第伍話
空気が凍る、とはまさにこのことかもしれない。
わたしの傍らにいたヴィドックさんも、興奮真っ只中で宥められていたタイチョーも、タイチョーを落ち着かせようと躍起になっていたその他のヤツらも……突如として現れた第三者に釘付けだ。
彼らの表情を一言で表すなら、『ヤバい』って感じ?
いたずらが見つかった子供のよう、と言うにはいささか年を食った連中ばかりだけど、我ながら言い得て妙な例えをしたと思う。
はてさて、今しがた声を発した彼は誰なんだろうね。
透き通るような綺麗な銀髪。
柔和そうな整った面立ち。
糸目だから瞳の色はわからない。
でも、質の良さそうな身なりとか、この混沌とした状況の中でも落ち着いた雰囲気とかから察するに、いわゆる高貴な身分の人なんじゃないかなぁと思う。
異世界人並の感想である。
「で……殿下、何故このような場所へ?」
タイチョーは狼狽えた様子で、声も上擦っている。
間違いなく緊張してるんだろうなアイツ、と察するのは容易だが……はて、殿下とな?
「第二王子のノアイユ殿下だよ」
首を傾げるわたしに、こそりとヴィドックさんが耳打ちした。
……へええ、彼が?
あのクソ王太子の弟なんだ? ふーん。
ノアイユ殿下とやらの印象に対してマイナス補正がかかる中、よいしょ、とヴィドックさんがわたしを床から起こしてくれた。
身動きの取れない人間一人を軽々起こすだなんて、騎士を名乗るだけあって身体は鍛えられてるんだなぁ。
……まあ、そのわりに、どうにもひょろい印象しかないんだけど。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
声をひそめてお礼を言えば、ヴィドックさんはへらりと笑う。
けれどその表情はどこか引きつったような笑みで、彼も王子様を前に緊張しているのが伝わってくる。
ノアイユ殿下って、優しそうな顔してるわりに怖い人なんだろうか。
「おや。その言い方だと、僕がここにいてはまずいように聞こえますね」
「め、滅相もありません!」
「うわすっげ、揚げ足取りは流石だなお貴族様」
「しー! セツナ、いい子だから静かにしてて!!」
「……はぁい」
同い年なのに子ども扱いとはこれいかに。
「冗談です。兄上がこちらに足を運んだと小耳に挟んだものですから、つい気になってしまって」
「左様ですか……」
「ええ、左様ですとも。ところで──彼女は?」
飄々と会話していたノアイユ殿下はそこで、首を傾げながらわたしを示した。
瞳の隠れた糸目の奥から、なんとなーく好奇心の視線を感じる。
視界の端にビクリと震えたタイチョーを捉えつつ、ついでに隣から『妙なことを口走るなよ』という圧も感じつつ、素知らぬ顔でへらりと笑った。
「どーも、『赤いドレスの女』容疑で連れてこられた迷子の一般人でーす。この国の王子様と見込んでひとつ教えて欲しいんですけど、この国って取り調べに暴力やら恫喝やらは当たり前なんです?」
「……いえ、そんなはずはありません。この国ではそのような取り調べで冤罪が多く発生した時代がありましたからね、取り調べに暴力恫喝を用いることは『国が』禁じていますよ」
子供でも知っていることかと。
なんて、にっこり笑って付け加えるあたり、ノアイユ殿下はわかっていらっしゃいますねぇ!
タイチョーたちが明らかに動揺しまくっている。
実質現行犯だもんな、アンタら!
……殿下からわたしと同じ匂いを感じたのは、たぶんきっと気のせいじゃない。
「殿下! 騎士である自分ではなく、そんな女の言うことを信じるのですか!?」
「そうですね」
『えっ』
まさかの即答である。
「状況的に考えて、そうとしか考えられませんから。この部屋に入る前、僕は男女の言い争う声と激しい物音を聞きました。いざこの部屋に入れば、椅子に縛られた状態で床に倒れ込んでいる女性と、彼女を守るように寄り添う騎士一人、そして興奮して部下たちに宥められている貴方がいた。……ほら、どう考えても貴方を信じるに足る要素なんてないですよね?」
つらつらと言葉を並べつらね、無邪気に首を傾げる王子様の怖いこと怖いこと。
タイチョーは冷や汗だらだらで言葉に詰まっているし、ヴィドックさんを除いた騎士たちは表情が引きつっている。
……ヴィドックさん?
『おっしゃる通りですね!』とでも言わんばかりの笑顔を浮かべてますが何か?
「ヴァロアはどう思います?」
あっ、お付きの人(?)に話しかけちゃいますかそうですか。
いや、うん、それが悪いって言うつもりはさらさらないんだけど……あの人、明らかにめちゃくちゃ怒ってるじゃん?
ほとばしる怒気がひしひしと伝わってきて、ちょっとわたしもおののくレベル。
見るからに『触るな危険!』って雰囲気の人に積極的に絡むとか、ノアイユ殿下って度胸あるぅ……。
「自分も殿下と同じように考えました」
おおう……言葉遣いこそ丁寧なものの、ドスの効いた声だ。
そんな声とコワモテ気味の険しい表情の組み合わせで喋られれば、(本来は)小市民であるわたしのノミの心臓は一気にギュッと潰れそうになる。ひぇ……。
「セツナ」
「……なんです?」
「あの人、僕の先輩だから大丈夫」
わたしが若干ビビリモードに入っていることに気付いたのか、ヴィドックさんはグッとサムズアップ。
うーん、そっかー。
ヴィドックさんの知り合いかぁ……。
正直『微妙だなぁ』というのが真っ先に出てきた感想だ。
けれどよくよく考えてみれば、ヴァロアさんって王子様の付き人に選ばれているわけだし、人間性は問題ない人物なのでは?
