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episode15

 屋敷へ帰ると、まずはローラに詫びた。実は時計職人になりたかったのを、ローラに強引に結婚させられたのが許せなくて意地悪していた。それを友人に諭されたと言って。


「ごめんな、ローラ。俺の本来はあんな畜生ではないんだ。今の俺は完全に君に惚れてしまった。これからは今までとは変わってしまうが混乱しないで欲しい」

「本当ですの? 私こそごめんなさい。強引に結婚させたりして……」


「いいんだ。もういい。これからはキスもするし、手を繋いだり、抱き締めたりするぞ? いいかい?」

「え? 嬉しい……」


 喜ぶ彼女を抱き締めた。彼女は俺を抱き締め返してくれた。これからは本当の夫婦になれそうだ。


 俺は部屋へと帰り、コートのポケットに手を突っ込んで、手のひらを開ける。そこには銀の指輪。前にシャロンさんに見せた手品の要領だ。指輪を投げる振りをして小石を投げていた。

 俺は誓いのリングをどうしても捨てることが出来なかったのだ。俺は小さな木箱を開ける。そこには前にしまった毛糸の帽子と手袋。その上にリングを置いて鍵をかけた。そして鍵は窓から裏庭へと投げ捨て、木箱は書棚の奥へと押し込んだのだった。


 シャロンさんはそれから三日後に帰ってきた。ローラは大変心配しており、捜索隊を出そうとしていたときに、しれっとして帰ってきたのだ。

 後から聞くと、農家の牛車に乗せて貰い食事も頂いたそうだ。そこから、荷車を引く人に世話になり、宿を取ったりしてようやく本道に出たらしい。

 まあたくましいから何とかなると思ってたと笑うと平手打ちしてきた。そこをちょうどローラに見られ、ジョエルさまになんということを、と泣かれてしまっていた。散々だな、この人は。


 そして数ヵ月の後に、シャロンさんには南にある農園と屋敷を与え、出て行って貰った。抱き合い、涙を流し合う姉妹の後ろで、一人涙をこぼした俺を二人に気付かれていないと信じたい。





 それから、俺とローラはいつも一緒にいた。領地経営にはローラの力がなくてはならないし、巡察なども同じ馬車に乗って旅行気分で行った。

 あれからは鉄鞭を持つことはなくなったし、使用人たちの緊張も徐々に緩和されて行った。領民たちにもそれなりに慕われて行ったと思う。


 ローラは二男二女を産んだ。彼女は良き妻、良き母、良き女だった。そして、良き妹──。

 互いに歳を取って、慈しみあった。心からローラを愛せるようになったのだ。


 俺たちの結婚から三十年。俺の髪には白髪が交じり歳をとった。その日は、たまたま、商用で一人出掛けていた。その時、シャロンさんの農園の近くを通ったので、立ち寄ろうと思ったのだ。

 近くに使用人の女がいたので、声をかける。


「これこれ、義姉上はおられるかな?」

「おお、これはこれは伯爵さま。ご主人は先ほど屋敷に入られました。中に居られると思います」


「左様か。ではご挨拶申し上げよう」


 使用人に連れられて中に入る。使用人が声をかけても返事がない。いつもいると言われる温室へと続く廊下の真ん中に彼女は倒れていた。


「義姉上!」

「ご主人さま!」


 しかし、返事は返ってこなかった。シャロンさんは五十歳を前にして亡くなってしまったのだった。屋敷に入ってすぐだと言うことだったので、突然死というやつであろう。痛いことや苦しいことが嫌いなシャロンさんは、案外楽に逝けたのかも知れない。


 俺はすぐさま、側にいる使用人にローラを呼んで来るようにと命じ、使用人が駆けて行った後の僅かな時間、シャロンさんのご遺体と二人きりとなった。


 俺は彼女の左手の薬指に嵌められた銀の指輪を見る。そして溜め息をついた。


「まったく。あなたはいつまでもそんなものを着けて結婚もせずに独身を貫くなんて……」


 彼女の向きを仰向けに変えようと抱き抱えたその時、彼女の胸元からジャラリと音を立てて床に落ちるものがあった。それは、俺が贈った懐中時計に鎖をつけたものだったのだ。それを黙ってしばらく見つめた。


