第五話 認識
「クソ蝙蝠が! マジにブチ切れやがって!」
龍人化した路地は、屋敷へと振り下ろされた巨大な火球を見上げ悪態をつくも、背中に流れる汗が冷たく感じるこの状況に、実は焦っていた。
互いに使える主人が異なる為、互いに死合うことはあっても、相手方の主人すなわち一型家の当主候補に対する直接危害を加えようとすることはなかった。
だからこそ、路地は油断してしまった。
都来莉が命を落とすほどの威力があるものを、警告もなく屋敷に対して落とすはずがないと。
しかし、都来莉の真なる契約は、その状況を一変させていた。操太が契約させられてしまった都来莉との婚約契約書は、伴侶を選ぶという意味だけではない。
一型家における婚姻とは、この国屈指の巨大財閥の方向性に基づき行わなければならないことであり、家族会議によって承認された場合のみに行われる。それを都来莉は、今回破って操太と婚約契約を結んだ。
それは当然、一型家の令嬢と言えど叛逆の意志があると捉えられてもおかしくないことであった。そこに路地に蝙蝠と呼ばれている従者の一型家への行き過ぎた忠誠心が合わさり、都来莉の命の心配など微塵も感じさせない行動を起こしたという事である。
「お嬢……こうなる覚悟は、あったんでしょうな?」
向かってくる大火球を見上げながら、路次は呟いていた。
「つーちゃんは、何にも考えてなさそうだけどなぁ」
「な!?」
誰に言ったわけでもない呟きに対し、背後から操太の声で返答があったことで、路次は一気に背中が寒くなった。龍人化している自信が、背後に立たれた操太の気配を感じなかったことではない。
戦場において、当代随一と評される繰り師である操太が気配を消していないことにである。
「おい!? 何で気配を消してねぇんだ! 繰り師が姿を見せたら……」
〝狙うに決まってるよねぇ〟
薄ら笑っているかのような声が、はっきりと路次の耳には届いた。龍人化していることで強化された聴覚が、上空にいる吸血鬼の呟きをはっきりと捉えていた。
龍人の超感覚がそうさせたのか、主人と自身の大事な人物の命の危機を察知したからなのか、刹那と言える間が路次には数十秒に感じるほどに遅れ始めた。
操太の真上に陣取る吸血鬼が、勝ち誇った笑みを浮かべながら、操太に向かって手で拳銃の形を作る。そして、指先が発光すると同時に瞬きするよりも疾く、地上に向かって光線が伸びた。
「操太ぁああああ!!!!」
〝ほら、君はこっちを何とかしないと……主人が焼け死ぬよ?〟
着弾し弾け飛ぶ光線に合わせるように、吸血鬼は楽しげに笑う。路次が屋敷にいるだろう主人を残して火球を避けることが出来ないと知っているからだ。それは、死には死なないと分かっているものの、確実に痛めつけられることが確定したということであり、吸血鬼にとって愉快で仕方のないことだった。
龍人と吸血鬼の二人にとっては、痛み分け程度であるが、反逆者となった都来莉には相応の仕置きと、共犯者である操太には死を与える事が出来たことで、吸血鬼の精神は安定を取り戻そうとしていた。
そう、取り戻そうとしていたのだ。
希望的観測、願望、思い込み、そうなったら良いなと願ったことは、得てして簡単に実現しないものだ。
勿論、それは吸血鬼とて同じである。
そして、勝ちを確信したときほど、それは訪れるものである。
「〝雲散霧消〟」
大きく叫ぶ訳でもなく、かといって呟くというほどでもない。だがしかし、凛としたその声は波紋のように広がり、それは上空の吸血鬼にも届いていた。そしてその声は、確かに吸血鬼に悪寒を感じさせるには十分なほどの、殺気を纏っていた。
「ぐ……が……ギャァアアアアア!」
屋敷に向かって落ちてきていたはずの大火球は霧が晴れるが如く消え失せ、それとほぼ同時に吸血鬼の絶叫が響き渡り、数秒後には血の雨が地上に降り注いだのだった。
「……おい」
「殺しちゃいませんよ?」
「そっちの心配なんざしてねぇ。何でお前が居ることに、俺が気付けているんだ」
「あぁ、それはこの子を繰るには、そうするしかないんですよ。この子は、ん? あれ? すごく暑く……な!?」
降り注ぐ紅の雨に身を染めながら、操太が自身の気配を消すことが出来ない理由を口にしようとした時、突如として返り血が燃え盛った。
「操太ぁ!?」
「人の心配をしている暇など、ありはしないだろう?」
「蝙蝠野郎! ぐあぁああああああ!!!!!!!」
路次は。、操太が豪炎に包まれ姿が見えなくなったのを目の当たりにし、動揺した隙を突かれ、操太と同じく身体を吸血鬼の炎に焼かれることになった。
「さて、調子に乗りすぎた御嬢様は、相応の代価を支払ってもらうこととしましょうか」
燃え盛る二柱の炎を後に、屋敷に訪れた際の執事服に身を包んだ吸血鬼もといドラク・キュライは、屋敷の地下へと通じる階段を探すべく歩き出した。
だがしかし、その歩みに二歩目はなかった。
何故なら、耳元で囁かれたからだ。
〝何処に行こうとしているのかな?〟
穏やかな口調とは裏腹に、その囁きはドラク・キュライの背中を寒くさせるには十分なほどに冷たかった。