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リューリ・ベルとジューン・ブライド

作者:

ただいま開かれているページは『リューリ・ベル』のシリーズで間違いはございませんが何かが致命的に違っていますので心を無にしてお進みいただけますとたぶん「なにこれ」感は最小限で済みます。

『これより語るは人間と、天上におわす神々との繋がりが濃かった頃のこと―――――とある国の王様と女神様の婚姻を祝う宴の席で起きたとされる、有名な神話の一幕です』


淡々としていながらも、どこか軽妙な語り口。そんなナレーションが聞こえてくるのを無我の境地で聞き流し、私は粛々と黙々とひたすらにパンを齧っていた。香ばしい木の実の食感が良いアクセントだが喉が渇く。用意されていたコップの水を一気に呷って飲み干して、近くにあったピッチャーから追加の水をどばどば注いだ。大切なのは食事を楽しむ鋼の精神とブレない心と屈強かつ断固としたスルースキルで空気を読む能力などではない。


『とある国の王様と女神様の結婚式は、それはそれは華やかで盛大な祝いの席でした。二人の婚姻を祝福すべく、その場にはすべての神々が招かれたのだと伝わっています―――――たったひとり、争いと不和を司る女神様だけを除いては』


ひとり除外されている時点で「神々すべて」とは言えないじゃんそれ、なんて思ったとしても口には出さない。だって食べ物が詰まっている。もちもちのパンケーキはそれだけでも美味しいが木の蜜を煮詰めて作ったらしいシロップをかけると世界が変わるな。バターを塗るとコクが増すので是非ともお試しいただきたい。おかわり!


『除け者にされた不和の女神は当然のことながら怒り心頭、猛り狂って荒ぶるまま、なんと祝宴の真っ只中に目映く輝く“黄金色の果実”を力の限りに投げ込んだのです―――――不和の女神に相応しく、「この場で最も美しい女神へ」とかなりとんでもないメッセージとともに』


何処から投げ込んだか知らないが聞いた感じ相当な剛腕の持ち主だなそのひと―――――だなんて、呑気な感想をパンケーキごと咀嚼していたら目の前を金色の何かが掠めて行った。

がしょーん! とけたたましい音がして長いテーブルの上に並んでいた料理のお皿が悲鳴を上げる。奇跡的に食器も何もないところに落ちてころころと転がって止まったそれは、丸っこくてキラキラしている金色をした果物っぽかったが食べ物を粗末にするやつは個人的に許せないので今投げたやつ誰だ出てこい。あと食べ物いっぱいのテーブル目掛けてそんなものを投げ込むな。

話があるので表に出ろ、と腰を浮かせかけた私の肩を、横に座っていた三白眼の手が素早く全力で押し留める。邪魔をするな、と見上げた先で平然と座っているセスは、私くらいにしか聞き取れないような小さな声で口早に言った。


「今飛んできたのもあの辺にある料理も片っ端から蝋で作った食えない模型だから座れ」


これ以上面倒臭ェ展開にするんじゃねぇよ、と言わんばかりの圧を感じる。私は大人しく席に座った。気を遣って目の前のお皿からパンケーキを一枚渡そうとした手は「要らん」の一言で阻まれたので自分で消費することにする。おいしい。


『王と女神の婚姻を祝うための会場は、一瞬にして騒然としました。それもその筈、今この場には“不和の女神以外のすべての神々”が招かれている状態なのです。つまりは女神様も大集合………「この場で最も美しい女神へ」と書かれたメッセージカード付きの黄金色の果実を前に、神々は恐れ慄きました。不和の女神が不和の女神たる所以を誰もが等しく理解しました―――――喜ばしかった祝いの席を即混沌の修羅場に叩き落す無駄のないその無慈悲な手腕はまさに歴史に残りましょう。実際残っているからこそ、今こうして語れるのですけれど』


