episode6
その日も、俺の小屋にはシャロンさんが来ていた。彼女が夕食の食器を片付ける姿を、俺は微笑みながら見続けていた。結婚したら、こんな幸せなんだろうなと身悶えしながら。
片付けが終わったシャロンさんは俺の隣に座って身を近付ける。俺も彼女の肩を抱き寄せた。
「ねぇシャロンさん?」
「ん?」
「いつもこんな汚い小屋の中ですいません」
「別にいーよ。あんたがいて、愛し合えるならどこでも……、さ」
ドキューン! これは来る。思わずキスしたくなったが、こらえて話を続けた。
「もうすぐ聖人の生誕祭でお休みじゃないですか」
「うん、そーだね」
「だから生誕祭は外で食事して、外泊しませんか? そんなにいいホテルじゃないけど、たまにはいいでしょ?」
「お前スケベなことしか考えてないからな~」
「そんな! 俺はシャロンさんの求めに応じてるだけっす! 俺からしたいなんていいました?」
「言った。いつも言ってる」
「言ってました」
「正直でよろしい」
「でも、たまにはいいでしょ? 少しだけ贅沢しても」
「うん、まあ」
「じゃ約束ですよ。時計塔の前広場、松明でライトアップされてますから。キレイですよ」
「はいはい、何時?」
「18時レストラン予約しますので、17時待ち合わせで……どうです?」
「17時ね」
「シャロンはプレゼント、体でいいからね」
「コイツ、スケベの上に呼び捨てにしやがった。もう馬車に轢かれろよ、お前は」
「たまには、貴族のような贅沢を、ね?」
「貴族だろ、お前」
「ずぇんずぇんですよ。働いてますしね」
「で、しょうね」
そう言ってシャロンさんはろうそくに向かって息を吹き掛ける。たちまち部屋の中は真っ暗になった。そこでシャロンさんはわざとらしく声を上げる。
「きゃあ、暗くなったぁ! 怖いよぅ、ジョエルどこぉ?」
「自分で消しといて……しらじらしい」
「暗くなったら何するんだっけ?」
「はいはい。じゃ俺の手を取って立ち上がって」
「んん~、ジョエル、見えない、見えない~」
「はいはい、こっちこっち」
シャロンさんは俺の腰と言うか局部近くに抱き付いている。まったく、自分から求めないなんてどの口が言うのか。俺たちはそのまま寝室へ行き、愛の渦の中に入って蕩け合う。溶けてたった一つになりあうのだ。
目を覚ますと朝の光が窓から入ってくる。シャロンさんは驚いて俺の頬を張り付けた。
「な、なにするんすか?」
「ばか、ばかぁ。早く帰らないとローラが来ちゃうじゃんかぁ~」
「む。ローラなんてどうでもいいじゃないですか」
「ダメダメ。あんたは他人。ローラは家族」
「た、他人じゃないでしょ」
「自惚れんなっつーの。結婚前はまだ他人ですからね」
「お、おう。そうなのか……」
「せいぜい、一番大事な人と思わせてよ。ジョエルくん」
そう言って服を着終わると、シャロンさんは小屋を出ようとするので、俺は止めた。
「なんだよ。まだ何かあるの?」
「送ります」
「バカ。すぐそこなのに」
「だって、少しでも側にいたいし」
「だったら早くしろよ、グズ!」
「ますます口が悪くなったなぁ」
俺はシャロンさんの側に寄って、薔薇垣の破れまで送った。さらに入ろうとしたけど、胸を押されたのだ。
「はいお客さん、ここまで~」
「うぇー、ヒドイ」
「ばーか。あんたも早く仕事に行きな」
「そうでした。じゃ! 生誕祭、楽しみですね!」
「お前だけだわ、楽しみなの。帰りに池にはまれ」
「そしたら、結婚しないのに未亡人になっちゃいますね」
「ふん。イーだ! 仕事頑張れよ」
「はーい。シャロンさんも」
暖かい日射し。そして心も暖かい。冬が来てるなんて感じない。俺たちは幸せの日だまりの真っ只中だったのだ。
◇
そして生誕祭。俺たちは17時に時計台の前広場で落ち合った。舗装された道には、ガラガラと音を立てて馬車が通りすぎて行く。
あんなに馬車が行くなんて、きっと舞踏館で貴族の夜会でもあるのだろう。シャロンさんもそう言った。
「生誕祭だもんね。今日は若い男女の貴族の子弟たちが集まるみたいよ」
「へー、そして自分のお相手を見つける、みたいな」
「でしょうねー。ローラも行くんじゃない? 手編みのマフラーも出来上がったみたいだし」
「へー。あんなちっこい手で編めるもんですかね?」
「お前、バカにすんなよな。教えたの私だつーの」
そう言ってシャロンさんは、俺に袋を押し付けた。
「え? マジすか! プレゼント!?」
「そう。開けてみて?」
俺は食い気味に袋を開けると、そこには手編みの手袋と帽子。思わず袋ごと抱き締める。
「通勤は寒いでしょ? それでも着けてよ」
「着けます、着けます。もうサイコー。じゃレストラン行きましょう!」
