第六話「施設」
新宿区市谷――防衛省。
堅固で無機質なビルの外観は、まるで要塞を思わせる。正門には見るからに屈強な守衛が武装して立っていた。しかし……この施設の真の秘密は人の目に付かない所に隠されている。一般には永遠に公開されることの無い機密中の機密エリア。
防衛省の地下にその施設はあった……
亜里沙の知る限りでは、地下一階は作戦司令室、地下二階は研究室、地下三階は戦闘訓練室・武器庫になっていた……地階は全て、エイリアンに関係するフロアーで占められている。多発するエイリアン犯罪を受けて、防衛省内部で密かに増築されたものだった。
霧島姉弟はその建物の地下一階にいた。先の見えない程長い廊下を歩く。二人の靴音が反響してコツコツと音を立てた。
部屋の作りはどれも同じデザインだ。無個性の反復は、ミニマルアートの芸術を思わせる。壁の表示を見なければ、自分が今どこにいるのか判別出来ない程だ。
亜里沙はその廊下の『J十三地区作戦司令室』の前で立ち止まった。
霧島姉弟はJ十三地区を中心に、隣接する地区の警護を担当するミュータントだ。
センサーにIDカードをかざす。友哉もそれに続いた。
「霧島捜査官お待ちしていました……司令官の部屋に起こし下さい」
受付ではアシスタントの立花玲子が待っていた。彼女に促されて室内に入る。広い部屋には三台の長机が設置されており、そこで三十名程の職員が働いている。彼等はここでJ十三地区の監視、データ分析、作戦の立案等を行っていた。人間とミュータントからなる混在チームだ。
その部屋の一番奥に司令官の部屋はあった。
表札に【J十三地区作戦司令官・K】と書かれている。
立花はドアを三回ノックした。
「司令官、霧島捜査官をお連れしました」
中から施錠が外れる音がした。
「入りたまえ」
中から低く落ち着いた声が聞こえた。
霧島姉弟が中に入る。
「おはようございます、K指令官」
姉弟はKと呼ばれるその男に、揃って挨拶をした。
K――J十三地区の司令官であり、霧島姉弟の上官を務める男だ。背の高いひょろりとした風貌で、顔に刻まれた若干の皺は四十代後半であることを伺わせる。歴戦の強者であり彼自身もミュータントだ。秘匿とされている超能力も相まって、社内では一目置かれる存在である……
部屋は香しいコーヒーの香りに満ちていた……たった今、淹れたばかりの様だった。
「よく来てくれた」
Kが霧島姉弟に声をかける。
「こんな日はブラックに限るよ……」
そう言うとKは、専用のマグカップになみなみと注がれたコーヒーを飲んだ。
マグカップには彼の名前がプリントされている。それは、霧島姉妹が彼の誕生日にプレゼントした物だった。
「又、徹夜ですか?」
身を案じて友哉が聞いた。
「エイリアンにコーヒーを嗜む心の余裕があれば、我々の仕事も減ると思うんだがね」
Kは《百目男事件》のせいで昨晩は徹夜していたのだ。
目の下のクマはブラックコーヒーでも消せなかった様だ。エイリアン関わる人間は、誰もが私生活まで引っ掻きまわされると言う訳だ。
「ところで、学校の方はどうだね?」
「いつも楽しく過ごしています」
亜里沙が即答した。
「まあ……程々にやってくれたまえ……」
Kは、色々聞いてるぞ! とでも言いたげな渋い表情をした。
「私のことはさておき……」
亜里沙は、ばつが悪くなり強引に話を切り替えた。
「友哉の方は、成績も良く人付き合いも優秀なんですよ」
「やれやれ、それを聞いて安心したよ」
Kは胸を撫で下ろし微笑した。
……亜里沙の破天荒なアウトローライフがどこまで漏れているのか? 友哉は空恐ろくなった。
姉妹は顔を引きつらせつつ、何とか揃って微笑を返した。
「さて、早速で悪いんだが……我々が今、全力で捜査している《百目男事件》の件だ」
姉弟は来客用ソファーに腰かけていた。Kとアシスタントの立花、そして姉弟がテーブルを挟んで向かい合って座っている。
テーブルの上には、余り見たくはない百目男のモンタージュ写真が、プリントアウトされ置かれていた……何とも見事な出来栄えで、画家の腕前が逆に恨めしい限りだ。
「百目男――命名は亜里沙君。君のレポートによると、跳躍力は一蹴りで二百メートル、距離十メートルからの狙撃を見切りでかわし、振り下ろした剣は後ろ跳びでかわしたそうだな……」
「事実です」
姉妹は口を揃えて返答した。
「これも聞かなければならない……」
「奴の体には、人間の眼が無数に張り付いていた……これも事実かね?」
「ふ――――――――っ」
姉弟が揃って溜息をついた。
「残念ですが……」
「動機は解りませんが、あれは人間の眼でした……」
亜里沙がうんざりした表情で、怪物を命名するに至った訳を語った。
「――百目男、奴の最初の犯行は一九八九年九月、長野県山麓をヒッチハイクしていた男が、両目を刳り抜かれて惨殺された所から始まっている」
