CONVERGE
暖かな太陽の光を浴びながら、海に浮かんでゆったりとした心地だった。真っ白い砂浜、雲一つない青空、波は穏やかだった。雷鳴が遠くで聞こえたと思うと、しばらくして雨が降り出した。スコールだ。ふわりとした感覚になって上下の区別がつかなくなると、落ちていくような感覚にとらわれた。
溺れる! と思って目を覚ますと、私は壁に手を伸ばしていた。腕に着けている小型端末のアラームが鳴っていた。夢をみていたのだ。アラームを止めて、あくびとともに伸びをした。
ちょうど両手を広げたほどの直径の円筒形で、やわらかい暖色系の照明に照らされているこの場所は無重力だった。宇宙船の中心軸にあたる場所だった。とりわけ特別な用途があるわけではなかったが、時々訪れては昼寝をするのが習慣になっていた。
さて、司令室に戻るとしよう。この船は回転運動によって人工重力を生み出している。梯子を伝って降りると、徐々にその重力を感じた。
指令室は船内で、もっとも広い空間を有していた。それから、人が横になって入るくらいの大きさのポッドに近づいた。それには小窓があって、中で眠っている彼女の横顔が見えた。
「おはよう」と、その横顔に向かって小さくつぶやいた。
この船の乗員は、私とこのポッド内で眠り続けている彼女の二人だけ。あとは、ハルという愛称の人工知能だった。船内で仕事をこなすために欠かせない相棒であり、唯一の話相手でもあった。ただ、私は自分がどうしてここにいるのかしらない。というより、覚えていない。ハルと共に、彼女を連れて目的地まで連れていくことを厳命されているということだけは知っている。でも、彼女の名前を知らない。それに目的地も知らない。私は自分の名前も覚えていなかった。このことを考えるたびに、記憶処理という言葉が頭に浮かんだ。
つまりは、なにか理由があるのだろうということだけだった。それに、深く考えることもしなかった。ハルは私のことを主任と呼んでいた。ただ、ハルだけは向かう場所も任務の目的も知っているような様子だった。でも、それについて質問しても
「本船は指定航路を順調に航行中です」
とだけしか答えてくれなかった。
さらに突っ込んで訊いてみても、どこかふてくされた口調になって、
「規則ですから、お答えできません。しょうがありませんよ。それよりお茶にしましょう。休息は必要です」
なんて言って、強引にはぐらかすこともあった。
もう、ここまで来ると、ただただ苦笑して引き下がるしかなかった。いずれにしても、それでなにか困るということもなかった。
日常のルーティンは船内のシステムチェックと巡回点検。自分のことに関する記憶は、まったくといっていいほど覚えていないのに、必要な作業や仕事の知識は思い出せた。それに、作業の手順は身体が覚えているという感じもあった。それにいざとなれば、すぐにハルがサポートしてくれた。
あとは一日二回の食事と、体力維持のために必要な運動。プライベートな時間も多くあって、ライブラリから端末にデータを呼び出して音楽を聴いたり書籍を読んだり、時にはハルとカードやチェスとかのゲームを交わしたりして過ごす。言葉にして並べてみると、単調な日々のようにも思うが、私としてはどこか幸福を感じていた。彼女が起きてくれていれば、もっと良かったかもしれないと思うときもあるのだが……。
あるとき、警報が鳴り響いた。私は即座に内外兼用簡易作業与圧服を身に着けると当該区画へと向かった。こうした事態は初めてではない。これまでにも機械の劣化や誤作動で警報が出たことある。
場所は通常電源室の一つだった。入り口まで来ると、もう一度与圧服をチェックしてから周辺区画を手動閉鎖した。万が一のエア漏れ、火災や汚染の拡大を防ぐための措置だった。
「ハル! 警報はまだ鳴っているか?」
インカムを通じて聞くとすぐに答えがあった。
「警報は継続中です。原因はまだ不明です」
システム異常の警報だったが、何が起きているのか、はっきりしなった。
僕は電源室入り口扉の閉鎖を解除した。
中には電源装置の一式がパッケージングされて置かれている。仮にも火災なら自動消火装置が働くはずだし、冷却水やエア漏れといったものなら計器に数値が出るはずだ。だが、そういった異常はなさそうだった。とすれば回路異常かなにかかもしれない。
扉を開け、私は呆然とした。
目の前には、広大な空間が広がっていた。本来なら、ここは狭い部屋だ。天井だって、ちょっと屈まないと頭がつきそうなくらいの高さしかないはずだ。しかし今は、見上げるくらいの高さと、途方もなく思える奥行きがあった。
目に見える範囲で部屋の床や壁は、灰色の無機質な鋼板のようだった。それで、大部分が錆や油のような、それとグリスのような濃い緑や赤黒い色に汚れ、くすんだ蒸気が満ちていた。一見は、どこか工場のような印象だった。さらにずっと向こう側には、巨大な歯車とクランクのようなものが組み合わさった機械がゆっくりと動作していた。ヘルメット越しであっても、グリスや金属臭の混ざった、なにか悪臭のようなものを感じるような気がした。そして人影と思しきものが複数見えて、思わず扉を閉めた。
何が起きているというのだ!
