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彼の矜持


レティシア・ダルトンはとても残念な公爵令嬢だ。


現国王の弟を父に持ち、母は社交界の華と謳われた美姫。

そんな彼らの一粒種でもある彼女は、母親譲りの美しさで、共に学ぶ学園の生徒を魅了してやまない。

淡く光り輝くような腰まで届く緩いプラチナブロンドに、アメジストを思わせる深い紫紺の瞳。

整った鼻梁に、ふっくらとした桜色の唇。

彼女の口からため息でも漏れようものなら、周りの男達は我先に側近くに集まり、彼女を喜ばせようとその身を投げ出しかねないことだろうーーー。


「ねぇルパート、あなたとの婚約を破棄したいのだけれど」


但し口さえ開かなければ、という注釈つきだが。



ある日の昼下がり。

いつものように彼女の傍らで過ごすカフェテリアで。

ここ数日最近物憂げな様子(一般男子生徒談)を見せることが増えていたから、どうせまたロクデモナイことを考えているのだろうとは思っていた。

思ってはいたがまさか、婚約破棄、とは。


「ーーー念の為、理由を聞いてもいいか」


自分に何か落ち度があったのだろうか、とか、そういう考えは一切持たない。

なにせ生まれた頃からの付き合いなのだ。

彼女の考えることはさっぱりわからないが、彼女なりに『何か素敵なこと』を考えた結果、斜め上すぎる方角へ飛んでいったのだろう、今回も。

居住まいを正しながら、彼女の方に向き直る。


「婚約をね、解消したいの」

見た目だけは最高級の桜色の唇からこぼれるのはやはり物騒な言葉。

「……だから、何で」

「私の従兄弟のこと、聞いた?」

潤んだアメジストで見つめられる。

「…………………………」

何かを期待するような眼差し。


「…君の従兄弟の王子殿が、婚約者がいるにもかかわらず子爵令嬢の尻を追っかけ回してるっていう王家の恥さらしもいいとこの醜聞なら、随分前から取り沙汰されてるから知ってる。

それで、……今度は誰から何を聞かされた」

言ってすぐさま、失敗した、と後悔した。


我が意を得たり、とばかりにまくし立てられ、彼女の口から次々飛び出すよくわからない単語の数々。

誰だ、婚約破棄モノ、なんて教え込んだ知人とやらは。

「ちょっと…ちょっと落ち着け……婚約破棄モノ…?…"ざまぁ"…?なんだその言葉は…というか全然意味がわからないぞレティ…」


本当に意味不明だ。

いや、言っている内容の意味は理解できる。

だが、婚約破棄モノとやらが流行っていることと、俺たちの婚約を解消することにいったいどんな関係があるというのか。

しかし俺の混乱から発せられた言葉は、火に油を注ぐ結果でしかなかったようだ。

今度は"ざまぁ"についての解説が始まってしまった。


波打つブロンドをふるふると左右に振りながら、ついでに左右の拳も振りかざしながらのご高説。

誰もがひと目で心を奪われるその容貌。

鈴を振るような心地の良い声。

だが口から紡ぎ出される令嬢らしからぬ言葉の数々ーーー。


彼女をひと目見たものは、その姿を永劫映し続けることを願い。

彼女と言葉を交わしたものは、どうして遠くから見守るだけにしなかったのかと己の選択を悔いる。

天は彼女にいろんな意味で二物も三物も与えた、"公爵家の妖精姫"、もとい、"珍獣姫"。


「ーーーーどう!?」

思考停止することしばし。

期待に満ち満ちたアメジストが、婚約破棄がしたくてたまらない、なんてふざけた理由で潤んでいるのでなければ、どんなに嬉しかったことか。


「つまり、…アレか、俺との婚約を破棄をして、悲劇の令嬢の気分に浸ってみたいと。ついでに俺にもその"ざまぁ"とやらをされてみてほしいと、…そういうことか?」

「そう!!!そうなの!!!」


大正解。

付き合いが長いあまり察しが良くなりすぎるのも考えものだな…と思わず遠くを見つめてしまう。


「断る」

「どうして!?」

「どうしても何も…どうしてそんな提案を呑むと思ったんだ?俺に何のメリットもないじゃないか」

2年前、ようやく結ばれた彼女との婚約が、いくら「幼馴染のよしみでうちの子お願いできない?え、いいの?本当に?後悔しない?いや〜〜ありがとう!ごめんねルゥくん!」みたいなノリであっさり決定したことだろうが、婚約は婚約だ。