「心なしか楽しそうだな十一番さん」

「一番気楽なポジションだからだろ」


強制参加食らうくらいなら俺だって台本朗読で妥協したわ、と悔いているセスは忌々し気に顔を歪めて好物のパイ料理を食い千切っている。中身がみっちり詰まったミートパイを豪快に平らげていくその様は、“王国民”が思い描くところの“戦神”という役どころにきっとちょうど良かったのだろう。そういうふうに聞いていた。詳しくはよく分からないけれど、そういう配役なのだと聞かされたのだからそうなのだと納得するしかない。

私とセスの遣り取りだけは概ねいつもと変わらないのだが、しかし今回は置かれている状況があまりにも異質かつ特殊過ぎる―――――そう。今回は、特殊なのだ。


「あら。最も美しい、だなんて………不和の女神も大袈裟ですこと。確かに神々の王の妻、最高位の女神として人の世にも周知されている身ではありますけれど―――――そこまで褒めちぎられてしまうと、些か照れるものがありますね?」

「まあ。天上の女主人に相応しい貴女の素晴らしき美しさのことは神のみならず人の子でさえ良く知っていることでしょう―――――ええ。ええ、だからこそ、極上の美貌の持ち主として愛と美を司る女神であるこの私の名が真っ先に挙がってしまうことが我ながら不思議でならないのですけれどね?」

「あらあら、愛の女神様ったら」

「まあまあ神々の女王様ったら」


おほほほほほほほほほ、と背筋が凍る類の美女の笑い声の二重奏。唐突と言えば唐突なタイミングでぶち込まれたそれに現場の空気があっという間に凍て付いたけれど私の準備は万端だった。あったかい薬草茶が胃に優しい。そうして心を落ち着けて、周囲の緊迫なんのその、ヤケクソ気味の三白眼と私は揃って同じ方向にさりげなく視線を向けてみる。

金色の果実を模した模型(が転がっているテーブル)を間に挟むようにして、フローレン嬢とマルガレーテ嬢の二人がいつの間にやら立っていた。彼女たちの配役については事前に聞いたので知っている。“神々の女王”と“愛の女神”だ。そういう配役なのである―――――要するに、これは演劇だった。


「詳細はさして興味もないでしょうから大胆に割愛しますけれども、この度ランチタイムの余興として劇を催すことになりまして―――――どうか何卒、ご協力くださいまし」


派手な美貌のお嬢様こと馬鹿王子様の婚約者、フローレン嬢にそう切り出されたのはなんと今朝のことである。いくらなんでも急過ぎるとは流石の私もツッコんだけれど、「ただいつもどおりに過ごしながら食事をしていれば大丈夫」とのことだったので実態はたぶん数合わせに近い。舞台上の見栄えが良くなる上にただそこに居てくれるだけで観客の満足度が五割は増す、との理屈はいまいち分からなかったが報酬として提示された本日分の食費無料と食券三日分という魅惑の言葉に二つ返事で頷いてしまった。

舞台劇のような花畑騒動に巻き込まれた記憶はあれど、まさか本当に演劇の舞台に立たされるとは思いも寄らない―――――脊髄反射で食物に釣られるのも大概にしろ、とは凶悪面のセスに言われたけれども。

そんなこんなで、現在私が食事をしているのは食堂内に設けられた特設ステージとやらである。細かいことはもう気にするだけ無駄なので特に考えずに食事をしていた。

私は名もなき結婚式の招待客で料理を楽しむだけの端役だ。辺境の“北”の民である私は“王国”の伝承とかお伽噺とか価値観とかそういうのほとんど把握してないから役持ちとしては参加しようがない。なので本当に“居るだけ”なのだ。楽と言えば楽である。無料でランチが食べられるのなら衆目の視線に晒されようが周りが全員舞台役者だろうが別段どうとも思わない。だって本気でどうでもいいし。


『さて、“最も美しい女神”へと贈られた黄金色の果実を巡り、二人の女神が対立しました。ひとりは神々の王の妻にして最高位の女神であるお方、もうひとりは愛と美の女神様。どちらも文句なく美しく、また力のある女神たちです。本来であればここにもうひとり、知恵と戦の女神様が加わるのが定説だとされておりますが―――――この場において戦を司っているのは異邦からお越しの狩猟神様をおもてなし中の男神様のみとなっておりますのであしからずご了承ください』


