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そもそも俺はやってない

作者: 燦々SUN

 暗殺者のネダは樹上で周囲の警戒をしながら、眼下の喧騒に内心で溜息を吐いた。


「えぇ! それでどうなったんですか!?」

「おう、本当にギリギリのところで俺の防御が間に合ってな? かなり危なかったが、なんとかその場を凌げたんだよ」

「おいおい、聞き捨てならないなジェイ。お前が防いだところで、奴に一撃食らわしたのはオレだぜ?」

「すご〜い、やっぱり皆さんスゴイんですねぇ」

「ちょっと待ってくださいよ。忘れてませんか? たしかに襲われたのは僕ですけど、そもそも罠を起動させたのはトルマンじゃないですか」

「えぇ!? そうなんですかぁ!?」

「いや、違っ! あ、あの時は腹が痛くて……」


 楽しげな笑い声。これが、新入りを早くパーティーに馴染ませるための雑談であれば、ネダも気にしない。元より話すことはあまり得意ではないし、メンバー間の親睦を深めるのは他の3人に任せ、甘んじて見張りの役を引き受けただろう。

 だが、今下で行われているのはそんな微笑ましいものではない。


 重戦士のジェイ。双剣士のトルマン。神官のイルニード。

 もうかれこれ3年の付き合いになる、尊敬できる仲間達。その誰もが新入りの女魔術師、フェルミーの気を惹こうと、我先にと自らの武勇伝を披露している。

 そこにあったのは微笑ましい団欒などではなく、ただの男同士の醜い争いだった。


(やっぱり、あの時点で反対すべきだった)


 どうせしたところで無駄だったろうと思いつつも、そう思ってしまうのを止められない。

 ベテラン魔術師のエルダーが、腰痛の悪化で冒険者を引退したのが2ヶ月前。その後すぐ、エルダーの抜けた穴を埋めるためにパーティーに加わったのが、あのフェルミーだった。


 トルマンに連れられて来たフェルミーを見た時、ネダはなんとなく嫌な感じがした。

 一見とても愛想のいい女性だったが、なんとなく裏がありそうというか。天真爛漫に見えて、その実ものすごく計算高そうというか。

 本当になんとな~く、どうにも好きになれない感じがしたのだ。しかし明確な理由もなく、それでいて他のメンバーが歓迎ムードだったので、その時はあえて何も言わなかったのだが……ネダは今になって、そのことを後悔していた。


 そもそも、フェルミーは他のパーティーメンバーに比べてかなりの実力不足だった。

 しかし、これはまあ仕方がない。10階級ある冒険者ランクの中で、ネダ含む他の4人は上から3つ目の3級冒険者。世間一般からすると、超一流と言われる部類だ。引退したエルダーに至っては、なんと2級冒険者だった。1級がほとんど伝説に残るような存在であることを考えると、これは事実上の最高位ランクだった。


 一方、フェルミーは6級冒険者。それなりの経験者ではあれど、まだ一流とは言えないランクだった。

 これでエルダーと同じ働きを求めるのは酷に過ぎるということは、ネダにだって分かっていた。それに関しては、これからじっくりと彼女を育てていけばいいとも思っていた。


 しかし、フェルミーは魔術の腕以前に冒険者として大切なものが色々と欠けていた。

 まず、刃物が扱えない。ナイフすらマトモに握れないせいで、獲物の解体はもちろん、食事の用意も野営の準備もロクに出来ない。

 冒険者としては割と致命的なこの欠点を、ネダは早々に直そうとしたのだが……他の3人が「女の子はそんなことしなくていい」とか言って甘やかすものだから、未だに直させることが出来ていない。

 それに、体力もない。いくら魔術師が肉体よりも頭脳を優先するとは言っても、仲間の足を引っ張らない程度には足腰を鍛えておくのは冒険者として当然の心掛けだ。足を引っ張った挙句、仲間に背負ってもらって物理的に荷物になるなんて、論外としか言いようがない。


