神秘の痕跡
「暗いね」
「暗いな」
フェンスを越えた先はそりゃもう暗かった、まだ昼前だというのに明かりが必要なほど。
不気味な噂のせいで閉店に追い込まれたか、それとも封鎖のために退去させられたのか、立ち並ぶ居酒屋はすべてが空き家となっていた、ここまで暗いのはそれが原因である。不安を覚えたらしいフィリスがシドのジャケットをぎゅうと握り出したので、明かりを出そうとザックを降ろす。
「…………」
まず水晶玉が出てきた、小さめのローソクくらいな火がちろちろと燃えており、相応の光も発している。試しに掲げてみたが、光量がまったく足りない、薄ぼんやり影が揺れる様は肝試しだ、余計に恐怖をかき立ててしまう。
「それなに?」
「わからん」
「必要ないなら捨てた方がいいよ?」
それを一目見るやフィリスは眉を寄せた、シドは何も感じなかったが、あまり良い印象を持たなかったようで、じっと、彼女が中心の種火を睨みつける。
「きっと不幸になる」
嘘や冗談ではなさそうだ、赤紫の瞳は本気である。つい先程までのふんわりした口調と表情が消し飛んだその様子にやや心拍数が上がり、元の持ち主の顔が思い浮かんだ。
何を押し付けてきた?あのオレンジ。
「押しかけ女房の危険が無くなったらそうしよう」
「?」
真顔で言われたせいか、ザックに戻す事に抵抗を覚えたが、それでも今日のうちはやめておく、何にせよこの場に転がす訳にもいかなかろう。
水晶をザックに入れ直して、代わりにバーナーランタンとガス缶を取り出した。原理はガスコンロと同じである、可燃ガスに火をつけて燃やす。目的が照明、というだけである。アウトドア向けの小さな縦置き缶にこれまた小さな噴射装置を接続、バルブを捻ってガスを出す。普通ならここでマッチやライターを使うところ、しかしふと思いついたシドはフィリスへ目を向けた。
「もしかして火出せるか?」
「あっためるのは苦手だけど……」
言ってみると、置いたザックの前で膝をつくシドの隣に彼女はしゃがみ込み、ランタンのガラス容器へと指を突き出す。数秒そのまま、やがてパチパチ鳴ったと思うや指先で火が上がった。
なんという事はない、ごく普遍的な魔術である、このくらいなら僅かばかりの適性があれば数時間の訓練で使用可能になる、シドはできないが。
一応、簡単に歴史を説明しておこう。この魔法、魔術と総称されるものがこの世に生まれたのは数千年以上前、何らかの理由によりそれまであった文明が滅んだ時だと教科書は言う。
まず神が生まれた、宗教や神話においては神が人を創ったという話が定例なのだが、現実は逆である、人が神を欲した。その時人は破滅の只中にあって、祈りと絶望が渦巻いていて、寄り集まったそれらが意思を持ったのだとか。生まれるのが遅すぎたためか、破滅の回避には至らなかったが、すべての生命が死に絶えるという結末は避けられた、彼らによって。
その時魔術も一緒に生まれた、神秘が起きた際の残りカスというのが定説のようだ、詳しくは誰にもわからないが。
「あっ……」
まぁとにかく、そんなものを使って火をおこしたところまでは良かったものの、種火は半秒ともたず消えてしまった。フィリスは燃料切れのライターみたく指を振って何度がトライするも、点くことは点く、しかし火を移すまで至らない。
「ごめん……」
「いや、無理言ったな」
「冷やす方は得意なんだけど……」
かなり細かい適性があるらしい、この場合フィリスは熱を奪うのは得意だが与えるのは苦手、という事だろう。しょんぼりしてしまった彼女に笑いつつ改めてマッチを取り出し、ランタンに火を入れる。点火したそれは水晶よりずっと明るく、掲げれば空き家の内部にまで光が届いた。
では改めて調査を開始しよう、シドの目的は少年1人の捜索である。見ての通り年頃の男性が好みそうな隠れ場所はたくさんあり、溜まり場、もしくは秘密基地ができている可能性は高い。それらをしらみつぶしにして、見つからないなら良し、見つかったら注意喚起を行う、それだけだ。この場所の謎を解く必要は無い。
しかし同行者はそれで満足できないようだ、小走りで先行したと思ったら壁を凝視し始めた。
「前触れなく消えて、絶対に見つからない」
「ここの噂か?」
「ん」
「法則性が無いって所を見れば最も有力なのは愉快犯だろうな、殺したいから殺すって奴に、理屈なんか関係無い。死体が出てこない件も説明できない訳ではないぞ、燃やすとか、溶かすとか」
この話の問題はそんな"常識的な"説明では証明できない点にある、素人が知っている程度の方法、警察だって思いついた筈だ。にも関わらず解決を見ていないというのならそれは、不審な煙は上がらなかったし、謎の白い粉が捨てられる事もなかったし、酸性の薬品も運び込まれなかったという事。これが人間による事件なのだとあくまで仮定した場合、犯行は常軌を逸した、誰も思いつかないような方法でなければならない。
「そういや似たような話を昨日聞いたな、死神、って知ってるか?」
「んっ?」
こちらも噂だ、規模と知名度なら今2人が直面しているものより遥かに大きい。大陸の東の方から少しずつ、少しずつ移動してきて、最近はこの近くで被害報告が出始めている。内容は至ってシンプルで、人が殺される。主に夜間、特に天候が悪い日の出没が多いが、晴れた昼間に現れた事もあるにはある。ほんの僅かな時間に、他の誰にも気付かれることなく犯行は行われるそうだ、後には斬り殺された遺体だけが残され、何の証拠も見つからない。ただ、傷痕をよく調べると特徴があるらしい、突いたとも斬ったとも取れる断面は巨大な鎌でも使わないと付かないもので、そのため、本来ならジャック・ザ・リッパーとでも命名されるべきこの事件は死神という名で通っている。被害者の共通点はこちらよりかは多い、軍人、騎士、盗賊、いずれも武器を持って抵抗できる面々だ。しかし非武装の人間も襲われたことが無いという訳ではなく、そちらにのみ目を向ければ商人と政治家が過半を占める。
「ほへぇー、このへんだとそういう話になってるんだねぃ」
「ああ、普通に出かけたっきりそのまま戻らない。被害者の法則性も広いし、あってないようなもんだ。やっぱり愉快犯なんじゃないかと俺は感じたが」
なんて話をしながら、シドは空き家の鍵を確かめて回る、フィリスはひたすら壁を眺める。正面玄関から侵入できる建物はさすがに無さそうだ、裏に行って窓ガラスが割れていたりしないか確認を
「あるよ?」
しよう、なんて思った所で、フィリスが微笑みながらレンガ造りの壁に手を伸ばし
「何だ?」
「あるよ、法則性。だってみんな……」
壁に触れられず、左手を丸ごとレンガに飲み込まれた。
「おぉっ?」
「ちょ…!」
水に手を突っ込んだようだ、レンガ壁は波紋を打ちつつ容易に突き抜け、予想外の出来事にバランスを失った彼女は気の抜けた声の残して壁内へと消えていこうとする。何が起きているのかまるでわからなかったが、咄嗟に地面を蹴って手を伸ばし、フィリスの右手を掴んで引っ張り戻そうとした。
「畜生何だってんだ!」
結果、まったく引っ張り戻せずにむしろシドまで招きこまれ、
2人ともその場から消えてなくなった。