「セスお前女神様枠だったの!?」

「女神じゃねぇっつってんだろ!」


驚愕過ぎて思わず叫んだら即座にツッコミが飛んで来たしなんならミートパイも繰り出されたのでとりあえず食い付いておいた。こっちに向けて押し付けてきたということは食べて良いとの意思表示だろう。そういうことなら遠慮なく食べますどうもありがとう味付けがしっかりしてて美味しい。


「でもなんでお前が女神様枠なんだ? 女神様が人手不足ならお前がストーリー読む人になって十一番さんが女神様やれば上手いこと解決するんじゃない?」

「テメェあの公爵令嬢ツートップ相手に同じ舞台で同じレベルで堂々と戦える神経の女が居ると思うのかよリューリ」

「それは無理だわ」

「分かりゃいいわ」


もっしゃもっしゃとミートパイを食べながらいつもと同じノリで雑談に興じるセスと私に注がれる観客の目がほっこりしているがお前らせっかく劇観てるなら演目に集中しろよと思う―――――あ、フローレン嬢とマルガレーテ嬢がなんかちょっと形容し難い顔でこっちを見ている気がするけど目が合ったらにっこりしてくれたからたぶん私には怒ってない。私には。逃げろセス。劇が終わった瞬間に全速力で離脱しろ。


「まぁ、異邦からのお客様は素直で正直なお方ですのね―――――畏れ多くも神々の女王様相手に美しさで並べ立てるのは私だけだとご理解いただけているようで何よりですこと」

「あら、異邦の狩猟神様は祝宴の料理を余すところなく堪能したいとのことでお忙しくて、貴女の美しいお顔さえも目に入らないご様子ですけれど………愛の女神様の前向きな愛に溢れた精神を、私も見習いたいものでしてよ」

「まあまあ、それはそれは」

「あらあら。うふふふふふ」


またしても転がる二人分の笑い声に怯えているのは主に女子。男子からは血の気が引いている。お嬢様の本気はこんなもんじゃないぞと言いたいところだが黙っていよう。ランチは美味しくいただきたい―――――傍らでセスがぼそっと呻いた「アドリブでこれかよ」という台詞については深く考えてはいけない。


『片や女王、片や美の神。その美貌と気位の高さはどちらも甲乙つけがたく、その場に集う神々は誰一人として一向にどちらが真に美しいかを決めることが出来ません。二人の女神の激突はもはや避けられようもなく―――――とうとう、仲裁を任された神々の王であるお方が、ひとつの決定を下されました』


進行を務める十一番さんの精神力が強靭過ぎる。そんな彼女のナレーションとともに、これまで沈黙を保っていた五月蠅い輩の代名詞ことお前今日台詞あったんだな筆頭の王子様がおもむろにその場に立ち上がった。

絶妙のタイミングで照明が調節されてやや薄暗くなった空間に、王子様目掛けて一条の光が強めにぱっと降り注ぐ―――――いや待てどういうこと何だコレ、斜めじゃなくて真上からってどうなってるんだここホントに食堂?


「静粛に。私の妻である女神も愛と美を司る女神もどちらも同様に美しく、どちらが“黄金色の果実”を受け取るに相応しいかを決めることはとても難しい。よって、私は考えた―――――“私たち”の価値観で判断するのが難しいなら、私たちとは異なる視点の持ち主に判定してもらえばよくない?」

「どうして最後まで威厳ある神々の王に徹しきれないんですの貴方は」

「せっかくお祝いの席なのに空気が殺伐としてるのもどうかと思って」

「心意気はともかく気が抜けるだけなのでもう少し考えてくださいまし………失礼。それで、なんでしたか? 私たち神々と異なる視点の持ち主、ということは―――――人類に審判を委ねるおつもり?」