 それに何より問題なのが、フェルミーは仲間内の和を乱す。

 これに関しては、もう手遅れと言ってもいいかもしれない。もう既に、ネダ以外の3人は彼女の巧みな話術と絶妙なスキンシップですっかり骨抜きにされてしまっているのだから。

 今となっては、ネダが彼らに諫言をしたりフェルミーに注意をしたりすると、3人から一斉に非難されるくらいだ。元々話すのが得意ではないこともあり、最近ではもうすっかり諦めてしまった。


 ……かつての仲間達は、もっと尊敬できる人間だった。間違っても、野営地で無防備に馬鹿話をするような人間ではなかったのに……本当にもう、どうしてこうなったのか。


 ネダが、内心で変わってしまった仲間達のことを嘆いていると、下からネダを呼ぶ声が聞こえた。フェルミーの声だ。

 ネダはものすごく無視したい衝動に駆られたが、ぐっと堪えてコートへの魔力供給を断った。


 ネダが頭から足元まですっぽりと着込んでいる漆黒のコートは、その名を“常夜の外套”といい、魔力を込めることで着用者の姿を完全に見えなくすることが出来る、迷宮の奥で見付かった国宝級の魔道具だ。

 魔力供給が断たれたことによりその効果が切れ、ネダの姿が樹上の影に滲むようにして出現する。


「……何か用か?」


 ネダが端的にそう問い掛けると、こちらを見たフェルミーがパッと華やいだ笑みを浮かべた。


「あっ、そこにいたんですか。ほら、ネダさんもこっちで一緒におしゃべりしましょうよ」


 そう言って自分の隣をポンポンと叩くフェルミーに、「馬鹿かお前は」と言ってやりたい気持ちを必死に抑え付ける。

 そして、元々低い声を更に低めて「見張りがある」とだけ告げると、さっさとコートの力を使って再び姿を消した。


「あ……もう、ネダさんったら……」

「気にするなよ、あいつはいつもあんな感じさ」

「そーそー、ネダが付き合い悪いのは今に始まったことじゃないし。フェルミーが気にすることないって」

「そんなことより、今度はフェルミーの話を聞かせてくださいよ」


 すぐにフェルミーに気遣いの言葉を投げ掛け、サラッと自分に対する悪口を口にする仲間達。


(前までは、『お前は口じゃなく仕事で語るタイプだもんな』って言ってくれてたのに)


