第一七話「じゃんけんゲーム」
――九月第三週の土曜日、十三時十五分。
小夜の病室に今日も来客がやって来た。
コンコンコンという子気味良いノックの音。
病室の警護にあたる捜査官が、僅かに扉を開けて来客を確認する。
部屋の中には小夜と母親、そして一家団欒にはそぐわない全身黒ずくめのスーツを着た捜査官がいる。
捜査官は霧島姉弟と目で挨拶を交わすと、病室から退室した。
「ジャ――――――――――――――ン♪」
亜里沙は自らファンファーレを奏でると、山盛りのフルーツバスケットを小夜に見せた。
「わあ――――――――――――――っ!!」
それを見た小夜の目がパアアアッと光り輝いた。
バスケットには、《赤》《緑》《ピンク》《黄》など色とりどりの果物、アイスクリーム、大好きなチョコのお菓子が山盛りに盛られている。加えてバスケットの脇を魔法少女の変身人形が固めていた。亜里沙いわく、幼女を喜ばす為の盤石の布陣である……
――霧島姉弟は小夜が入院して以来、欠かすことなく病室に見舞いに来ていた。
無論、小夜の誘拐を企む百眼男から、彼女を警護する意味合いもあった。
「今日は何をして遊ぼうか?」
亜里沙は満面の笑みで小夜に尋ねた。
戦闘時と打って変わったはちきれんばかりの笑顔……演技でも何でもないのだ。姉さんは本当に子供が好きなんだなと友哉は思った。
そんな和んだ空気を小夜が一撃でぶち壊した。
「そうねぇ~~じゃんけんゲームがいいな!」
幼女が無邪気な目で応えた。
「ぶはっ!」
それを聞いて、お茶をすすっていた母親が思わず噴き出した。
……じゃんけんゲームとは……じゃんけんぽんで負けた相手が、公衆の面前で衣服を次々と脱いで行く……という何とも楽しい……否、不謹慎極まりない……と言わなければいけない、本来は酒の席で行われる筈の余興である……
友哉は小四の女の子が発した地雷の様な単語に顔色が青ざめて行った……
母親はお茶を喉に詰まらせて、むせび苦しんでいる。
「ち、違うんですよ! お母さん、僕はまだそんなこと教えていない……」
「今のは小夜ちゃんの冗談で……」
友哉が必死に取り繕ろう。
隣に立つ姉が、氷の様な眼差しを弟に向けた……
……う……疑っている!?
一寸先は獄中! 友哉の脳裏をそんな言葉がよぎった。
……姉は芸術品さながらの大美人、ゴリラ以上に強いとはいえ女性である……この中で、いかがわしいじゃんけんゲームを幼女に教える人材は、自分以外にはありえないではないか!? 百眼男を捕える前に、急遽自分がお縄に付く可能性が出て来た友哉だった……
お母さんは、何とも言えない嫌疑に満ちた表情をこちらに向けている様に見える。
……まずい……何故かまずいことになったぞ……
幼女とはいえ、美少女である小夜ちゃんを舐め回す様に視姦している付けが回ったのか!?
友哉の頭の中で最悪のシナリオが次々と描かれて行った――
“神奈川県の高一男子、女児に破廉恥行為を強要し御用!”
脳内で三面記事の見出しが躍るのを止められない友哉だった。
「お……お、俺は誓ってお子さんにそんなことは……」
「もう! 何てことするの!!」
母親が鬼の形相で叱責する。
「じゃんけんゲーム何て!!」
「す、すみません!」
心のどこかに罪の意識があったのだろうか? 何もしていないのに母親に懺悔してしまう友哉がいた……
「お兄ちゃん、お姉ちゃんが困ってるでしょ!」
「えっ!?」
姉弟が揃って小夜の母親を見つめた。
「もう、おませさんなんだから! この子は――――――!」
「小夜は……いつもこうなんです……」
「大人びたことを言って、皆の注意を引こうとして、テレビで聞いたHな言葉を良く言うんですよ!」
「だぁっ~~~~て――――――、小夜、もう大人だもん♡」
小夜はぷくーーーーーっと頬っぺたを膨らませて怒っている。
「男親がいないとこうなんでしょうか? 最近は言うことを聞いてくれなくて……」
姉弟はその言葉にしばしうつむいた……彼等の両親は失跡中なのだ。
「ほら、お兄ちゃん達に謝りなさい」
「大丈夫ですよ、気にしなくても」
友哉が優しい言葉をかける。
「でもぉ~~~~たまにお兄ちゃんが小夜のこと、いっやらしい目で見てるのは本当だもん!」
それを聞いた亜里沙の表情が激変した。
こめかみをピクピクと痙攣させながら友哉の方に向き直る。
「おーぼーえーてーなーさーいーよ――!!」
「ひいいっ!!」
亜里沙の体から紅蓮のオーラが立ち昇っていた。
弟が変態性癖に走ったら、姉のメンツにかかわる。
「今晩は~~大人の色気っていう奴を、その体に一晩中叩き込んであげるわ♡」
亜里沙は冷笑を湛えながら、友哉の耳元で囁いた……正に悪魔の囁きだった。
恐怖で全神経が凍り付く友哉がいた。
「あの……どうかなさったんですか?」
二人の不穏な空気を察したのだろうか? 母親が割って入った。
「いえ、何でもないんですよ」
そう言うと亜里沙は母親に見えない様に、友哉の太股をおもいっきりつねった。
「ひうっ!!」
妙な擬音を上げつつ、とっさに跳び上がる友哉だった。
「じゃ……じゃあボードゲームでもしようか?」
一拍置いて亜里沙が小夜に提案した。
病室の棚には、小夜が退屈しない様に買ってきた、人生ゲームを筆頭とするボードゲームが並んでいる。
「みんな全部やったし、飽きちゃった。今日は違うのがいいな、お姉ちゃん」
亜里沙は一つ深呼吸すると、決心して幼い少女に重要な提案をした。
「解ったわ、小夜ちゃん」
「今日はお外に散歩にいこうか?」
「……………………」
それを聞いた小夜の身体が強張った様に見えた。
「……お散歩、お姉ちゃん達と行きたいけど……」
「……大丈夫……かな?」
「怖い……怪物……また来るかな?」
小夜の顔には影が射し、握り締めた拳は僅かに震えていた……
「大丈夫よ、小夜ちゃん! 何が来てもお姉ちゃん達がいるから」
「小夜ちゃんのことは俺達が絶対に守るよ」
「……うん、解った」
私の最強の部下とショッピングに言って欲しい……
小夜は司令官Kに言われた最初の任務のことを思い出していた。
……私は夢を叶えたい……お母さんを楽させるんだ……
十歳の少女が恐怖を乗り越えて、未来に立ち向かおうとした瞬間だった。
亜里沙は母親に向き直ると、無言で頷いた。
立ち上がりそのまま病室の外に出る。
――五分後、亜里沙は手にプラスチック容器を持ち、病室に戻って来た。
容器の中には、かつて小夜の脳内にインプラントされていた金属片が置かれていた。