「以降、長野自動車道沿いで三件、いづれも九月に同じ事件が発生しています」
Kの話を受けて立花が続けた。手には何とも分厚い報告書が収められている。
「長野の四件の事件は、いずれも近距離、つまり長野自動車道沿いで事件が発生している……しかしその後十年間に渡り、この事件は起きなかった訳だが……一九九九年に入ると事件が再発した」
「……つまり同じ九月に両目を刳り抜かれた死体が、この時は七体見つかった訳です」
立花が話を引き継ぎクールにリポートする。
「何とも不気味な話だが、事件は十年毎に淡々と繰り返されているのだよ、霧島君」
『何故?』という疑問符が無数に駆け巡る……何故、十年毎に犯行を繰り返すのか? 何故、好んで同じ月に人間の両目をえぐり出すのか? 何故……
「霧島友哉捜査官」
友哉の堂々巡りの思考はそこで中断された。
「今月に入り、既に三件の事件が起きています」
立花は声のトーンを抑えて言った。
「つまり、百眼男は九月の間、淡々と犯行を繰り返す。そして、私達がもし今月奴を取り逃がしたら、又十年待たなければいけない……ということですか?」
亜里沙は重要なポイントを確認した。
「そうゆうことだ。奴は自分のルールに則り動いている……何を考えているのかは皆目、見当もつかんがね」
「コレクション……という奴でしょうか?」
友哉は疑問を口にした。
「解らん! 百眼男に関する心理面のデータはゼロだ。とにかく、我々としては十年後、事件が他の地区に飛び火する前にここで決着を付けたい」
「それから、この敵に対して通常兵器のみで戦うのは難しい。取り逃がす可能性が高いと判断した……」
「君達の超能力、《無限の武器》で仕留めてくれ」
Kは語気を強めて指示を出した。
「解りました」
姉弟は声を揃えて返事をした。
「私からは以上だ。立花君、他に何かあるかね?」
「霧島捜査官、報告書に目を通しておいて下さい」
立花は、百科事典程ありそうなぶ厚い報告書を、亜里沙に手渡した。
亜里沙は報告書の厚みをしげしげと確認すると、中身を一瞥もせず友哉に手渡した――丸投げだった……
立花はそれを見て、くすくすと笑っていた。
――無限の武器――
何故、この様な超能力が存在するのか? 姉弟にもそのルーツは解らない。
能力は、《イメージした武器を物理世界に生成すること》である。
それをイメージ出来るのであれば、どんな武器でも瞬時に生成することができた。しかし生成できる武器の質と量は、姉弟の精神力=PSE(Psychic energy)に因っていた。
通常、威力の高い武器を大量に作り出した場合、PSEの消費量は激しかった。
そしてPSEレベルが0になると、姉弟は武器を生成する能力を無くし、精神力の回復を待たなければ、再び武器を生成することは出来なかった。
PSEの枯渇とは、意識の喪失――つまり戦闘不能になることを意味しており、エイリアンとの戦いにおいてそれは死ぬ事と同義であった。姉弟は戦いにおいてPSEレベルを常に意識する必要があったのだ。
又、生成した武器を使用する過程においては、物理世界と同様に技の研鑚が必要だった……おのずと得手不得手によって生成する武器の種類は決まってくる。
接近戦を得意とする亜里沙は、剣を生成し戦うことが多く、亜里沙のバックアップに回ることの多い友哉は、銃を生成し戦うことを得意とした。
そして不思議なことに、生成した無限の武器で自分自身を傷つけることは出来なかった――無限の武器は己のPSEの結晶だ。無限の武器の能力者が、生成した銃で自分を撃った場合、それは自分自身のエネルギーとなってPSEレベルが増加するだけだったのだ。
だが無限の武器の能力者同士で、お互いを傷つけることは可能だった……他人のPSEは自分の物として取り込むことが出来ないのだ。幸いにも姉弟同士で、真剣勝負をする機会には恵まれなかった訳だが……姉弟は日常の遊びの中からそのことを学んで行ったのだ。
――無限の武器――
頭の中でイメージした武器を、物理世界に生成する超能力。
内戦に明け暮れた世界で生まれたテクノロジーか?
どこぞの諜報機関が作り出した戦術兵器か?
……いずれにしろ物騒な理由で誕生したに違いない。
《無限の武器》とは、母親が教えてくれたこの超能力の名前である。
姉弟はこの能力を母親から受け継いでいたのだ。
ヒューマノイド型のエイリアンであった母は、エイリアンの研究者であった父との間に子供を作り、家族として密やかに、この国に溶け込み暮らしていた……
しかし、母の超能力に軍事的価値を見たエイリアンの一派によって、両親はアブダクトされたのだった。亜里沙が十一歳の時だ。姉弟は両親の行方という情報、そして生活費を稼ぐという現実的な目的の為、特務捜査官として極めて危険な任務に就いていた……