神々の王様役だったらしい王子様がトップオブ馬鹿らしい謎の気遣いで緩めかけた雰囲気を手早く軌道修正する手腕は流石敏腕婚約者フローレン嬢改め神々の女王様ポジション。それが本来のストーリーなのだろう、筋道を知っている隣のセスが言葉少なに感心する横でお肉たっぷりのスタミナサンドイッチを齧る私は筋繊維の柔らかさに感動していた。


『こうして、神々を束ねる王である偉大なるお方の決定により、最も美しい女神へと贈られるたったひとつの“黄金色の果実”は人類で最も美しいとされる少年の手に委ね』


「いや? 神々でも決めあぐねる問題をよりにもよって人類に丸投げするのはいくらなんでも駄目だろう。というかシンプルに可哀想じゃない? 私の妻にはもしかしなくても神の心しかない感じ?」

「残念ながら神々の王の妻を拝命しておりますので神の心と神の視点しか今は持ち合わせがないのですけれど貴方が何をおっしゃっているのかこの空気を一体どうする気なのか説明していただいてもよろしくて?」


直訳、アドリブにも程がありましてよ馬鹿。

フローレン嬢の鬼気迫る微笑みは美しいけれど圧がすごい。まさに女王様の覇気。息継ぎなしですらすら噛まずに言い切る姿には貫禄しかない。愛と美の女神役らしいマルガレーテ嬢が引いていた。というかちょっと怯えている。

え? みたいな反応を示していた観客たちでさえ怯えた様子で身体が後方に引けていた。私とセスは我関せずの背景枠としてランチをしている。たくさんあったミートパイがいつの間にやら最後の一個でどちらがそれを取るかで揉めた。食べられない美しさの象徴よりも食べられる美味しい肉料理である。あ、肉料理じゃなくてパイ料理か。ごめん。いや今ので権利を主張するなよ無類のパイ好き三白眼てめぇ!!!


「もちろん、そこは説明するとも。さして難しい話でもない。我々とは異なる視点の持ち主。しかし、それは人類ではない………おっと、その顔は気が付いたな? そうとも! 我々と同じ“神”という括りでありながら、異邦の価値観を持っている適任がこの場にはいるじゃあないか―――――なぁ、異邦からのお客様! 果ての地から来た狩猟神!!!」


弾ける歓声に驚いて、視線を外したその隙にセスの手がミートパイを掻っ攫う。今のは私の油断が招いた敗北でしかなかったので甘んじて受け入れるしかないが、しかし最後のミートパイ確保攻防戦に集中していた関係で場の展開に付いて行けない。ていうか“果ての地から来た狩猟神”って何。


「え? 待って。食事してるだけでいいって話だったのに私ってなんか役割あったの?」

「さっきからナレーターの天の声やら女神連中が言ってた“異邦の狩猟神”っていうのはあくまで便宜上の設定だった筈なんだが神様トップのクソ王が雑なアドリブぶっ込んだこの瞬間から役割持ちだな行って来いや白い狩猟神」

「パイ食いながら雑な投げ方してんじゃねぇぞ顔立ち怖めの三白眼神!」

「三白眼の神じゃねぇよ」


どうでもいい遣り取りをしていたところで状況は今も転がっている。謎の方向に転がり落ちた挙句勢い良く滑り続けている。

トップオブ馬鹿王子様改めトップオブ馬鹿神様の王になったらしい馬鹿がそれはもう楽しそうな笑顔で金色の塊を持ち上げて、踊り出しそうな軽やかな足取りでこちらへと歩み寄って来た。そうして持って来た金色の果実っぽいものをことりと私の前に置き、仰々しい身振り手振りとともに舞台役者に相応しい声を朗々と彼は張り上げる。