 そのことに少し傷付きつつ、ネダは近い将来破綻が訪れることを、密かに予感していた。



 ……結論から言えば、その予想は正しかった。

 しかし、ネダにとって予想外だったのは、それがわずか数日後に訪れる未来だったということだ。



* * * * * * *



 依頼達成から、3日間の休息期間を置いたその翌日。

 冒険者ギルドで仲間を待つネダの元に、入り口の扉を蹴破るような勢いで飛び込んで来た仲間達3人が、足取りも荒く駆け寄って来た。

 この都市最強と目されるパーティーのただならぬ雰囲気に、ギルド内の注目が一気に集まる。


「フェルミーから聞いたぞ。ネダ、お前はなんてことを……」

「お前がそんな奴だとは思わなかったぜ、ネダ」

「ネダさん、今すぐフェルミーに謝ってください!」


 その顔に嫌悪感と怒気を漲らせた3人に口々にそう言われるが、ネダには何のことか分からない。

 しかし、そこで遅ればせながらギルドに駆け込んで来たフェルミーの言葉で、嫌でも事態を察することになった。


「皆落ち着いて! 元はと言えばわたしが悪いの。わたしが、実力不足だから……」


 ジェイとトルマンの服の袖を形だけ(・・・)引っ張りつつそう言うフェルミーに、3人は一斉に反論する。


「いや、たとえどんな理由があろうと、女性の尊厳を傷付けるような真似は許されることではない」

「当然だ。未遂だったとしても許されることじゃないぜ」

「それに、フェルミーさんは頑張っています。その努力を評価せずにパーティーから抜けるように脅すなんて、最低です」

「……」


 ネダは大体の事情を察した。そして、あまりにもあんまりな事態に頭痛を覚えた。

 思わずフードと頭巾越しに頭を押さえ、嫌々ながらも確認をする。


「……つまり、俺はその女にパーティー脱退を迫った挙句、断られて性的暴行に及ぼうとしたことになっている訳か?」


 まるで他人事のような言い方に、3人が一気に気色ばむ。


「なんだその言い方は! お前には申し訳ないという気持ちがないのか!!」

「見損なったぜ、ネダ!」

「最低です、ネダさん。仲間だって信じてたのに……」

「ひ、ひどいです。わたし、本当に怖かったのに……」


 口々に自分に罵声を浴びせ、一方フェルミーには気遣いの言葉を掛ける。

 その姿を見て、ネダの中にあった仲間達に対する最後の情が完全に消えた。代わりに沸き上がったのは、深い失望と悲しみ。


 まだ聞きたいことはあった。主にフェルミーに。

 なぜ自分に冤罪を掛けたのか。一体自分の何が気に入らなかったのか。

 口うるさく注意したことか? それとも……まさか、パーティーの中で1人だけフェルミーになびかなかったことか? 答えは分からない。知りたくはあったが、聞いても無駄だと分かり切っていたし、聞く気力も失われてしまった。


(もう、ここにはいたくない)


 萎えた心のまま、弁解もせずにコートの力を発動させ、その場から姿を消そうとして……


「そこで何をしてるんですか!!」


 突如響いた聞き慣れた声に、ピタリと動きを止めた。

 反射的に声がした方を見ると、いつの間にか出来ていた冒険者達の人垣を掻き分け、いつもネダの応対をしてくれる受付嬢が姿を現した。

 そのままネダの前に割り込むと、4人の冒険者を前に臆した様子もなく声を張り上げる。


「こんなところで仲間を糾弾して! 相手の言い分も聞かずに一方的に罵倒するなんて! 冒険者として……いえ、人として恥ずかしいことをしているのはあなた達の方です!!」


 その受付嬢とは思えない苛烈な言い方に、4人も少々面食らったようだった。

 しかし、そこはやはり年長者と言うべきか。いち早く立ち直ったジェイが、厳しい声音で反論する。


「あんたには関係ないだろう。これは俺達パーティーの問題だ。引っ込んでいてくれ」

「引っ込んでいて欲しいなら、そもそもこんなところで話すべきではないでしょう。自分達パーティーの問題だというなら、仲間内で話し合うべきです。こんなところで晒し者みたいに公開裁判をしておいて、今更そんな言い分が通用するとは思わないでください」


 理路整然とした物言いに、ジェイがぐうの音も出ずに黙る。そこに、受付嬢が更に畳みかけた。


「それに、さっきから聞いていればなんです? ネダさんがそちらの女性を襲った? 馬鹿を言わないでください。ネダさんはそんな人じゃないです」

「あ、あんたに何が分かるってんだよ……」


 弱々しく声を上げるトルマンに、受付嬢はキッと視線を鋭くすると、胸を張って言った。


「分かりますよ。私はネダさんがこの町に来られてから4年間、ずっと受付を担当してたんですから。付き合いで言えばあなた達よりも長いんですからね!」

「な、長いと言っても、それは受付のやり取りだけでしょう? そんな浅い関係で、何が分かるって……」

「むしろ、あなた達こそ3年間も一緒に冒険をしていて、何も分かっていないじゃないですか。ネダさんのことが分かるって言うなら、そもそもこんなバカな真似はしないはずです」

「……」


 3人の男達を残らず黙らせると、受付嬢は周囲の冒険者にも聞かせるように声を張った。


「ネダさんは口数こそ少ないですが、とても優秀で非常に模範的な冒険者です。必要書類は毎回きちんと提出してくださいますし、昇給試験の監督だって文句1つ言わずに引き受けてくださいます。この際だから言いますが、ギルドで公開されている迷宮深部の地図は、ほとんど全部ネダさんが無償で提供してくださったものなんですからね!!」


