その日男は運命と出遭う
「へーい! そこのおにーさーん!」
太もも付近まで届く、真夏の夕焼けみたいなオレンジ色の長髪を束ねて首下のあたりで結んだ女性だった。やや袖余りの白い縦セーターを着て、その上から青い生地を白い紐で縫った、オーバーオールの下部分をスカートにしたようなジャンパースカートを重ねている。身長160cmと少し、ギリギリ少女を卒業したかどうかという外見で、そしてものごっつぅ、ファッション誌のモデルが絶句するほどの美人である。満面の笑みで右手を振って、左手には商品を乗せており、客寄せしているのは一目見ればわかった。しかし場所がよくない、あんな美人に笑いかけられたらほとんどの野郎は鼻の下伸ばしてサイフを持ち出すだろうが、非常に残念ながらここはスラムみたいな場所に商品が超乱雑に並べられた食材市場だ、臭く、汚く、そして臭い。いや臭気の原因はほとんどがこの地方特産のスパイスによるもので、ひとつひとつは割と良い香りなのだが、いかんせん混ざりすぎててうんざりとしかしない。さらにこの辺りは治安がいいとはとても言えず、追い剥ぎに遭ったとか襲われたとかいう話には事欠かない、銃声が鳴ったという話すらある。現地民でない人間にとっては、いや現地民であっても一刻も早く用事を済ませて通り抜けたい場所であり、たとえ相手が美人であれそれは変わらず、ついでに彼女が持っているのは食品ではない。
「ちょっと見てって買って……」
であるので、他に親切な紳士が現れるのを祈りつつシドは彼女を無視した。どこでもよく見る当たり前の光景だ、その筈なのに横を通り抜けた途端に彼女は止まる。数秒ほど笑顔のまま固まって、去っていくシドに向かってがばりと振り返ったような気配。
「ちょちょちょ待った待った待った!!」
そして追ってくる、どたどた追ってくる。
「なんだよ?」
「10ドル」
「そっか、売れるといいな」
「あんただぁーーーーっ!!」
「なんで俺限定!?」
よく見てみれば彼女が陣取ってたのはひげもじゃのおっちゃんが経営する野菜の露店、「頑張れよぉー」的に手を振っていた。置いてあるのはトマトやらジャガイモだが、彼女がシドに売りつけようとしているのは水晶である。
冷静になって考えるとこれが10ドルというのは破格すぎやしないか、直径10cmちょっとの真球形、やばいくらいの透明度で中心に空洞があり、青白い炎みたいな形の物体が…いや本物じゃない?本物の炎入ってないあれ?
どう見ても本物である、動かせば揺れる。どこかに吸気口があるのか、燃料はどうなっているのか、熱くないのか。
「他に買ってくれる人絶対いるって!」
「いや買ってくんないよこんなもん!」
「自分の売り物こんなもん!!」
「だーかーらーぁ!」
「買わねえってつーか抱きつくな当たってんだよ!」
「当ててんのよ!!」
ダークグレーのジャケットの袖にひっついて離れない彼女を引き離そうと足を早めるも思いきり踏ん張ってその場に留まろうとしくさる。そしたらあっという間に周囲の視線を集め出した、露店のあんちゃんも買い出しの奥さんも怪訝な顔でこちらを見ている。こんな美人が騒いでいるのだからまぁー当然か、はたから見れば痴話喧嘩する男女でしかなく、無理矢理別れ話を切り出した彼氏が彼女を振り切ろうとする構図にしか見えず、そして美人な都合上、民衆が味方するのは彼女である、視線が痛い。
「たったの10ドル!」
「無理だ今の俺に10ドルは大金すぎる!」
「ぶはははははは!! 10ドル駄目!!」
しかし実際行われている会話はこれだ、色恋沙汰のかけらも無い。あんまり上品じゃない笑い方をする美人を引きずりつつ少しでも移動を続けようと全力牽引を開始、市場の出口へ。なお繰り返し言うが、ファッションショーとかミスコンの決勝で見かけても何ら違和感を覚えない程度の美人である。
「じゃあもう1ドル! 1ドルでどうだ!」
「安っすぃー! でもいらねぇー!」
何故にそこまで手放したいのか、投げ売りを通り越して鉄クズ回収並の値段になってしまった。しかしそれでも買ってやる訳にはいかない、シドは鉱物収集趣味がある訳でもないし占い師でもなく、また特定の住居を持たない放浪家である。台座が付いてもその水晶玉を飾ることはできず、ザックに入れておくにはあまりにかさばる。
「よぉーしわかった! わかったこうしよう! 1ドル払ってこれ買ってくれたら!!」
だから振り切るしかない、彼女に諦めて貰うしかない、のだが
のだが、相変わらず左腕に抱きついている美人さんはにやりと笑って言う。
「今、つきまとうのをやめる」
「…………………………………………」