13 午後のひと時 2
「あら、仕事に行ったのではないの?」
振り上げていた腕を降ろしてナタリアが振り返ると、カイトは肩をすくめた。
「姉上が心配だから早退をしてきた。一体どうして子連れで突然戻って来たんだ」
「カイトが心配だったのよ」
カイトは冷たい瞳でしれっと言うナタリアを見つめながら席に着いた。
モニカは慌ててお茶を淹れようと立ち上がるとタイミングよくポーラが入室してきた。
「坊ちゃんのお茶をお持ちしましたよ。お嬢様達のお茶のお代わりもお持ちしております」
にこやかに言うポーラを手伝いながらカイトにお茶を出す。
「姉上が俺を心配して帰ってくるとは思えないが。離婚するとか言っていなかったか?」
尋問するように腕を組んで見下ろすカイトにナタリアは冷めた顔をして頷いた。
「離婚よ。あの男、私という妻がいながら浮気していたのよ」
「あのマクシム卿が?まさか……姉上一筋なのに?何かの間違いではないのか?」
「間違いだったらどれだけ良かったか。女と抱き合っているのを見たの!」
断言するナタリアにカイトは大きなため息をついた。
「何かの間違いだろう。女性と抱き合っていただけだろう?相手からくっついてきたのかもしれない」
バカバカしいとカイトが言うとナタリアはムッとする。
「かなり親密そうに抱き合っていたわよ!絶対に許さない。女の影がある事すら許せないんだから」
「気持ちは分かるが……。一度ゆっくり話し合った方がいい。きっと姉上のことだから怒って直ぐに出てきたのだろう?」
カイトに言われてナタリアは言葉に詰まった。
「いつかちゃんと話すわ。今は実家でゆっくりさせて」
「それはご自由にどうぞ。姉上の家でもあるのだから気を使う必要はない」
そういうカイトにナタリアは小さく頷いた。
「ありがとう。モニカちゃんもありがとう。家を一度出て行った身なのにごめんなさいね」
「えっ?」
なぜ自分に断りを入れてくるのかと驚くモニカにカイトは当たり前だというように頷く。
「一応書類上だけは俺の妻という事になっているからだろう」
「あっ、なるほど。そんな、私の方こそお邪魔して居て申し訳ございません」
頭を下げるモニカを見てカイトとナタリアは目を合わせる。
「ねぇ、ありえないほど卑屈になっているわよ。モニカちゃんはカイトの嫁としてこの家に来たんだから堂々としていればいいのよ」
「でも……」
(嫁とカイト様が認めていないし。私には取柄も無いし……)
再び俯いてしまったモニカを見てナタリアはキッとカイトを睨みつけた。
「ちょっと、あんたが手伝いをしろとか強要したの?制服まで着させて可哀想に」
「違う。俺は嫁と認めていないとは言ったが、掃除をしろとも制服を着ろとも言っていない。好きにしろと言っただけだ」
喧嘩になりそうな雰囲気にモニカは慌てて二人の間に入った。
「あの、私が勝手に掃除をしているだけなんです。追い出されたら行く所が無いですし、掃除しか貢献できることがないから……」
「追い出そうとしたの?」
ナタリアにギロリと睨まれてカイトは首を振った。
「まさか。実家に帰るようには言ったが……」
「そうよねぇ。カイトはよっぽどのことが無いと追い出さないから心配しなくていいのよ」
俯いてしまったモニカを労わるようにナタリアは声をかけた。
あの意地悪なジーナが居る実家に戻るのは辛い。
カイトを含むみんなが優しいこの屋敷で働きたいのだ。
せめてメイドとして置いてほしいというモニカの願いが伝わったのかカイトは困惑しながら頷く。
「確かに俺はよっぽどのことが無いと追い出すことはしないから安心しろ。掃除だって強要していないしする必要も無い。嫌なら無理に実家に帰る必要も無いし、行きたいところがあれば紹介しよう」
ナタリアはカイトの二の腕を叩いた。
「行きたいところとか可哀想でしょ。せっかくお嫁に来てくれたのだから大切にしなさいよ!嫁が4人もすぐに死ぬような家に来るような人はもう居ないんだからね」
「俺は嫁はいらないと言っている!姉上が勝手に書類にサインをしたから俺とモニカが困っているんだ。モニカだって突然結婚を言われてこの屋敷に連れてこられたようだぞ」
「それは仕方ないじゃない。こっちもいろいろあるのよ。ただ実家に帰りたくないって言っているモニカちゃんを無理やり返すことはしないでよね」
「解っている」
カイトは頷くとモニカの顔を見つめた。
右半分が前髪で隠れているが、それでもカイトに見つめられるとドキドキする。
「実家に帰りたくないなら無理に返すことをしないから安心してほしい。好きなだけここに居るとよい。ただし、妻気取りは止めてくれ。俺は妻はいらない」
「ありがとうございます」
カイトの言葉に安心してモニカは頭を下げた。
実家に送り返されないだけでも嬉しい。
喜んでいるモニカを見ながらナタリアは納得して無さそうな顔をする。
「”妻気取りは止めてくれ”ってあんまりよ。だって、妻なんだもの!モニカちゃん遠慮しなくていいのよ。貴方は妻なんだから正々堂々と妻気取りでいなさい」
余計なことをいうなという目を向けているカイトを無視してナタリアは話す。
ナタリアの気迫に負けてモニカは思わず頷く。
「は、はい」
「そうよ。その調子よ」
ナタリアから”愛は勝ち取るものよ”と聞こえる気がしてモニカはもう一度頷いた。
「はい」
謎の結束を固めているモニカとナタリアを見てカイトは呆れたように大きく息を吐いた。
「シロはすっかりノーラちゃんに取られてしまったわ……」
おやつ時に起きてきたノーラは、すぐにシロと仲良くなりモニカとは一緒に寝てもらえないようだ。
久しぶりの一人ぼっちのベッドに寂しい思いをしながら横になる。
「愛は勝ち取るものか」
ナタリアの言葉を思い出してモニカは小さく呟いた。
意地悪ジーナから離れることが出来ればそれでいいと思っていたが、今は出来ればカイトに妻として認めてもらいたい。愛されたいと思っている。
普通の顔をした女に好意を持たれても迷惑だろうと思っていた。
ひた隠しにしていた想いだったが、それではダメなのだ。
ナタリアのように美しい人でも、愛を勝ち取るために努力をしている。
「私も頑張ろう!」
もう、卑屈に生きるのは止めよう。
自分は、自由なのだから。
モニカは心に誓って一人寂しく眠りについた。