第七話「セクハラ教師 VS 学園アイドル」
――九月、第二週の金曜日。
待ち合わせの時間までには、まだかなり時間があった……
霧島友哉は美術室にいた。
美術部の課題になっている【ヘラクレスとアンタイオスの戦い】の石膏デッサンを仕上げる為だ。何故数ある石膏像の中から、この題材が選ばれたのかは不明である……ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが、アンタイオスの胴を空中に持ち上げながら締め上げている……そんなファンタジックな戦いの一場面であった。
――講師は、美術教師を務める三上詩織。
教師の仕事とかけもちで前衛芸術家をしている。たまに珍妙なパフォーマンスを行って警察沙汰になる傍迷惑な女性だった。
しかし、飾らない人柄と偏見の無い態度で、彼女を慕う者は後を絶たない。ここはそんな彼女の夢の王国……否、変人達の保護センターの様な場所であった。
……そんな保護センターに、いるべくしている人がここに一名。
「ここ! デッサン狂ってるぞ!!」
工藤麻美は、手にした練り消しで、いきなり友哉のデッサンを消し始めた。
「あっ、オイ!」
気付いた時には手遅れだった。ヘラクレスに締め上げられてもがくアンタレイオスの上半身が、既に無きものになっていたのだ……残ったのはヘラクレスと、アンタレイオスの足と尻だけである……ヘラクレスが苦悶の表情で、下半身だけの裸の男に抱きついていた。英雄が特殊な性癖を持つ変態性愛者の様に見えるではないか!?
……それはさておき、何で彼らは裸で戦っているのだろうか?
「おいっ、ヘラクレスが変態にしか見えないじゃないか!」
「美術あるあるだね~~描きかけのデッサンは時にそうなるの。あ~はっはっ~~~~傑作だわ!!」
人の絵を勝手に消す、という暴挙に出た麻美は、その変態的な出来栄えにご満悦であった。
「麻美、そういうのは作者の許可を取ってからやれよ!」
姉のおかげで超人的なストレス耐性を持つ友哉ではあるが、さすがに少し頭に来た。
「だ~ってだって~、デッサンが全~~然違うんだもん。黙って見てられないよ……私、美術部の先輩だよ」
友哉は美術部の噂を聞いて、最近入る事を決めた新人部員だ。元来、絵に興味はあったが、イメージを形にすることが、良い戦闘訓練になると思い入部を決めたのだった。
熱心な講師と、気骨のある変人達に刺激を受けて、彼の画力は少しずつ上がっている……筈である。
「画歴一ヶ月の友哉君。デッサンの狂った状態で、描き進めても時間の無駄でしょ~~が」
麻美はたたみ掛けるように言った……理由は知らないが、麻美はいつもは友哉に絡みついてくる。
「たとえデッサンが狂っていても、勝手に消すのはまずいだろう……それに、あえてデッサンを狂わせる事で、人の心に強く訴える物を作ることも出来る」
とっさに友哉は、教科書に書いてあったことをそのまま引用して言った……
それを聞いて、ふんっと麻美は鼻を鳴らした。
「あのねえ友哉君、これはデッサンの授業だよ。現代芸術の様な反体制的な活動は、学校の外でやりなよ……デッサンの授業に現代芸術出して評価されると思う???」
「それは顧問が決める事だろう?」
「私はね~~友哉君。画歴十年よ。世界最強・最高峰画家とは私の事よ!!」
麻美のプライドに火が点いた様だった。画家にはプライドだけは高い奴が多い……厄介な人種である。そう言い放つと、麻美は豊満極まりない胸をぽ~んと叩いた。
――自称、世界最強・最高峰画家である工藤麻美は、かなり厚かましい友哉のクラスメートだ。
