へなちょこ悪魔と勇者、時々魔王様
私は悪魔だ。そして魔法使いでもある。
但し体力が殆ど無いから外へ出て人間を狩る等夢のまた夢である。
故に私は隠居する事に決めた。私は人に交じってこそこそ生きるのも、同じ悪魔達と騒がしい日常を過ごすのも大嫌いなのだ。
誰にも会う事無く、かと言って町で暴れる事もなく平穏に生きる。
ああ、なんて素晴らしい人生!
…そう思っていた時期が、私にもありました。
〝魔法を使える者は悉く魔王城に集結せよ〟
そんなお触れが出たのは一月前の事。面倒なので無視しようと思っていたのに、何故か探し出された挙句無理やり魔王城に連れてこられた時には、すわ処刑かと戦々恐々としていたものだ。
だというのに、何なのだこの状況は。理解が追い付かない。
結論から言えば処刑は免れた。
が、何故か魔王様から下った命は、「勇者を教育せよ」だった。
勇者を教育?
耳が可笑しくなったのかと思ったが、魔王様は本気だった。
そればかりか勇者にまで頭を下げられる始末。
大体、魔王様と勇者が友人同士だなどと初めて知ったぞ。思わず頬が引き攣った。けれどもあのきらきらとした勇者の純粋そのものの期待の眼差しと、その背後から圧力を掛けるように妙に威圧感のある笑顔を魔王様に向けられては、屈しない方が無理な話。
世間と隔離された日々というものは平穏そのものであるけれど、今後は少しばかり世間の情報を集める必要があることを痛感した。
途方に暮れながらも勇者に魔法を教え込んで二年。
漸く、ようやく私は解放される。
「もう帰ってしまうのですか?」
寂しいと口にする勇者は精悍そうな顔を歪めて眉を下げた。
だが後ろ髪なぞ引かれないぞ。何せ二年ぶりの隠居生活に戻れるのだ。
こればかりは魔王様を引き留められないのか、「ご苦労であった」と渋いテノールで言われれば、帰宅は確約されたようなものだ。
しかしまあ、少しくらい情も移ってしまったし、もごもごと適当な別れの挨拶をしてさっさとハッピー隠居ライフに戻って二日。普段は鳴らない家の玄関がノックされる。
おいおい、今度は何だ?
どうせ近所の同じく隠居ライフを過ごしている魔女の婆さんがまた痛み止めを作ってくれだとか、そんな用事で来たのだろうと嫌々ながら玄関の扉を開ける。
これがいけなかったのだろう。ハッピー隠居ライフに浮かれすぎていて、私はすっかりと気配を読むのを忘れてしまっていた。
「お久しぶりです」
粗末な玄関先でそう言う勇者はきらきらとした輝きに満ちていた。
いや、まだ二日しか経ってない。という言葉は喉の奥で消え、梃子でも動かなさそうな勇者に不承不承家に上げると、何故か頬を染めて「素敵な家ですね」と言う始末。
おい、今少しイラっとしたぞ。魔王城に長く居た勇者には分からないだろうが、これでも少しずつ少しずつ手を加えて作り上げた家なのだ。さぞかし勇者にとっては粗末な家に見えるだろう。
良く言えば温かみのある家。悪く言えば所々涙ぐましい修繕の痕が垣間見えるボロ屋だ。
私の表情から何か汲み取ったのだろう。勇者は重ねて「本当に素敵な家だと思います!」と言って、頬を染めた。
いや、お前も私も生物学的に男だろう? 何故頬を染める?
私は思わずドン引きした。
「実はお願いがあって来ました。一緒に旅に出ませんか?」
何か決意するような眼差しに即座に断りを入れようとする。顎を引いて答えを舌に乗せようとした瞬間、私は何故か勇者によってひょいと肩に担がれていた。
おい、降ろせ!
「ありがとうございます。嬉しいです!」
そう頬を染める勇者は何故か私を担いだまま馬に乗る。
いや、何も返事してないし何か妄想してるんじゃないか。
その時の私は、よもや顎を引いた事で勇者に肯定したと捉えられた事など、全く、これっぽっちも分かっては居なかった。
なんでこうなった!
私は叫び出したかった。けれども慣れない馬上で文句を言う事も憚られ、結局勇者に拉致されるように、勇者のパーティーが野営する場所へと強制連行された。
その後、私は何故か勇者の旅に同行する羽目になり、勇者のパーティーに居た女戦士に体力強化の訓練につき合わされる事になる。
なんでこうなった!
旅の途上で、勇者が幼い頃に森の中で道に迷い、襲ってきた魔物から助けて貰った悪魔に会いたかっただとか、わざわざ友人の魔王様に頼んでその当人である私に魔法指南をお願いしただとか、そんな情報は必要ない。
お願いだから帰らせてくれ!
私は切実に、そう思った。
* 勇者 side
俺の後方でよた付きながら四苦八苦馬に乗っている悪魔様を見つめて、俺はふっと笑った。
元々悪魔であり、当然悪魔特有の蝙蝠羽を持つ悪魔様が慣れない馬にもたつくのも仕方が無いが、悪魔様は俺が手を貸すのを大層嫌がるものだから、ぐっと堪えて見守る。
それを眺めていた女戦士のキュレムが、「勇者は本当に悪魔様が好きねえ」と笑った。
それはそうだ。悪魔様は何と言っても俺の命の恩人なのだから。
悪魔様との出会いは、十数年前に遡る。俺は魔の森に迷い込み、そのおどろおどろしい空気に俺は心底怯えていた。考えてもみて欲しい。まだ4歳かそこらだった俺は、保護者とはぐれ、一人きりで夜を明けるしか無かったのだ。それは本当に恐ろしい体験だった。
魔の森という名の通り、森には多くの魔物で溢れていた。当然その中には人間を好物とする魔物も多く実在していたのだ。絶体絶命、と言う他無かった。
俺の手に武器となるような物はなく、俺はただただ無力な人間の子どもだった。だから俺が瀕死の状態に至るのは当然の事で、魔物の爪が俺の肉を引き裂くかに思われたその時、突然俺と魔物の間に何かが立ち塞がった。
なに、なに?
うわ言のようにそう繰り返していると、目の前に現れた小さな光は徐々に青白さを増して魔物の皮膚を焼き、俺にその爪先が届く事は終ぞ無かった。魔物の死体をひょいと飛び越えて俺を抱き起したその人はフードを目深に被り、静かに俺の怪我を治してくれた。
『お前、人間の子だろう。帰るが良い』
『かえり道、わかんない』
『はあ、仕方の無い。お前の居た場所は…あちらだな。送ってやる。楽にしていろ』
『ふ、えっ…!』
ふわっと浮いた体が魔法陣の上で淡く光った。『まっ…!』そう声を上げた次の瞬間には、俺は魔の森の入り口に戻っていた。
あの人に会いたい。もう一度、お礼を言わなければ。そう思ったのは、俺を探す為に魔の森の前で仲間と共に何事か協議していた父の姿を見てからだ。父にはしこたま怒られたけれど、後悔はしていない。なんといっても、あの時あの場所へ向かわなければ、俺は悪魔様に会えなかったのだから。
まあその後、魔王と友人関係となったのは予想外だったけれど、悪魔様が側に居てくれた二年間は本当にかけがえのない時間となった。
そういえば悪魔様はまだ性が固定化されていない為に男にも女にもなれる訳だけれど、悪魔様は気付いていないのかな?出来れば俺のために女になって欲しいけど…まあそれは追々考えていけば良い。
鬱陶しげにこちらを見つめる悪魔様に笑いかけ、俺は悪魔様の側に駆け寄った。