第陸話
「それでは、改めて。僕はノアイユ。ノアイユ・ド・ラプラス。この国の第二王子です」
「どうもご丁寧に。異世界人、漂流者、あるいは異邦人。まあどれでも当てはまるかなと思うので、お好きなように呼んでください。八坂刹那です」
「おや? ヴァロアにはセツナが名前と聞いていましたが」
「わたしの生まれ育った国だと、家の名前のあとに個人の名前が来るんですよ」
「ああ、なるほど」
得心を得た、というようにノアイユ殿下が頷く。
殿下との会話は非常に、それはもう非常に穏やかに始まった。
お互いに名乗り、どうぞよろしく、と挨拶を交わす。
……うん、これが普通だよね?
問答無用でひっとらえて取り調べだなんて、やっぱり異常だったよね?
ようやく出会えた常識人にしみじみと感じ入る。
とはいえ中身はわたしと同類なんですけども。
なお、そんなわたしの様子に、ヴィドックさんは露骨に胸をなでおろして安堵していた。
『野蛮人』なんて言われるほどガルガル吠えたて、タイチョーを威嚇していたわたしを知っているからだろうなーと思う。
……思うけどさぁ、君、酷くない?
わたしだってちゃんと礼儀を尽くしてくれる相手には相応の態度で接するよ?
縄を解いて自由にしてくれた恩を感じないほど、恩知らずなつもりはないってば。
ちなみにヴィドックさんの先輩兼ノアイユ殿下の付き人? 護衛? であるヴァロアさんだけど、しっかりわたしのことを観察中だ。
そりゃあね?
王子様の護衛として、身元不明なわたしに警戒しないわけがない。
むしろ彼の態度は当然だと思っているので、別段言いたいことはない。
気が済むまでやってくれとすら思う。
「我が国の恥さらしたちがとんだ失礼をして申し訳ありません。ここだけの話、十五番隊はクビキリ間近な問題児を寄せ集めた巣窟でして」
「エッ」
「ああ、どうりで」
衝撃の告白に固まっているヴィドックさんはさておき、ノアイユ殿下の言葉に納得した。
でっすよねぇ、容疑者として捕まえた相手にあんなおざなりな対応じゃまずかろうて。
事情聴取もかなりガバガバだし、あれでクビが飛ばない方がおかしいと思ったもん。
「団長は何も言わないですが、最後通牒のようなものなんですよね。十五番隊への配属というのは。自ら気付いて態度を見直すなら良し、そうでなければ一定の期間を過ぎた時点でクビなんです。ごくまれに、ヴィドックのような人が混ざると克己心を持ってくれるので、その篩をかけている部分もありますね」
「なるほどなー」
「まあ、十五番隊についての話はここまでにして。セツナの話に入りたいのですが、構いませんね?」
「もちろんです。殿下の誠意に応じて答えられることにはちゃんと答えますよ、知らないことは無理ですが」
彼がどういった思惑で誠意を見せてくれたのか、わたしにはもちろんわからない。
でも、少なくとも『下心ありの誠意』だってことくらい理解しているつもりだ。
そうじゃなくちゃ、たった二人しか護衛がいない中、不審人物の縄をほどくなんて愚行を王子様がするはずないし。
……いや、あのポンコツ王太子なら有り得そうだけど、この弟王子はあそこまでの馬鹿じゃないだろうしさ。うん。
だからわたしも相応の態度をとる。
誠意には誠意を返すが、下心には下心を返す。
……まあ、みなまで言わずとも、ノアイユ殿下ならこちらの心算に気づいているんだろうなぁ。
「そうですねぇ……では、貴方が別の世界から来たことを証明して欲しいと言ったら?」
「しょっぱなからとんでもなく難しいこと訊きますね?」
笑顔でとんでもない要求をしてくる殿下に、思わず顔が引きつる。
え、何?
この人、もしかしてわたしを貶めたい側の人だったの?
やっぱりポンコツ王太子()と同類、ないしはそれ以上に最悪なヤツだったとか言う? 言っちゃう?
口喧嘩なら喜んで買ってやるぞこんちくしょうめ!
