1 突然の結婚
「モニカ!廊下の掃除終わっていないのになに仕事を終わらそうとしているのよ」
毎日の様に怒鳴られてモニカはまたかと従妹のレジーナを見上げた。
偉そうに腕を組んでモニカを見下ろしている顔はいつ見ても腹が立つ顔だ。
「掃除が終わっていないですって?今日の分は全部終わらせたわよ」
これから夕食を取りに行こうと歩き出したモニカにレジーナは意地悪く微笑んだ。
「私に敬語を使いなさいよ!何度も注意してあげているけれど、あんたは今使用人なんだから。この家の当主はお父様で私はその娘なのよ。アンタは家を追い出されても可笑しくないのに置いてあげているの!きっちり掃除ぐらいしなさいよ」
「……わかりました。どこの掃除が終わっていないのですか?」
敬語を使って言いなおしたモニカに満足しながらレジーナは床を指さした。
午前中に床の掃除は終わっているが、もう一度掃除をしろと言っているのだ。
「廊下が汚いわよ。使用人さん」
「解りました。掃除をやり直します」
片付けようとしていた雑巾を広げて床を磨き始めたモニカを見てレジーナは腕を組んで満足そうに微笑んでいる。
(全く毎日嫌になるわね。家に置いてあげているって偉そうに!元は私が住んでいた屋敷よ)
心の中で悪態をつきながら無表情に床を拭く。
どこも汚れていない床をもう一度掃除をするほど馬鹿らしいものは無い。
モニカは5年前に亡くなった両親を思い出した。
優しかった母と、少し厳しいけれど子供想いだった父親は馬車の事故で同時に死んでしまった。
葬式を出す準備をしていると、突然父の弟が家族でこの屋敷に乗り込んできたのだ。
『今日からこの屋敷はワシのものだ!お前は出て行け』
雨が降っていた夜の出来事だった。
叔父の言葉は一生忘れることがないだろう。
家を追い出されそうになったモニカに意地が悪いレジーナが微笑みながら言ったのだ。
『お父様、追い出すなんて可哀想よ。我が家で雇ってあげましょうよ』
それからモニカは生まれ住んでいた屋敷で使用人として働かされることになった。
主に掃除をさせられていたが、生まれ育った屋敷の中を掃除するのは苦痛でなかった。
レジーナ達に何を言われても心の中で悪態をついていれば悲しくもない。
それに加えて屋敷の使用人たちはモニカに影で優しく接してくれていたおかげで両親の死も立ち直ることが出来た。
(絶対にこんな生活から抜け出してやるんだから!)
廊下を雑巾がけしながら何100回考えたか分からない言葉を心の中で呟いた。
いつかこんな環境から抜け出して、意地の悪いレジーナが居ない世界で暮らしたい。
それがモニカの夢だ。
レジーナと叔父と叔母が居ない世界ならどこだってかまわない。
「おぉ、モニカ。まだ掃除が終わらないのか……」
床に這いつくばって雑巾がけをしているモニカにレジーナの父ハンネスが声をかけた。
今日は集まりがあるから夜遅くなると言っていたのに随分早い帰宅だ。
モニカは立ち上がってハンネスに頭を下げた。
「おかえりなさいませ。旦那様」
父親の弟、モニカからみたら叔父にあたる人物に敬語を使って出迎えるのも慣れたものだ。
ハンネスは珍しく上機嫌にモニカに数枚の紙の束を見せる。
「王様直々にお達しがあってな、モニカに縁談の話だ」
「何ですって?!」
なぜかモニカよりもレジーナが驚いて声を上げている。
「そうだ。ベッツア家を知っているか?」
ハンネスの言葉に、モニカは首を傾げた。
社交界に出ていないので、貴族の噂話はよくわからない。
「知っているわ!呪われたベッツア家よね。嫁に行った人は次々と死んでしまうとか……噂になっているわよね」
これもなぜかレジーナが答え、ハンネスは頷く。
「そうだ。ベッツア家にぜひ嫁へ行ってほしいと言われて、我が家の娘といったらモニカだろう。ぜひ、モニカをと推薦したら二つ返事で了承された。良かったなぁ」
(娘ですって?勝手に家に乗り込んできて使用人として働かせてたくせに!)
