第78話 盗聴者の寵愛
一難去って、また一難。
セリアにバレてなかった事を喜べばいいのか、まだセリアにバレてた方がマシだっったのか――頭の中で様々な暗い感情が混ざり合う。
これまであの人の言動に引いたり恐怖を感じたりした事は多々あるものの、ハッキリとした嫌悪感を抱いたのはこれが初めてかもしれない。
「……人の話を盗聴するなんて、酷くない? 皇家にチクっていい?」
やっと、それだけ言えた。
皇家がツヴェルフを守るのなら、この事をチクればあの人の館に行かなくても済むかもしれない。
他の誰の子を産む気もないツヴェルフでも守ってくれるのか分からないけど。
だけど私の提案にセリアは静かに首を横に振る。
「無理です。盗聴の魔力を感知した訳ではなく、ダグラス様の表情や態度の変化から盗聴したのでは、と推測しただけなので……もし皇家に報告しても証拠を出せず、あの方がシラを切れば処罰されるのは……」
私に虚偽を吹き込んだとして、セリアが処罰される――という流れになるという事か。面倒な状況だ。
それにしても、魔法を使ったという確証が無いのに盗聴したと推測するなんて――そんなに分かりやすい変化があったのだろうか?
「……とりあえず、ダグラスさんがいつから来ていつ頃帰ったのか、彼の様子を含めて話してくれる?」
とにかく、何を聞かれてしまったのかを早く確認しなければ。
「ダグラス様が来られたのは私達が部屋を出て、3分も経ってない頃だと思います。最初は穏やかで比較的機嫌が良い感じでした。アスカ様へ贈られるつもりだったのでしょう、それはもう一目見るだけで最高級の布地と分かる美しい漆黒のスレンダーラインのドレスを腕にかけて持って来られていましたし……」
私の質問にセリアは丁寧に答えていく。この様子を聞く限り、昨日の頬を赤く染めた彼は幻ではないようだ。
「挨拶すると『アスカさんは?』と聞かれたので今からこの部屋で好きな人を語るから出るようにと言われた事を伝えたところ、ダグラス様の表情が固まり、アンナ様の部屋の前にじっと立ちつくされて……」
もうその情報だけで(あ、これ盗聴されたわ)と確信してしまう――と言うか、盗聴しようと決心するの、早すぎない?
私だって、好きな人が今から好きな人を語ると言われたら悩んだ挙句ドアにちょっと耳をあてる位の事はしてしまうかもしれない。
でも他人がいる前でそれをする勇気はないし、実際に行動に出る前に色々葛藤すると思う。
咄嗟の事とは言え、『好きな人を語る』という嘘は失敗だったなと後悔する。
思い返せば今日の夕方位に彼が来るかもしれない、という情報は事前にセリアから聞いていたのに、その事をすっかり忘れてしまっていた。
いや、それでも盗聴されるとは思ってなかったけど――完全に油断していた。
「……どの位立ってたの?」
大体どの辺りから聞かれているのかは推測できた。後は、何処まで聞かれていたかだ。
「立っていたのは3、4分位……でしょうか。ドアの目の前におられたので表情の変化は見えませんでしたが、フルフル震えられた後、形容しがたい表情でこちらを振りかえり、そのまま何も言わずに帰られました」
聞かれていた時間が想像していたより、ずっと短い。
「怒ってた?」
「怒ってたというよりは、戸惑いというか、ショックというか、茫然というか……それでそのまま昨日みたいに覚束ない足取りで去っていかれました」
セリアから聞き取った情報にひとまず落ち着きを取り戻し、スープに口をつける。少し温くなってしまったスープがすっかり乾いてしまっていた喉を潤していく。
時間的にも状況的にも、本当にヤバい事は聞かれていなさそうだ。
地球に帰る為に色々動いてるとか、あの2、3ヶ月で帰りたいという彼への明確な裏切りを聞けば、まず怒りが先に出るはず。
そしてあの人の反応から導き出されるのは、聞かれたとしたら恐らく――
『この世界で恋愛するっていう選択肢は私には無いの』
ショックを受けるとしたらこの辺りだろうか? 他にそういう反応をされるような発言は無かったと思う。
これまでだったら気にも留めない発言だと思うけど昨日のあの人はどう見ても私に好意を寄せている感じだったし、何より<私の好きな人語り>を盗聴してる時点で私の自意識過剰とは思えない。
とりあえず最悪の状況は免れた事が分かって食欲が戻ってきたので再びパンを齧りウインナーを頬張る中、セリアが深いため息をついて呟く。
「私、てっきりアスカ様はダグラス様について語るとばかり思ってました……テレパシーで事前に誰について語るのか確認しておけば良かったですね。そうすればダグラス様を誤魔化せたのに……」
いや、もしあの時セリアに聞かれたら彼の名前を出していた。確認しても結果は同じだっただろう。口の中の物をしっかり飲み込んでから、尋ねる。
「ねぇ、セリア……私があの人について語らなかった事怒ってる?」
「いいえ……今日、ダンビュライトの館で何かあったのだろうとは思ってましたし、アスカ様のお立場的にいつどちらに心揺れても……いえ、両方に心惹かれても仕方がない状況です。アスカ様の複雑な心情に口を出すつもりはございません」
