彼女とビターチョコレート
きまずい。
ちらり、と顔を上げ、けれど再び目を伏せる。
…きまずい。
先程から口を開こうとはしてくれない、彼。
『検証』をするために、男色と女装を勧めたのが一昨日。
絶句され、顔をしかめられ、呆れられ。
百面相ののち、その話題については完全に黙殺を決め込まれた。
娼館のことを持ち出した時とは、また違う不機嫌さ。
ギャップ萌えが、意外性のことだと言うのなら。
ここ最近の彼からはギャップ萌えばかりさせられている気がする。
………きまずい。
この気持ちを週明けまで引っ張りたくなくて、思い切って、休日彼の屋敷を訪れたと言うのに、くじけそうだ。
勝手知ったるなんとやら、で、この屋敷には何度も来たことがある。
学園に通うようになってからはその頻度は減っていたものの、こうして彼の部屋に入るのだって、一度や二度ではない。
茶と白を基調にシンプルにまとめあげられているこの部屋で過ごすのは、嫌いではなかったはずなのに。
今日は、どこかよそよそしくて、居心地が、悪い。
「……せっかくあなたの好きなお菓子を持ってきたのに、喜んでくれないの?」
思い切って伝えても、後で食べるよ、とそっけない返事しかもらえない。
目を合わせてもらえない。
なんだろう。
……かなしい。
じゎ、と視界が滲みそうになるのを、ぐ、と奥歯を噛みしめて堪える。
「レティ」
と、いつの間にやら、対面に座っていたはずの彼が、真横に来ていて、見上げる形になる。
「ルパート…」
外はとても良い天気で、中庭に面したこの場所からでは、彼の顔は影になってよく見えない。
少しの間があって、頭をひと撫でされる。
最近すっかりお決まりになった、その仕草。
ちりちり、ちりちり。
触れられるたびに、とろ火で溶かされるような、表面だけ焦がされるような。
「レティは、お菓子食べた?」
「食べないわ。あなた用で持って来たのだもの」
彼がよく口にしている、カカオが多めのビターチョコレート。
"口寂しい時にちょうどいい"、のだそうだ。
ミルクチョコレートやマカロンが好きな私にとっては、ほろ苦く感じて、食べ慣れないその味。
「そうか、…たまには食べてみればいいのに」
「だって、苦いのだもの…」
私を髪に触れる手はそのままに、もう片方の手で、プレートに品良く盛り付けられたチョコをひとつ摘み、そのまま口へ。
うん、美味しい、と呟くと、もうひとつ摘んで、今度は私の口元へ。
「ほら、美味しいから」
「………」
「俺のご機嫌伺いに来てくれたんだろう?…それなら、これで仲直りだ」
そう言われては、しょうがない。
渋々、口を開くと放り込まれる、ほろ苦いそれ。
「………」
「渋い顔だな、やっぱり好きじゃない?」
苦笑して顔を覗き込まれるのに、コクン、と頷き返す。
彼の笑みが深くなり、それじゃあ、とその榛色の瞳が近づいてくる。
「…俺が食べるから、返して」
「っ…」
言うなり、深く、口づけされる。
歯列を割って、上顎を掠めて、舌の上に残る欠片を探られて。
ちりちり。
焦がされるような。
ひりひり。
今は、灼かれるような。
喉に流し込まれるほろ苦さに、彼に触られた部分から伝わる熱さに、ほんのり舌先に感じる甘さに。
「…っ、は……っ…」
どうして、こんなことするんだろう。
仲直り、って言ったのに。
まだ何か、怒ってるんだろうか。
それとも、私はまた何か気に触るようなこと、したんだろうか。
分からない、分からない、分からない。
この前も、今日も、ルパートじゃ、ないみたいだ。
「…溶けてしまったな」
チョコなんてすっかりなくなってしまって、彼の瞳が離れて、いく。
グ、とその口元を手で拭い、放心した私の頰を、唇を、指先でなぞる。
見慣れた部屋。見慣れたはずの榛色。
この人は、誰。
「あなた、ルパート、よね…?」
震える声でそう言えば、
「…そうだよ、俺の可愛い婚約者さま」
肩をすくめて、そう返される。
分からない、分からない、分からない。
今の口づけにどんな意味があるのか。
彼が何を考えてるのか。
この、胸に広がる苦しさは、なんなのか。
「か、える……」
混乱しながらも立ち上がり、ふらついたところを支えられる。
「…大丈夫か?」
…大丈夫なわけ、ないじゃない。
一体何が起こっているのか、何にも分からないのに。
首を振って、けれどこれ以上彼に密着していることが耐えられなくて、両手で押しのけるような真似をしてしまう。
けれど、私の力では、動いてはくれなくて。
「…レティ」
私の両手をそっと取り、ゆっくりと胸元から引き離す。
「今度来るときは、ちゃんと侍女を連れてくるんだ、…いいな?」
今日みたいにまた悪戯されたくないのなら、と耳元で囁かれ、頭にカッと血が昇る。
「今度なんて、ないもの…っ」
思わず睨んで言い返したのに、なぜか微笑み返される。
悪戯。
これは、悪戯?
からかわれた?
……わからない。
彼のことが、全然。
本当に悪戯だったのだとしたら、
「悪趣味だわ…!」
強い口調で詰るのを、そうかもな、と淡々と返される。
これ以上、ここに居られない。居たくない。
そう思った私の心を見透かしたかのように、
「帰るのなら、あっちだ。…まあ、知っているだろうけど」
私の前から引いて、扉を指し示す。
こんなつもりじゃなかった。
こんなはずじゃなかった。
ただ、いつものように、何でもないよと、笑ってほしかっただけなのに。
帰り道、口の中が、あまくて、…にがい。