都合がいい時だけ娘呼ばわりするハンネスにモニカは腹が立った。
腹を立てていることがわかると、罵られることを知っているモニカは無表情にハンネスを見つめる。
ここで腹を立てて言い返しても無駄なことは5年前に学んでいる。
モニカの記憶が確かなら、ハンネスは後継人として屋敷にやって来たが今書類上はどうなっているのだろうか。
モニカを娘と言うということは、養子に入れたという事だろうか。
そんなことを考えていると、イレーナは嬉しそうに笑っている。
「あらぁ、いいお話じゃない。一応、書類上は私たちの家族ということになっているのだから男爵令嬢としてお嫁に行かせてあげられるのは感謝してほしいわよね。お相手は辺境貴族で、たしかお年は33歳だったわね。13歳も年が離れたおじさんにお嫁に行かされるのはちょっと可哀想だわ~」
(33歳か……。優しいお方だといいわね)
この家から出ることが出来るのならばたとえ見も知らない年上の男性に嫁へ行かされてもモニカにとっては嬉しい事だ。
年上にお嫁へ行かされることを聞いても顔色1つ変えないモニカが面白くないのかイレーナは意地悪な笑みを浮かべた。
「お相手の辺境貴族は噂の的なのよ!そのお方4人も妻を貰っているらしいんだけれど全員1年以内に不慮の事故で死んでしまうんですって。だから誰も嫁に行かないから困っているって聞いたわよ」
4人も死んでいるという言葉を聞いてさすがのモニカもギョッとする。
「そ、それは本当に不慮の事故なのですか?」
まさか、結婚相手の男性が殺しているのではないかと心配するモニカにイレーナは嬉しそうに笑っている。
「知らないわよ。森に囲まれた国の端っこの辺鄙な所ですもの。確かな情報はないわよ。ただ、1年以内に嫁いだ人が死んで死体で4人帰ってきているっていうのは確かな話よ。モニカもせいぜい長生きできるといいわね」
嫌味っぽく言われてモニカは口を閉ざした。
「まぁ、もう決定したことだから仕方ないだろう。可愛いイレーナを嫁に行かせるわけにもいかないからなぁ。モニカが行ってくれて助かったよ」
笑いながら言うハンネスにモニカは唇を噛んだ。
(一言も行くなんて言っていないわよ!でも、この屋敷から出られるのは嬉しいわ)
4人も嫁入りした女性が亡くなっているのは気にかかるが、意地悪なイレーナと人でなしのハンネスと一緒に暮らすよりははるかにましだろう。
(いいわよ!私は絶対に死なないで幸せになってやるから!)
まだ見ぬ年上の旦那様との暮らしを夢見てモニカは心の中で誓った。
朝霧が立ち込める中、モニカは生まれ育った屋敷を見上げた。
年季が入っている屋敷は両親との思い出が詰まっている。
辺境貴族との結婚が決まったと言われたのが三日前。
すぐに嫁に行くようにと昨晩言われ、朝日が昇る時刻に馬車を手配されていた。
持って行くものなどほとんどなく、トランク1つに着古した洋服と下着が入っているだけだ。
嫁入りに着ていくような洋服も持っていない。
嫁に行くには流石に可哀想だとレジーナがお古のワンピースを餞別にくれた。
レジーナのワンピースは多少胸のあたりに余裕があるのがまた腹が立つ。
ピンク色のワンピースは地味な顔の自分にはちっとも似合っていない。
「モニカ様、嫁入り先が辛かったら戻ってきてもいいんだよ。私はこの屋敷で待っているからね」
モニカが生まれた時から屋敷に居る馴染の使用人が数人見送りに出てくれている。
その中の一人が涙ながらにモニカの手を取った。
「ありがとう。でもきっと大丈夫よ!叔父様達より意地悪な人なんていないから」
明るく言うモニに使用人たちも軽く笑った。
「元気でね」
馬車に乗り込んだモニカは使用人たちに大きく手降って別れを告げる。
「ありがとう!私、体は丈夫だから大丈夫よ!みんなも元気でね!」
馬車はゆっくりと走り出し、思い出の詰まった屋敷が小さくなっていく。
「さようなら!意地悪なレジーナと叔父様達!もう二度と会うことは無いわね!」
いつか面と向かって言ってやろうと思っていた言葉だったが、彼らが見送りに来ることは無かった。