「さぁ、この問題になんかいい感じの決着をつけてやってくれ狩猟神! ぶっちゃけどっちの女神ショーでもそれはそれで構わないぞう! 王様どうとでも始末つけちゃう!」

「いや始末つけるのはテメェじゃなくて絶対ェあっちの女神だろ」

「それでもこっちの方が面白くなるって王様の勘が囁いている!」

「この世で最も舞台に上げちゃいけねぇタイプの馬鹿だコイツ!」


ぎゃいぎゃいと騒ぐ王子様とセスはもはや舞台に関係なくいつもの幼馴染のノリだった。これはもう舞台劇として成立していないのではないかと思いつつ観客は楽しそうなので、ギスギスした女神様の舌戦を大人しく拝聴しているよりはこの混沌とした有様の方が面白いと感じるのかもしれない。

ストーリーを読み上げる係の十一番さんは既に役割を放棄したらしく、台本と思しき手元の冊子を潔く閉じて退場していた。フローレン嬢とマルガレーテ嬢が顔を見合わせてアイコンタクトで「これどうしましょう」と相談しているのをちらりと一瞥したあとで、目の前でキラキラ金色に輝く果実を模した物体をひょいっと片手で持ち上げてみる。


「うーん。なぁ、王子さ………じゃなくて、王様。要するにこれ、この食べられない金色を“この場で一番綺麗な女神様”に渡せばとりあえずは収拾がつくんだよな?」

「そのとおりだぞう、狩猟神―――――お前はお前が思うまま、一番それに相応しいと思う女神に渡せばいいだけだ。この国とはなぁんの関わりもない異邦神のお前の判定に、誰も文句は付けないだろうさ」


掛け値なく、悪意もなしに、ただ本当に“私”自身がどうするのかを見たいという、そんな単純な理由だけで舞台劇を引っ掻き回したと思しき王子様が笑う。本気でしょうがねぇなこいつと呆れて肩を竦めたところで、立ち上がっても止められないから結局は皆この即興劇を楽しむことにしたのだろう。渦中の女神様役であるフローレン嬢やマルガレーテ嬢でさえ口を挟もうとしていないのがその証明に違いない―――――とは言え。


「いや、まぁ、ぶっちゃけ私この劇の土台になった話のことまじで何にも知らないから好き勝手にやらせてもらうんだけどさぁ―――――これ、悩む程のことでもなくない?」


本気で心底そう思ったのでさらっと口にした私の本音に、“王国民”である演者も観客も一様にして目を丸くする。気軽に一歩を踏み出せば、勝手に“異邦の狩猟神”だなんて仰々しい役割を押し付けられた私の行動を数多の視線が追い掛けてきた。フローレン嬢とマルガレーテ嬢、最も美しいという判断基準で“北の民”に選ばれるのは果たしてどちらなのだろう―――――もとい、どちらの女神が勝つのかと、彼らは拳を握り締めてその瞬間を待っている。

私の足が向く先には、神々の女王と愛の女神が背筋を伸ばして待っていた。やや緊張した面持ちで、少し張り詰めた空気感で、しかしどちらも自分が選ばれると信じて疑わない堂々たる態度で二人のお嬢様は立っている。


私は特に気負うでもなくごくごく自然体なまま―――――あっさりとその横を通り過ぎた。


「え」

「えっ」


二人分の困惑を文字通りその場に置き去りにして、すたすた歩いた先で止まって私は持っていた金色の食べられない果物を普通に差し出す―――――無言なのは流石に失礼なので、当たり障りがないであろう一応の礼儀の言葉を添えて。

ビックリした様子で固まっている一組の男女を前に、私は定型文を述べる。


「ご結婚おめでとうございます」

「えっ………えっ? あ、ありがとう………ございます………?」


芝居とはいえ殊勝な態度でシンプルに結婚を祝われた相手は、予想外過ぎる展開だったのか心ここにあらずの様子でお返しの文言を口にして、きっと惰性と反射から差し出された“黄金色の果実”を恭しく両手で受け取った。


「ちょっ………えっ、なんでそちらの彼女に!?」


ええええええええええ、みたいな意外性しか見当たらない悲鳴や雄叫びがあちらこちらから響き渡る中で心の底から意味が分からないと言わんばかりの質問をぶん投げてきたのは愛の女神様もとい今日も縦ロールがよく似合う系な美貌の持ち主マルガレーテ嬢。彼女の声があまりにも覇気に満ちていたからだろう、金色の塊を手にした花嫁役の“女神様”はびくりと肩を震わせた。

