第三十五話
『お帰り!』
誰かの声が聞こえ、ゆっくりと顔を上げるとそこには俺が以前まで当たり前のように享受していた幸せな光景が広がっていた。
俺は入学するはずだった高校の制服を着ており、妹は私服。
俺達兄妹がいる場所から察するに俺が帰ってきてすぐにリビングで晩飯を食べようとしているらしい。
妹とはよく口喧嘩して泣かせて溺愛してる母さんと父さんにめちゃくちゃ怒られてたけどあれもでもまだ小学生だから夜、いつも一緒に寝てたっけ。
あ、そうだ。確かゲームも一緒にやってたな。二人でお小遣いを出し合って初めて買ったゲーム機は今でも現役だ。
それに妹は良く近くの本屋さんに出かけて一緒に立ち読みしてたな……良く本屋のおっちゃんも許してくれたもんだ。
毎週、発売日になったら本屋に行って母親にせがんで無理だったら立ち読みする……。
それに母さんとも色んなことやったわ……幼稚園の運動会で一緒に走ったり、小学校の体育大会では借り物競争で大好きな人を連れてこいっていうお題目の時、母さんを連れていったっけ。
でもなんでだろ……何故かその幸せな光景がやけに懐かしいものに感じるのは……それも俺がこの異世界にやってきたせいだからか……。
そしてふと思い出す。
俺が異世界で戦っていたことを。
そう言えば俺どうなったんだ……フィールドに頭から叩きつけられて死んだか……。
『帰りたい?』
そんな女性の声が聞こえ、後ろを振り返るとそこには異世界へやってくる途中で遭遇した黒いワンピースを着て黒髪の女の子が立っていた。
そうだ……変な壺に吸い込まれたかと思えばこの子に出会ってこの子から今の破壊魔法を与えられたんだったな……もう三カ月以上、こっちで過ごしたのか。
『あの幸せな景色の中に入りたい?」
入りたくないと言ったらウソになる……ウソになるけど今の状態じゃ素直にうんと頷けない。
俺は向こうの世界でやると決めたことがまだ残っているんだ……それなのに向こうの世界へ戻ったら責任放棄になっちまう……救うと言った以上、あいつを救うまで俺はあっちの世界に戻れない。
「俺にはまだやることがあるからな。まだもう少し、こっちの世界にいるさ……もしも俺のやるべきことが全て終わったらまた俺のところに来てくれ。その時また同じ質問をしてくれよ。その時は多分、はっきりとした答えを返せるからさ」
『そっか…………君が進めなくなるほどの困難の壁にぶち破った時、私のことを呼んでみて。その時は私も貴方に力を貸してあげるから……じゃ、バイバイ。もう少しこっちの世界を楽しんでね』
――――――☆―――――――
耳元で大音量の音楽を聞いているのかと錯覚してしまうほどの爆音に耳を軽く抑えながら立ち上がり、ゆっくりと目を開けて目の前を見て見ると向こうも同じように立っていた。
あ~……これ絶対に脳震盪起こしてるわ……さっきから視点が定まらない……。
でもまだ戦いは終わっていない。
俺は両こぶしを握り締め、その場から駆け出す。
目の前に赤い魔法陣が展開されるが拳を軽くあてて破壊し、さらに何枚も展開される魔法陣を一瞬で破壊しながら相手に向かっていく。
俺はこんなところで負けられない……止まっちゃいけないんだ!
魔法陣を破壊した瞬間、爆発が起き、吹き飛ばされそうになるが気合でそれを乗り越え、一気に相手に近づき、顔面に拳を突き刺して殴り飛ばす。
相手も負けじと俺の顔を殴ってくる。
魔法というものが存在している世界で一番原始的な殴り合いという戦いをしている俺達を見ている観客からは一切に声援が聞こえない。
相手を殴りつければ自分も殴られ、蹴られればこっちも蹴り返す。
「ああぁぁぁぁぁ!」
獣のような叫びをあげながらリアン・シャルマンの顔面に全力で拳を叩きつけた瞬間、血が飛び散り、相手の膝が地面に落ちる。
まだだ……まだだ!
顔が落ちていく相手に向かって膝蹴りを加えようと太ももを上げようとした瞬間、誰かに足を抑えられた感じがした。
リアン・シャルマンはそのまま地面に倒れ伏し、動かなかった。
「もう終わってるわ。トコヨ君……勝者・トコヨユウジ!」
そう宣言された瞬間、全身から一気に力が抜けた。
―――――――☆―――――――
「トコヨ君がリアン・シャルマンを下したか。グラン、君の生徒は凄いね」
「まさか一カ月そこらでここまで力をつけるとは」
「これで一枠は決まったも同然だな」
「では彼を」
「私の意見だけでは決まらない……ただ、彼らの間では既に決まったも同然だろう。今年の一年、特に彼の周囲にいる子は凄いね」
「プロメテウス家の最後の生き残りであるアンナ・プロメテウス。王族に血を残したエルスタイン公爵家の三女であるイリナ・エルスタイン。そして触れるもの全てを破壊するトコヨユウジ……今年一年はどうやら波乱の一年になりそうですね」