俺たちはレンガ造りのレストランに向かう。大きな手と小さな手。俺はその小さな手を放さないように強く握る。シャロンさんの冷たかった手がたちまち温まった。
レストランの中はろうそくが立てられたシャンデリアが複数吊られており、まばゆい光が辺りを包んでいた。
一皿、一皿の食事が並べられている。精一杯の一番下のコース。だがシャロンさんは、小声で話し掛けてきた。
「バカ。やっぱり高いだろ、この店。半分出すよ」
「何言ってんですか。大丈夫ですよ」
「いや、別にもうすぐお互いの金はお互いのものになるんだから、やせ我慢するんじゃないよ」
それは結婚したら、同じ財布になるという意味だろうが、俺は首を横に振る。
「いいえ。結婚するまでは別の財布ですからね。ここは男の俺に任せてください」
「案外強情だな、お前。結婚前に知れてよかったわ」
そんな話をしながら料理に舌鼓を打った。通りにはガラガラとの馬車の音。窓に映るキャンドルの炎を二人で見つめ合い微笑む。気の利いた言葉なんてない。いつもの調子だが今日は特別だ。
ロマンチックな夜に二人は胸をときめかせていた。
「シャロンさん? いや、シャロン……」
「なに?」
「これからあるところに行きたいんだ。散歩しながら」
「ふーん。どーせホテルでしょ?」
「違う。ホテルはその後」
「分かった、分かった」
俺の言葉に微笑んで食事を終えた二人は席を立つ。
歩道を歩く俺の横で、シャロンさんは縁石の上にバランスをとって遊びながら歩く。
「危ないっすよ?」
「その時はジョエルが守って?」
「もう。かわいいんだからシャロンはぁ」
「あーん、ほら、落ちる落ちる」
落ちる振りをするシャロンさんを抱きしめ、歩道の上でクルクル回りながら互いにキス。それに気をとられて俺を下にしてそこに倒れる。
目を丸くした二人だが、ハプニングに笑い合った。
またしばらく歩いて見えてきたのは小さなチャペル。俺の胸が高鳴る。シャロンさんも顔を赤くしていた。俺はその手を引いてチャペルの中に。
人は誰もおらず、ステンドグラスが美しく輝いていた。中央には神の偶像。二人でしばらくそれを見つめていた。
「ジョエル?」
シャロンさんの呼びかけに、俺はシャロンさんのほうを見てひざまずく。
「シャロン。俺は幸せだ。君に会えて最高の幸せ。キミにとってこれから、いいことばかりじゃないと思う。時にはケンカをするときもある。寂しい夜もあるだろう。でも決してキミを放さない。二人は永遠に一緒にいるんだ。キミが嫌だと言っても、永遠に目を閉じるまでそばにいるよ」
シャロンさんは言葉の途中で涙を流していた。そして盛んに言葉の節々にうなずく。俺は普段見上げないシャロンさんの顔を見ながらコートのポケットから指輪の箱を取り出した。
それは誰が見ても粗末なペアリング。石の一つも、飾りの一つすら入っていない。シルバーのリング。それは俺の精一杯。
でもシャロンさんは泣きながら左手の薬指を広げて俺に差し出す。俺はそこに指輪をはめた。シャロンさんにも、俺の指に指輪を嵌めて貰った。
「これは二人の絆。リングに誓うよ。これは俺たちの命。何があっても近くにいる」
シャロンさんも、ただそれに激しくうなずいた。
「結婚してください」
「──はい」
「愛してるよ。シャロン」
「私もジョエルを愛してる」
「君の家族はローラだけじゃない。これから増えるんだ。たくさん、たくさん……」
「うん、そうだね。そうだ──」
二人は神の前で誓い合い、キスをした。ステンドグラスに大きいのと小さい黒いシルエット。それは互いの背中に手を回して一つのシルエットになっていた。
そしてホテルに行き互いの体温を確かめあった。朝日がホテルの窓から輝く。二人はただそれをベッドの上から眺めていた。
早朝、早々にチェックアウトして、二人は薔薇垣の小径で別れあった。ほぼ寝ていなかったので、少し家で休養を取ろうと言いながら。
「少し休んだら正装して君を迎えに行くよ。そしたら、伯爵さまに俺たちの結婚を伝えに行こう」
「うんうん。待ってるね。何時頃? 昼くらい?」
「本宅に行って服取ってこなきゃだし、眠りたいから夕方くらいかな~」
「なによ。さっさと迎えに来なさいよね。今日は初夜でしょうに!」
「初夜? 初夜は昨日の晩だったろ? 放さなかったのは誰だよぅ。もう俺、疲れたよ」
「ふーん、まだまだだね。でも二人の家での夜が初夜。そう決まってるの」
「ひでぇや。はいはい。じゃ、とりあえず待ってて」
「うん。じゃあね」
俺は家に駆け込むシャロンさんに大きく手を上げて笑う。そしてもう一度振り返って大きくピースサイン。シャロンさんもそれに胸で小さくピースサインを送ってくれた。