もし解消されようものなら、中身がコレとはいえ、外見ひとつ、肩書きひとつで彼女を欲しがるものは大勢いるだろう。

そもそも、俺は彼女の珍獣っぷりも含めて可愛いと思っているのだから、破棄なんて論外だ、ありえない。

なのにーーー、


「あら、メリットならあるのよ?」

自信満々な返答。


「…どんな」

「私が喜ぶわ!とっても!あなたへの愛がより一層増すのよ!」

いやいや、なんだそれ。


「でも婚約破棄するんだろう?婚約破棄して愛が深まるって何なんだ、意味不明だろう」

破棄などせずに普通に愛を深めれば良いではないか。


「意味なら今伝えたじゃない、楽しみたいの!婚約破棄というイベントを!!」

イベント。そんな簡単な言い方をしないでほしい。


「ダメだ」

「どうしても?」

「どうしても、だ」

「お父様にもちゃんとこれは冗談だからって前もって伝えるわ!お母様にはもう相談してみたのだけれど、あなたがいいっていうならいいわよって快く許してくれたもの!」

…………丸投げされたな、これは。

彼女の母親の、嘆息混じりのあきらめ顔が目に浮かぶ。


「…レティ」

「なあに?」

さて、ーーーどうしたものか。

ぐしゃぐしゃと髪を掻き毟って、思わず溜息をひとつこぼす。

言い出したことを引っ込めない頑固なところがあるのだ。

婚約してからこっち、そういった面倒ごとの大半は俺に任されてきた。


「ちなみに、…あくまでもちなみに、だが。

…俺が、ここでYESと言ったら、その後はどうなるんだ?」

心底面倒だが、ここでそうやすやすと話に乗るわけにもいかない。

まずは本人の言い分を聞かなければ諦めさせようもないだろう。

そう思って話を振れば、そこなのよね、と眉根を寄せて思案顔。


「あなたがこの話に乗ってくれた場合…そうね、まず必要なのは恋敵なのよね。残念ながらあなた浮いた話ひとつないじゃない?だからまずはあなたにとっての想い人、私にとっての恋敵を探さなくちゃならないんだけど…」

なるほど、恋敵、ね…。

ようは仮想敵がいなければ婚約破棄イベントとやらは進まない。

だが、俺の周りに彼女以外の浮いた話があろうはずがない。

それなら諦めさせるのは当初思ってたより容易そうだと、気を取り直してテーブルの上のカップを口元へ運んだが。


「だからね、娼館に行ってみてはどうかと思うのよ」

ーーーは?

ゴフッ、と口の中に入れたコーヒーを無作法にもこぼしてしまい、しかし彼女はそれにも頓着せず、なおも言い募られる。


「ほら、あなたまだ娼館には行ったことないんでしょう?前に私が行ったらどう?って聞いた時も、"興味ない"の一言だったから…、この際一緒にこなしてしまうのはどうかしら?」

何を、言っているんだ。


「娼館の…高級娼婦とかならアリじゃないかしらって思ったの !それならあなたは時間とお金で割り切った関係を楽しめるし、私は婚約破棄の雰囲気も味えるしーーー」


まさか、言うに事欠いて娼館。

そういえば確かに前も娼館に行かないか、とキラキラした瞳で聞かれたことはあった。その時はなんて言っていたのだったか…、確か本当は自分が行きたいけれど立場上できないから代わりに行ってレポートして欲しい、だったか?