 その言葉に、周囲の冒険者がざわついた。

 迷宮の地図は、冒険者の間で最も高値で取引される道具の1つだ。中には、迷宮に関する情報の売買だけで生計を立てている情報屋もいるくらい、迷宮に関する情報は高値で売れる。

 その情報がこれでもかと詰まった地図は、駆け出しの冒険者では手が届かないほどの高値で取引される。それが深部のものともなればなおのこと。

 その地図を、他の冒険者の安全のために無償で提供する。まさにお金と実力がある高位冒険者にしか出来ない行動であり、そのかがみとも言える行動だった。

 周囲のネダを見る目が変わる。それと同時に、4人に向けられる視線が疑わしいものを見る目になった。


「それに──」

「いや、もういい……もう、それくらいに……」


 勢い込んで更に何かを言おうとした受付嬢を、ネダがそっと制した。

 ネダとしては、突然思わぬ助け舟を出された挙句、予想だにしない絶賛を至近距離で浴びせられて、割と羞恥心が限界であった。さっきとはまた別の意味で消え去りたい気分だった。


 しかし……当事者でない受付嬢にここまで弁護してもらっておいて、なんの釈明もせずに立ち去るのは無責任に過ぎるだろう。

 そう考えたネダは、萎えた心を奮い立たせ、受付嬢の前に出て4人と相対した。すると、たちまちかつての仲間3人から嫌悪に満ちた視線を向けられる。


(この期に及んで、まだそんな目をするのか……)


 流石のネダも、これにはイラッとする。というか、さっき受付嬢も言っていたが、受付嬢は信じてくれたのにこの3人が一切自分を信じてくれないとは、一体どういうことなのか。

 心が立ち直ると共に、ふつふつと怒りが込み上げてきた。


「……さて、最初に確認しておきたいが、結局のところ、俺はパーティーから追い出されるということだな?」

「……当然だろう。冒険者パーティーに何より必要なのは、お互いに対する信頼だ。それが損なわれた以上、一緒にパーティーを組むことなど出来るはずがない」

「そうか」


 ならば……ならば、もうこの怒りを抑える理由もない。後腐れないよう、この場で全てぶち撒けてしまおう。

 そう決めたネダは、かつての仲間3人に、順に視線を向けた。


「ジェイ、さっきお前は、俺に『申し訳ないという気持ちがないのか』と言ったな。逆に聞くが、お前こそその女の言い分を鵜呑みにして俺を糾弾することに、申し訳ないという気持ちがないのか?」

