第一八話「能力者の戦い」
小夜は百眼男の遺伝子に……肥大した自分の能力に呑まれてはいなかった。
身体にエイリアンのウイルスを打ち込まれた人間の少女は、数ヶ月に及ぶ修行の末、人の心で能力を制御する術を会得したのである。
イザヨが右肩を押さえたままユラリと立ち上がった。
サウスポースタイルの右構えから左構えにスイッチする。
依然として戦う気だ。
ふらふらとした足取りはまるで、死ぬことを忘れたリビングデッドの様だった。
そう……もし実戦であれば“参りました”は無いのだ……イザヨさんは既に現場に投入されている捜査官だ……この程度の負傷では降参などしてくれない……
小夜は全く油断してはいなかった。
鋭い鉤爪を敵に向けたまま、いつでも動けるように構えを取り続けている。
……イザヨさんはやはり強い! 肩が痛いはずなのに。
それどころか負傷してからのイザヨの目は爛々と輝き、上気した頬は一層紅く染まり、ゼーハーゼーハーという呼吸音は一層荒々しくなっている。
つまり生き生きとしているのだ……彼女の瞳に宿るハートマークは一つから三つへとその数を増やしていた……
イザヨが口を開く――
「小夜ちゃん! この戦いが終わったら私と婚約しよう!!」
「…………………………………………………………………」
イザヨはこともあろうか戦いの最中に婚約宣言をした。
小夜の額を大粒の汗がイグアスの滝さながらに伝った。
……これは!?
……そう……精神攻撃よ!
……精神攻撃に違いないわ!!!
……これは精神攻撃……精神攻撃……精神攻撃……
小夜は精神攻撃という言葉を念仏の様に繰り返した。
イザヨの真意は余り知りたくはない小夜だったが、戦いの最中相手に呑まれたが最後、ペースを完全に握られて結局は負けてしまうのだ。
イザヨさんのペースに呑まれてはいけない……小夜は揺れる気持ちを戦いに向けた。
――三度、イザヨが小夜の前で三分割した。
小夜を見つめる複数の嫌らしい目が小夜を襲う!
小夜は額の三つ目に意識を集中した。
人間の目ではイザヨさんの動きを捉えきれない!
相手の動きに意識を向ける……注意深く観察する。
……三つ目で見ると相手の動きがはっきりと見えた。
実際の所イザヨは三分割してはいなかったのだ……イザヨは超高速移動を繰り返していたのである。
……私は今までイザヨさんの残像を見ていたのだ……つまり、私の敵はそれ程早く動けるのだ!
高速移動を繰り返すイザヨが再び小夜に迫る!
イザヨが打撃を放つ度に風切り音が耳を突く。
右のロ―キック、左ストレート、右のハイキック、踏み込みざまの左フック……一発でも食らえばそれだけだけで致命傷となるに違いない……
しかしイザヨの打撃はいずれも空を切っていた。
見える!
……これが戦闘時に開放した百眼男の力!
今まで忌々しいとしか思わなかったエイリアンの力に今は助けられている……何という皮肉だろう……しかし今はこの力を開放する時だ……エイリアンに利用されるのではなく、私がこの力を制御して使うのだ……
……イザヨさんは既に右肩を負傷している……これなら行ける……この勝負、勝てるかもしれない……小夜がそう思った矢先――
イザヨは今まで隠していた切り札の一つを出した。
再び小夜の懐深くに飛び込むと、残された左腕で高速の突きを見舞う!
……見える!
小夜は右に跳んでいた……一切の迷いは無かった。
イザヨの左ストレートが空を切り裂いて行く……
このまま右の鉤爪をイザヨさんに突き立ててこの戦いを終わらせる!
小夜が鉤爪を突き出して、右の貫手を放とうとした正にその時だった……
バシュッ――――――――――!!
小夜の左脇腹を激痛が貫いた。
……まるで鋭利な刃物で身体を裂かれた様な激しい痛み!
小夜はこの時初めて知ったのだ……戦況は一瞬で逆転するということを……
……何が起きたの!?
左ストレートはかわしたはずなのに???