(あ、これ、セリアは私がクラウスについて語ったと思ってる)
だけど訂正する言葉も思いつかず、悩んでいるうちにセリアの言葉が続く。
「……アスカ様、問題はここからです。ダグラス様が持って来られたドレスは恐らくアスカ様がここを出る時の為に作られた物です」
いや盗聴も十分問題でしょ? と言いたいけどこれ以上の問題があるようなセリアの言い方が気になり、言葉を飲み込む。
「ああ……アンナの部屋でジャンヌが言ってたドレスの事?」
ジャンヌが見せてくれた、豪華な真紅のドレス――アンナはもう今日からアシュレーの家に行く事になってしまったから、あのドレスを着た彼女を見る機会が無くなってしまったけど。
「ツヴェルフがここを出る時、着飾って婚約リボンを身に着け、中央ホールまで迎えに来た婚約者の手を取り、婚約者の家の馬車に乗るのですが……その時の為に相手から贈られる衣服は<寵愛>の象徴です。もし、今回の件や今日の叫び合いがダグラス様の耳に入る事で、アスカ様にドレス渡すの止めようと思われたら厄介な事になります」
こちらとしては妖しいオーラ出されたり私の想い人を確認する為に盗聴してくる今の状況より、以前のように敬意はあるけど好意は無い状況に戻ってくれた方がずっと助かるんだけど――セリアの表情が鬼気迫ってるので何も言わずに次の言葉を待つ。
「アスカ様もご存じの通り、有力貴族にとって<恋愛>と<子づくり>は別物……なので、寵愛が無い場合は皇城にあるドレスで全く問題ないのです。しかしアスカ様があの方から特別な寵愛を受けておられるのは誰もが知る所……そのアスカ様が皇城のドレスを着て城を出るなんて事になれば、ダグラス様の、アスカ様に対する関心が薄れている事が周囲に知れ渡る事になります」
「それの何が不味いの?」
「黒の公爵がアスカ様に興味を無くしている、と周囲に思われた時、アスカ様に敵意を持つ他の公爵家……あるいは公爵家と懇意にしている侯爵家や伯爵家の人間が現れたら厄介です。ダグラス様が魔物狩りの際に馬車で言っておられたとおり、どこの公爵家も他の公爵家と対立するのは極力避けたい。公爵家の対立を避ける為にダグラス様が興味を無くしたアスカ様を手放す可能性は十分考えられます」
「でも、その時は皇家が……」
「アスカ様、確かに皇家はツヴェルフに危害を加えた者に制裁を加えます。ですがその時、アスカ様が無事でいるとは限りません」
セリアは感情のこもっていない口調で、キッパリと言い切る。
確かに――エレンに絡まれて痛めつけられた私はクラウスが治してくれたから五体満足でいられてるだけで、もしその場にクラウスがいなかったら、もしエレンが本気で私を殺しにかかってきていたら――その可能性が今更脳裏を巡り、背筋が寒くなる。
エレンはあの時、私を殺そうと思えば殺せたのだ。
改めて、自分が置かれた状況を客観的にとらえてみる。訓練場で私達を見る周りの騎士や兵士の視線も、けして好意的ではなかった。
もし彼が私を見捨てれば、その好意的ではない視線はどんな風に変わるだろうか?
他のツヴェルフと違い、彼にしか求められていない器を持つ私を、皇家はどんな風に扱うのだろうか?
そこまで考えて、本当に私は彼の気分一つで突き落とされる崖っぷちに立たされてる事を痛感させられる。
「……アスカ様が人の婚約者候補に粉をかけているという噂の上に、アスカ様が語った好きな人は自分ではなく異父弟……今日の出来事はダグラス様にかなりダメージを与えるのではないかと」
説明されればされるほど、自分が取り返しのつかない酷い事をしてしまった気になってしまう。
(……しっかりしろ、私。盗聴してきた相手に気を使わなければならないこの状況が異常だという事を忘れちゃダメだ)
「アスカ様は明日明後日、朝はクラウス様の家に行かれるのですよね……? 私、その間に万が一に備えて代わりになるようなドレスが無いか探してみます。アスカ様はクラウス様と親睦を深めつつ、ダグラス様の機嫌を取る方法を探してみてください」
「え……こんな状況なのに、私、クラウスの所に行っていいの?」
セリアの意外な提案に思わず質問すると、セリアは人差し指を立てて微笑む。
「勿論、ダグラス様が勝手に立ち直られるか、あるいはこちらからフォローを入れてドレスを贈られるのが最もベストな流れです。しかしダグラス様から婚約破棄される可能性もゼロではございません……その場合はクラウス様を頼る事になります。どの流れになっても大丈夫なようにあらゆる対策を立てておく……それはとても大事な事です」
セリアのポジティブな思考に大分救われる。だけどクラウスにはソフィアを匿ってもらう事になってる以上、婚約破棄の際にクラウスを頼る訳にはいかない。
明日はダンビュライトの館に行くにしても――今後は控えた方が良いのかもしれない。
「ここを出るのは3日後……猶予は明日明後日しかありません。何か贈り物をされたり、何処かお出かけにお誘いしたり……」
セリアが色々提案してくれるけど今日一日頭を酷使しすぎたせいもあってか全く良い案が思いつかない。
唐突な難題を前に肘をつき、ぼんやりと空になった食器を眺めている間に20時を告げる鐘が鳴った。




