鬼霖堂書房幽鬱録ー完全版ー
久方振りの投稿……宜しくお願いします。
ぽたり――と、何か雫のようなものが道征く私の頬に落ちてきた。
雨だろうか。
そう思って頭に載せたハンチング帽ごと空を仰いだ。
しかしそこには雨雲のひとつも見当たらなくて、
見事な皐月晴れの空が、恢々(かいかい)と広がっているだけであった。
気のせいか。
そう思って揚げていた顔を前へと戻し道途を急ぐ私の頬にまた、
ぽたり――と、何か雫のようなものが落ちてきた。
矢張り雨だろうか。
そう思ってまた頭に載せたハンチング帽ごと空を見上げた。
だけれど、矢張り空には雲ひとつ無くて、
燦々(さん)と綺羅つく太陽ばかりが眸を灼いた。
あれ?
そのとき私はふと気がついた。
頭にハンチング帽を被っているのなら、
頬に雨など当たるわけがないではないか――と。
そう思い当たった瞬間もう遅かった。
ぽたりぽたりと落ちてくる雫のようなものは、
次第に雨脚を速め、軈て颯々(ぱらぱら)と降り注ぐ皐月雨となった。
そうなってから私は初めてその正体を知った。
狐雨である。
そう快晴に近い天気のもと、
しとどに私の軀を濡塗す雫の正体は、正しく狐が興した幽霖である。
なれば頭に載せたハンチング帽を透過して私の頬を濡塗したのも頷ける。
これは幻惑かしの雨――なのだ。
東京より少しばかり距離を置いた赤城の麓で、
狐たちの一団が、嫁に行く雌狐の門出を祝い流す天泣――それが狐雨である。
そう思うと私の胸懐は、些か苦しくなった。
狐とはいえ、それは紛れもない親子の別離れなのだ――と感慨を深めてしまったから。
そうして私の軀を濡塗していた雨はいつしか止んでいた。
にも拘わらず私の頬に滔々(とう)と流れる流沫の粒は、
果たして私の眸から零れ落ちた涕涙だったのかもしれない――……
*
颯爽とした一陣の夏疾風が、私の横を唐突に通り過ぎていった。
その瞬間、私は俯けていた顔を咄嗟に揚げ、過ぎ去った風の方向に眸を遣った。すると其処には、軽快な調子で駆けて征く一台の自転車の姿があり、それにはふたりの少年が乗っていた――所謂、二人乗りという行為だ。
前のサドルに坐った運転者が、ハンドルを操作し全速力でペダルを漕ぎ、後ろの荷台に載った者は、片方の手を前者の腰に廻し、もう片方の手でなぜか私に向かって手を振っていた。
その様子を眸にして、私もなぜか手を振り返そうと思い片手を挙げたのだが、そこで手にした菓子折の存在が忽然と消失えていることに気がついた。
「あれ――」
能く眸を凝らすと、自転車の荷台に載って私に手を振る少年の当にその手に、迚も見覚えのある緑青色の紙袋が、確乎りと握られているのが見て取れた。
「あっ、ま――」
その刹那、私は犯られた――と思った。
ひったくりに遭ったのだ。
銀座の高級菓子店で購入したどら焼きの詰め合わせを、私はまんまと自転車に載ったふたりの不良少年に盗まれてしまったのである。
そう確信したときには、もう手遅れだった。
二人分の体重を載せた薄汚れた自転車は、疾走する坂の重力を借りて看々(みるみる)と加速していき、アッという間に私の眼界から消え失せてしまった。
それは総じて一秒と掛からぬ手慣れた犯行だった。
大事な土産物を途端に盗まれた私は、仕事鞄だけを確乎りと抱え、茫然自失とその坂の途上で立ち尽くすしかなかった。
神保町を奔る靖国通りを北東に折れた道途の先には、幽明坂と呼ばれる坂がある。
緩々(ゆるゆる)と緩やかな傾斜の続くこの坂道は、兎角地元住民から執拗に避けられている曰くある街路であった。
その理由を殊更に明かすならば、それは此の坂の長程さにある。
幽明坂は、その起伏とは裏腹に、路次を形成する寸尺が豪く長途い。優に登坂時間は、四十分以上にも及び、下手を拍てば一時間も掛かってしまう場合すらもある。
一見して生まれたばかりの乳飲み子ですら、悠々と登ることが叶いそうな法面に見えても、生半可な覚悟で徒行しようものなら開始五分と保たず、その路次の恐懼しさを知ることになるだろう。
兎に角終点に着く気がしないのだ。
