第肆話
「だーかーらー! 『赤いドレスの女』はわたしじゃないっつってんだろーが! 何回同じこと言わせる気だこのタコ! 頭ん中空っぽなんじゃねぇのかてめぇ!」
「貴様以上に怪しいヤツなどおらんわ、この低脳が! さっさと罪を認めて償えば良いものを、下らん抵抗を続けおってからに! 貴様でなければ他の誰が犯人だと言うのだ!」
「調べろよそれくらい! そのための組織の人間なんじゃねーのかお前ら! 揃いも揃って馬鹿ばっかりかよ! 王太子って呼ばれてたヤツ含めポンコツしかいねーじゃねぇか!」
「き、貴様……! 王太子殿下を侮辱するとは何事だ、不敬罪だぞ!! というか、それなら服についたその血はなんだと言うのだ! 貴様が襲った被害者の返り血ではないのか!」
「不敬罪? 何それ美味しいの? こちとら米とサブカルで育った日本人だぞ、敬うロイヤルファミリーは天皇家だけだボケェ! 血なんて知らねーよ! 気付いたらついてたんだよ! むしろわたしがいつどこでつけてきたのか知りたいくらいだわ! なんなら自分の血じゃないか心配したくらいだぞこの野郎!」
──などと初っ端からアクセル全開で怒鳴り合っているのは、ひとえに向かい合ってるのがわたしを殴ったクソ野郎だからですね!
本当なら取り調べの担当者に暴言を吐くのは許されざることだと思うけど、コレは完全に例外だ。
だって女の顔を容赦なく殴ってくるようなヤツだよ?
礼儀正しく振る舞う必要ある?
まあ、仮にそれがなかったとしても、コイツ相手に慇懃に振る舞ったり下手に出るのは得策じゃないと思ってるしね。
そんな様子じゃ、あれよあれよという間に犯人に仕立て上げられて一巻の終わりだ。
そういう圧力を今も休憩前もひしひしと感じてるもん、わたし。
というわけで、あの罵声の応酬である。
言葉遣いが乱暴? いやいやいや、男兄弟に囲まれて育てばこんなもんでしょ。
……え、違う? わたしだけ? そんなー。
「ニホンって地名か? お前、聞いたことあるか?」
「さあ……?」
「テンノー? なんだそれは?」
「この野蛮人でさえ敬うなんて、国王陛下に等しい地位のお方なのか……?」
ちなみに、周囲にはクソ野郎の部下らしい騎士がいるにもかかわらず、一対一のバトルになっているのは言葉の暴力でワンパンした結果ですね。
何を言ったかは流石に秘密。
だってほら、わたしも妙齢の乙女(笑)ですし、そのイメージを崩すのは良くないかなって?
というか誰だ、わたしを野蛮人とか言ったヤツ!
縛られてなければどつき倒してたところだぞ!
「……え、何この修羅場」
がちゃり、とドアの開く音がした。
次いで聞こえたのは薄っぺらい間抜けた声。
……あ、めっちゃ聞きおぼえあるっていうか、休憩時間使って第二王子に接触してみる云々言ってた見張り騎士の声じゃん。
顔を向ければ案の定、ポカンと呆けた青年の姿があり、へらりと笑って迎え入れる。
「おかえりなさーい。休憩とれました?」
「ヴィドック! この女を大人しくさせろ!」
「……わたしは猛獣か何かかな?」
「あれだけ騒いでいれば、隊長にそう言われても仕方ないと思うよ」
無慈悲な回答でスパッと切り捨てられてしまった件について。ひどい!
……ところでオタク、ヴィドックさんっておっしゃるんですね?
わたしは自己紹介してあるけど、彼の名前はこれが初耳。
なんかこう、フランスのスパイにいそうな名前だなって思いました。
まあ今の話が通じる人はこの世界にはいないんですけど。悲しみ。
「ねぇヴィドックさん。なんでこの人、全然話が通じないんですかね?」
「え。この人って、隊長のこと?」
「他に誰がいるんです? あとの人たちはただの聴衆」
「騎士ですらないの!?」
「え、この場に騎士なんて高尚な存在がこの場にいるんですか? へぇ、どこに? それは知らなかったなぁ」
迫真の演技でとぼけてみたところ、ヴィドックさんは表情筋をひきつらせ、周囲からはブーイングの嵐が吹き荒んだ。
えー。でも、わたしがこう思っても仕方ないよね?
