21 獣 3
少しだけ開いた窓から冷たい風が入ってきてレースのカーテンを揺らしている。
ベッドの上に横になったままモニカはボンヤリと揺れているカーテンを眺めて唇を噛んだ。
唇を噛んで気を紛らわしていないと涙が出そうになるからだ。
空は相変わらずどんよりと曇っていて、今日は霧が濃く屋敷の周りに広がる森の姿も良く見えない。
薄暗い気分になるのは天気のせいもあるかもしれないが、獣に襲われた怪我が痛みベッドから動けないせいでもあるだろう。
屋敷に運ばれたモニカはすぐに医者に診てもらうことが出来た。
頬と肩の傷は深く、医者が縫ってくれた。
カイトの適切な処置のおかげで出血はすぐに止まり、化膿の心配もないという事だ。
毎日医師が回診に来てモニカの傷の状態を見てくれている。
若いから直ぐに良くなると言われたが、傷跡は残るかもしれないとも言われた。
ガーゼが傷に当てられているために、どんな傷なのかはまだ見ていないが痛みの状態からしてかなりの傷跡になるかもしれない。
今は少しでも動くとかなりの痛みで満足に生活もできない。
寝返りを打つだけでも痛みで悲鳴を上げてしまうほどだ。
(美人でもない私の顔に傷が付いたら目も当てられないわ)
少しでも動くと激痛が走るためにモニカはベッドの上で安静にしながらじっとカーテンを見つめる。
薄暗い景色を見ていると気分も暗くなってきてぐるぐると自分のふがいなさに落ち込みが酷くなってくる。
涙を堪えていると、ドアがノックされた。
部屋に入って来たのはノーラとナタリアだ。
モニカが怪我をしてから数日が経っていたが、少し落ち着いてからと二人は面会が許されていなかった。
ノーラは部屋に入る前から泣いていたようで、しゃくり上げながら近づいてくる。
「モニカ叔母様お加減はどうですか」
泣きながらベッドに近づき寝たままのモニカの姿を見て大きな声を上げて泣き出した。
「ごめんなさーい。モニカ叔母様。私がいけないの!私が獣と会いたくて家を出たからいけないの。私のせいなの」
わんわん声を上げて泣き出したノーラに軽く首を振った。
頬に傷が痛みモニカは顔を歪める。
「ノーラちゃんのせいではないです。私がさっさと逃げなかったのがいけなかったんです」
声を出すと頬の傷が痛むために弱々しい声を出すモニカにノーラはまた大きな声で泣いた。
「死なないで!ノーラが悪かったの」
寝ているモニカに抱き着くように大泣きしているノーラの言葉に心配になってナタリアを見上げた。
「私は死んでしまう怪我なのですか?」
医者が言わなかっただけで自分の怪我は大きいものなのかもしれない。
ノーラの泣き方を見て不安になっているモニカにナタリアは首を振った。
「そんな大怪我ではないようよ。でも痛いわよね、ごめんなさい。ノーラを庇ったせいで痛い思いをさせてしまって」
「ノーラちゃんが無事だったから良かったです」
元気に泣いているノーラの擦り傷はほぼ治りかけている。
弱々しく言うモニカにナタリアは首を振った。
「私がちゃんとノーラを見ていなかったから。獣は怖いってちゃんと注意していればこんなことにならなかったのよ」
今にも泣きだしそうなナタリアにモニカは首を振る。
「私も獣があんなに怖いなんて知りませんでした」
「私は知っていたのに、娘にきちんと教えていなかったのよ、ダメな母親なの」
「そんなことないですよ。私こそ怪我をしてしまって、身動きが取れなくてご迷惑おお掛けして申し訳ないです」
小さく言うモニカにナタリアは我慢していた涙が零れ落ちる。
美しいナタリアは泣いても綺麗なんだなとモニカが眺めているとまたドアが開いた。
カイトは部屋に入ろうとして泣いているノーラとナタリアを見て足を止める。
「なにをしているんだ?」
声を上げて泣いているノーラと、静かに涙を流しているナタリアを交互に見て眉をひそめた。
「だって、モニカちゃんに申し訳なくて。私が娘の面倒をちゃんと見ていなかったからこんなことになってしまって……」
ポロポロと涙を流しながら言うナタリアを信じられない者でも見るような目で見てカイトはベッドの横に立った。
何があっても泣かない姉が泣いている光景にカイトはナタリアから距離を取りながらモニカを覗き込む。
「怪我の具合はどうだ?」
毎日、数分だが顔を出してくれるカイトは毎回同じことを聞いてくる。
「痛いです」
痛み止めを飲んでいるとはいえ、痛みが完全になくなるわけではなく毎回モニカも同じ返答をする。
仕事の合間に来てくれるのか、モニカの部屋を訪れるのは昼を過ぎてからだ。
怪我か薬のせいか寝ている時間が多く、モニカが起きている昼時を狙って訪ねてくれる。
「うわぁぁん。ノーラのせいでモニカ叔母様が死んじゃう」
大泣きしているノーラに視線を向けてモニカは眉をひそめる。