進めど進めど一向に進んでいる気が持てず、仕舞いには、己がいつからその道途を登っているのかすら解らなくなってしまう程の〝無間〟の路程。
故にその別称は『無間坂』――。
だからだろうか、そんな不可思議な錯覚を誘発させる坂を好き好んで登る者は皆無に等しかった。
仮に登る者がいたとするならば、それは遊び半分で坂の頂上から自転車に乗って滑走する莫迦な不良少年たちと、私のような坂の上に用事のある者だけである。
長途い長途い兎角長途い坂の上には、一軒の古本屋があった。
その屋号も『鬼霖堂書房』というのだが、私は今当に其処に向かっている途中であった。
しかし莫迦な不良少年たちの御陰で、折角大枚を叩いて手に入れた高級菓子を一瞬のうちに失した私は、暫し途方に暮れた。
とは云え、いつまでも其処に惘然と立ち尽くしているわけにもいかず、取り敢えず私は歩くことを考え漸うと足を進めたのであった。
向かう先は、無論坂に頂上にある鬼霖堂書房に――である。
幽明坂を下った先には、警官が常駐している交番も勿論在ったが、また長い時間を掛けて登り降りするのも億劫だったし、何より約束の時間が迫っていることを気にしたからだ。
それでも逃げて行った少年たちに心残りがないと云えば嘘になる。
あわよくば先を急ぐ私の背中を呼び止めて、盗んだ菓子折を素直に返して謝罪してくれるのなら、それに越したことはないにだが、それも詮無い望みだと思い諦めた。
皐月晴れの空が私の背中を焦々(じりじり)と灼いた。
六月も間近に迫った時節だというのに、何とも爽然とした陽気である。
慥か今日の降水確率は、一○パーセントもないはずだ。
頗る良い天気である――が、私の気持ちは頭上に広がる空ほど快晴ではなかった。
私は坂を登りながら不意に自分の身に降り掛かってきた犯罪被害について考えていた。
そう私は犯罪被害者なのだ。
生まれて此の方二十と六年、これといって犯罪らしい犯罪に巻き込まれたことがなかった私は、不意に襲ってきた〝犯罪〟という名の人災に巧く対処することができなかった。
予期していなかったのだ――否、想像だにすらしていなかったに違いない。
頭の中ではそういった不幸な出来事もあると理解っていても、いざ己がそういった事案に遭遇したならば――と考えを巡らすことを放棄していたのだ。
それ故、持つべき警戒心を逸していた。
それを怠ったらこそ、あの少年たちを犯罪者にしてしまったのである。
つまり私が普段から揺るぎない警戒心と、用心を事欠かなければ、少なくとも今日この日だけは、彼らは〝犯罪者〟という烙印を貼られずに済んだのである。
そう思うと、私は途方も無い遣り切れなさを感じた。
私さえ確乎りしていれば、無益な罪を背負うこともなかった筈なのに――と。
ふと瞬く間に烈風の如き速度で過ぎ去っていく少年たちの後ろ姿が眸に浮かんだ。
あの少年たちは、他人の災いになることを佳しとしてるのだろうか。
もしそうなのであれば、誰かが糾さなくてはならない。
彼らの将来を憂う心優しき誰かが――
――などと熟々(つらつら)と益体もない考えに耽っていると、妙に口が渇いていることに気がついた。
仕方なく私は、胸ポケットに忍ばせておいた飴玉を一粒摘まみ出し、ひょいっ――と糖分を欲した軀に放り込んだ――すると疲れた軀に深々(しんしん)と広がっていくその甘露はほろ苦く、いつまでもいつまでも私の心に津々(しん)と降り積もっていった。
永延と長途い長途いを坂を征く途上、私は被っていたハンチング帽を頭から外した。
団扇代わりにする為だ。序でに額に浮いた汗の玉もシャツの袖口で綺麗に拭い去ると、程なくして頂上に辿り着いた。総じて一時間十三分にも及ぶ徒行の果てだった。
途中予期せぬ事件に遭遇したとはいえ、先ず先ずの時間である。
私の息は、切れに切れていた。
無間坂――基い幽明坂と呼称ばれ地元民ですら忌避する坂を初めて登ったのは、昨年の十一月末のことだった。
その日も、今日と似て冬の日にしては稍陽射しの強い日で、私は柄にもなく大量の汗を掻いて登ったのを能く覚えている。
