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彼女の言い分



「ねぇルパート、あなたとの婚約を破棄したいのだけれど」



それは、ある日の昼下がり。

良家の令息、令嬢が集う学び舎、その一角にあるカフェテリア。

お昼時にはやや遅い時間のためか、ピーク時の混雑からは程遠く、カフェテリア内は閑散としている。

私たち以外のこの場にいる学生も、昼食は済ませ、食後のひと時をのんびりと過ごすと決めて思い思いにくつろぐ様子の者がほとんどだ。


「ーーー念の為、理由を聞いてもいいか」


向かいに腰かけ、片肘をついて気だるげにくつろいでいた幼馴染兼婚約者のルパートが、黒髪をかきあげ、その榛色の瞳をこちらにゆっくりと焦点を合わせるのを確認して、私はもう一度口を開いた。


「婚約をね、解消したいの」

「……だから、何で」

「私の従兄弟のこと、聞いた?」

「…………………………」


長い長い間。

視線は合わせたまま、反応をなくしたかのように、けれど彼の眉間の皺が徐々に深くなってゆくのを見つめることしばし。


「…君の従兄弟の王子殿が、婚約者がいるにもかかわらず子爵令嬢の尻を追っかけ回してるっていう王家の恥さらしもいいとこの醜聞なら、随分前から取り沙汰されてるから知ってる。

それで、……今度は誰から何を聞かされた」

はぁぁ、と長い溜息をついて椅子にどっかりと体を預け直すのとは対照的に、私はここぞとばかりに身を乗り出して口火を切る。


「あのね、婚約破棄モノ、って言うらしいのよ!

噂を教えてくれた方がね、まるで婚約破棄モノみたいね、っておっしゃるから、何だろうと思って聞いてみたら…最近市井ではそういったジャンルの読み物がとっても流行っているのですって!

たとえば平民出身とか、さほど身分の高くないご令嬢が王子に見初められて、数多の困難を乗り越えて結ばれる…かと思いきや王子には婚約者がいて、婚約破棄をしたはいいけれど、結果として"ざまぁ"される、までがお決まりなのよ!」

「ちょっと…ちょっと落ち着け……婚約破棄モノ…?…"ざまぁ"…?なんだその言葉は…というか全然意味がわからないぞレティ…」


戸惑いの色が強い彼の声。それはそうかもしれない。

自分の説明不足に思い至り、言葉を重ねる。


「あ、"ざまぁ"っていうのはね、なんて言ったら良いのかしら…うーん、そうね、いわゆる復讐?っていうのかしら?ほら、婚約破棄される側としては、王子または王女の想い人は泥棒猫にも等しいわけじゃない?だからあの手この手で恋路を邪魔しようとするのよ、最初はね?当たり前よね。あ、でも、政略結婚だから元から愛は特になくて義務感での婚約状態っていうこともパターンとしては多いわね。

…まあそれでとにかくね、王子からしたら自分のやっていることがいかに非常識だろうと王家の恥だろうと、恋は盲目だから想い人との恋に突っ走っちゃうのよね。そうして他人の迷惑顧みず、自分勝手に政略上の都合を無視して婚約破棄すると、一時的な恋の成就と引き換えに制裁が待ち構えてる…っていうパターンのことなの!どう!?」