なんで、と聞かれたのがどうにも不思議で、だから私は首を傾げる。そうして、逆に問い返した。


「いや、なんでって言われても―――――だってこれ、結婚式なんだろ? どっかの国の王様と女神様の結婚式。だったら“この場で一番美しい女神”って、ここにいるこの花嫁の女神様のことじゃないの?」


ぴたり、と騒動が収まった。

唖然としている顔が見える。誰も何も異を唱えない。そこまで驚かれる理由が分からずこちらとしては困るしかない。

ふとある可能性に気が付いて、私は驚愕に目を見開いている二人の公爵令嬢もとい美を競う女神様たちに尋ねた。


「私はこっちの文化や風習にそこまで詳しいわけじゃないけど、『結婚式』ってモンの主役は花嫁さんだって教わったぞ。それってこの場で一番綺麗なのは花嫁さん、ってことだろう? 『花嫁が主役で花婿は端役で招待された側は基本ただのお客か彩りや飾りとほぼ同じ』って聞いてたんだけどそうじゃないのか? 私にそれを教えてくれたのは宿屋のチビちゃんだったけど、一応フローレ………ええと、そっちの女神様たちにも確認したら『結婚式の主役は花嫁さん』で間違いないって―――――え。あれ、嘘だったのか?」

「嘘じゃなくてよそうよねそうだわ結婚式の主役は花嫁さんだものね何一つ間違ってはいなくてよ――――――ッ!」


力強く肯定してくれるスタイルのマルガレーテ嬢だったが必死過ぎてどうしたんですかと心配になっちゃう取り乱しっぷりに落ち着いてくださいと言いたくなるな。彼女と並ぶフローレン嬢はどこか遠い目をしつつ、なるほど、と己を納得させるような口振りでぽつぽつと言葉を溢す。


「ああ………確かに私たち、あの時にはそう答えましたものね………なるほど、そういう理屈であれば、選ばれるのは“花嫁”である彼女で間違いないでしょう………というか、古来より伝わっている神話の類で特に気にせず受け入れていましたが―――――冷静に考えてみれば婚姻を祝いに来た側なのに祝宴をぶち壊す一端を担うとは神々の王の妻である以前に『結婚を司る女神』としての矜持が揺らぐというか何というか………『ジューン・ブライド』の由来とも言われている身としては些か品位に欠けていると言わざるを得ず………」

「そうね………『結婚を司る女神様に見守られている六月に式を挙げるから幸せな結婚生活がおくれる』と言われている由来の女神がやらかしているにも程があるわね………けれどもそれを言ったなら、私だって相当でしてよ。冷静に、現代の感覚に照らし合わせるのがそもそもの間違いな気もするのだけれど―――――それにしたって他所様の結婚式で『この場で一番美しいのは私』だなんて恥ずかしげもなくやり合うだなんて、いくら美を司る女神で己に自信があるにしたってもうちょっとやりようがあるでしょう………そもそも愛を司る女神でもあるわけだから、縁あって結ばれて愛し合う二人の門出を自己都合で台無しにしてしまうだなんてそれこそ女神の名折れではなくて………?」

「醜い………この場で一番美しいどころか誰よりも心根が卑しくて醜い………」

「いいえ、一番醜いのは対抗心をやたらと燃やして張り合った私の方よ………」


フローレン嬢とマルガレーテ嬢が珍しく二人揃って打ちひしがれているのだがあれは演技だよな演技だって言ってください想像以上に深刻なダメージ負ってるように見えるけど感情移入し過ぎじゃない? 舞台劇のちょっとアレな女神様要素に引き摺られて二人まで凹むことないと思うぞだって公爵令嬢であって女神じゃないじゃん二人とも。

あまりにも見事な演技だったせいか胸を打たれた観客多数、心を痛める者続出で涙さえ流しそうなお嬢さんたちから応援のメッセージが届いているのでフローレン嬢とマルガレーテ嬢はたぶん彼女たちに好かれている。