……極めた混乱により妙な方向へ振り切れたのは、なんとなく、自分でも理解できた。
「泣き言ですか?」
「そんなわけないでしょう。事実を述べたまでですよ」
煽るように微笑んだ殿下に、呆れて肩をすくめる。
「こっちはどうか知らないですけど、わたしが生まれ育った世界にはこういう言葉があるんですよね。『主張する者は証明を要し、否定する者は要しない』──つまりは『否定する方に立証責任はない』ってことなんですけど」
「ふむ」
「わたしがどれだけ理詰めで『異世界から来ました』って主張したところで、殿下が『それは有り得ない』と言い張り続ければどうしようもないんです。だって殿下には有り得ないと言い切る理由を説明する責任なんてないんですから」
「まあ、概ねその通りですね」
『えっ』
外野二名がギョッとした目を殿下に向ける。
……いや、別におかしいことじゃなくない?
ノアイユ殿下に『異世界を否定した方が都合がいい』と思う理由があれば、そうされる可能性は十二分にある。
例えば、そう、十五番隊の不祥事を隠蔽したい時とか?
「とはいえ、です」
「?」
「こっちには『悪魔の証明』って言葉もあるんです。細かく説明しようと思うとかなり面倒なので、ざっくり内容まとめちゃうと、『ないことを証明しようとすること』」
「……わざわざ『悪魔の証明』などという言葉を作る必要もなかったのでは?」
「意味的な話ではそうかもしれません。ただこれ、比喩表現にも使われるんですよ」
「比喩、ですか?」
「ええ。無の証明は有の証明よりもはるかに難しい。だから転じて、『証明が困難なこと』の比喩として『悪魔の証明』という言葉が使われる」
にんまりと意地の悪い顔で笑い、言葉を続けた。
「わたし、ちゃーんと答えますよ? 自分がこの世界とは別の世界で生まれ育って、わけもわからずここに来たこと。あれこれと並べ立てて証明してみせます。そうしなくちゃ自分の身が危ういですからね、全身全霊ですとも。だけどもし、殿下がわたしの誠意に不実を返すようであれば話は別です。わたしはわたしの主張をもって、殿下に否定の証明をしてもらいます。言葉遊びは大好きなので、屁理屈でもなんでも並べ立てて『八坂刹那がこの世界で生まれ育った人間であること』を証明させます」
「そして貴方は『否定する側に立証責任はない』ことを盾とし、僕の主張をことごとく退ける……と。ですがそれでは、永久に決着がつかない平行線では?」
「問題ありませんね」
だって、わたしはともかく、殿下はどこかで答えを出さなきゃいけないだろうし。
どこかで必ず、平行線の論争に決着がつくに決まっているのだ。
「……ほう?」
「わたしはあとがないから絶対に主張を曲げられないけど、殿下はそうじゃないでしょう? 主張を受け入れて穏便に済ませることも、却下して血なまぐさく終わらせることも、永遠に終わらない論争を続ける選択をすることも、全部ノアイユ殿下次第です」
『血なまぐさく』のあたりで、ヴィドックさんがちょっとだけ青ざめた。
ヴァロアさんは先輩と紹介されただけあり、顔色も表情も変化はない。
少しばかり視線が険しくなったくらいのものだ。
ちなみにノアイユ殿下はなんにも変化なし。
王族って、やっぱりそういう面でよく鍛えられてるんですかね?
まあ、私には関係ないことだし、実際の答えなんてどうでもいいんだけどさ。
……続けろと殿下の視線は語りかけてくるけれど、ねぇ、本当にいいの?
「勝利宣言してもいいんですか?」
「できるものならどうぞ?」
戸惑う二つの視線は無視して、ふーん? と薄っぺらな笑顔を眺める。
なんとも素晴らしい自信だこと。
彼ならとっくに気付いているだろうに、わたしに大人しく勝利宣言させちゃうんだ?