なんならこの場で一番マトモで信用できそうなのってヴァロアさんなのでは? と思い当たる。
……え、ノアイユ殿下?
わたしと同類の匂いがした時点でちょっと……。
「──というわけで、改めて聞きたいことがあるのですが、よろしいですか? 十五番隊隊長ロベスピエール」
「ブッ」
「えっ何!? なんで吹き出したのセツナ!?」
いやいやいや、これが吹き出さずにいられるか!
「ジャコバン派……ロベスピエール……うっ頭が」
「今なんて?」
ジャコバン派のマクシミリアン・ロベスピエール。
フランス革命期の政治家・独裁者であり、ルイ16世への裁判を主導してフランス王政を終わりに導いた男だ。
恐怖政治を敷いて一時活躍するも、結局、クーデターに負けて弟ともどもギロチンで処刑されてしまった。
彼が行った恐怖政治はテロ、あるいはテロリズムの語源となったとも言われている……のだが、そんな人物とタイチョーが同じ名前とか吹き出さずにいられるわけないでしょうよ!
謝れ、ロベスピエールに謝れ!
いや別に、ロベスピエール過激派なつもりはないけれど、それにしたってこれはひどい。ひどすぎる。
フランス国政が共和制へと移り変わる起点に携わった人物だぞ、恐怖政治を敷いた独裁者とはいえ、お前よりよっぽど有能な人だ!
……と、怒りたくなるのも無理はないと思います。
タイチョーがそれだけ無能ってことですね、はい。
──なーんてわたしが言ってる間にも、ノアイユ殿下たちはシリアスの真っ只中なわけでして。
「貴方は何故、彼女に不当な拘束を行った上で、暴力を交えた取り調べをしているんです?」
「それはあの女が『赤いドレスの女』の容疑者だからで」
「ふむふむ、なるほど? では、貴方は彼女がドレスを着ていると思った……と。不思議ですね。彼女の服装はドレスというより、下町で働く商人や港の船乗りに近い実用性重視なものを感じますが」
「それはそうですが、」
「ああ、それとも、胸元に付着している血を『赤いドレスの女』と繋げたのでしょうか。それなら一理あるかもしれません。──あの血が彼女のものでなければ、という注釈がつきますが」
「いえ、あの」
「もちろん確かめたんですよね? 服に破けた跡が残っていないか。治癒魔法による治療痕が残っていないか。……いえいえ、答えなくて結構ですとも。だって十五番隊は非魔法使いの男性の集まりですから、そのあたりの事情を知るには城の医師か別の隊に所属する魔法使い、もしくは二番隊に所属する女性騎士の手を借りなければいけません。十五番隊の要請を受けた人物を探せばすぐにわかることです」
ですが、と。
殿下はいっそう、貼り付けたような笑みを深めて。
「もし仮に見つからなかったとしたら、それは一体どういうことなんでしょうね? 不当な拘束。未熟な確認。違法な聴取。……はてさて、僕が納得に値する言い訳をしてもらうことができればいいのですが」
どんどん畳みかけてくるノアイユ殿下に、タイチョーは真っ青。
冷や汗だらだらで、視線も泳ぎまくっている。
……いやぁ、哀れみを通り越していっそ愉快だよね。
人の不幸は蜜の味ってこういうことを言うのかな?
落ち着きを取り戻した代わりに愉悦に浸るわたしを見て、ヴィドックさんがかなり引いてるようだけど……まあ、大して気にするほどのことじゃないね。ウン。
「本来であれば規律違反で即刻除隊なのは、もちろんわかっていると思うのですが……実は、お願いが」
「お願い、とは?」
「なぁに、そう難しいことではありません。彼女とちょっとお話をさせて欲しいんですよ。四人で」
……はて、四人とな?
顔ぶれがわからず、首を傾げたのはわたしだけではない。
隣のヴィドックさんや、タイチョーたちも戸惑ったような表情をしている。
「僕と、彼女と、ヴァロア。それから……君、ええと」
「ヴィドックと申します」
「ヴィドックの四人で話をしたいな、と」
「殿下、失礼ですが、何故ヴィドックを……?」
「おや? ヴィドックでは都合の悪い理由が何か?」
「い、いえ! そういうわけでは!」
「では、そういうことで」
ノアイユ殿下の言葉遊びに惑わされ、手のひらでコロコロ転がるタイチョーがポンコツすぎて笑う。
「ですが殿下、アレは『赤いドレスの女』疑惑がかかっている女です。他にも何名かお付けした方がよろしいのでは? それこそ、隊長である自分が──」
「仮にその必要があったとしても、君だけは選びませんね」
思惑がスケスケなタイチョーの申し出は、ノアイユ殿下にあっさり切り捨てられた。
「だって君、そこな彼女を殴ったという前科がありますし。万が一選ぶにしても、君以外の誰かですよ」
「う……」
「ほらほら、王子様がそう言ってるんだぞーさっさと出てけよポンコツ騎士」
「セツナはそうやって茶々入れしないの!」
たじろぐタイチョーを追い出そうとすれば、すかさずヴィドックさんからのツッコミが入る──が、どうか窘めるのは待って欲しい。
「えー? いいじゃないですか、今なら王子様の威を借りて文句言うチャンスですよ? 逃す手はないですって!」
「うわ、性格悪っ」
「あはは。僕は結構好きですよ」
「……」
ヴァロアさんの顔が引きつっているけど、まあ、細かいことは気にしない方向で。
明日投稿する分でストックは終わりです。
つまり続きはすぐには投稿されないってことですね、はい。