「なっ……」

「トルマン、お前は『見損なった』とか言ったな。それもこっちのセリフだ。事の真偽も見抜けないほど色ボケしてたとは、見損なったぞ」

「ん、な……」

「イルニード、『信じてたのに』だと? 寒いこと言うなよ。本当に信じてたのなら、そもそもこんな馬鹿げた糾弾はしていないだろ」

「っ……」


 普段無口なネダの容赦のない口撃に、3人は一様に絶句する。

 その様子を見て、ネダは早くも一抹の後悔を覚えていた。

 これだから話すのは苦手なのだ。口下手過ぎて、当たり障りのない言い方やオブラートに包むといったことが出来ず、どうしても思ったことをそのまま口にしてしまうから。


 しかし、ここまで言ってしまったのなら、もう最後まで言い切った方がいいだろう。

 そう思い、ネダは最後にフェルミーに視線を向ける。


「それで? お前は俺に性的暴行を受け掛けたと言ってるらしいが、それは具体的にどんなことだ?」

「なっ、そ、それは……強引に押し倒されて、その……」

「なんだ? はっきり言え」

「お、犯されそうになったんです!!」


 フェルミーが自分の体を抱きしめながら恥ずかしそうにそう言うと、3人がすぐに彼女を庇うようにして立ち、ネダに鋭い視線を浴びせた。

 ネダは、その視線を無視してフェルミーだけを真っ直ぐに見詰めると……おもむろに、その身に纏う“常夜の外套”をその場に脱ぎ捨てた。


「は……?」

「おい?」

「何して……?」


 3人の戸惑いの声も気にせず、頭巾を外すと、口元を覆っていた変声機能(・・・・)が付加(・・・)された(・・・)布も外す。そして、トドメに胸当てを外した。

 途端、その場にどよめきが起こる。


「は……?」

「ネイシャ、ちゃん……?」

「な、な……」

「え? え……!?」


 そこにいたのは、複雑に編み上げた艶やかな黒髪に妖しい輝きを放つ紫の瞳を持った、したたるような色気を放つ美しい女性だった。その体にピッタリと張り付くような黒装束のせいで、その優美なボディラインがこれでもかと強調されている。

 彼女……ネダ改めネイシャは、額に張り付いた髪を掻き上げながら、桜色の唇からしっとりとした声を放った。


「見ての通り、私は女なのだけど……それで? 私が何をしたと?」


 そう言って、スッとすがめた目でフェルミーを見やる。

 そのどこか気怠そうな、それでいてとんでもない色気を孕んだ流し目に、フェルミーは同性にもかかわらず背筋がゾクゾクと震えた。

 ネイシャは続けて他の3人にも視線を移すが、誰もが真っ赤な顔で口をパクパクさせるだけで、何も言わない。


 ネダの正体であるネイシャは、ネダとは別の意味で有名だった。高名な暗殺者とかではなく、時々町にフラッと現れ、いつの間にかどこへともなく姿を消す謎の美女として。

 その美貌と色気に、声を掛けた男は数知れず。しかし、誰一人として名前以外の素性は一切教えてもらえなかった。


 その素性の知れなさと神出鬼没さが、また彼女にある種の神秘性を与え、今となっては若者達の間でファンクラブ(追っかけ)が結成されており、目撃情報が出るや否や町中から若者が押し寄せる始末だった。

 しかし、そんな事態になってからというもの、ネイシャは人前にほとんど姿を見せなくなってしまった。最後に目撃されたのは半年前のお祭りの時で、それ以来一切の目撃情報が無くなっていたのだ。


 しかし、今。

 そんな彼女が、目の前にいる。


 ネイシャ達を囲んでいた冒険者一同のテンションは、一瞬にしてマックスになった。

 ついさっきまで行われていた公開裁判の緊迫した雰囲気なんてどこへやら、冒険者ギルドはたちまち興奮の坩堝るつぼと化し、その中心にいた4人組は押し寄せる冒険者達によってあっという間にもみくちゃにされる。



 ── 数分後


 肝心のネイシャとその隣にいた受付嬢がいつの間にか姿を消していることに気付いた群衆は、ネイシャの姿を求めて波打つようにしてギルドから出て行った。

 そして、その場にはボロボロになったフェルミーと、ボロボロになった上になぜか全身に青痣をこさえた男3人が残されたのだった。



* * * * * * *



 翌日、朝の受付ラッシュを終えた受付嬢が一息吐いていると、目の前にスッと一枚の依頼書が差し出された。

 慌てて顔を上げ、いつの間にかそこに、見慣れた黒装束の暗殺者が出現していることに気付く。


「ネ──」


 思わず声を上げ掛けるが、ネイシャが口元に人差し指を立てたのを見て、すんでのところで言葉を呑み込む。

 そして、まだギルドに残っている冒険者達にサッと視線を巡らせてから、声を潜めて話しかけた。


「……こちらの依頼ですね。お1人で向かわれるのですか?」

「ああ。しばらくはソロだ」


 昨日はなんだかんだうやむやになってしまったが、ネイシャがパーティーから追い出されたのは事実だ。ネイシャになんの非もないことを知っている受付嬢からすると、ネイシャ1人が仕事がやりにくくなっているという現状に忸怩じくじたる思いを抱かずにはいられない。


