第四十六話
まず一番最初に異変に気付いたのは彼の後ろでイリナを治療していた女王ではなく、彼の前にいて帝国王と対峙していたアンナ・プロメテウスだった。
身震いしてしまうほどの寒気を感じ、後ろを振り返ろうとした時、自分を軽く押し、帝国王のもとへとゆっくりと近づいていくトコヨユウジの姿が見えた。
「ユウジ。あんた何を」
彼の手を取ろうと腕を伸ばそうとした時、ふと地面に彼の足跡が残っているのに気付き、反射的に後ろへと大きく飛びのいた。
――――直後
「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
「っっ!」
獣のような叫びが周囲に響いたかと思えば彼の全身からどす黒いオーラが放たれ、その衝撃波で周囲の物を破壊していく。
彼の全身から放たれるオーラが地面に着いた瞬間、その地面が粉々に砕け、大きく亀裂が入る。
それを繰り返すかのように彼の足元にはいくつもの深い亀裂が入っていく。
「な、なんだこれは…………いったい彼に何が」
「分からない……ただ分かるのは今のあいつはあたしたちが知っているあいつじゃないという事だけ」
徐々に彼を包み込むようにしてどす黒いオーラが被さっていく。
オーラは彼の体に沿うようにして進んでいき、徐々に彼の肌がどす黒いオーラに包み込まれていき、オーラの形が人の姿からまるで獣のような姿へと変化していく。
それはまるで目が赤く輝く黒い化け物。
「なんだその姿は……貴様の魔法は触れた物をすべて破壊する魔法のはず……そのような形態を変化させるような情報は聞いていない……貴様はいったい何なんだ!」
「ぐおおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
天を仰ぎ、咆哮を上げた瞬間、周囲に黒いオーラが放たれ、次々に接触した物質を一瞬にして粉々に粉砕していく。
壁は消滅したかのようにぽっかりと穴が開き、床に付着していた血の跡は一瞬にして消え去り、彼が立っ
ている場所すら消滅するように破壊されていく。
「マズい。一旦ここから脱出する!」
グランの一言により、全員が一斉に王宮から離れていく。
帝国王は目の前の異質な存在に恐怖など抱くことも無く凶精霊から膨大な魔力を放出し、迫ってくるどす黒いオーラを無理やり弾く。
野生の獣のように口を開き、威嚇してくる異質な存在を見ても帝国王は余裕の笑みを崩さない。
これまでに何度も命の危機を脱してきた彼にとってこのような場面など命の危機でもなければ負ける戦いという気もしない。
「来るがいい小童。貴様がどんな姿になろうともワシの勝ちには変わらぬ!」
「ぐおあおぁぁぁぁぁぁぁ!」
口を大きく開き、その場から消えるほどの速度で目の前に迫ってくる攻撃をこれまでの勘と反射神経だけで避ける。
異質な存在はそこから消え去る。
直後、周囲の壁に次々と穴が開いていく。
自らの権力と地位を民共に示すという事で帝国国内で最も金をかけて作った王宮が次々に破壊されていったとしても彼は冷静さを欠かず、消えるように移動している奴の存在を追いかける。
「ぬぁぁ!」
後ろへ振り向き様に拳を突きだした瞬間、相手の顔面に拳が突き刺さる。
が、次の瞬間、一瞬にして拳が木っ端みじんに吹き飛び、周囲に血がまき散らされる。
「がぁぁぁぁぁあぁ! あぐぅぁ! 貴様ぁぁぁぁぁぁ!」
反撃を繰り出すよりも前に相手の拳が肩の辺りにあたる。
そして一瞬にして骨どころか肉までもが粉々に粉砕され、血が飛び、肉片が飛び、骨の欠片までもが吹き飛ぶがそれも空中で消滅するように破壊される。
そしてそのまま腹部に蹴りを入れられ、大きく蹴り飛ばされる。
「ぐぼぇぉあ!」
今の一撃を喰らい、今までに出したことが無いような異音を発しながら血反吐を吐き散らし、右腕の方を見るがもうそこに右腕は存在していなかった。
切断されれば大量の血が流れ出るし、溶かされれば継続して全身に激痛が走るというのに蹴られた場所も腕を破壊された部分もその一瞬だけが凄まじい激痛を感じるが少し経てば痛みすら感じない。
「バ、バカな…………い、痛みすら破壊しているというのか!? 貴様の魔法は感覚をも破壊するというのか!? ふざけるな! そんな魔法があってたまるか!」
慌てて凶精霊の魔力を解放し、傷の治癒を行おうとするが一向に腕の治療は始まるどころか腕にすら魔力を流し込むことができない。
「何故だ……何故、治癒すらできない!」
その時、足跡が目の前から聞こえ、顔を上げるとそこには目を赤く輝かせ、口を大きく開けている異質な存在がいた。
「あり得ん……そんなことなどあってたまるか!」