ここまで言えば分かるだろう、何せ、彼とはほとんど生まれた頃からの付き合いなのだから。

確信に近い想いを込めて、期待に満ちた眼差しで彼を見つめる。

果たして、

「つまり、…アレか、俺との婚約を破棄をして、悲劇の令嬢の気分に浸ってみたいと。ついでに俺にもその"ざまぁ"とやらをされてみてほしいと、…そういうことか?」

「そう!!!そうなの!!!」


流石ルパートだ。彼になら私の意図するところが伝わると思っていた。

喜色を隠せずさらに勢い込んで身を乗り出した私を、しかし彼は片手で押しのけ、

「断る」

「どうして!?」

「どうしても何も…どうしてそんな提案を呑むと思ったんだ?俺に何のメリットもないじゃないか」


キッパリ、ハッキリ、返ってきたのは取りつく島もない返事。

だが、ここまでは想定内だ。


「あら、メリットならあるのよ?」

榛色の目が訝しむようにこちらをチラリと見る。

「…どんな」

「私が喜ぶわ!とっても!あなたへの愛がより一層増すのよ!」

「でも婚約破棄するんだろう?婚約破棄して愛が深まるって何なんだ、意味不明だろう」

「意味なら今伝えたじゃない、楽しみたいの!婚約破棄というイベントを!!」

どう!?とだめ押しでもう一度見つめてみる。

「ダメだ」

「どうしても?」

「どうしても、だ」

「お父様にもちゃんとこれは冗談だからって前もって伝えるわ!お母様にはもう相談してみたのだけれど、あなたがいいっていうならいいわよって快く許してくれたもの!」


…正確には、諦めたような目で見つめられ、嘆息しながらあなた達がそれでいいと思うなら好きになさい、と言われたのだけれど、それは言わなくともいいだろう。


「…レティ」

「なあに?」

少しの間。

ぐしゃぐしゃと黒髪を掻き毟って、渋面のまま溜息をひとつ落とされる。


「ちなみに、…あくまでもちなみに、だが。

…俺が、ここでYESと言ったら、その後はどうなるんだ?」

心底うんざり、とでも言うような視線で見据えてくるのを受け流し、今日に至るまでに練りこんだストーリーを伝える。


「あなたがこの話に乗ってくれた場合…そうね、まず必要なのは恋敵なのよね。残念ながらあなた浮いた話ひとつないじゃない?だからまずはあなたにとっての想い人、私にとっての恋敵を探さなくちゃならないんだけど…」


恋敵役を定めるのが、なかなか難しいのだ。

彼ときたら大体が普段から私の隣で昼寝をしているか、気だるげにぼんやりと過ごしているか、男友達と過ごしているかなのだから、恋敵になりそうな女生徒がそもそも見当たらなかったのだ。


「あなた、学校ではいつものんびり過ごしてるでしょう?だから恋敵になるような女生徒の目星がつかなくて…それに、あくまでも雰囲気としての婚約破棄を味わうのが目的だから、下手に学内で痴情のもつれを演じるのはどうかと思うのよね」


そうなのだ、この婚約破棄はあくまでも"お芝居"。

破棄をしてほとぼりが冷めたらまた元どおりにするのだから。


「だからね、娼館に行ってみてはどうかと思うのよ」


私の発した一言で、ゴフッと、口元に運んだコーヒーを飲み損ね、むせこむ彼には頓着せずさらに言い募る。


「ほら、あなたまだ娼館には行ったことないんでしょう?前に私が行ったらどう?って聞いた時も、"興味ない"の一言だったから…、この際一緒にこなしてしまうのはどうかしら?」


信じられない、と言いたげに目を見開いて、呆けた表情。


「娼館の…高級娼婦とかならアリじゃないかしらって思ったの !それならあなたは時間とお金で割り切った関係を楽しめるし、私は婚約破棄の雰囲気も味わえて、なおかつ高級娼婦の方達がどんなことしてくれるのかも後々あなたから詳しく聞けて、まさに一粒で二粒も三粒も美味しいの!ね?素敵じゃない?」


そう言いながら、めくるめく婚約破棄に想いを馳せていたものだから、気づけなかった。

今までおとなしく話を聞いてくれていた彼の目が、段々と呆れを通り越して、剣呑な色を帯び始めていたことに。

「…レティ」

「もしあなたがいいって言ってくれるなら、明日にでもお父様にお話しに行くわ!そしたら晴れてウキウキ婚約破…棄……ッ…?!」

「レティシア」

言うなり、立ち上がって右手を掴まれ。

「ルパート…?」

無言で、カフェテリアの外へと連れ出される。


そのまま、足早に廊下を抜け、中庭を横切り、人気のない校舎へ。


「ルパート………ルゥ…っ」


焦って名を呼びかけても返事をもらえず、何が気に障ったのだろうと混乱した頭で考えるけれど。


そうして校舎の隅の、廊下の奥。


壁際に押し付けられるように、抜け出せないように体を両腕で塞がれて、剣呑さを宿したままの瞳をすぐ間近に見上げる。


「あのな、レティシア」

「は、はいっ…」


思わず裏返る声。

「…俺は、今ものすごく腹が立ってるんだけど、…分かる?」

「わ、わかり、ます…」

ごくり、と、喉が鳴る。


「あぁ、そうなんだ、機嫌が悪いのは、わかるんだ?

…じゃあその理由も、分かる?」


機嫌が、悪い理由…。

婚約破棄の話をしている時は、うんざりとはしていたけど、怒っては、いなかったように思う。

それが、変わったのは…


「しょ、娼館に、行けって…言ったから…?」

「そうだね」

よくできました、と低い声で言われ、そのまま耳元に口を寄せられる。


「じゃあさ、娼館で、俺が、相手とどんなことするか、わかってて言ってるの?」

「ど、どんなことって…」


いくら幼馴染で、いくら婚約者だとはいえ、こんな至近距離で触れ合ったことなど、ない。

かつてない近さで囁かれる言葉に、自分の鼓動が、信じられないほど早く、彼の口から言葉が漏れるたび、その吐息が耳にかかるたび、カーッと顔が、体が熱くなるのが分かる。


「知らない?…それとも知ってて知らないふりしてる?