それからというもの、私は月に四度の間隔で幽明坂を登り降りしているのだが、いつに為っても私は、此の坂道のことが好きになれなかった。
元々あまり運動が得意な方ではなかったし、学生時代は根っからの文学少年であったから、猶更体力に自信があるわけでもなかった。
所謂私は、根っからの引き籠もり(インテリ)なのである。
そして無類の本好きでもあった。
だから大学を卒業して直ぐ私は出版社に就職した。文芸の仕事がしたかったからだ。
本を通して多くの人々に感動と希望を与えたい――そんな思いもあった。
しかし蓋を開けてみれば、割り振られた部署は、本を作ることに何の関係も持たない総務部だった。
何の益体もない会社の雑務を熟していく中で、それでも私は文芸編集部への転属願いを出し続けた。そして漸くその意望が叶ったのが昨年の十月のことだった。
それから一ヶ月ほどの時間を掛けて編集の仕事を学び、遂に私は、とある作家先生の担当編集の仕事を手にすることができたのである――が、充てられた作家先生の住居は、長途い長途い坂の上に在った。
幾ら運動することを嫌っていても仕事とあっては断るわけにもいかず、本日私は二十七回目の登高を終えた。
私の全身はぐっしょりと濡塗れていた。発汗したシャツに浸潤して酷くベタついた。
そうして切れた息を整えつつ足を向けた先には、一軒の木造家屋が建っていた。
質素な外観をした草臥れた古民家のような建物である――基いそれは歴とした店舗なのであった。
店舗の屋号は『鬼霖堂書房』といった。
商う品は古書ばかりの、所謂古本屋というやつだ。
この店舗の亭主兼作家先生に私は用があって来たのだ。
その建物には大々的な看板が無かった。代わりに店舗の出入り口たる硝子戸には、掠れた金文字で細く『鬼霖堂書房』と印字してあった。
いつもの調子で硝子戸に生えた把手を握り中へと押し遣ると、建て付けが悪いのか案の定ちょっとした抵抗感がビクリ、と軀に走った。そうして程なくギィィィ……という耳障りな悲鳴を上げて粛然と扉が開いていくのと同時に、私の鼻腔に得も云えない古紙の臭いが微かに充満した。
饐えているのか黴び臭いだけなのか解らぬ臭いである。而して決して嫌いになれる臭いではない。寧ろ時を経て古びた紙の臭いに、そこはかとない安堵感を私はいつも覚える。
店舗の中はいつもの様に薄暗かった。明かり採りの窓が殆どないせいだ。
それ故、外の陽射しに灼かれた眸が仄暗い空間に慣れるまで暫し数瞬を要した。
そうして視えてきた店内の景観に眸を奪われたのは、これで何度目となるだろうか。
店舗の中央には、大量の本を収納した巨大な本棚が在った。その本棚は、店舗の奥へと奔る通路を真っ二つに分断している――私は迷わず右側の通路に足を向けた。
両側の壁も同じく巨大な書棚と化していた。その丈は、今や色褪せた木目の天井に届かんばかりの巨きさを誇り、こぢんまりとした家屋の空間に収まり切れぬほど飽和した本の数々を、その腹の裡にたっぷりと抱え込んでいた。
それに壁の書棚には、確乎りとした木梯子も備え付けてあった。高所に位置する本を取るときに足場とするためのものだ。
それらの様子を眸にするだけで、この鬼霖堂書房が、立錐の地を巧く利用した収納術に依って商品を陳列していることが能く判った。
この空間は、余す処なく本で満たされている。それは今、私が足を進めている薄闇に染まった通路にも云えることで――私は床の上に堆く積まれた本の山を上手に躱しながら恬然とした歩調で闇の奥へと進んでいった。
暗渠か隧道を思わせる通路を征きながら、私の眸はつい瞥々(ちらちら)と眼界に入ってきた本の背表紙を黙読していった。
其処には『日本書記』やら『古事記』やらといった学校の教科書などで能く眸にする題名の書物もあれば、『彗琳音義』だの『三教源流捜神大全』だのといった能く解らぬものまで収まっている。
これらの品揃えは、すべて亭主の趣味であった。
鬼霖堂書房は、曰く民俗学の書籍を取り扱う専門店なのだ。