今のはいったいなんだ? 気分の悪さと吐き気が込み上げてきたが、ぐっと堪えた。
「警報が解除になりました」
ハルの声が聞こえた。だが、すぐに答えられなかった。
「主任、大丈夫ですか?」
「ああ……なんとか」
「警報は先ほど、解除されました」
「了解」
深呼吸した。もう一度隔壁扉を開けて、中を確かめようと。
ゆっくりと慎重に、扉を開けた。が、中は見覚えのある電源室だった。狭い部屋で、壁は他と同じくきれいなオフホワイトカラーだった。中央にはユニット化された装置が据え置かれていた。
私はもう一度深呼吸をすると、慎重に部屋の中へ進んだ。なんら異常は認められなかった。
「主任、大丈夫ですか?」ハルが聞いてきた。「一時的に、バイタルに若干の乱れがありました」
「ああ……大丈夫だよハル。それより警報の原因が分からない。機械は外観に異常はない」
「了解しました」
それから、目の前にある機械の操作パネルを触った。システムのセルフチェックを実行させたが、なんら異常は発見できなかった。点検蓋を開けて中も直接見が、特に異常はなさそうだった。すべてを元通りの状態にすると、司令室に戻った。
それから服を着替えて、診察室へ向かった。
「チーフ、どうしましたか?」ハルが心配そうな声で聞いてきた。
「いや、ちょっと気分が悪くなってね。念のため」
「了解しました」
先ほどの電源室で見た、あのあり得ない光景が幻覚なら、なにか身体に異常があるかもしれないと思った。
もちろん、診察室といっても誰か医者がいるわけではない。部屋にある器具を自分で身に着けて、血圧や心電図を測る。それに脳波の測定もできたし、無痛採血で血液検査も可能だった。もちろん、必要ならハルがサポートしてくれる。一応、すべての項目について検査をすることにした。
しばらくしないうちに、すべての検査結果が出そろったが、特に目を引くものはなかった。つまり、異常なし。備考欄にはやや疲労の傾向有りとだけあった。とすれば、あの光景は何だったのだろうか? あるいは、一瞬気を失って夢でも見ていたのだろうか? とにかく、身体には異常もないし、様子をみることにするほかなかった。
真夜中、就寝室で寝ていたが、ハッとして目が覚めた。理由は分からない。とにかく起きて廊下へ出た。夜間モードで、船内は照度が下がって、濃い目の暖色系の照明がともっていた。いつもと同じだ。
どこからか、物音がしているような気がした。どかかでなにか、叩くような音。ぼんやりとした感じだ。私はゆっくりと船内を移動した。司令室から音が聞こえているような気がしたのだ。そのとき、ひとつの考えが浮かんだ。あのポッド、彼女が目を覚ましているのではないか? そう考えると、駆け足で司令室に向かった。
すぐにポッドに近寄って、のぞき窓から中の様子をうかがうと、恐怖におびえる彼女の顔がこちらを向いていた。彼女はしきりに内側を叩いていた。声は聞こえなかった。しかし、その口の動きからは、
〈ここから出して!〉
と言っているのがはっきりと分かった。
しかし、開け方を私は知らない。知らされていなかった。
「ハル! このポッドを開けるんだ」
叫ぶように言ったが、応答がなかった。ポッドの隅々に手をあてたが、ノブどころか継ぎ目も無いように思われた。
「ハル! 聞こえないのか? ポッドの解錠方法を、」
その途端、照明が落ちて真っ暗になった。ガサガサとした耳障りな音とともに、落下する感覚に襲われた。
違う、重力が失われたのだ。何が起きたのか、咄嗟には分からなかった。大事故の発生……そんなことを思いつたとき、静寂があたりを包んだ。
明かりが戻ったと思うと、ベッドから落ちて床にぶつかる寸前だった。
