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21卒の  作者: 柚子胡椒
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電車の中で

こんにちは。読んでくださって嬉しいです。

私がそれを知ったのは、某企業から送られてきたメールをふと開いた時だった。





ふと開いたというのは、去年の6月からこっち、無数の企業からメールが送られてくるのに辟易としていたからだ。題名を読んで、自分が興味を持っている業界やエントリー済みの企業ではないとわかったら開かずに放置してしまい、うっかりすると1000件を超える未読メールが簡単に溜まってしまう。定期的に削除してはいるし、いちいち見るべきだとわかっているのに開くことができない。ものぐさは罪だというのに。

まるでエロサイトに登録したみたいだと呟いた友人がいた。真面目そうな顔して登録したことあるんだなと思った。



だが某企業というのは、就活にとっては重要な存在だった。ある事件が起こったことで学生からの信頼が大きく揺らいだが、ほとんどの「21」の学生たちの電子機器の中にはその名のついたアプリが入っているだろう。

なんやかんや言ったところで、自分たちの価値を勝手に評価していた某企業の力を借りなければ働きたいところで働けない可能性が高いことはわかっているのだ。使うしかないどうしようもなさに腹が立つだけだ。



だから某企業のメールを開いた。なにか新しいイベントが開催されるのか、はたまた企業からの返信を教えてくれたのかと。はやく説明会の日程決まらないとバイトにシフトが出せないから困るのだと思いながら開いた。



そして途方にくれた。わずかな時間をぬって潜り込んでいた布団の中で頭に手をあてた。

それは3月のイベントをすべて取りやめるという知らせだった。







『こんなところまで影響がでるなんて』


枕に頬を預けながら就活のために作った青い鳥のSNSのアカウントでつぶやく。何の意味もない言葉を世界に放るのは、帰ってくることない石を深い深い穴に落とすことに似ている。たまにこだまのように1つ2つとハートがつくだけだ。

積極的にSNSを利用する人は100だか200だかのフォロワーがいることが普通だが私は10人にも満たない。私がフォローしたからフォローしてくれた若者たちと、アドバイスをしてあげると言ってくる、裏の顔を決して見せない大人たち。どこの誰かもわからない。それでもハートをもらうとなんとなく嬉しい。



青い鳥の検索フォームに某企業の名前を打ち込む。思った通り、幾人もの学生たちが驚きと不安の声をあげている。私はもはや地震があってそれがどれくらいの規模かわからない時なども検索フォームで調べる。不思議なほど情報が集まるのだ。フェイクニュースもあるだろうが、震度は何、揺れた中心は何処、などといったことがすぐにわかるから便利だ。そういったことを知るためには政府の緊急速報の青い鳥のアカウントもあるが、生の声を知るには物足りないのだ。

フォローしている人の呟きがぽこんと浮かぶ。



『今年は逃げ切りの年だと思っていたのに』



ああきっと学生だと思う人と、怪しげなビジネスをやっていなさそうな雰囲気の業界人しか私はフォローしていない。その判断は勘でするしかないが、この人ー多分男性ーは多分学生だろうとほぼ確信している。

顔も知らない彼の投稿にいいねをして、私は手の中の世界からいったん目を離した。

あと10分で顔を洗ってきちんとした服装にならなくてはならない。



駅に向かう。

バイトの時間なのだ。







改札に通ることにいまだに慣れない。切符を上手く引き抜くタイミングがわからない。

中学高校と自転車で通った私は大学生になって見つけたバイトに通うことでようやく電車というものに関わるようになった。特急と普通の意味すらわからず、連絡とはなにかと一年ほど思っていた。地方都市で育った私の連絡手段はそのほとんどが自転車か親の車だった。



不思議なくらい膝の裏が熱くなる座席で、私は常識が載っているらしい本をぱらぱらとめくる。どれだけ読んでも脳を上滑りしていくようだ。集中の糸がぶつ切りになっているのがわかる。唸る電車の音が耳につく。

やめだ。やめだやめだ。30ページもいかずに本を閉じ、鞄からイヤホンを取り出して適当な音楽を探して流す。物悲しい電子音がこれから夜の街へ赴く私を飾り、心を重くする。これから深まる夜よ明けるな。どうかこのままで。そう歌う声をただ聴きながら、私はぼんやりと暗い窓の外を見る。