「だってこの場にいるのって、何がなんだかわかってない迷子の一般小市民を罪状も説明しないまま拘束して犯人に仕立て上げようとするポンコツとその取り巻きでしょ? ……あ、でもヴィドックさんは違うか。わたしに『赤いドレスの女』のこと、ちゃんと教えてくれましたもんね? 親切なお兄さんって感じがする」
「それでも僕は騎士じゃないのね……」
ガックリ肩を落とすヴィドックさんはさておき、無実の主張を一辺倒で続けた成果なのか、聴衆の中には『コイツ本当に関係ないんじゃね?』という疑惑を抱いているヤツがちらほら見受けられるようになった。
特に『日本』とか『天皇』とか、わたしが元いた場所に関するワードが出てきたあたりからかな?
なんかおかしいぞと訝しみだした感じがする。
「あと僕、君と同い年だから『お兄さん』じゃないよ」
「嘘!?」
「なんでそんなに驚くの? ねぇ?」
だってヴィドックさん、他の連中に比べて顔立ち若々しいし……絶対わたしよりも年下だと思ってた……。
「……まあいいや」
「僕は良くないけどね?」
「それよりわたし、気になることがあるんですけどね、本当、なんでわたしばっかり疑われてるんです?」
「え、無視?」
ヴィドックさんうるさい。
いいから黙って口を合わせてろ、と視線で訴える。
「……何が言いたいの?」
「状況証拠的にわたしが怪しかったのはわかるんですよ。血で汚れたシャツ着てる女が森の中をうろついてるなんて、何かあったのかも、と思って当然なわけで」
「自覚があるじゃないか! なら」
「おっさんうるさい黙ってろ」
「あ゛?」
「あ、やっぱいいや。誰よりわたしを怪しむアンタが答えてよ。他の人たちってアンタに流されてるだけっぽいし、大した答えも期待できないからさ」
わたしの言葉を聞いて『我が意を得たり!』とばかりに口を挟んできたタイチョーとやらに、ウザさのあまり無意識に暴言が飛び出した。
──が、『これってもしや意趣返しのチャンスでは?』と思い直し、にっこり笑顔でお願いする。
未だに痛みも腫れも引きやらぬ頬がしんどいけれど、これはいわゆる必要経費と思って諦めることにした。
「答える、だと?」
「そうそう。どうして森でわたしを見つけた時、怪我人じゃなくて『赤いドレスの女』だと思ったのかなーっていう質問なんだけど」
だってほら、そもそもわたし、ドレス着てないじゃない?
にこやかに笑ったまま問い掛けると、タイチョーはギュッと眉間に皺を寄せた。
「『赤いドレスの女』って噂をヴィドックさんに教えてもらったけど、どうも情報って限られてるっぽいでしょ。被害者の気が動転しているからか、『赤いドレスを着た女』としかおぼえてない……だからこそ犯人像もぼやけてるわけだけど、それって逆に言えば、『赤いドレスを着ている女』が犯人の絶対条件なわけでしょ? なのにどうしてわたしを犯人だなんて思えちゃったの? この服、どっからどう見てもドレスにはほど遠いと思うんだけど。お貴族様が着るような服にはとても見えないんじゃないかなぁ……ねぇ、そこのところ、貴方はどう思う?」
「そ、それは……」
ヴィドックさんでもタイチョーでもない誰かさんに尋ねれば、彼は忙しなく視線を泳がせ、すぐに言葉を詰まらせた。
……ほら、お前だってわかってるじゃないか。
わたしが犯人の絶対条件から外れてることに気付いてる。
「一目瞭然な事実なのに、なんでわたしを捕まえたの? 馬鹿なの? 何か美味しい餌にでもつられちゃったの?」
「……」
無言は肯定と捉えるぞコノヤロウ。
「なんだよやっぱり脳みそすっからかんのヤツしかいないじゃないか。そんなんでよく『自分たちは騎士だ』なんて名乗れるね? おこがましいと思わないの? ほかの騎士たちに面目ないとか思わないの? 私利私欲に走って誤認逮捕する騎士の面汚しなのに? 申し訳なさで死にたくならない? どれだけ面の皮が厚いの?」