しかし相も変わらず鬼霖堂書房には客の姿が無かった。亭主が作家として幾ら稼いでも、赤字経営は免れないだろう――などと過ぎた邪推をしていると、私の眼界にその件の作家先生の姿が飛び込んできた。
先生は店番宜しく勘定台の椅子に坐っていた。しかしその視線は、店内には一切向けられておらず、凝然と勘定台の上へと落とされていた。
その微動だにしない姿を見て私は思った。嗚呼、本を読んでいるな――と。
静息かに近寄ってみると案の定、先生は本を読んでいた。
場所は店舗の最奥であるが故、雀の泪程しか光量はないのだが、先生は黙々と私の存在にも気がつかず一心に読書に耽っている。
一見して寝ているのではないか、と疑いたくなってしまう程、先生は微動だにしなかった――のだが、時折り貢を捲る手指が僅かに動くので、それはないと確信する。
果たして数秒程先生の仕草を観察してから私は暫く振りの声を上げた。
「何の本を読んでらっしゃるのですか、童遊先生?」
「……」
声は無かった。
無視されたのだ――否、集中しているのだろう。ペラリ――とまた貢を捲る音がした。
先生は噸でも無い書淫家なのだ。曰く本の虫である。
しかしこれでは一向に埒が明かないので、私は些か大きな声を出して先生の雅号を呼んだ。
「童遊麒助先生! こんにちわ、簑辺熾郎です!」
そう云うと、漸く私の声が届いたのか、先生は幽然と面を上げた。
「なんだ簑辺君か。来ていたのだな君――」
などと惚けた声を出して私の顔を見上げた先生の貌は、
――いつもと変わらぬ翁の面容だった。
「またそんなお面を被ってらっしゃるんですか。似合いませんよ、それ」
その皺深い白い髭を生やした木彫りの面を見遣って、私はいつもと変わらぬ軽口を叩いた。
すると先生は決まって、
「君には関係のないことだ。小生は根っからの赧愧なのだからな」
などと恥ずかしげもなく、そう云うのであった。
童遊麒助は、私が担当する作家先生である。
普段より能楽で使うような翁の面を被ったこの奇態な小説家は、一昨年の暮れに突如として文壇登場を果たした謎多き人物である。
彼の本業は、古本屋の亭主なのであるが、ふとした気紛れで投稿した作品が一挙に話題を呼んだ。
その題名も『凍螂』という怪奇小説である。
この現代を懸命に生きる鬼の姿を描いた物語は、その奔放な舞台構成とは裏腹に、実に涕涙を誘う異類恋愛奇譚ものとして真に好評を博した。
そうして、とある出版社の小説賞を受賞した本作は、書籍化されると同時に四十万部の売り上げを二ヶ月で叩き出し、瞬く間にその年のベストセラー本の仲間入りを果たした。
それから半年の内に第二作『黒犬は黙らない』。第三作『微睡む羊』という鬼を主人公にしたシリーズものの作品を書き上げ、登場から一年も経たぬうちに人気作家としての地位を不動のものとした。
何はともあれ、新進気鋭の若手作家として異例の大出世を果たした御大ではあるが、しかしなぜこの作家先生が常時翁の面を着けているのか、私は孰れとして知らなかった。
本人の談からすれば、人前に出るのが恥ずかしいからだと云うが、それも本当のことかどうか定かではない。――まぁ私は信じていないのだが。
最初に先生とお会いしたとき、恐らく殆どの人間がそうであるように、なぜ翁の面を被っているのか詮索した時期もあったが、今ではこうして冗談を交える程に、私にとってそれは至極当たり前の光景と為りつつあった。
「先程もお訊きしましたが、いったい今日は何の本をお読みなんです?」
私はついさっき先生に無視された言葉と同じことを訊いた。
すると先生は、嗚呼、これかね――と云って本の表紙を私に見せ、
「これは金森出版発行の『現代法医学大全』だよ」
と得意気に云った。
――また可笑しな本を読んでいるものである。
「現代法医学ですか。これはまた卦体なものをお読みで」
心の中で呟いたことを包み隠さず私が口にすると、先生は暫しムッ、としたように言葉を荒げた。