「うっ、痛っ」
そのまま床にぶつかった。
船内の照明は、すでに昼間モードへ切り替わっていた。
「主任! 大丈夫ですか?」
ハルの声が聞こえた。「ベッドから落ちたようですね。お怪我はないですか?」
私は頭を軽くさすりながら、ゆっくりと起き上がった。
「ああ、多分、大丈夫」
それから、先ほどまでの出来事を思い出した。
「ハル! ポッドの彼女は?」
それから部屋を出て司令室に向かった。
「主任、どうしたのですか?」
「夜中、起きていたんだ。彼女が閉じ込められてる! 早く開けてないと」
「主任、落ち着いてください」
部屋に入るなりポッドのそばに駆け寄った。
「ハル! 彼女は目を覚ましていたんだ」のぞき窓から中を見た。
しかし、彼女はこれまでと同じ様子で、穏やかな表情で寝ている横顔が見えるだけだった。
「どうしたのですか? 私は二十四時間の管理体制です。彼女が目を覚ました事実はありません」
「でも、昨晩、」私は肩を落とした。
もう一度のぞき窓から彼女の横顔を見た。これまで何度も見ていた。まったく、これまでと同じ様子だった。
「じゃあ、あれは、夢を見ていたのか……」
「彼女が目を覚ました様子はありません。主任のおっしゃる通り、夢を見ていたのではないでしょうか? どうもお疲れの様子に思われます。本日はルーティンを変更して、休息されてはいかがでしょう?」
「いや、」
たしかに、疲労感があるような気はした。が、かまわなかった。
「とりあえず、いつも通りでいいよ。途中で様子をみて考えることにする」
「了解しました」
今日のルーティンは、船の後端部にある機械室のチェックだった。ポンプ機器や冷却剤とか循環系システムがメインに置かれている部屋だ。
どうしてこんな設計になっているのか知らないが、そこへ行くには一度、船外に出る必要があった。空調ダクトは繋がっているくせに、人が通れる通路を船内でつなげようとは思わなかったらしい。まあ、ぼやいても始まらない。それに、これが初めてというわけではなかった。それに、ほんの少しの間だが、宇宙を直に眺められるのは嫌いじゃないかった。
作業用与圧服を三度も確認した。空気が漏れようものなら一大事だった。安全帯も同じく確認する。無重力区画から専用チャンバー経由で外殻の外へ出ることができた。円柱状の船の内側に立っているから、外へ出るときは、さながら下に向かって降りていくような感じだった。
足元には漆黒の宇宙空間が見えた。ところどころに星か、あるいは銀河なのか、点々と輝いているものが見えた。比較すべきものがないから、船はまるで動いていないかのように見えるが、相対的には、とてつもない速度で進んでいるはずだった。
「チーフ、順調ですか?」インカムからハルの声が聞こえた。
「ああ、大丈夫だ」
私は左右の手すりにそれぞれ、安全帯の金具を取り付けた。通路はだいたい一〇メートル足らず。金網と手すりだけで、見た目は非常に頼りなった。前を見ながら手すりを掴んで、泳ぐような感じで進んでいった。
到着した先にも、来るときとまったく同じ型のエアロックがある。面白いことに、扉は完全な機械式だ。もっとも、モータや電子機械を使っていたら、極低温や宇宙線の影響でうまく作動しない可能性もあるだろう。ハンドルだけは若干の余分な力が要るが、直感的に操作できて動きも滑らかだった。
何も知らない私が、文句を言うべきではないかもしれないが、この船は全体でみると、どこかちぐはぐで微妙な設計に思えた。だが、細部は唸るほど上手くできていると思うことも多々あった。
エアロックを無事に抜けたら、すぐに機械室だ。この部屋もそんなに広いところではない。理由は当然、居住スペースではないからだ。