「ずっと私が死んでしまうと泣いていて……。私はそんなに酷い怪我でしょうか」
「いや、怪我はたいしたことが無い。数針縫った程度だ……。ノーラを叱った時に死ぬこともあると言ったからだろうか、お前が死んでしまうと思っているらしい」
無表情に言うカイトの足にノーラがしがみついた。
「カイト叔父様、モニカ叔母様が死んじゃうよぉ。ノーラのせいなのごめんなさいー!」
「……少し叱りすぎたか」
足にしがみついて泣いているノーラをカイトは抱き上げ顔を覗き込む。
「ノーラ、獣が怖いとわかっただろう。出会えば死んでしまう、そんなのと仲良くなるのは不可能だ」
「もう十分解ったのー。クロとシロとは違うってわかった!」
「ノーラの軽率な行動でモニカは死ぬほどの怪我をしたんだ。大人の言う事は絶対に守ると誓うか?」
「約束する。お母さまの事も叔父様の言う事もぜったいに聞くわ」
「よく覚えておこう。モニカはあと数日すれば起き上がれるようになる」
「本当?」
涙で濡れているノーラの頬をハンカチで優しく拭ってカイトは頷いた。
「医者がそう言っていたから大丈夫だ。モニカにちゃんと謝ったか?」
カイトに優しく聞かれてノーラはこくりと頷いた。
モニカも痛みを堪えて頷く。
「十分謝ってもらいましたよ。ノーラちゃん心配かけてごめんなさい」
「モニカ叔母様が謝らなくていいの。全部ノーラが悪いの」
弱々しく横たわっているモニカを見てノーラの目から再び涙が零れ落ちる。
その涙をぬぐってやりながらカイトはノーラの顔を見た。
「ちゃんとお礼も言ったのか?」
「言ってない!モニカ叔母様、助けてくれてありがとう。叔母様のおかげでノーラは怪我なく元気です」
そう言えと言われていたのだろうが、必死に言うノーラが可愛くてモニカは微笑みながら頷いた。
「なにか不自由なことがあったら言ってね。なんでも手伝うから。ポーラと私でちゃんとお世話するから遠慮しないでね。また顔を出すわ」
泣いているノーラを抱っこしながらナタリアも涙を拭いてから何度も言うと部屋を去って行った。
自分の為に泣いているノーラが部屋を出て行ってホッと一息つく。
「ノーラちゃんに悪いことをしてしまいました」
目の前で大人が怪我をするという事はかなりショックだろう。
自分も驚いたが、それよりもノーラが大丈夫だろうかとモニカはベッドの上で視線だけをカイトに向けた。
「ノーラは少し軽率すぎる。獣の怖さも知らなすぎだ、そしてお前もだ。一人で屋敷の敷地の外に行くのは感心しない」
カイトの言う事はもっともだとモニカは頷く。
「私も獣の怖さを知らなかったです。本当に私、動けるようになるんでしょうか」
傷が痛んでとても起き上がって日常生活が送れるようになるとは思えずモニカは涙が出そうになる。
怪我がちゃんと治らず、掃除も手伝いもできない自分はきっと屋敷を追い出されてしまう。
役に立たない自分の未来を想像していると勝手に涙がポロポロと零れ落ちた。
グズグズと泣いているモニカを見てカイトはハンカチで顔を優しく拭う。
「俺が怪我をした時よりも軽傷だ。しばらく痛みはするだろうが、半年もすれば問題なく動けるようになる。何も泣くことはないだろう」
優しく涙を拭ってくれるカイトの優しさにまたモニカは涙が出てくる。
「だって、私こんな怪我をしてご迷惑をおかけしてしまって。傷が痛くて何のお役に立てていないです。もうこれから先もお役に立てなかったらカイト様のお傍に居ることが出来なくなります」
泣きながら訴えるモニカにカイトは口の端を上げた。
「そんなくだらないことを考えていたのか。お前はこの屋敷の手伝いにきたわけじゃないだろう。俺の花嫁として来たのだから一日何もしなくていいんだ」
「でも、何の役にも立っていません」
「ノーラの命を助けただろう。もうそれだけで十分だ」
「命を助けたなんて大袈裟です。私も怪我をしてしまってどうしようもない人間なんです」
我慢していた不安があふれ出して嗚咽しながらモニカは涙を流す。
(そうよ、私は生きていても仕方ないんだ。結局何もできないで、怪我までしてカイト様をこまらせてしまっているわ)
怪我のせいで気分が落ち込んでいるが、カイトの迷惑になっていることが一番気になっている。
毎日、仕事の合間に様子を見に来るのも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「なぜそこまで自分を卑下するのか俺には判らないが、モニカはどうしようもない人間なんてことはない」
モニカの涙を丁寧に吹きながらカイトが静かに言う。
「私は誰の役にも立たないんです」
寝ながら大泣きを始めたモニカを見てカイトはため息をつくとベッドの端に腰かけた。