第二三話「再来」
――九月、第四週の木曜日。
東京都新宿区市谷防衛庁。
時刻は深夜一時半を回っている。
遠藤美冬は防衛庁地下一階にある、内閣特務捜査班のヘッドオフィスに詰めていた。
宿直用の簡易ベッドに、他の捜査官同様腰を下ろしている。
百眼男――十年に一度、夏の九月に出現し、無差別に人を殺害。最後に被害者の両目を抉り取る連続猟奇殺人鬼。
"鬼"か……正にどんぴしゃりの形容だ……
鬼と呼ばれる存在は、エイリアンに遭遇した太古の人類が、名付け得ぬ存在に対して付けた呼称の一つである……というのが我々の見解だ。
そう……何万年も前から奴等は来ているのだ。この太陽系第三惑星に。
そして私達は今、人類にとって厄災と言える最悪な相手の来訪を受けているのである。
……それにしても。美冬は周囲を見渡した……今夜も永くなりそうだ。
内閣特務捜査班のエージェント達は、交替で夜勤をして百眼男の出現に備えていた。それぞれ男性用・女性用に宿直用の仮眠室をあてがわれている。
そして今晩は私が夜勤担当というわけだ。
美冬は夜勤に備えて、携帯の壁紙に亜里沙の隠し撮り写真を張り付けていた。隠し撮りが見つかってカメラを壊される前に、サーバーに転送出来た奇跡の一枚だった。
……美冬はうっとりしながらその写真を眺めていた。
勿論、亜里沙の写真を見つめることで闘志も高まる。
……亜里沙ちゃんは既に一度百眼男と闘っている……そうでなくても、ここ最近はオーバーワーク気味だ……休ませてあげたい……亜里沙ちゃんが次に奴と出会う前に私が仕留める!
……そして……その後は二人でお茶して、遊園地に行って、あんなことや、勿論こんなことまで……ムフフフフ……ウフフフフ……アハハハハ……ヒヒヒヒヒヒヒヒ……深夜帯の仮眠室に、美冬のエイリアンさながらの不気味な笑い声が拡がって行った……
隣のベッドをあてがわれた同僚のエージェントMは、気の毒に全く仮眠を取ることが出来なかった……
美冬は携帯の壁紙に貼った亜里沙の画像を、こらえきれない不気味な笑い声と共に見つめていた……彼女にはいつも魅せられる……無論、私が変態だという意味ではない……そうカリスマ力があるのだ。
彼女と出会ったが最後、老若男女問わず、彼女の虜になるだろう……そう、このミスノーマルの私みたいに……
彼女ならば不遇に甘んじているミュータントの現状を変えられるに違いない……いつか人間とミュータントがお互いをオープンにして向き合い、尊重し合える日が来れば……霧島亜里沙はその懸け橋になれる人だ……私の命などくれてやる!
そう、私は彼女と初めて会った日から自分の命を捧げる覚悟だったのだ……
亜里沙ちゃんと初めて会ったのは、彼女がまだ十五歳の時だった……それはもう、可愛いの何のって、出会った瞬間お持ち帰りしたくなったぐらいだ……それはさておき、初対面の時から彼女は私を凌駕していたのだ……私がベテランの域に達した内閣特務捜査官だったにも関わらずだ……
――無限の武器――それが彼女が有する特殊能力だった。
無から有を生み出す不可思議な超能力……
しかし作り出せる物は、武器に限定されているというから尚のこと奇妙だった。
能力では私を凌駕する後輩に私は捜査の基礎を教えた。
手取り足取り……来る日も来る日も……それは掛け替えのない薔薇色の日々だったのだ……仄かに香る彼女のシャンプーの香りときたら……
それもさておき……彼女は砂が水を吸い込む様な、驚異的な吸収力で捜査官としての基礎を習得して行ったのだ。学業と捜査官の両立……並大抵の苦労ではなかった筈だ……彼女に生活を支えなければならない弟がいると知ったのは、パートナーを組んでから数か月後のことだった。
優秀な人材の自立は速い。結局、亜里沙ちゃんが私のアシスタントだったのは、僅か一年足らずの期間だったのだ。
彼女と過ごした甘い蜜月の日々……しかし優秀であるが故に、やがて教えることも底を尽き、彼女が捜査官として独立したのは当然の成り行きだったのである。
そしてやって来た彼女とのお別れの日……私は大粒の涙を惜しげもなく鼻水と共に垂れ流しながら確信した!