「何が卦体なものか。これは実に素晴らしい読み物だぞ。彼の法医学の大家、永渕夷造名誉教授が著した名書として支持も熱い傑作だよ。そもそも死とはという先生独自の哲学的意見から始まり、不可逆的心肺機能の停止が起こす屍体現象と死の様態を余すとことなく披露してくれている。人は如何やって死ぬのか、殺されるのか。その過程を科学的見地から考察し解明しようと試みている実践書がこれだ――何なら簑辺君、君の軀を借りてこの本の正しさを証明してみてもいいのだよ?」
些か本気とも取れるその言葉に私は少しばかり身を引いた。
「はは、勘弁してくださいよ先生。私はまだ死にたくないです。死は怖い」
この人なら、いっそ遣りかねない――殺されて堪るものか。
そんな私の兢々(びくびく)とした姿を小さな孔の空いた面から見遣って先生は云った。
「ふふ、冗談だよ。小生には人を綺麗に解剖できる技量はないよ。あるのは知識だけだ。しかし簑辺君。君は一寸とっばかり勘違いをしているよ。本当に怖いのは〝死〟そのものではなく〝死に至る過程〟の方だ。間違っちゃいけない」
「は、死に至る過程ですか?」
「そうだよ」
先生は好々(こう)爺宜しく頷いた。
「死というものはね、酷く虚無的な現象なのだよ。古えの時代から人は死ねば、肉体から魂が乖離し天国やら地獄やらといった能く解らぬ世界に逝くという宗教的観念に囚われているが、そんなものは誤謬だよ。人は死んだら骸と為るだけだ。骸と為ったら土に還り有機物の肥やしと為るが末路と決まっている。それは人として、否、生物として生まれたからには避けては通れぬ末期の在り方だ。つまり皆が一度は通る道でもある。だから死そのものを恐れることなど何もないのだ。能く云うじゃないか『赤信号、皆で渡れば怖くない』――とね」
「童遊先生、その譬えだと皆一緒に死んじゃいます」
嗚呼、そうだよ――と先生はあっけらかんとした調子でまた頷いた。
「慥かにそれでは皆死んでしまう。しかし重要なのは〝死ぬ〟ことではなくそれに至る過程の方だ。――簑辺君、君痛いのは嫌いかい?」
また唐突に何を訊いてくるのだろうか、この先生は。
「勿論嫌いですけど……」
私が怪訝に眉を顰めてそう答えると、先生は何処か納得したように、
「そうだろう。つまりそういうことだよ」
と云った。
「は?」
訳が解らなかった。つまり如何いうことだ? 先生は何が云いたいのだ?――と私が汗の引いた頸を独りでに捻っていると、
「君も察しの悪い男だな」
と先生は溜息をひとつ吐いて、
「いいかね、赤信号を下手に渡ると如何なる?」
「え、と車に撥ねられます」
「車に撥ねられたら?」
「い、痛いです……」
「そうだな。ならば、それは死ぬようなものかな?」
「場合に依っては死ぬでしょう。当たり処が悪ければ」
――特に頭など強打しようものなら致命的である。
「ではこれはどうだ。老衰だ。老衰は痛いだろうか?」
「い、痛くないでしょう。老衰は歳に依る衰弱死ですから。寧ろ痛みは感じないものかと」
「そうだ。では先に挙げたこの二例、死ぬなら君はどちらを選ぶ?」
「も、勿論老衰です」
「それはなぜだ?」
「て、天寿を全うしたいからです。それに大往生ともなれば、香典も多そうだ」
「死んだ後でも金が欲しいのか、君は」
面の奥で先生は鼻を鳴らして笑った。それから、
「天寿を全うするのもいいが他にはないか? 老衰を選ぶ理由は」
「そうですね。矢っ張り事故死は痛そうだからでしょうか。痛い思いをして死ぬのは御免被りますよ私は――あ、」
其処で漸く私は理解した。先生が云わんとすることを、だ。
つまりこういうことだろうか。
〝死に至る過程〟とは、単に楽易して死ぬか、苦悶しんで死ぬかの二択だということだ。
人は誰しも痛い思いをして死にたくない。しかし世の中には、痛い思いをして死ぬ人間が慥かに居る。それは事故死だったり、病気だったり、殺人だったり様々だ。
それは自分では決して選ぶことのできない死の形である。
朝の通勤時に交通事故に遭ったり、治る見込みのない病気を患ってしまったり、突然強盗に襲われ金だけでなく生命すら奪われてしまったり、と実に様々な死の形が悲痛を伴って世の中には転がっている。