行っても然程楽しいものではないし、その頃既に俺たちは婚約していたのだ。婚約者公認で娼館通いもおかしな話であるし、そもそもまだ身分的には学生だ、堂々と行けるものでもなし、断ったはずだが…諦めていなかったのか。


というか、なんなんだ、一体。

娼館で娼婦と何するかご存知なのだろうか、俺のお姫様は。

ーーーーイライラする。


「…レティ」

「もしあなたがいいって言ってくれるなら、明日にでもお父様にお話しに行くわ!そしたら晴れてウキウキ婚約破…棄……ッ…?!」

俺が承諾するとでも思っているのだろうか、今後の予定を口走り始めるのを、いつになく荒んだ気持ちで聞く。

「レティシア」

滅多に呼ばない本名で彼女を呼びながら立ち上がると、

「ルパート…?」

さすがに驚いたのか、彼女が言葉を止め、こちらを見る。

その手を取り、無言のままカフェテリアの外へと連れ出す。


ーーーどこに行こうか。

少しの逡巡。

あぁ、この時間なら、校舎棟であれば人気もまばらか。

さほど悩むこともなく、彼女を連れて、足をそちらへ向ける。


そうして中庭を横切り、たどり着いた、校舎の隅の、廊下の奥。

壁際に押し付け、彼女の華奢な体を両腕で塞いで退路を絶ち、混乱の色を浮かべたその紫紺を見下ろす。


「あのな、レティシア」

声音は、自分でも驚くほど低くて、思いの外苛立っていたのだと知る。

「は、はいっ…」

「…俺は、今ものすごく腹が立ってるんだけど、…分かる?」

「わ、わかり、ます…」

ーーーわかってるのか、本当に?

「あぁ、そうなんだ、機嫌が悪いのは、わかるんだ?

…じゃあその理由も、分かる?」

問いかけると、しばらく迷うように瞳が揺れ、掠れた声が返される。

「しょ、娼館に、行けって…言ったから…?」

「そうだね」

なるほど、少し考えればわかってはもらえる、と。

だがまぁできることなら、行動に移す前に察して欲しいものだが、それは無理というもの、か。

ならばーー


「じゃあさ、娼館で、俺が、相手とどんなことするか、わかってて言ってるの?」

その形のいい耳に唇を寄せ、彼女相手には使ったことのない色を滲ませて囁く。

「ど、どんなことって…」

耳朶まで真っ赤に染めて、しどろもどろの返答。

なんとも可愛らしい反応だが、今回に限っては追及の手を緩めてやるつもりはない。

「知らない?…それとも知ってて知らないふりしてる?