「……なんでしたら、女性のみのパーティーを紹介しましょうか? 今ちょうど斥候役を募集してるパーティーがあって……まあ、7級なのでネダさんにとっては物足りないかもしれませんが……」

「いや、いい。別に男と組むことに不満があるわけじゃない」


 ネイシャが性別を隠していたのは、前に冒険者として活動していた際にセクハラが酷かったからだ。具体的には、「女暗殺者なら、あっちの方もすごいんだろ?」みたいな。

 念のため言っておくが、ネイシャは純然たる対魔物用の暗殺者であり、対人用ではない。

 だから、相手の警戒を解く話術や色仕掛けの方法なんて習得してないし、当然ベッドで無防備になったターゲットをブスリ、みたいなこともやったことはない。


 しかし、ネイシャの美貌と本人の意思に関係なくただ漏れる色気が、周囲にそう思わせてくれなかった。

 その内かなりタチの悪い男に目を付けられ、ちょうどそのタイミングで“常夜の外套”を手に入れたこともあり、この町に活動拠点を移すと同時に素性を隠すようになったのだ。

 本当は、あの3人には機会を見て素性を明かそうと思っていたのだが……変装を解いて町を歩いている時に普通にナンパをされて、その気が失せてしまった。そうこうしている間にネイシャという存在が異様に有名になってしまい、ついぞ明かす機会を失ってしまっていたのだ。昨日までは。


 だから、男と組むこと自体には不満はない。その相手がセクハラをしてこなければ、だが。その上で他の男共に対する防波堤になってくれたりしたら、もう言うことはない。


 そういった事情をたどたどしくも懸命に伝えた結果、受付嬢は既婚者や老齢の男が多いパーティーに、ネイシャの入れるところがないか調べることを約束してくれた。

 この行き届いた配慮には、ネイシャも素直に感動した。せめてこの感謝の気持ちをきちんと伝えようと、口元の布を下げ、フードを少しずらして素顔を覗かせると、受付嬢の手を握って至近距離で囁く。


「ありがとう。その……昨日も。庇ってくれて。お礼に、ご飯でもご馳走したいんだけど……」

「え、あ……」


 しかし、ネイシャはまだ分かっていなかった。自分の色気が、同性相手にすら有効だということを。

 ネイシャに手を握られ、その囁きを間近で受けた受付嬢は、一瞬にして顔を真っ赤にすると、目をぐるぐるさせながら叫んだ。


「は、はひっ! 喜んでぇ!!」


 その悲鳴じみた調子っ外れの声に、ギルド内の注目が集まる。

 そして、そこにいるネイシャの存在に誰もが気付き、途端に目の色を変えた。


「ネダ……いや、ネイシャちゃん! 1人なら俺らと一緒に組まないか!?」

「バカヤロウ! 8級風情がナニ言ってやがる!! オレらと行こうぜ? な?」

「呑んだくれは引っ込んでろ! ネイシャ、俺達とは前に一緒に仕事したことあるだろ? 行くとこないなら俺達と組もうぜ」

「今日のところはお試しでいいんで! 一緒に討伐依頼受けません!?」

「あの、僕斥候としてはまだ駆け出しで……報酬はお支払いするので、コツを教えてもらえませんか?」


 あっという間にネイシャは取り囲まれ、全方位から勧誘を受ける。ギルド職員の制止の言葉なんてお構いなしだ。誰もがこの好機をものにせんと、鼻息荒くネイシャに詰め寄った。

 しかし、あわやこのまま昨日のようにプチパニックが起こってしまうのかと思われたその時、群衆を掻き分けてネイシャの前に飛び出した3人がいた。


「ネダ! お前を疑ってしまってすまなかった! あの後フェルミーと話をして、あいつの方が嘘を吐いていたとはっきり分かった。調子がいいことは重々承知だが、パーティーに戻ってくれないか!?」

