでいるうっそうと茂る森は微かに霧がかかっている。
「確かに、薄気味悪いって普通の女性達は言うわよね。これも幻想的で素敵だと思うけれど」
モニカは呟いて地面に座った。
「ワンちゃーん。ご飯ですよ!」
大きな声で犬を呼ぶとガサガサと茂みの揺れる音がした。
お待ちかねの犬かと思ったが見えたのは黒いブーツ。
騎士服姿のカイトが歩いてくるのが見えた。
ゆっくりと近づいてくる人物を見上げてモニカは慌てて立ち上がる。
「カイト様。もうお帰りですか?」
「仕事が早く終わった。お前なんでそんな恰好をしているんだ?」
紺色の使用人の制服を着ているモニカをいぶかしげに見つめた。
モニカも自分の制服を見下ろす。
「動きやすい恰好なので貸していただきました」
「……動きやすい?」
不思議そうにしているカイトにモニカは犬の餌を見せる。
「あの、犬にご飯をあげようとしているのですがどこに居るんでしょうか」
動物の気配が全くしないときょろきょろと周りを見回した。
「餌を置いておけば勝手に食う」
そう言ってカイトは口笛を吹く。
しばらくすると遠くから鳴き声が聞こえてザッと茂みの中から犬が顔を出した。
黒と白いフワフワの毛で覆われた大きな犬が2匹尻尾を振りながら近づいてくる。
厳つい犬を飼っていると想像していたが、意外なほど可愛らしい犬にモニカは餌を置いてそっと頭を撫でた。
「可愛いワンちゃんですねぇ」
「一応、番犬だ。獣が屋敷に侵入したら知らせてくれる」
「お利巧なんですね」
犬を撫でているモニカにカイトは軽く頷いた。
「ポーラに聞いたが、図書室に行きたいとか?」
「あっ、はい。日中何をしたらいいか分からなくて。掃除も専門の方が入るとか……。そうしたらポーラさんが図書室に行って本でも読んだらいいのではと言ってくださったのです」
「なるほど。俺の部屋と執務室以外ならどこに居ようが構わない。本も部屋に持って行って読むとよい」
カイトの許可が降りてモニカは微笑んだ。
「ありがとうございます」
(本を読むなんて5年ぶりだわ)
喜んでいるモニカをみてカイトは訝しい目を向ける。
「図書館ごときで喜ぶとは。変わっているな」
「本はしばらく読んでいませんでしたので。嬉しいです」
「お前好みの本など無いと思うが、好きに読むといい。あと、犬はたまに屋敷の中に居ることもあるが噛まないよう躾けてあるが怖いなら無理に近づくな」
冷たく言うカイトにモニカは目を見開いた。
「わんちゃんがお屋敷の中に居るんですか?一緒に寝ることもできますか?」
大きな犬を怖がるかと思いきや予想外の反応にカイトも眉をひそめる。
「寝るのはよした方がいい。外をウロウロしているから、汚いだろう」
「確かにそうですね!犬と寝るのは幼少期から憧れていたのに……残念です」
犬が飼いたいと何度も言ったが飼ってもらえなかったことを思い出してモニカは唇を尖らせた。
ふわふわの毛の犬と一緒のベッドで眠ることが出来たらどれだけ幸せだろう。
犬の毛に触りたいと餌を食べている犬を眺める。
「大変だが、風呂に入れてちゃんと洗ってやれば寝られないこともない。が、それはもっと慣れてからがいいだろうな」
絶対にダメだと言わず、どうしたら寝られるかまで提案してくれるカイトにモニカは笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。そうしたら、ワンちゃんに慣れないとだめですね」
毎日餌やりをがんばろうとモニカは心に決めた。