「……気にしてないみたいだから、ありがたく勝利宣言させてもらいますけど。殿下がどれを選んでも、わたしは別に構わないんですよね」
もちろん、こちらの主張を大人しく認めてわたしを解放してくれる、というのがベストに決まっている。
その次が終わらない論争を続けることだ。
論争が終わらない限り自由になれないけれど、その代わりに、理不尽な言いがかりで殺されなくて済むから。
そして──
「では、貴方は最悪、自分が殺されても構わないと」
「別に死にたいわけじゃないですけどね。でも、わたしが殺されるってことは、『殿下が私を論破できなかった』という何よりの証明になるでしょう?」
殿下の酷薄な問いかけに、うっそりとした笑みを返す。
「いわゆる、『ゲームに負けて勝負に勝った』ってヤツですよね。わたしは自分の命を守りきることができなかったけれど、それは決して『第二王子殿下に負けたこととイコールじゃない』。むしろ『第二王子殿下がわたしに負けたから』こそ『わたしは第二王子殿下に殺される』んだって……そう考えれば、死ぬのも悪くないかなーなんて思いますし、胸のすく気持ちがするんですよ」
いざその時を想像し、頬をゆるめて思考を吐露する。
そんなわたしを見てノアイユ殿下は飄々とした相好を曇らせ、外野が息を飲む気配を感じたが──それさえもはや、わたしにとっては『どうでもいい』。
「『どこぞの馬の骨ともわからない女に言い負かされた』という、一生消えない敗北感に苛まれて生きればいい」
だってそれだけが、この世界にとって虫けら以下のわたしにできる、最高の仕返しでしょう?
「──とまあ、色々と回りくどい話をしましたけど、そろそろ本題に戻りましょうかね」
へらりと軽薄な笑顔をつくろい、張り詰めた緊張の糸を解く。
パチン、と手を打てば、三人はハッと我に返る様子を見せた。
というか御三方、なんで呼吸を忘れるほど緊張してたんです?
今の会話にそんな要素ありました?
「え、あ……」
「……」
「……ええ、そうですね」
うむ。ノアイユ殿下は本題に入っても良さそうな雰囲気だし、いざ『証明』と行きますか。
……ヴィドックさんとヴァロアさん?
ぶっちゃけあの二人は話に置いてけぼりになっても問題なくね? って気がしてるから、基本的に放置だよ。当たり前じゃん?
「手っ取り早い証明方法は二つあるかなと思います」
「二つ?」
「はい。早速ですが、まず一つ目」
ピッと人差し指を立て、一呼吸おいてから口を開く。
「この世界に流れ着いたという『漂流物』。その使い方、あるいは言語が理解できれば、わたしはその『漂流物』と同じ世界からの『漂流者』だという証明になります。……でもこの方法、『そんなの当てずっぽうだ』だの『適当にでっち上げてる』だの、言いがかりをかけられそうな予感があるので、二つ目の方法で証明するのが良いかもしれませんね」
ということで肝心の二つ目、と、追加で中指を立てる。
「私が十五番隊に冤罪をかけられる原因となった、巷を騒がせている『赤いドレスの女』。捕まえられなくてお困りみたいですけど、その正体と対処方法……隙を作る方法を知っているとなれば、わたしが異世界から──少なくとも貴方がたとは別の文化圏から来たことを理解してもらえるんじゃないですか?」
というか、ノアイユ殿下とヴァロアさんがここまで足を運んだのって、『漂流者』なんかじゃなくて『赤いドレスの女』のことが目的でしょ? 違うの?
首を傾げて問いかければ、殿下もヴァロアさんも『赤いドレスの女』云々は初耳だと首を振る。
……おいコラ、なんで話してないんだヴィドックさんよぉ!
抗議の気持ちを込めて睨みつければ、
「だ、だってセツナの保護が先決だと思って!」
……とのこと。
言外に心配していたのだと言われちゃうと、これ以上責めることは難しくなくなる──が、できないとは言ってないんだなぁこれが!
目が据わったわたしに睨まれ、ヴィドックさんはぶるぶると震え上がった。
「ねぇヴィドックさん。このネタ、私の命を繋ぐ大事な手札なんですけど。こちらの手札を見せず、とりあえずわたしをノアイユ殿下に保護してもらおうとか、ちょっと考えが甘すぎません? べっこう飴より甘い考えで、わたし、ものすごくびっくりしてます。貴方の心配は素直にありがたいと思いますし、優しさにも感謝しますけどね。……ヴィドックさんは私を殺したいんですか? うん?」
「ごめんなさい僕が浅はかでした!!」
──じわじわと首を絞めるようにヴィドックさんを追い詰める私を見て、ノアイユ殿下が愉しげに笑い、ヴァロアさんが引いていたのは完全な余談である。
というわけで、連続更新はここまで。
近日中に別の連載を始めるので、しばらくそちらにかかりきりになります。
作者だけが楽しいお話と思っていましたけど、この数日で見てくださる方が増えててびっくり。
ブクマしとくと更新された時に通知もが飛ぶようなので、ぜひぽちっておいてもらえると作者も嬉しいです。