転生令嬢かく語りき
エマ・キャンベル。
それが私の名前。
16年前にこの国の辺境伯のもとに生を受け、それなりの愛情に包まれ、それなりの教育を施され、それなりの令嬢として成長した。
唯一特筆すべき点があるとすれば、『エマ・キャンベル』ではない人間として生きた記憶があること、くらいだろうか。
4歳の頃に高熱を出し、回復と、それまでのエマとしての人生の記憶全てと引き換えに、以前の記憶が蘇った。
と言っても、その記憶はおぼろげで断片的なものであったので、成長とともに薄れていったのだが。
今も残っているのは、かつての私が好んで読んでいたたくさんの小説のことくらい。
だから、私が誰かと問われれば、間違いなく私は『エマ・キャンベル』だ。
ただ、自分が自分でなくなる、という幼少期の体験は、私の人格形成に大きな影響を与えた。
記憶をなくしていることを悟られぬよう注意深く、「エマ」ではないことに気づかれぬよう周囲を観察するーーーそんな子供、気持ち悪いと今なら断言できるが、当時はこれでも必死だったのだ。
結果として、人間観察は私にとってなくてはならないものとなりーーー、記憶に脅かされず過ごせるようになった今では、趣味と実益を兼ねた性癖に昇華された、と自負している。
だって貴族社会なのだ。
出る杭は打たれるし、情報は時として何よりの力をもたらす。
そんな魔窟でこの先も生きていくのだから、したたかでいるに越したことはない。
だが、
「分からないままなら、検証してみれば?」
「検証?」
「そう、検証」
カフェテリアの喧騒は、秘密の話を程よくかき消してくれる。
目の前には、不思議そうに返事を寄越す極上の美少女。
できるだけ彼女にもわかりやすいよう、噛み砕いて言葉を続ける。
「触られると、変な感じなんでしょ?
じゃあ、どういう時に触られたら、その"変な感じ"が強くなるのか、弱くなるのか、それとも変化なしか、検証してみたら?」
いくら観察しても飽き足らない、公爵家の妖精姫。
ここ最近は、人間観察というよりも、彼女の観察が楽しくてしょうがない。
彼女から恋愛相談をされたのは、つい先日のこと。
婚約者が彼女を大事にしているのは、見ているものには嫌でも分かる。
知らぬは本人ばかり…、だったのだが、ある日を境に急にスキンシップが増え、一体どうしたことかと思っていたら、案の定、である。
「あるいは、そうね、ヴィリヤーズさんが、あなた以外の人を触るのを見て、あなたはどう感じるかとか?」
最初から正解を教えてもつまらないので、恋心や嫉妬心を自覚する方向に誘導してみる。
「それを、ルパートが帰ってきたら、相談すればいいの?」
"帰って"……ね。
いつもなら一緒に昼食を摂っているであろうに、件の婚約者は今日はどこかへ雲隠れだ。
まぁ、だからこそ、私が彼女の相談、もとい、ノロケを聞いているわけだが。
恋心には気づいていなくとも、このお姫様にとって、彼はとっくに"自分のもの"なのだ。
言葉の端々で、そうと知らず所有権を主張しているのだから、あとはきっかけひとつあれば、どうとでもなるだろう。
「そうねえ、もっとシンプルに、相談じゃなく、お願いしてみたら?」
「…断られそう」
「大丈夫よ、きっと」
いつだって、惚れたほうが負けなのだから。
「お願いの内容は、どうするの?」
「それなのだけど…」
眉間に皺。
「…この間気づいたのけど、ルパートが女の人を触るのは、嫌みたいなの、私」
ほほぅ。
「だったら今度は、男の人を触ってるのを見ても平気かどうか、検証しなくてはならない気がするの」
ーーーん?
「それから、エマの話を聞いて思ったのだけど、ルパートが男の人の格好をしてるのも良くないんじゃないかと思うの」
ーーーんん???
「だから、男色してもらったり、女装してもらったら、触られたりしても大丈夫かもしれない!」
んんんんん〜〜〜??
完全に、意図する方向とは真逆へ転がり始めている気がする。
「ちょっと、レティシア、それは」
「あら、ルパート、おかえりなさい?」
フラリ、と姿を現わす噂の彼。
うーん、時間切れ。
しょうがない。
不憫な婚約者には申し訳ないけれど…健闘を祈るとしましょうか。