村での戦い⑦〜戦う理由〜
リオンは愕然とした。
喧騒と怒声が響き渡る。
男衆がくだらない話で盛り上がりながら羊の世話をし、女達が亭主の愚痴で井戸端で談笑するような、いつもの平和な村は何処にもない。
異形の襲撃者達は、村人を食い殺し、奪い、犯さんと迫り来る。対する村人達も槍で突き、弓で射掛け、必死に抵抗している。
地面には鮮血が染み、倒れ伏す魔物と人の屍。
昨日まで普通に会話していた知り合いが、今日には物言わぬ屍に変わり果てている。
(なんなんだ……なんでこんな事に……)
すぐそばに、食い殺された無惨な村人の死体があった。
「う……オェェ…………」
リオンはそれを見て、堪らず吐瀉物を吐き出す。少年は人の死体など見るのは初めてだった。
少し前まで生きていた者が、無惨な肉塊に成り果てていたのだ。
「う、ハァ……ハァ……」
胃の中のものを吐き出し、落ち着いたものの顔は青白い。
「これは……もしかしてさっきの狼に…………?」
無惨に変わり果てた屍を見て、弱々しく呟く。
「こんな……酷い……。これが戦うって事なの……」
姉と狼の群れを撃退し、村でゴブリンの群れも追い返した。
少しは戦えるようになったと自分でも思っていた。
しかし、走っていく中で傷だらけの男たちや、足を食いちぎられて避難所へ運ばれていく村人を数人見かけていた。
そして目の前の村人の死体を見てリオンは思い知った。
(これが、戦うということ……負けたら命を落とす……)
姉との模擬戦では、ボコボコにされるものの命まで取られる事など無い。
その延長線上で、戦っていたことにリオンは気づいた。そして同時に恐怖した。
今まで姉が一緒にいたから守られていた。先程のデッドウルフとのやり取りでも、一つ間違えればあそこで食われていたのだと。
手が震える。脚も。顔が強張り、唇を噛み締める。
そう認識した途端に、リオンの心は急速に恐怖に染められてゆく。
恐怖で声が上手く出ない。亡くなったものへの哀れみか、魔物に対する恐怖か、少年の目から涙が溢れる。
「う……うぁ……」
その時だった……。
一陣の風が吹いた。
リオンの頬を優しく撫で、コバルトブルーの髪が風に揺れてなびく。
『……前を向いて』
「…………っえ……?」
優しい風と一緒にどこからか言葉が紡がれる。男とも女とも分からない中性的な声、しっとりと風にとけてゆくような響きだ。
リオンは辺りを見回すが、自分以外誰もいない。
「誰……?」
『前を向いて、自分の目で見て……。あそこで戦っているのは誰……?』
「あれは…………姉さん」
リオンは声に言われるままに前を向き涙で滲んだ目をこらす。そこには、柵の外側で戦うソニアの姿があった。
『彼女は…………なんの為に、戦うの?』
「なんの為……? それは……姉さんは、強いから…………」
誰の声なのかも分からなかったが、不思議と無視するような気にはならなかった。
リオンは少し考えて、そう答える。
『強いね……。だけど、そうじゃない』
「……え?」
『強いから戦うんじゃない』
風に運ばれる声は優しげに、しかし強い意志を持って否定した。
『誰かを守るために戦っているんだ』
「……ぅあ…………」
リオンは目を見開いた。
柵の外で、数多の狼に囲まれながら戦う姉は確かに強い。
が、それは戦う理由にはならない。
彼女は村を守る為に戦っている。ひいては弟の命を、村の者の命をおぞましき魔物から守る為に。そしてそれは彼女だけでは無い。見張り台から弓を射掛ける男たちも、必死に怪我人を避難所に運ぶ者も、力及ばず地に伏した者も、自分の叔父のラウルだってそうだ。
「守りたいものがあるから戦う……、命を懸けて……」
『そうさ』
「怖くても、死ぬかもしれないのに……それでも」
『そうさ』
「僕だって……僕だって守りたい。姉さんや、ラウル叔父さん、エレナ、村の皆んな」
『そうだね』
「け、けど、手が震える……。怖いんだ。少し戦えるようになったって自惚れてたんだ。大怪我するかもしれないし、もしかしたら死ぬかもしれない……。戦うことがこんなに恐ろしいなんて……」
リオンは縛られた腕を前に出し、手のひらを見つめた。両の手は震え、流れた涙の雫がポツリと手のひらに落ちる。
『そうだね、確かに怖いかもしれない。でも』
『きっと大事な人を失うことの方が怖い』
「う……あ……」
リオンは何故か涙が溢れて止まらなかった。
(姉さんを、ラウル叔父さんを、エレナを……村の皆を失ってしまったら……。そんな、そんなの。きっと後悔する、死ぬほど! 何も出来なかった自分に! 動かなかった自分に! だけど……)
「こんな…………弱い僕に……できるかな……。こんな弱い僕なんかに……」
リオンはボロボロの自分を見て呟いた。
『できるさ!』
しかし、風に運ばれて届く声はリオンの疑問を強く肯定した。
『大丈夫……忘れないで、なんの為に戦うのかを。忘れないで、恐怖に打ち勝つのは前に進もうとする意志だという事を』
風に響く声は続ける。
『諦めないで。君の守りたいものを、そして君自身を信じるんだ…………。そうすれば君は……』
やがて、風に響く声は聞こえなくなった。
「今のは…………え、あれ!?」
リオンの腕を縛っていた縄はいつの間にか綺麗に解かれて地面に落ちていた。そして、目の前には訓練で使っていた木剣と、鉄の盾がそっと置かれていた。
リオンは自由になった手でそれらを拾う。先程までの震えはいつの間にか消えていた。
「僕は……弱いかもしれない……だけど、」
盾を握る手に力を込める。
「皆を守る為に、戦う!」
そして少年は、
姉が戦う南側の柵とは逆の方向へ走り出した。
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ガナルファ山の頂上にそびえ立つ神樹。樹齢二千年以上を誇る樹は、空に届くほど高く、根はガナルファ山一帯に広がっている。そこにはまるで神樹を守るかのように濃霧が立ち込めており、一寸先も見通せない。
しかしそんな場所に、うっすらと淡い光がいくつも灯った。
『僕ができるのはこのくらいかな……』
『あの子どうするだろうね……クスクス……』
『それは誰にも分からない。だけどとても綺麗で透き通った色をしてたよ……』
『いいなぁ、ズルいズルい。ワタシも見たかった!』
『ハハハ、ごめんごめん。だけどね、種は与えた。後はうまく芽が出てくれると嬉しいな』
『でも、リューミャクが止まっちゃってるのに、そんなに力を使っても大丈夫?』
『うん、僕は少し眠る……。きっと大丈夫、あとは任せたよ……』
『うん、オヤスミ。ワタシが見てるから』
しばらくすると淡い光は消え、神樹の周りに立ち込める濃霧が辺り一帯を包み込み、何も見えなくなった。
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