かわりにマスクの白が目を刺す。今年は異常だ。ドラッグストアにはマスク売り切れの文字が踊り、フリマアプリでは買い占めた転売ヤーが炎上している。私が人並みに予防しようとした時には出遅れており、現在入荷待ちというやつだ。

すぐに収まるだろうと思っていた災厄は、いつのまにか私の将来を左右するところまできていた。話題作りのために読んだ新聞では、隣国からの物流が滞るという小さな記事が一番はじめに強く記憶に残っているものだ。それが坂を転がり落ちる雪玉のようにどんどんと膨らみ、毎日のように黒く硬い人数が増えていく。



悲しいことだ。つらいことだ。

自分とまったく関係のない人でも、場所でも、そこで涙が流されたら心がきしむ。

昔はそれこそ泣いていた。でももう不安定な子どもじゃなくなっている。それもまた、悲しいことだ。私は成人してしまった。



外していたマフラーを巻き直して電車を降りる。風が起こって髪の毛が上に逆立った。






今日はほどよく酔っ払った集団のお客に笑顔を褒められた。

ありがとうお客様、癒しです。

優しくしてくれる人には特別いい接客をしたくなる。ちょっとした会話だって、褒められるのだって楽しくて嬉しい。ただし爽やかな感じの絡み方を望む。間違ってもこちらの大学や年齢をあてようとするクイズを急に開催するような雑な絡みはやめてください。本当に。

聞いてどうする。



騒がしいホールでも声が通るようワントーン高く話しているからバイト終わりはいつも喉がいがらっぽくなる。お茶を飲みながらまかないが出来上がるのを待つ。

その間にまた某企業(仮に企業R)の名を検索して、もう一つの企業(仮に企業M)がどうするかをどう考えている人が多いのかを見る。



企業Mの今後に対する公式発表と思われるものはなし。かわりに見つかるのはバイト前とは比べものにならないほど増えた不安の声だらけだ。

それはそうか。私はまかないのチャーハンのためのスプーンを用意しながら思う。

いろんな人がいるだろう。準備に準備をかさねて万全の状態にいた人、自分のやりたいことが今になって揺らぎ、この企業のイベントで何事か見つけようと思っていた人。それが崩れた。決まりきっていたことが無くなった。

米の山を崩す。キッチンの人においしいと笑顔で言う。本当はもう少し大盛りがいいとは言わない。帰ったら何か漁ればいいことだから。わざわざ悪目立ちすることはない。



でも、この不安は何だ。



おいしいと思う。疲れたと思う。雑談を楽しいと思う。そうした細々とした感情すべての根っこに不安ががっちりと絡まっている。

覚えがある。何をしていても頭の中に残って消えることはないもの。何もかも楽しむことが出来なかった時。

そうか、これは。



「ご馳走様でした」



大学受験の時の思いだ。

これから先がまったくわからなくて、叫び出したかった時の私が蘇ってしまったのだ。







時刻は23:37。

家路につく電車の中でちまちまと怪しげにスマホを触る。



何故か。



それは、私が今苦しくてたまらないからだ。周りの、遠くの笑顔を妬む自分がどうしようもない存在だと毎日のように思うからだ。真夜中の枕元で音楽を流しながら手で顔を覆い夢想するからだ。

半年後、私は笑顔だろうか。それともまだ苦しみ足掻いている途中だろうかと。

そして思いついたのだ。今を書き記すことを。この苦しくてたまらない日々が、明日もわからない不安が、未来に実を結んでいることを信じるために。







特急の電車が目の前で通り抜けていく。

その勢いの良さに、そりゃ当たったら簡単に人は死ぬわとしみじみ思った。








冬から春へと移りゆく夜空に星が1つ、2つ。

なぞっていくと、冬に唯一わかるオリオン座が出来上がる。



帰ったらご飯を作ろう。

シャワーを浴びよう。

そして眠ろう。



あなたの夢をあきらめないで。

古い古い曲をスマートフォンにつなげたイヤホンで聴きながら、真夜中の世界を歩いていく。







あとはシリウスや大三角ぐらいしかわかりません。

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