狂おしい日々
彼女の様子が、変だ。
「あー、キツい」
舌打ちして芝生に寝転がる。
「いやぁ、随分溜め込んでるよねー、よく我慢してるよ、ほんと」
ニヤニヤと笑われて、思わず声の主を睨んでしまう。
明日から長期休暇が始まる。
学園へ戻って来るのはしばらく先ーーー、だからなのか、学内のそこかしこに浮かれた空気が漂っている。
なのに、
「まるで狩るのを待たれる仔ウサギみたいだよねぇ?
君が触ろうとするたびにびっくりしたり赤くなったり青くなったり、さぁ」
「うるさい」
言われるまでもない。
あからさまに避けられる、ということこそないものの、近づけば傍目にもわかるくらい警戒されていたのが少し前のこと。
「かと思えば最近はやたらと熱い眼差しで見られてるよねー、いやーお熱いなー」
「……黙れって、ほんと」
警戒されるばかりだった彼女の態度に少し変化があったのがここ最近。
ただ、その変化というのがーーー
「それで?どうしたいの、君ら」
見てるぶんには楽しいけどねー、と軽薄な薄情な間延びした声に引き戻される。
完全に他人事の、こちらをからかう口調には、ため息しか出てこない。
「…悪ノリが過ぎないか」
「なんだ、思ってたより深刻?」
相談でよければ乗るよ?但し1時間ごとに銀貨1枚な、と商人の息子らしい返事が返ってくる。
学園では、基本的には爵位持ち以上の家格の子息、子女のみを受け入れている。
但し、才能があると認められたものへは広く門戸を開くーー、ということで、平民であっても、特別試験で合格点に達した男子であれば入学が可能だ。ゆくゆくは女子も入学できるよう法整備していくらしいが、現段階では卒業後の進路等考慮し、男子のみに限定されている。
目の前の友人、ケヴィンもそういった経緯で入学して来た成績優秀者のひとりだ。
ケヴィンの生家は、主に隣国からの輸入雑貨を扱う貿易商で、王都でいくつかの商いを営んでいる。
この学園に入学したのはコネ作りのため、と公言して憚らず、しかしその飄々とした振る舞いで不思議と敵を作らない男だ。
「俺はどちらかといえば、最近お姫様とよく一緒にいる辺境伯のお嬢さんのほうがそそられるけどなー」
スタイルいいし、何よりメガネがエロくない?と、下世話な話題を振られる。
スラングや平民の姿での散策の仕方を教えてくれたのは彼だが、
「…ケヴィン、言葉には気をつけたほうがいい」
辺境伯領は勇猛果敢で知られる土地柄で、ましてやあの令嬢は、人間観察が性癖、と堂々とのたまう程度には行動が読めない。彼の軽口がうっかりなんらかの形で令嬢の耳に入ることがあれば、不利益を被るのは彼自身だ。
俺の言葉の意味を汲み取ったのか、ヘラヘラとした笑顔はそのままに、周囲に気を配る。
…幸い、誰にも聞かれずに済んだようだが。
「休暇中にとりあえず晩餐会のエスコートだ」
「そうなんだ?忙しいんだねえ、お貴族様は。
お姫様、大丈夫かなぁ、ガッチガチで踊れないんじゃない?」
「その点は大丈夫だろう、毎年のことだし、そもそも、マナーもダンスも人並み以上にはできる」
ただ、社交を好まない彼女のことだ。
ファーストダンスのあとは、大抵飲み食いするか、ふらふらと夜風に当たって喧騒を抜け出すのが常だから、最初の数十分さえいつものようにやり過ごせば、何事も起きないだろうと見込んでいる。
「そっかー?さすが幼馴染にして婚約者様だ、なんでもお見通し、ってことかなぁー」
「…前々から思ってたけど、おまえ、本当、悪趣味だぞ…」
人の傷口に塩を塗り込みすぎだ、馬鹿、と友人の気安さで言う。
なんでもお見通し。
本当にそうなら、こんなことになんかなっていないだろうに。
いつだって、振り回されているばかりだ。
『もういっかい、ちょうだい』
初めて彼女から口づけを乞われたあの日。
聞き間違いかと思った。
ついに耳が壊れたのかと。
けれど、あの日から今日に至るまで、日に一度はキスをねだられている。
どこかの王子殿下と同じ醜聞を撒き散らすわけにはいかないので、人目を忍んで、だが。
ただそれは、愛情表現というよりも、それ自体が何かを確認するような。
でも、どんな意味合いだろうと、キスはキスだ。
潤んだ瞳。
わずかに上気した頰。
…あんなものを見せられては、歯止めをきかせるだけで精一杯だ。
「生殺しだ…」
「ははっ、君って何があっても動じない大らかな人だと思ってたけど、ことお姫様のこととなると喜怒哀楽がわかりやすいんだねぇ」
そんな表情が見れる日が来るなんて思わなかったなー、などと言われても、どうしようもない。
「そしたらさぁ、ルパート・ヴィリヤーズくん」
「…なんだ、気持ち悪い」
「あ、ひどいなひどいなー、せっかく助け舟を出してあげようと思ったのに」
助け舟。
その言葉に眉根を寄せ、それで?とその先を促す。
「休暇中、もし暇の潰し方に悩むのなら、我が商会に来るといい。お姫様に似合うものを見繕ってあげるよ、友のよしみでねー。
晩餐会があるんだろう?
危なっかしい状態のお姫様の所有権を、主張しておくに越したことはないと思うけれど、どうかなー?」
終始ニヤニヤと笑う猫のような目。
助けと言いつつ自らの損には決してならないであろうその提案に、乾いた笑いを返すばかりだった。