そんな中で勇気を振り絞ったらしいのはなんと同じ舞台上に居た花嫁女神役のお嬢さん、名前も知らない結婚式の主役は私が渡した金の果実を両手でぎゅうっと握り込みながら張り裂けんばかりに声を張った。


「お二人は、お二人はけしてそのような醜い者などではございません! 悪いのはすべてこの厄災の果実を投げ込んだ不和の女神に相違なく―――――あの者が争いの種さえ撒かなければ、このようなことなど起こらなかった筈です!!!」

「花嫁さん、余計なことだとは分かって上で言いたいからまぁ言っちゃうんだけどお祝い品をくれた相手にその態度はちょっとどうかと思うぞ」

「何をおっしゃってますのこの狩猟神様は!? あの女神が“この場で一番美しい女神へ”だなんてこんな余計なものを寄越さなければ………不和を招くあの忌まわしい女神が大人しくさえしていたら、この祝いの場はこんなにも騒然とはしなかったでしょうに!!!」


「いやこれぶっちゃけこっちが勝手に勘違いして無駄な騒ぎになっちゃってただけで不和の女神さん別に悪くなくない?」


しれっと言ったら本日二度目の沈黙が訪れたりしたのだけれど、今度の空気はなんというかどこまでも微妙なものがある。さっきよりも「コイツ何言ってるんだ」感が強いというかなんというか、自分の発言が間違っているのだと周囲に認識されているのがよく分かる居心地の悪さだった。いやまぁ言う程気にならないけど。

それまで成り行きを見守っていた頼りにならない王様が、周りが何をどう言おうかと言葉を探している間に先手を打って呑気に笑う。


「仲違いの天才を相手にそんなことを言うヤツは、きっとお前くらいだろうなぁ」

「そうは言うけどな、王様。不和の女神様だからってやることなすこと全部が全部仲違いさせるための嫌がらせだとは限んないだろ。ホントのことなんて私たちには一切まったく分かんないじゃん」


私は雑にそう結んで、ひょい、と肩を竦めてみせた。

この“王国”で言うところの神様とやらがどんなものかは詳しくないし知らないけれど、不和の神だろうが狩猟の神だろうがきっと「それだけ」で過ごしているわけではないんじゃないかとぼんやり思う。極論でしかないけれど、普通に誰かを祝ったり何かプレゼントだけでも贈ろうとの考えに至った可能性くらいはあってもいいんじゃなかろうか―――――まぁ、メッセージにやたらと含みを持たせたり食事の席のド真ん中に鈍器みたいな重さの物体投げ込むのは流石にどうかと思うけど。


「なるほど。お前の言うことも一理ある―――――が、ここはやっぱり『一人だけ結婚式に呼ばれてなかった腹癒せ』と考えるのが妥当だなぁって気もしない?」

「そうかもしれないしそうじゃないかもしれない、っていう可能性の話であって、正しいかそうじゃないかなんて私に分かるわけないだろ。知りたかったらそれこそこの場に不和の女神さんとやらを呼んで聞け―――――そもそも一人だけ呼ばない時点でトラブルの気配しかしないだろうが。そんな陰湿なことされたのに直接的な文句も言わず結婚式場に果物もどき放り込むだけで我慢したのはある意味すごいメンタルだと思うぞ」


自分勝手な理屈だと分かった上で言い切った、私の肩をとんとんと誰かが控えめに叩いた。そして振り向いてぎょっとする―――――何故だか号泣している十一番さんが溢れる涙を拭いながら、べっしょべしょに泣いて揺れる声で掠れ掠れに「どうぞ」と囁いて差し出して来たのは見覚えのある金色だった。なんで?