「本当にごめん、ネイシャちゃん! 嘘を吐いたフェルミーには責任を持って出て行ってもらったから、戻って来てくれないか!?」

「ごめんなさい、ネダさん。ようやく目が覚めました。どうか、僕に罪を償う機会を頂けませんか?」


 そう言って許しを乞う元パーティーメンバーの3人に、周囲から「何を今更」という視線が突き刺さる。

 昨日の一件は、昨日の内に町中に広まっている。あれだけ一方的に糾弾し、追放しておきながら、すぐさま手の平返しをするその図々しさには、誰もが呆れるしかなかった。


 周囲に白い目を向けられながら、許しを乞う3人。しかし、肝心のネイシャはというと……


「では、それで頼む」

「承りました。それでは、いってらっしゃいませ」


 ガン無視だった。

 何事もなかったかのように普通に依頼の手続きを済ませると、軽い身のこなしで群衆の頭上を跳び越え、そのままギルドの入り口に向かう。


「待ってくれ!」


 慌てて追いすがり、伸ばされたトルマンの腕を、ネイシャは踊るように軽く躱す。

 そして、3人の元仲間に一瞬だけ視線を向けると、


「『信頼が損なわれた以上、一緒にパーティーを組むことなど出来るはずがない』だろう?」


 無感動にそれだけを言い残し、その場から姿を消した。






 その後、ギルドとしてもあれだけの騒動をうやむやにすることは出来ず、被害者であるネイシャ以外の4人にはそれぞれ罰則が与えられた。

 格上の冒険者に対する悪質な名誉毀損を行ったフェルミーは10級へと降格の上、要注意人物としてギルドのブラックリストに登録された。それ以外の3人も4級へと降格され、4人全員にネイシャへの接触禁止令が出された。


 事実上冒険者生命を絶たれたに等しいフェルミーは、しばらくソロで活動していたが、やがて人知れず姿を消した。

 冒険者を引退して田舎に帰ったとか、魔物に食われて死んだとか、はたまた悪い男を引っ掛けて娼婦に落とされたとか。噂は色々あったが、どれも真偽のほどは定かではなかった。


 ジェイは周囲からの冷たい扱いに耐え切れず、現役を引退。故郷に帰り、町の用心棒となった。

 しかし、今回の一件ですっかり女性不信になってしまい、それは一生治らなかったという。


 トルマンはギルドから出された接触禁止令を無視してしつこくネイシャにつきまとい、遂には憲兵に捕まり、町から追放された。

 前科者となった上にギルドからも5級への降格処分とされ、すっかり腐っていたところ、懲りもせずにまた悪い女に騙され、財産のほとんどを奪われてしまった。


 イルニードは今回の一件が師である神官長の逆鱗に触れ、強制的に神殿に連れ戻された上、神官長の監視の下で無期限の慈善活動に従事することとなった。



 一方ネイシャはしばらくソロで活動していたが、数ヶ月後、半年間の湯治を経てまさかの復帰を果たしたエルダーと、改めてタッグを組むことになった。

 なんと、エルダーは最初からネイシャが女性だと見抜いており、復帰後は可愛い孫娘を守る爺さながらに、男共に対する最強の防波堤となった。そんなエルダーに、ネイシャも冒険者となって以来初めて、完全に心を許すのだった。


 魔術師と暗殺者という異色のタッグでありながら、極大魔法を連発するエルダーの圧倒的な殲滅力と、その討ち漏らしを片っ端から即殺するネイシャの驚異的な暗殺力により、主に討伐依頼において凄まじい戦果を叩き出すこの2人は、後に1級冒険者タッグとして歴史に名を残すこととなるのだった。

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― 新着の感想 ―
これはよいざまあ。 しかしジェイが女性不信? 女として騙したのはフェルミーだけなのに、何で………? 糾弾されたから? だとしたら打たれ弱すぎじゃあ………。
[一言] 結論:エルダー爺さんが最つよ
[良い点] 最強じい様と美孫の冒険譚を是非に見たいです(*´Д`*) 最高のタッグ 受付嬢さんとの食事会もみたいっす!
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