そして、それらは孰れも〝怖い〟ことなのだ。
自動車に撥ねられ死ぬのは怖い。
重い心臓病を患い死ぬのは怖い。
ナイフで刺撃され死ぬのは怖い。
そう皆怖いことなのだ。故に一番〝怖い〟ことは、そうして無為に死んでいくことである。
それに比べれば〝死〟そのものなど大して怖くはない。
先生が云ったように、死ねば骸が残るだけである。残った骸は微生物などの餌と為って分解され土塊へと還るだけ、何も怖れることなどないではないか。
死に至る過程に比べれば屁でもない。
死よ、恐るるに足らず――である。
漸く得心のいった顔をしたであろう私を見据えて先生は云った。
「どうやら合点がいったようだね」
「はい、徳利と」
杉の木材で造られた古びた勘定台を挟んで私はポンッ――と掌を拍った。
「詰まる処、死に至る過程とは、死に逝く状況にあると私は解釈しました」
「ほう――それで?」
「はい。死に至る過程には、大まかに見積もって二種類あります。一つは老衰のように身体機能の低下に伴う安楽な死――と、もう一つは、事故に遭うなど突発的な状況に依って引き起こされる苦痛を伴う死――です。それら二種類の死は、自分で選ぶことは叶いません。なぜなら、死に逝く状況とは己の埒外にあるからです――まぁ自殺は別ですが――そうした内発的ではなく、飽くまで外発的な要因に依って齎される〝死に逝く状況〟こそが、人の尤も怖れるべきことなのではないでしょうか」
其処で一端言葉を切った。先生の眸が面の奥で僅かに眇められたような気がした。
私は言葉の続きを口にした。
「〝死に逝く状況〟とは私なりの言葉ですが、それに至って〝死に至る過程〟と何ら遜色ないと考えます。寧ろ〝死に逝く状況〟とは〝死に至る過程〟の前段階であって切っても切り離せない〝縁〟のようなもの。そしてその〝縁〟はいつ人の身に降り掛かるか解らない――」
拙い私の言葉を聴いて先生は露骨らさまにフムフムと首肯した。
「人の死は人に依って異なる。出来れば己の身に降り掛かる〝死〟は安楽なものがいい、と考えるのが人です。何も怖い思いや、痛い思いをして死にたくはないでしょう――しかし世の中には、厳然とそんな惨い思いをして死に遂げる人も慥かにいる。それは迚も〝怖い〟ことです。目を背けたくなるほどに……出来れば私はそんな過程を辿りたくはありません。だけれども〝死に逝く状況〟は、誰にも選ぶことができないのですから、私の死に方も孰れは苦痛を伴うものになるやも知れない。そう考えると、私は迚も怖いです」
朗々と語っているうちに、私は不意に怖くなった。己にいつ訪れるやも知れぬ〝死〟の在り方に云いようのない不安を感じたからだ。
私は一体どのような死を遂げるのだろうか。考える程に切りがない――切りが無く切なくなった。未来に死する己の姿が、急して脳裏に浮かんでは消滅えていく。数え切れぬ程に膨らむ死に至る過程の妄想に、私の小心は押し潰されそうになった――そのとき、
「大丈夫だよ簑辺君」
そんな私の心の裡を斟酌するかのような先生の声が、不意に私の耳朶を拍った。
「君の解釈は概ね正しいよ。そう君が今怖がっているように死そのものよりも、死に至る過程の方が余程怖いものなのだ。それは人間的な本能から来る純然な恐怖心に外ならない。故にそうである以上、誰もその恐怖心から逃避れることは出来ないのだ――解るね?」
私は嫋々(なよなよ)と頸を縦に振った。
「宜しい。ではこう考えてみ賜えよ。〝死〟そのものと〝死に至る過程〟は大生にして切り離してみることだ。慥かに世間には痛烈とも執れる苦痛を伴う死もあるだろう。そうなれば人の軀は単なる骸と為るだけだが、そうした軀から乖離した魂だけが健在なら、また人としての道も歩めるというものだ。輪廻転生だよ。どんな死に方であれ魂だけが不滅ならば、人は幾らでも遣り直しが利くものだ。だから怖がるな簑辺君。怖がっちゃいけない」
そう云って先生は静厳かに言葉を切った。