「何事なんだ十一番さん」

「今は“不和の女神”です………考え方の異なる優しさに触れて胸の高鳴りが抑えられなくなった結果急遽キャスティングされました………どうか、どうかあなた様にこちらの感極まった芸術科生が号泣しながら最速で仕上げた“真なる黄金色の果実”を是非ともお受け取りいただきたく………ウッ………」


言うべき台詞を言い終えて、溢れる涙がどうしようもなくなったのかダッシュで何処かへ走り去っていく十一番の背中を呆然と見送ることしか出来ない私。何故だか釣られて泣いているギャラリー各位の情緒が心配だがマルガレーテ嬢もこっそりと涙ぐんでいたりしたので全体的にもう不安。なにこれ。劇として大丈夫?


「え………なにこれどうしよう………とりあえずコレって食べられるやつ?」

「食用外の観賞用だ」


よく分からない状況下においてもブレないセスのお気遣いスキルが本当に頼もしくて安心する。でも食べられないなら私にとっては残念ながら無用の品だ。なので、くるりと身を翻してちょっぴり涙目の花婿さん―――いや結婚式の第二の主役なのに台詞が一切ないんだなこのひと―――の目の前にことりと金色の塊を置く。


「せっかくだしご夫婦お揃いでどうぞ」

「あ、ありがとうございまずぅぅぅぅぅ」


泣いた。何で泣いたのかまったく理由は分からないけれど天から授かった品物であると言わんばかりの感極まりっぷりで金色の果物もどきを捧げ持ちながら花婿役の男子が泣いた。なにこれもうホント意味分からん。

そんな気持ちで、どうするんだよとの非難を込めて馬鹿を見遣る。

フローレン嬢も「どうしますのコレ」と言わんばかりの眼差しを王子様に突き刺していたけれど、神の頂点にまで立ったトップオブ馬鹿は任せなさいと言わんばかりに小気味よく手を打ち鳴らした。

全員の視線が彼に向く。それこそ舞台劇の主役のように、怖気付くことも日和ることもない堂々たる王者の佇まいで、神々の王だか稀代の馬鹿だか底抜けにポジティブな王子様だかは朗々たる締め口上を開始した。


「かくしてその場は無事にまとまり、本当に、本当の意味で“すべて”の神々に祝福された人間の王と女神の婚姻の宴は和やかにその幕を閉じたのです。一件落着、めでたしめでたし―――――ところで、異邦の狩猟神は食べられない黄金色の果実よりむしろ普通の食べられる林檎の方が好みらしいぞう! はい学園果樹園ですくすく育った美味しい林檎の臨時提供所は右手壁側! 演者各位へのメッセージやプレゼントその他もあちら側で待機してるスタッフたちまで!!!!!」


叫ぶ民衆。立ち上がる人々。目の色を変えて待ってましたと食堂の一角に展開した十一番さん他受付スタッフへと突撃していく学生たちの手に何故かしっかりと握り締められた硬貨入れと思しき布袋―――――何が何だか分からないまま、しかし劇はちゃんと終わった。それだけを漠然と認識しながら、私は小さな声で呟く。


「結局なんだったんだ、これ」

「虚しくなるだけだぞ止めろ」


それ以上考えるんじゃねぇ、と教えてくれた三白眼は、どこか疲弊した表情でデザートのパイ料理を齧っていた。憐れみ交じりに分けてもらった香辛料の風味強めな食べ応えのあるアップルパイは美味しかった、とだけ記憶に残そう。



劇中劇もどきを完走していただいた画面の向こうのあなた様、まことにありがとうございます!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 結婚式で一番美しいと称されるのは新婦であるべきですよね。 妖精さんは良いこと言うなぁ。 [気になる点] 腹癒せは普通に腹いせと表記した方がよくないです? 私のスマホでは変換出てきませんし…
[気になる点] リンゴを割るかと思った自分の発想がまだまだだなと思った。 [一言] この王子に王位につかせるのは危険だなぁ。 もし王妃になったフローレン嬢が病気になったり不慮の事故で早世したら国ピンチ…
[良い点] 良いのか悪いのか?  とにもかくにも、一番舞台に上げちゃいけないアドリブ野郎が、将来のこの国のトップ! めげない、その性格は✿の◎だけど。 [気になる点] 最高峰の淑女二人に対抗馬とし…
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