学業と並行して行っていた芸能活動がブレイクして、[歌手][モデル][タレント]としてテレビにも頻繁に出演している個性派セクシーアイドルである。エキゾチックな顔立ちに豊満な胸、ムッチムッチの太股を武器に、今季グラビア売り上げにおいて彼女に敵うものはいなかった。事実、彼女のチャーミングな笑顔は、一瞬で人を虜にする不思議な魔力……もとい魅力があったのだ。
フランクな性格で、ファンのサインは拒まない……ポケットには常に”マッキー極太”が入っていると言う噂である。頼めば際どいポーズの写真撮影も引き受けてくれる……これも噂である……ともあれ男女問わず色んな意味で羨望の的だった。麻実は正にこの学園のスターだ。
ギャラリーではその知名度を活かして、彼女の描いた絵が飛ぶ様に売れているらしい。
最も何でそんなアイドルが、地方都市のこの学校にいるのか? たまに疑問に思う友哉だった……
「よし、そこまで言うなら君の絵を見せてみろ」
むかつくと同時に興味を覚え、友哉は麻美に提案した。
「勿論いいけどぉ~~只では駄目!」
「じゃあ、いくらなら?」
友哉は思わず口走った……
若干戸惑った後、麻美は少しもじもじして言った。その仕草は、今まで見たことのない可愛らしいものだった。
「私のグラビア買って!」
「え~~~~~~っっ!!」
友哉は驚きで顎が落ちそうになった……本人から、本人の出演したちょっぴりHなシーンもあるに違いない(正直あって欲しい)グラビアを買う……ここは冷静な判断が必要な局面である。
……グラビアを買う事は可能だ。高校生だが仕事もしている。しかし友哉には姉がいて、姉は査察と称して彼の部屋を定期的にチェックしている。友哉がHなBlu-rayなど買おうものなら、即刻処分される……と同時に、手痛くお仕置きされるに違いない……でも、もし麻美が経済的な問題を抱えているのなら、クラスメートとして助けてあげるべきではないか???
――友哉の自称冷静な判断は豪快に的がずれていた。
「買うの? 買わないの? どっちなの???」
麻美は顔を真っ赤にして問い正した。
友哉は彼女の肩を優しく叩いた。
「麻美、もし君がお金に困っているのなら、少しは相談に乗れる……ちょっとだけど、話を聞いてくれそうな大人も知っているから……」
「もう!! Blu-ray一枚でどうしてそんな話になるの??? 私はただ………」
……麻美はそこで口をつぐんだ。
「解った……今日は特別に私の絵をただで見せてあげる」
そう言うと麻美は、くるっとモデルターンを決めてから歩き出した。
麻美は自分の絵の前に友哉を連れて来た。イーゼルに水張りされたB2サイズの木枠が立て掛けられており、仰々しく布が被せてあった。
「言っておくけど~~特別なんだからね!」
「Tadah!」
……タダーッと、英語発音で自らファンファーレを奏でると、麻美は勢いよく布を取り除いた。
――友哉はそれを見て驚嘆した。
そう、まるで雷が頭に直撃したかの様な衝撃を受けたのだ。彼はふと眩暈を覚えた。
「お……お前これ……」
友哉は震える声で麻美に言った。
「……お前これ、大真面目で描いたんだよな??????????」
「勿論よ……チャッククローズも真っ青の、スーパーリアリズムの極致よ!!!」
麻美は言い放った。
……チャッククローズとは、エアブラシで絵を描くスーパーリアリズムの到達点とも言える大画家の名前だ。
そして友哉は悟ったのだ……人それぞれ見ている世界はまるで違う……ということを。
……そこには、人体が交通事故にでも合い、変形したかの様な物体が二体描かれていた……ピカソのキュビズムの絵画と、フランシスベーコンのグロテスクな絵画を、強引に融合させたかの様な画面。妖気に満ちた迫力に満ちた画面だった。
対象を様々な側面から観察し、強引に一枚の画面にまとめるとこうなるのだろうか?
