2.
「着いてきて」とは言っても、ほんの数分歩く程度だろう、と高をくくっていた僕らは、いつまでも歩くのをやめないサクラちゃんにびっくりさせられることになる。
太陽が恨んでいるんじゃないかというほどの炎天下、濃い緑色の木々の間を貫くコンクリートの道路を、僕らは結局三十分近くも歩き続けた。
「……こんなに歩くんだったら、自転車持ってきたらよかったよ」
汗だくのリョータがうんざりしたようにつぶやき、僕もうなずく。お気に入りの青いマウンテンバイクは、学校の駐輪場においてきてしまった。
「ねぇ、この道って……」
さっきからさすがに息を切らしているナツミが、前を行くサクラちゃんの背中を指差しながら僕に目を向けた。僕も、首をかしげながらうなずく。
サクラちゃんがわき目も振らずに進んでいく道の先にあるものに、僕らは心当たりがあった。
「サクラちゃんが向かってるの、水浪山、だよね。この先には他には何にもないし」
水浪山。僕らの住む水浪町の名前の由来にもなっている小さな山で、僕らを含めたこの町の子供たちの遊び場でもある。夏には濃い緑色の葉っぱをつけたたくさんの木々に覆われていて、その奥には――小さな滝がある。
「水浪山、か」
リョータが、何かを思い出すようにつぶやく。
僕ら三人が同時に思い出しているのは、去年の夏のことだった。去年の夏、僕たち三人とリョータの妹のミナの四人で、真夏の水浪山に入り、そして不思議な体験をしたんだ。
「でも、どうしてサクラちゃんは水浪山に向かってるんだろう?」
ナツミの言葉に、誰も答えられない。
水浪山で不思議な体験をしたことを知ってるのは僕ら四人しかいないし、それ以外には特徴もない、ただの小さな山だ。街の外から来た人が、わざわざ水浪山に行くのなんて聞いたこともない。
そんな僕たちの会話が聞こえているのかいないのか、サクラちゃんは相変わらず早足で振り返りもせずに歩き続ける。ずっと山の中に住んでいて体力には自信がある僕たちでさえへとへとなのに、サクラちゃんは息一つ切らしていない。見かけによらずすごい体力だ。
ほどなくして、水浪山が見えてくる。去年の夏以来遊びに来ていないけど、水浪山は相変わらず何十種類もの色とりどりの「緑色」に覆われて、堂々としている。
山が目の前に迫った途端、照りつける日差しもふっと緩やかになり、そこだけ清涼な風が吹き抜けたような気がした。
僕らより先に山の入口(山の奥に向かう獣道が始まっているところだ)にたどりついたサクラちゃんが、ふと立ち止まり、くるりとこちらに向き直った。
「お疲れ様です。ここはあなたたちもよく知っている、水浪山です」
まっすぐにこちらを見つめるその視線は、まるで僕らが水浪山で体験した不思議な出来事までもお見通しなように見えて、僕らをあわてさせた。でも、あのことについては僕ら四人しか知らないはずだし、四人は決して秘密を漏らさないって約束し合っているからサクラちゃんが知っているはずはないんだけど……。
「それはわかってるけど、サクラちゃんは僕たちをこんなところまで連れてきて、どうするつもりなの?」
三人の疑問を代表して僕が尋ねると、サクラちゃんはその雪のように白いおでこにきゅっとしわをよせて申し訳なさそうな顔になった。
「すみません、急にこんなことに巻き込んでしまって。でも私にはあなたたちしか頼める人がいなかったんです……」
サクラちゃんの今にも泣きそうな顔を見て、僕は罪悪感でいっぱいになり、あわてて言った。
「いや、別に怒ったりしてるわけじゃないよ。ただ、さっぱりわからなくってさ」
「そうそう、オレたちはサクラちゃんの力になるつもりだよ」
「あたしたちにやれることがあったら言ってね」
リョータが大抵の女子はイチコロの必殺スマイルで言い、ナツミも持ち前のお姉さんっぽい面倒見の良さを発揮してサクラちゃんに笑いかける。
「ありがとうございます。やっぱり、命様の言うとおり、あなたたちはいい人ですね」
『そうだろう、桜姫。われも彼らにはとても世話になった』
サクラちゃんの言葉に答えたのは、山の奥から響いてきた、ひどく透き通った声だった。男か女かもわからない、でも間違いなく大人の、落ち着いた声。姿は見えず、声だけだ。その声に僕たちは、聞きおぼえがあった。でもまさか……。
「「「タケハヤ様?!」」」
僕とリョータ、ナツミの三人が同時に叫ぶ。
『ああ、久しぶりだな、少年たちよ。会いたかったぞ』
タケハヤ様――正式な名前は建速御槌水浪主命。その正体は、水浪山のてっぺんから流れる、滝の化身――つまり、水浪山を護る、神様だ。
去年の夏。僕ら三人とリョータの妹ミナの四人が水浪山で体験した不思議な出来事。それは、タケハヤ様との出会いだった。地震で力の源である魂代が湖に落ちてしまい、困っていたタケハヤ様。タケハヤ様はこのあたりの水をつかさどる神様でもあったから、おかげで水浪町はひどい水不足で、タケハヤ様の本体でもある滝も枯れてしまっていた。たまたま滝を見に水浪山に来ていた僕らが、魂代を湖から拾ってきて、無事、タケハヤ様は元の力を取り戻したんだ。
急に僕が神様の話なんてしたから、信じられないって思ってる? 僕だって、はじめは信じられなかった。だけど、なんでだか胸の奥の方にしみこむタケハヤ様の優しい声を聞いたら、きっと信じられると思うんだ。不思議なことってのはきっと、頭じゃなくて心で感じるものなんだよね。
だけど、僕らが神様を助けたなんて話、大人たちにしたって誰も信じてくれはしないだろう。それに、きっとタケハヤ様の存在は、興味本位の大人たちに知られていいものじゃない。だから僕らはその思い出を僕らだけの大事な秘密にして、変わらずに過ごしてきたんだ。
それなのに。僕ら以外に、タケハヤ様の存在を知っている人がいたなんて。しかも、二人(と言っていいのかな?)の様子を見ていると、まるで親しい友達同士のようで。
「サクラちゃんって、もしかして……」
僕が呟いた言葉に、サクラちゃんは申し訳なさそうにこくん、とうなずいた。
「隠していてすみません。私は、人間ではありません。木の精、なんです」