「ねえ、シャロン。あなたは本当にどこまで馬鹿なのです……」


 久々に泣いた。もう泣くことなどないと思っていたのに。

 時計を開くと、何度も何度も修理された跡があった。ガラスも新しく入れ直したばかりのようで、美しく磨かれていたのだ。


「シャロン。あなたは本当に幸せでしたか? ローラには、あなたの持っている百倍も価値のある指輪も時計もあげました。あなたは、俺さえもローラに与えましたよね。でもね、あなたも、俺もきっと幸せでしたよね。だって、お互いの宝を持ってあの世に行けるのですから──」


 俺は鈍い光さえも失ってしまった指輪を嵌めた左手を上にして手を組ませてやった。


「ねえ、シャロン。信じてよ。きっと来世で結ばれることを。君はすぐに諦めてしまうから、この言葉だけは持っていって。愛してるよ。君を、君だけを……」


 俺が涙を拭き終わる頃、表が騒がしくなった。ローラが来たのだ。俺は彼女を迎え入れ、悲しむ彼女の身をさすってやった。




 シャロンの葬式は質素なものだった。彼女は余りものを持っていなかったのだ。だから、棺には指輪も懐中時計も入れてやった。そして花、花、花、花を──。


「お姉さまは、お花が好きでしたもの。見て、ジョエルさま。この花だらけの農園を。こんなに美しい花をお作りになるお姉さまを、私、とっても好きでしたの」

「ああそうだな。こんなに花があれば花屋も出来たろうに」


 俺は興味なさげに素っ気なくローラへと答えた。なにしろローラから見れば俺たちの仲は最悪だと思われていたのだから。しかしそれは彼女へのはなむけ。その花を抱いて、来世では花屋になって欲しいとの願いを込めて。

 そして彼女の棺を穴深く埋めてやった。一つ、一つと土をかけて。やがて棺は見えなくなり、彼女はこの世界から消えたのだ。





 それから十年。腹についた脂肪を取るという名目で乗馬して遠乗りするのが日課となっていた俺は、護衛を従えて馬に乗り領内を巡察していた時だった。

 枯れた草むらから鎖が飛び出して来て馬の足を絡めたために、俺は馬から投げ出されて落馬した。

 体を打ち付け動けないでいると、その草むらから飛び出してきたせむしの老人に槍で脇腹をかすめ突かれた。


「と、トビー……!」

「アートルの小倅め! お前は俺の全てを奪った……!」


 そう言ってトビーは高らかと満足げに笑う。血が流れる。痛みが来る。これは致命傷となるだろう。


 そうか、分かった──。分かっていた。これは酬い。


 怒りのままにシャロンさんを、ローラを、その他の人々を傷付けた。


 通り過ぎた過去といえども、神は俺を許してはいなかったのだ。シャロンさんも、ローラも許していたとしても……。

 この未来は決められていた。俺の無惨なる死を。愚か者への制裁を──。


 護衛が駆け付けてトビーを討ち果たしたころ、俺は地面の上で静かに目を閉じてしまった。


 目を覚ますと、激しい苦痛だった。俺は今際(いまわ)(きわ)にいた。回りにはローラと子供たちと使用人に囲まれながら。

 だが心は穏やかだ。俺はローラに手を握らせ、自分は家族と共にいて幸せだったと伝えた。


 そして自分の棺には、書棚の奥にある鍵を失くした木箱を入れて欲しいとローラに願った。ローラは激しくそれに頷いたのだ。


 その承諾を見届け、安心した俺は神の元へと旅立ったのだ。シャロンさんの待つ世界へと──。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これで完結ではない? ひとりの男の生き様、ラストに向かって楽しみです。
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