しかし、そこにはキュビズムにない痛みが内封されていた……人体が押しつぶされて、ぐしゃぐしゃになって、かろうじて原形を残している……それが痛みに拍車をかけていた。
無論それはデッサンが狂っている、等というレベルではなかったのだが……
――麻美は大真面目に、この絵をリアリズムの絵として描き上げた様だった……何よりそれが芸術であった。工藤麻美恐るべし……友哉は画歴一ヶ月にして引退を検討した。
――時刻は午後五時を回っていた。
沈みゆく優しい陽が、美術室のまだ色の塗られていないキャンバスに当たり、オレンジ色に染め上げている。
友哉は麻美に消されたアンタレイオスの上半身を何とか描き上げていた……これによりヘラクレスは、変態異常性欲者から神話の世界の英雄に返り咲いていた。
「皆さ~ん、そろそろ課題を提出して下さ~い」
熱心に教室中を回って指導していた三上先生が、今日の授業の終わりを告げた。
……友哉は少しためらったが、先生にデッサンを渡す事にした。彼の後ろにはやはりデッサンを描き上げた麻美がいる。
「よろしくお願いします……」
友哉は描き上げたデッサンを先生に提出した……課題を先生に見せる時はまだ緊張する。
「どうですか? 友哉君。美術部の授業は?」
三上先生は顔を近付けて、まじまじと友哉の顔を覗き込んだ。
ちっ……近い……あまりの近さに、彼は反射的に顔を遠ざけた。
「デッサン力は多少上がっている様に思いますが……自分なりの表現というものが未だにできず、困っています……」
友哉は正直な気持ちを伝えた。
三上先生が間髪いれずに返答する。
「大切なものは本質ですよ、霧島君。対象の本質は何なのか? 心の目で物の本質を見なければ、実際何も見ていないのと同じ事です……表面的な情報だけ追っかけていては、何も解りません。薄っぺらい表現は実際の所、芸術の歴史には必要ないのです」
「……つまり、自分を含めて対象の本質を見て、表現を行えということでしょうか?」
「心の目で見なければ、何も見えません……心の目を使わなければ、女心も解りません……」
ここで、独身二十XX歳、日照り続きの女教師・三上詩織の瞳孔がグワッと見開かれた。
「もっとも……最も私の場合……私の女心は、誰も誰もだ~れも理解してくれなくて、本当にほんと~~に、困っていますが……」
「はあ……」
「友哉君さえよければ、私の女心を、一晩かけてみっちり解説してあげてもいいんですよ♡」
「ちょ~~っと待った~~~~~~~~~~!!」
――後ろから工藤麻美が待ったをかけた。
「生徒を口説く女教師がどこにいますか!」
麻美は沸騰したやかんの様に、頭から蒸気を発して怒っている。
「……わ、私はただ、教師として……愛について、一晩かけて講義をしてあげようと……」
「講義ですって? どうせ最後は……いやらし~~い内容になるんでしょう? ねえ先生???」
それを聞いて三上詩織は、しばしウ~ムと腕を組んで考えて……
「ジャズの即興演奏と同じです……イントロは考えていますが、その後どうなるかは成り行き次第です……フッフッフッ……」
三上先生の目は、妖しい色を帯び始めていた。
「先生! 先生のナンパが原因で、先月男子生徒が退部したのを忘れたんですか!?」
三上先生は自分を指差して、
「私?……のせいで???」
この件、恐るべき事に、本人に自覚はなかった様だ……
「じゃあこうしましょう、霧島君。愛……の講義は辞めて、モダンアート百年の歴史について、手取り足とりレクチャーしましょう……終わるまで少なくとも丸五日はかかりますが、勿論泊まり込みですよ……」
「せ、先生は生徒と二人っきりで、何の合宿をするつもりなんですかあ!? 絶対駄目駄目です。却下します!!」
麻美が啖呵を切った。
「友哉君は美術部の有望株です。ここで辞めさせる訳にはいかないわ!」
「私は霧島君に話をしているのです。工藤さん、口を閉じなさい」
前衛芸術家と学園アイドル。女性同士の熱い口論が火蓋を切った……
友哉は二人のやりとりに、ただただ圧倒されていた。
美術部恐るべし! そして前衛芸術家、輪をかけて恐るべし!
解ったことは、こいつらは面倒臭い! そして危ない! ということだった。
友哉は二人が口論に夢中になっているのを横目に、こっそりと美術部を後にした……