…まさか、何するかも知らないのに俺に娼館をすすめた、なんてこと…ないよな?」

「お、お酒…飲んだりとか…っ、おはなしっ、お話したりとかっ…!」

知っている限りのことを、つっかえながらも伝えると、その榛色が軽く驚きに見開かれ、…それから、また鋭い色を宿したのが目に映る。


「酒に…お話、ね…」


軽い舌打ちの後、耳朶をいきなり噛まれる。


「ひゃっ…」


噛んだところに、今度は触れるか触れないかの距離で舌先を這わされて、

「"時間とお金で割り切った関係"…とやらが、それだけで済めばいいけど、な…!」


突然。

柔らかいもので口を塞がれて。

それが彼のくちびるだと気づくのにそう時間はかからず。

「〜〜〜!???!?」

抗議しようと持ち上げた手は壁に縫い止められ、咄嗟に食いしばるように結んだ唇を彼の舌が撫でるように触れてくる。


何が起こっているのかもわからないまま、もがいても解放されず、息が切れて口を開いたところに、何かがスルリと入ってくる。

それは不思議に温かくて。

逃げようとする舌を絡め取られて、押し返そうするのをなだめるように吸われて、

「……っ…ぁ、…ル、ゥ…」

斬りつけるような視線を受け止めながら、溺れるような、情けなく喘ぐかすれ声しか出ない。


……どのぐらい、そうされていただろうか。


息ができなくて、へなへなとその場に崩れ落ちそうになる私の腰を、彼の手が支える。

そうして、見つめ合ったままゆっくり唇が離れる間際、口の端からこぼれた唾液を掬われて、…今度はそのまま首筋をなぞるように、鎖骨を辿るように、小さなキスをいくつも散らされる。

私はといえば、もう、抵抗するだけの体力も気力も根こそぎ奪われていて、彼の唇が触れてくるたびにビクリと体を震わせることしかできず。


「……娼館に行けば、こんなこととか、これ以上のこともすることになるわけだけど、レティはそれでも平気なの?」

首筋に顔を寄せられたまま、くぐもった声でそう言われれば、その吐息がくすぐったくてまた体をよじる。


「っ…ぇ…?」

「俺が、婚約破棄ついでに、レティの知らない誰かと、レティの知らないところでこういうことしても、平気なのか、って聞いてる」


こういう、こと…。

今みたいな、キスを、他の誰かと…?

それは、

「や、嫌、だ…」

考える間も無く、反射的に声が出ていた。


ルパートが、私の知らないところで、知らない女の人と。

さっき彼に熱弁をふるっていた時は感じなかったどこかが、ズキリと痛む。


お酒を飲んだり、話をするだけだと思っていたから。


こんな、こんな風に体を密着させて、あまつさえそれ以上のことなんて、知らない、分からない。


「…そんなの、やだ…」


かすれた声のまま懇願するように言えば、果たしてその声が届いたのかどうか。

少し間があって、溜息。


くっついていた体を離されて、頭をぽんぽん、と撫でられる。

「ル…パート…?」

「わかればよろしい」

どこか寂しげな表情でそう言われて、気づかぬうちに目尻に浮かんでいた涙を指先で拭われる。


もう一度、彼の口から、今度は長い溜息。

「ルパート…」

ぐしゃぐしゃ、と髪を無造作に撫でられて目を細める。


「じゃあもう、婚約破棄したいなんて、言わないな?」

「うん…言わない…」

それじゃあこの話はここまでだ、とでも言うように、頭上に置かれた手がパッと離される。

それを名残惜しく思う気持ちがあるのを不思議に思いながらも、どうやら機嫌を直してくれたらしいと、ホッとする。








「なぁ、レティ」

気づけばもう午後の授業が始まる時間だ。

少し急ぎ足で戻る道すがら、ルパートが話しかけてくる。


「…ん、なあに」

「俺は、お前のこと、ほんとアホでどうしようもない残念公爵令嬢だと心底思ってるけど」

「ざ、残念…!?!!?」

「それでもお前のことが好きだし、大事な婚約者だと思ってるから」


そうしてそのまま目を白黒させる私を置き去りにしていく。


「とりあえず、今日は、ーーーゴチソウサマ」




去り際、耳元にとんでもない一言を残して。










読んでいただき、ありがとうございます。


後日、男性視点を投稿予定です。

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