…まさか、何するかも知らないのに俺に娼館をすすめた、なんてこと…ないよな?」

「お、お酒…飲んだりとか…っ、おはなしっ、お話したりとかっ…!」

………呆れた。

まあ、無理もない。いくら珍獣姫とは言え、基本的には深窓の令嬢なのだ。俗世に疎くてもしょうがないのだろうが…

「酒に…お話、ね…」

思わず舌打ちし、その耳朶に噛み付く。


「ひゃっ…」

漏れたその声に煽られるように、

「"時間とお金で割り切った関係"…とやらが、それだけで済めばいいけど、な…!」

唇を、合わせた。


「〜〜〜!???!?」

身動きしようとするのを封じ、壁に縫い付け、あぁそういえば彼女との口づけはこれが初めてではないかと脳裏を掠め、もったいなく思う気持ちが一瞬よぎる。

けれど、後悔よりもその柔らかさに溺れ、息が切れたのか喘ぐように口を開けたところへそのまま舌を差し込む。

せめて、口づけは優しくしたいと思うけれど、劣情に突き動かされるまま、彼女の舌を追いかけ、あまりのことに驚き潤んだその瞳に魅入られる。

ほんの少し、お灸を据えるくらいのつもりであったのに、離れがたくーーーどのくらい、そうしていたのか。


「……っ…ぁ、…ル、ゥ…」

掠れて名を呼ぶその声に、は、と我に返り、その場に崩れ落ちそうになった彼女の腰を咄嗟に支える。


しまった、やり過ぎたーーー。


そう思うが、気遣いや謝罪の言葉が口をつくより先に、その、白い喉元。

透き通るような陶器のようなそれが、まるで自らに差し出されているように感じ、口元へ、首筋へ、鎖骨へ……啄むのをこらえられない。

本当は、所有の印も散らしたいけれど、わずかに残った理性が学内でそれはマズイと警鐘を鳴らし思いとどまる。

彼女はと言えば、もう、形だけの抵抗もできないのか、俺の唇が触れるたびにビクリと体を震わせ、その反応にまた煽られる。


もう少し、あと少しだけーーーそう思って、これではまるで盛りのついたただの雄ではないかと、そもそもどうしてこんなことになったのかと思い巡らし。


…あぁ、そうか、平然と心変わりを推奨されて、まるで俺の男としての一切に興味がないと、そう言われたようでプライドが傷ついたのだと、薄く嗤う。


父親同士が親友で、家柄としても侯爵家三男の自分であれば、一人娘の彼女の家に婿入りするのにちょうど良い。

お互いの家の事情を鑑みての婚約だったとしても、それでも自分は彼女以外との結婚は考えられない、そう思う程度には惚れていた。

惚れた弱みもあって、この2年、幼馴染としての距離感のまま過ごしてきた、そのツケなのだ、これは。


「……娼館に行けば、こんなこととか、これ以上のこともすることになるわけだけど、レティはそれでも平気なの?」

自虐的な気持ちで、彼女に問いかける。

きっと今俺は、ものすごく情けない顔をしている。

そんな顔、見せられない。見られたくない。


「っ…ぇ…?」

「俺が、婚約破棄ついでに、レティの知らない誰かと、レティの知らないところでこういうことしても、平気なのか、って聞いてる」

恐らくまだ頭が回っていないのだろう、呆けたような声に、もう一度、断罪を待つ気持ちで問いを重ねる。

しかし返ってきたのは果たして、

「や、嫌、だ…」

否定の、言葉だった。


意外に思って思わず顔を上げ、マジマジと見つめる。

「…そんなの、やだ…」

ーーーどうやら、聞き間違いでは、ないらしい。

掠れた声に潜む懇願の色に、思わずその場に座り込んでしまいそうになるのを必死に押し留めると、その代わりとでも言うように安堵のため息が出る。

……俺が思っていたよりは、彼女なりに俺のことを幼馴染以上には思ってもらえていると、そう自惚れてもいいのだろうか、これは。


抱きしめたいのをこらえて、そっと体を離し、そのふわふわのブロンド頭を撫でる。

「ル…パート…?」

「わかればよろしい」

うまく笑えた自信はない。

と、彼女の眦に涙が浮かんでいるのにようやく気づき、指先で拭う。


ーーー泣かせるような真似をして、多分、きっと、怖がらせた。


本当、何してるんだ、俺……。

小さな子供じゃあるまいし、と思わず長いため息が漏れる。


「ルパート…」

戸惑うままの彼女に、誤魔化すように髪をぐしゃぐしゃとかき回し、最終確認をする。


「じゃあもう、婚約破棄したいなんて、言わないな?」

「うん…言わない…」

……良かった。

ホッとして、けれどバツの悪さは消えてくれないままで、手触りのよいその髪から手を離す。

本当はいつまでも、触れていたいけれど。









いつの間にか、休憩から戻ってきたのであろう生徒たちの喧騒を聞きながら足早に教室へ向かう。


「なぁ、レティ」

目を合わせられないまま、隣を歩く彼女に声をかける。


「…ん、なあに」

「俺は、お前のこと、ほんとアホでどうしようもない残念公爵令嬢だと心底思ってるけど」

これは本当。

こんな珍獣、どこを探してもいないに違いない。

でもきっと、レティシアがレティシアだから、好きなのだ。

見た目だけでは、きっとここまで惚れることはなかった。

「ざ、残念…!?!!?」

本人に残念令嬢の自覚がないところも、全くもって彼女らしい。

だけど、それも含めて、だからこそ。

「それでもお前のことが好きだし、大事な婚約者だと思ってるから」


俺の発言に、目を白黒させて。

あぁ、きっと処理不能状態に陥りかけてるな、これは。

でも、いつまでも幼馴染では困るのだ、俺も。


「とりあえず、今日は、ーーーゴチソウサマ」




去り際の、俺なりの宣戦布告が伝わっているとよいのだけれど。





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