自身に徐々に芽生えつつあるある感情を払いのけるように残っている片腕を突き出し、魔法陣を展開して相手に向かって巨大な火球を放つが触れることすらなく相手から少し距離がある場所で火の粉となってかき消される。
何度も―――何度も――――何度も相手に向かって魔法の一撃を放っていくが相手に触れることすらなく一瞬にして掻き消される。
その間、相手は一切動いていない。腕も足も一切。
「あ、あり得ん……このわしが……わしがっ!」
「負けるんだよ、君は」
後ろから声が聞こえ、振り返るとそこにはリムの姿があった。
十年前、彼が現れてからというもの帝国は近隣諸国には存在しない魔法を手に入れる術を得たことにより、一切のデメリットが無い凶精霊の生成、自身の大幅な肉体強化などありとあらゆる面でリムの魔法を駆使して帝国の繁栄を行ってきた。
「どういう意味だ! わしが負けるなど!」
「君は大きな選択ミスをした……彼の大切な存在を傷つけたのさ。友達というね……ワールド・ブレイクが発動した以上、もうあれはこの世の存在じゃない。彼に触れることすらできない……僕以外は」
「ふ、ふざけるなぁぁ! わしはこの世界の頂点に立つ男! こんなところで死ぬわけにはいかんのじゃ! リム! 命令だ! 奴を殺せ!」
「言っただろう? 僕はもう君には協力しない……君が頂点に立たれると僕の野望が叶わないからね。ほら見なよ。君の最後の時だ」
直後、後方からあらゆるものが粉砕していく音が聞こえ、恐る恐る振り返ると足元に渦のようにゆっくりと回転しているどす黒いオーラが貯まっており、その上に大きく口を開いている異質な存在がいる。
その赤く輝く目はまっすぐ自身を睨み付けている。
そしてようやく彼は受け入れることとなる―――――自分の中にある恐怖という感情を。
だが彼は自分がこの世界の頂点に立つという野望を諦める気は無く、地面に転移用の魔法陣を展開し、この場から消え去ろうとする。
「無駄だよ……何もかも」
リムのその一言の直後、魔法陣が粉々に砕ける。
「ワールド・ブレイクが発動している彼の視界の前では魔法は発動できないと思うと良い。今の彼は触れなくても全てを破壊する……ワールド・クリエイト以外を」
そして一陣の風が吹いたかと思えば自身の体が大きく上空へと吹き飛ばされる。
目だけを動かすと自分の両膝から先が消滅したかのように破壊されており、その破壊の衝撃で吹き飛ばされたのだとようやく理解する。
その時に地上にはほんの小さな漆黒の点が見える。
直後、それが徐々に大きくなりながらこちらへと迫ってくる。
「ワシこそ世界の王! エルドレッド・バーンなりぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
遥か上空で小さな球体が一気に拡散し、消滅したのがリムの視界に映っていた。
ワールド・ブレイクを発動したトコヨユウジから放たれた全てを破壊する一撃はバーン帝国国王を一瞬にして飲み込むとともにその存在を証明する一切の物を破壊しつくした。
もうこの世に彼の細胞ひとつすら残っていないだろう。
その時、背後でドサッと何かが倒れたような音が聞こえ、振り返るとワールド・ブレイクが解除され、意識を失った状態のトコヨユウジが倒れていた。
「…………やぁ、君も酷いありさまだね」
「…………」
その言葉にエウリオスは一言も答えない。
「再生魔法。僕がワールド・クリエイトで生み出した一瞬だけ命を再生させる魔法を使ったんだね……でも君程度の魔力では意識すらなく、喋ることすらできない程度までしか回復できなかったわけか……」
エウリオスは何も言わず、握りしめていた一つの小さな水晶のような物を彼に放り投げるとそのまま音も無く消滅した。
「所詮、君は初代の様にはなれなかったという事だ。どれだけ強力な超常魔法を持っていようとも君はサバティエルには勝てなかった……君は十分、役目を果たしたよ。この映像さえあれば彼を追い込めるだろう……僕が新世界の神になった時、偉大なる存在として君の名前を刻んであげるよ」
――――――☆―――――――
「…………」
「起きたか。死んだかと思ったぞ」
「先……生……イリナは!?」
慌てて起き上がり、周囲を見渡すと俺の後ろに驚いたような表情をしたイリナが座っていた。
「じょ、女王陛下の治癒魔法で助かりましたの」
「そ、そうか…………アンナは?」
「どこかへ行ってしまいましたわ……」
「そっか……」
「アンナ・プロメテウスを追いかけるのは君の傷が癒えてからにしろ。君に死なれたら面倒くさい」
「そ、そうっすね……」
……あの時もハッキリと俺には意識があった。黒い何かに覆われていたけど俺が帝国王を殺す瞬間も戦っている間の記憶も……俺の力は本当に魔法なのか。