一端後方へと飛び退いて恐る恐る自身の脇腹を確認する。
イザヨの左ストレートが抜けて行ったその場所では……服は焼け焦げ放電した電磁パルスがバチバチと音を立てて舞っていた。
……脇腹が切り裂かれた様にズキズキと痛い……それに痛みが全身へと拡がって……まるで体中を針で突き刺されている様な……
小夜はこの時身体の自由を失っていたのだ……手は痺れ足は振らつき立っていることがやっとだった……
痛い……痛い……痛い…………
百眼男にエイリアンの遺伝子を打ち込まれ、悶え苦しんだ時の記憶が期せずして蘇った……それは永遠に呼び覚ましたくはない脳の中に仕舞い込んでいた筈の記憶だった…………
コートの中央では右肩を押さえながら、戦況を冷徹に見つめるイザヨの姿があった。
イザヨの全身を包む若草色のオーラの中で、彼女の左腕だけが蒼白く輝き、禍々しく電磁パルスを放電していた……
直撃で即死……至近距離の放電でも再起不能となる能力を彼女は開放したのだ……無論彼女とて、可愛いい後輩にこの能力を使いたくは無かったのだが……
バチイイッ! バチイイイイイッ!
禍々しい破裂音が訓練室に反響する。
――イザヨは高電圧の電磁パルス・EMP(Electromagnetic Pulse)を放電することが出来るミュータントだったのだ……
「うわああああああ――――――――」
小夜は堪えきれず思わず大声を上げていた。
紫田カオルの前で情けない姿を晒したくはない小夜だったが、止めども無く流れる涙を止める術が無かったのだ……
大粒の涙が幼い少女の頬を伝った。
戦いの最中ではあるがイザヨが思わず声を掛けた。
「小夜ちゃん! あなたは良く頑張ったわ。でも……ギブアップしなさい。私が手加減しなかったら、今の一撃であなたは死んでいたわ。全身を駆け巡る高電流に細胞を粉々に破壊されてね……」
小夜は泣きながら震える足で何とか構えを取った。
「まだ…………」
口を開き先輩に一言だけ意思を伝える――
「私はまだやれます!」
その言葉にイザヨは一度だけコクリと頷いた。
再び両者はコートCで構えを取った。
……まだ終わっては……いない……
小夜は一端閉じていた三つ目を再び開放した……私も……まだ全力を出していない!
刹那、イザヨが距離を詰めた!
小夜が後方へと大きく飛び退く。
……接近線は危険だ……打撃の射程に入ればあの技が来る!
逃げる小夜をイザヨが子気味良いフットワークで、後方へと確実に追い込んで行く。
もし三つ目を開放していなかったら……イザヨさんは五つに分裂して見えていたに違いない……
イザヨは勝負に出ていたのだ。
光速移動に電磁パルスの宿る身体!
何という強敵か!?
小夜は次第にコートの四隅へと追いやられて行った……
イザヨの掲げる左腕からは、禍々しい電磁パルスが眩く蒼白い閃光を撒き散らしていた……その姿はまるで、憑依した相手を確実に呪い殺す怨霊の様だった。
コートの外に出たら……ギブアップしたことのサインとして取られてしまう……
もう後ろに逃げ場は無い……
小夜の三メートル前方にはイザヨが立ち塞がっている。ハートマークの目と、ゼーハーゼーハーという呼吸音のおまけ付きだ! ちなみにイザヨの呼吸音は、告白以降一層荒々しいものへと変貌を遂げていた……
小夜は観念した。
……婚約の話ではない。
イザヨさんは手加減をしたと言っていたけれど、それは私とて同じことだ……一緒に汗を流し……冷や汗の方が多かったけれど……お世話になった先輩を傷つけたいと願う者がいるだろうか!?
否だ! 私の半分はエイリアンだけど……残り半分は人間だ!
私はそれだけは決して忘れたくはない……どんな時でも……
そう考えて来たのだ。
小夜は自分の“残りの半分は人間”であるということにこだわっていた……そう、私の半分は人殺しのエイリアンでも……あと半分はお母さんと同じ人間なのだ……
でも……
小夜は戦いの最中、己の葛藤とも戦っていた。
もしここで負けたら……私は捜査官になる前に、本日を持って首になるだろう……
田島教官からこう言われるのだ……荷物をまとめて帰れ……二度と来るな……と。
戦場で敵にギブアップする捜査官を雇う者がいるだろうか!?
では殺人鬼に恩赦を与える捜査官はどうだ!?
どちらも否だ。
不採用に決まっている。
それなら!
小夜の全身から目を射すピンクのオーラが迸った。
全力でやる!
出し惜しみをする必要はもうない……
イザヨさんもそのつもりの筈だ……
――PSE全開。
小夜は上げていた左手のガードを降ろしていた。
顎に構えていた右手の鉤爪を懐深くへと置く。
メタルクロームに輝く鋭利な鉤爪が、只イザヨに向けて真っ直ぐに向けられていた。
小夜は他の一切の動作を捨て去り、右の貫手をイザヨに突き立てることだけを考えていたのだ。
……イザヨさんの電磁パルスに耐えられるかどうかは分からない。
でも次の一撃で必ず決める!
最後に小夜はイザヨを倒す覚悟を決めた。