室内の気圧、酸素濃度、気温を確かめると与圧服のヘルメットを外した。大きくため息をついた。ほんの少し寒さを感じたが、この部屋はこんなものだった。それから手袋も外す。別に与圧服を全て身につけたままでも作業はできるが、外していた方が能率がよかった。もちろん、万が一に備えてすぐに身に着けられる状態にしておく必要はあったが。
作業はいつも通り、それぞれの機械のセルフチェックを起動するのと、細部までの外観チェック、他はこまごまとした数値の確認だった。
装置の下部を見るためにかがんで作業をしていたときだった。ふと、なにか感じて部屋の隅に視線を移した。
誰かが私の顔を見ていたら、きっととんでもない間抜けな表情をしているようにみえただろう。あまりのことにぽかんとなった。
猫がいる!?
黒猫で、その黄色っぽい目が、こちらをじっと見ていた。この船に動物はいないはずだ。ましてや、外は宇宙空間。どこからか入ってきたわけではないだろう。
私が立ち上がると、猫は素早く走りだし、開けっ放しの隣の部屋につながる扉へ向かった。
「待て!」
思わず口に出して、その猫を追いかけた。隣の部屋も同じほどの広さしかない。しかも行き止まりだ。いや、正確にはエンジンルームにつながる通路がある。だが、さらにその先は厳重なエアロックになっていて、さらに先は空気も酸素もゼロだ。エンジンや推進機構に関しては完全に独立したシステムで、よほどのトラブルや緊急事態が発生しない限り、手を出す必要はなかった。
部屋に入ると扉を閉めた。これで猫は逃げ出せるはずがなかった。
「ハル? 聞こえるか?」
しかし、返事がなかった。「ハル? とんでもないことが起きてる。猫がいたんだ」
私はゆっくりと部屋を見渡した。どこに隠れたというんだ? それから静かに、ゆっくりとかがんで機械の下を覗き込んだ。いた。機械の下のわずかな隙間に身をうずめていた。
小さな声で猫に呼び掛けた。
「こっちに来い」
しかし、その猫は私のことを睨んだかと思うと向こう側に、駆け出した。
「まったく!」
それから起き上がって、驚愕した。
エンジンルームにつながる通路の扉が、少し開いていたのだ! そんな馬鹿な。扉は三重のロックがついているはずで、簡単なことでは開かないはずだった。ましてや猫なんかに開けられるわけなかった。そして、その隙間にするりと入って行く小さな黒い姿があった。
なんてことだ。まさか、ほんとうに猫の仕業ではあるまい。すぐ追いかけたが、通路に猫の姿はなかった。さらに突き当りの扉まで進んで、小窓を覗いた。だが、向こうに見えたのはエンジンルームではなかった。
息をのんだ。まさか、まるでどこか、大都会の裏通りのような景色があった。どんよりと曇っていて霧のような雨が降っているみたいだった。人の姿は見えなくて、黒猫が一匹、道の向こう側に向かって小走りに進んでいくと、そのままどこかへ姿を消した。
私は危うく、与圧服のヘルメットを着けないでエアロックのドアを開けるところだった。
全身の力が抜けるような思いで、その場にかがみこんだ。幻覚だ……これは幻覚に違いない。気がおかしくなったのか? ほかに説明のしようがなかった。
「主任! 応答してください!」
緊張のこもったハルの声がインカムから聞こえて、我に返った。
「ああ、聞こえた」そう答えて立ち上がった。
扉の向こうにはまだ都会の景色が見えていたが、徐々に暗くなり始めていた。
「これは、問題発生だ」
「どのような問題ですか? こちらのモニターでは問題は確認できません」
「とにかく司令室に戻る」
「どうしたのですか?」
「気分が悪い」