「……えーと、セツナ? そろそろ止めておかない?」
「絶対嫌です。わたしはこの人たちが泣いて謝るまで言葉で殴るのをやめない。だって非を認めさせないといつまでも付きまとわれそうですし」
「あっうん、それはそうかもしれない」
「ですよね」
「でもこの辺でやめておかないとさ、ほら、僕としてはセツナが危ないんじゃないかな〜って思うわけで……」
「いやいやいや、ちょっと過激なくらいじゃないとわたしはわたしを守れませんし? 職権乱用してくる連中が相手なんですからこれくらいでちょうどいいと思うんですよ。ね? ヴィドックさんもそう思いません? 多勢に無勢の状況で手加減なんてしてる余裕あります? ないですよね?」
「……ないね」
「──てことで、タイチョー以下数名の皆さんに教えて欲しいんですけど。どうしてわたしを容疑者として捕まえたんです? ……ああいや、これはちょっと違うか。『どうしてわたしを犯人にしたいんですか?』『それだとまるで、犯人が見つかるとマズい理由があるみたいですけど』『何か後ろめたいことでもあるとか?』──、ッ……」
「セツナ!」
正直に言えば、ヴィドックさん以外の連中を煽りまくった自覚はある。
だけど、これぐらいしないと彼らのボロが出るとか、口を滑らせるとか、そういうラッキーがわたしの元に転がり込んで来ないだろうなと思って。
頭の中でガンガン鳴り響く警鐘も、ヴィドックさんの忠告もガン無視決め込んだ結果やいかに?
──なーんて、ね。
結局は大した成果もなく、また殴られ損かぁ、と落胆するだけで終わった。
こめかみの当たりがジリジリと熱を持って痛む。
頭の中はぐらぐらと揺れ、平衡感覚を失ったかのように目が回った。
椅子に拘束された状態で殴りつけられ、勢いあまって床に倒れ込んだせいで、身体のあちこちに軋んだ痛みが走る。
無理な体勢が祟ったのは明白だった。
どうにか激痛を逃がそうと息を吐いたり、奥歯を噛み締めたりしながら、わたしを殴りつけたクソ野郎を見上げる。
怒り。興奮。それから──焦り、だろうか?
どうやらわたしは突いてはいけない『何か』を突いてしまったらしい。
だからといって、すぐに暴力に訴えるのは最高に馬鹿っぽいね。
涙でわずかに歪む視界にクソ野郎を捉え、床に倒れ込んだまま、にぃっと皮肉っぽく笑う。
「あらら。わたし、何か気に障ること言っちゃいました? でもいいのかなぁ、こんなことして。罪なき一般人に怪我をさせるのは流石にヤバいんじゃないですかぁ?」
「ああもう、いい加減にしなよセツナ! これ以上隊長を怒らせるのは流石にマズいって!」
倒れたわたしに駆け寄ってきたヴィドックさんに、わりとガチめに怒られてしまった件について。
……ほかの人たちもタイチョーを宥めているし、ヴィドックさんが言う通り、実はかなり危ない状況なのかも? と、今更ながらに察知する。
でも、市民を守るべき騎士様が冷静さを保てないのってヤバくない?
馬鹿の一つ覚えみたいに殴りかかってくるのもヤバくない?
とかなんとか、懲りずに考えているけれど、わたし自身もそろそろ思考回路が壊れてきてるのかもしれない。
だけどそれも仕方ないのかなって。
色々ありすぎて限界が近いんだよ、きっと。
気付いたら異世界にいたこと。右も左もわからぬまま暗い森をさまよったこと。
あらぬ疑いをかけられて拘束されたこと。
話の通じないヤツを相手にどうにか自分を守ること。
恫喝まがいの事情聴取に加えて暴力を振るわれたこと。
全部全部が超級のストレッサーだ。
このすべてに長らく晒され続けてマトモでいられるほど、わたしは神経が図太くできていないし、鋼の精神を持っているわけでもないんだから。
次に放つ言葉を装填し、口を開いた──その瞬間。
「なんだか妙な物音がするかと思えば……まったく。君たち、一体何をしているんです?」
知らない声が、空気を裂いた。