――彼女は天才だ――
……嗚呼……結婚したい……
仮眠室に取り付けられた警報器がけたたましく鳴り響いたのは、深夜二時のことだった。
生理的嫌悪感を引き起こさずにはいられない警告音!
悠長に寝ていられる筈もない。たとえ酒池肉林の夢の中にいても、一撃で目が覚めることだろう。そして警報の次はお決まりのアナウンスの番だ。
“グッドイブンング。只今、防衛庁の屋上に不審物が投下された模様である……現在不審物の中身を守衛班が確認中。宿直中の捜査官は至急待機状態に移行せよ。繰り返す……”
やれやれ……
美冬は薄紫のワンピースのパジャマを脱ぎ、代わりに黒の戦闘服を身に纏った。耐久性と防御力に特化した内閣特務捜査官専用のいわば制服である。もっとも、圧倒的な防御力を誇る美冬の超能力の前には余り意味のない代物ではあるが……
美冬は思案した。
我々の社屋の屋上に不審物だと!?
大方、鳥類の死体か、風船の類が堕ちて来たのだろう……
もし、防衛庁の建物と解っていて不審物を落としたのなら、自殺行為もいい所だ。
この建物は数百を超える監視カメラ群で、飽きもせずモニタリングされているのだ……画像は本部のスパコンで瞬時に分析され、夜明けまでには犯人の特定も可能だろう。
……しかし、エージェント達が楽観視出来たのも束の間のことだったのだ。
数分と待たずして非情なメッセージが彼等に告げられたのだから……
“屋上に落下した不審物は……内閣特務捜査官・内田良助の死体だと判明した……これは内閣特務捜査班、延いては国家への挑戦である。なお、故人の両目は痛ましく抉り取られている。犯人はエイリアン・百眼男であることが濃厚である。”
“現在百眼男事件で当直している全捜査官に出動を命ずる……繰り返す……”
――仲間の捜査官の死――
思えばこれが、覚めることの無い永い悪夢の始まりだったのである……美冬の予想通り、永い一日が幕を開けたのだ……
内閣特務捜査官のエージェントは、靖国通りに佇んでいた巨躯の怪物を発見、南下する敵を追い掛けて、四谷の路地裏を抜けていた。
……速い!
エージェントはそれぞれ、ヘリと車とバイクに搭乗して敵を追跡。しかし百眼男の圧倒的なフィジカルの力に、徐々にその距離を取られて行ったのである……
敵は一蹴りで二百メートルの距離を跳ぶ化け者だ。跳躍力が半端では無いのだ。
――怪物は南下を続けている。
前方には新宿通りが広がっていた。深夜帯にもかかわらず、車の通行が血液の流れの様に淀みなく流れている……
巨躯の怪物は新宿通りの手前で佇むと、一度後ろを振り返り、大ジャンプを決めた。
ヘリから敵を追跡していたエージェント田中は、百眼男が新宿通りを障害物競技のハードルの様に跳び超えて行くのを、茫然と眺めていた……
百眼男を帰化させてオリンピックにでも出したらどうだ!?
K司令官はそんな冗談を飛ばしたらしいが……
ヘリコプターのパイロット田中の操縦桿を握る手は震え続けていた。
……ヘリを下降させて奴に近付くのは危険だ……一蹴りで二百メートル跳躍すると言うのは、霧島亜里沙捜査官がそれを見たというだけの話だ……つまり、実際にはもっと跳べるのかもしれないのだ……奴の鉤爪ならば、ヘリコプターを切り裂くのも容易かろう……無論人間の肉体など紙切れ同然に裂ける筈だ……
新宿通りを一跨ぎしたエイリアンは、再度後ろを振り返ると、四谷の路地裏へと侵入した。
……まずい。
エージェント田中は思わず舌打ちした。
真っ直ぐ行けば迎賓館だ。
殺人鬼のエイリアンを国の迎賓館に入れました……何て御上に知られたら洒落にならないぞ!
そこで、夜の新宿をバイクで疾駆していた地上部隊のエージェントが、ようやく怪物に追いついたのだった。
バイクから跳び降りると、すぐさま敵を目指し路地裏へと飛び込む。
その先には、三メートルを超える巨躯の怪物がいた。
人類の仇敵は今、四谷の路地裏で敵を狩る為に、その身を忍ばせていたのだ……