それだけ言って、それから機械室をもとの状態に戻す作業にかかった。セルフチェックでは異常はなかった。黒猫のことなんてどうでもいい。どうせ幻覚なら設備に害はないはずだ。
今一度深呼吸した。機械は全部元通りにもどして、扉がすべて閉じていることを何度も確かめた。それから自分の与圧服も何度も確かめた。
「よし」
エアロックに入り、今一度服装を確認した。それから減圧、閉鎖が自動解除となったのを確かめて外へ出た。早足で通路を進んで戻った。
司令室に戻るまで、なんだか生きた心地がしなかった。
「主任、どのような問題が発生したのですか?」
服を着替えていると、ハルが聞いてきた。
「設備に問題はない。私自身に問題があるみたいだ」
「はい?」
私の言葉に、ハルは一瞬、戸惑っているかの様子だった。
「しかし、前回の検査では異常ありませんでした」
「でもさっき、幻覚が見えたんだ。機械室の中に黒猫がいたんだ! しかも、そいつは歩いて行って、エンジンルームの方へ入って消えていった。それに、それにエンジンルームにつながる扉の先には、まるでここじゃない、どことも知らない景色が見えたんだ」
「チーフ、落ち着いてください」
「ああ、でもこんなんじゃ、」
デスクのそばの椅子に座ってため息をついた。
「検査では、心理検査も行ないますか?」
「言われなくても、分かってる」
それから、すぐに検査にかかった。今度は頭部のCTやレントゲンといった器質的な面は徹底的に検査することにした。ただ、もし脳腫瘍でも見つかったときには、処置などできなかった。
ともあれ検査自体には、さほどの時間はかからなった。が、結果がでるには少し時間が必要なようだ。特に心理検査は。そして、司令室に戻ってみるとハルが言った。
「先ほどの作業時ですが、ログを再確認したところ通信に障害が発生していました」
「なんだって?」
「普通ならあり得ない事態です」
「だが、お互い呼びかけが聞こえなかった理由はそれか。私にもログを見せてくれ」
それから端末を手に取って、画面を表示した。
ログをざっと見ると、ちょうど機械室で猫がいるのを見つけたあたりから通信障害が発生していた。まさか、幻覚が見えたのとと何か関係でもあるというのだろうか。
「ハル、それらしい原因は分かったのかい?」
「いいえ、不明です」
そのとき、とっさに思い浮かんだことがあった。
「ハル! まさか強力な宇宙線や、電離放射線じゃないよな?」
「それはあり得ません。船内外のどのセンサーも基準値内でした。現在もです。異常があれば警報が出ます」
確かに、それもそうだ。ましてや巨大な恒星の近くや、X線のジェットを吐き出しているパルサーがあるわけでもない。それにもし、電磁波の影響なら幻覚だけは済まないだろう。
大きくため息をついてから立ち上がった。それから飲み物の取り出し口があるところへ向かった。
「チーフ、食事にいたしますか?」ハルが聞いてきた。
「いや、まだいいよ」
コップを取り出してコーヒーを注いだ。それから今回は、砂糖とミルクも追加した。船の中では数少ない嗜好品の一つだった。だが、コーヒーそのものはカフェインレス仕様だった。もちろん酒なんてものもないし、清涼飲料水もなかった。食事は完全栄養食で、味はバリエーション豊富だが見た目はどれも似たり寄ったりの固形食だった。過去に自分自身がグルメだったかどうかは知らないが、とにかく食事に不満はなかった。
そんなことを思いながらデスクに戻り、コーヒーを飲んで一息ついた。
検査の結果が出そろった。いずれも異常なしだった。やはり精神的なものかと思ったが、心理検査の項目をみても、さしたる異常は無いとのことであった。