それは決して励ましとは取れぬ言葉であった。なぜなら先程先生は、人の死を骸と為るだけと云ったからだ。人は死んだら骸と為り土に還るだけ――真実私もそう思う。しかし先生は、己の言葉を曲げてまで私の気を紛らわそうとしてくれた。そして、それは不思議と強張っていた私の肩の荷を降ろしてくれたような気がした。スウ――と軽くなった肩を前のめりに脱力させた私は、何となく減らず口を叩きたくなって、
「先生、大変なご高説痛み入るのですが、それでは何やら宗教の勧誘染みて怪しいです」
「何を云うか。君は仏教も知らんのか。困ったときの仏頼みだよ」
「それを云うなら神頼みではないですか?」
「それこそ何を云う――だ。異教の神に頼むことなど何もない。小生は真言密教徒だぞ」
「左様ですか」
などと他愛もないことを口にしながら、私と先生は互いに笑い合った。
「――処で簑辺君、今日は土産物はないのかな? 手ぶらのようだが」
一頻り笑って先生は徐に私の手を見てそう云った。
生憎と私の手元には、茶色の仕事鞄と、被ってきたハンチング帽だけしか握られておらず、土産物などといった気の利いた代物は、既に失かったのである。
なので私が店舗に来る途中に遭遇った出来事を正直に打ち明けると、
「全く何てことだ」
と云って先生は、面の額に指を遣って黯然と肩を落としてしまった。
「君は小生の好物が千住庵のどら焼きであることを承知しているだろう。なぜこんなことになった。折角、好物のどら焼きが食べられる――基い手土産を持参する君を待っていたというのに」
明らかに私が持参するどら焼きの到着を待ち侘びていたという本音と、それを微塵も隠そうとしない建前に私は自ずと苦笑するしかなかった。
「何を嘲笑っているのかね」
苦し紛れの私の笑みに些か不服を感じたらしい先生の声には若干の棘があった。
然る後に私が眸に見えて肩を窄めて、
「すみません」
と低頭してみせると先生は、
「まぁ奪われてしまったものは仕方が無い。君に怪我がなくて良かったよ」
と云って淡然と、どら焼きへの未練を断ち切り、私の無事に安堵してくれた。
「面目次第もありません」
そうして改めて私が謝罪の言葉を述べると、
「しかしなぁ、その少年たちにも困ったものだな。人の物を盗み取るなど、遊びとしては少々度が過ぎている。警察にでも被害届けを出しておくか」
などと至極不穏なことを云うので、私は一寸ばかり慌ててその意見に口を挟んだ。
「あ、いえ先生。それには及びません。帰りにでも私自ら交番にでも立ち寄りますので、お気遣い無く」
「そうかい。君がそう云うのならいいだろう。しかしこういった事案は時間との勝負だから為るべく早めに手を拍っておいた方がいいぞ。何せ盗られた物はどら焼きだ。食ってしまえば証拠も残らんからな。矢張り今届け出をして来よう。善は急げ悪は延べよ、だ」
そう云いつつ坐った椅子から腰を上げようとする先生の軀を私は全力で押し留めた。
「いえッ……! ですから被害者である私自ら届け出をしておきますので、先生は行かなくて結構です! 此処に居てください!」
「結構とは何だ結構とは。奪われたのは本来小生が食うはずだった菓子なのだぞ。それなら小生にだって被害届を出す権利くらい生じるはずだ。それとも何か小生に被害届けを出されては、何か困る理由でもあるのかね、ん?」
「そ、それは……」
その尋問のような問い掛けに私は答えを窮してしまった。
しかしそれは口にし辛く、何と云うか私情に近いことで――
「まさか君。その不良少年たちを庇っているのではないだろうね?」
――当にそれである。
「何だ図星かね? なら君は何て愚かなんだ。被害者のくせして加害者の肩を持つなど呆れて物も云えぬよ。同情の余地もない唯の愚行ではないか、全く」
「仰る通りです。申し開きも御座いません」
「否、申し開きはして貰う。そうでなければ小生の気が収まらん。なぜそう思うね?」
「…………」
私は又もや口を噤んでしまった。云った処で、私の考えなど先生には到底理解されないと心得ていたからだ。
「答え賜え簑辺君。君はなぜ小生のどら焼きを盗った少年たちを庇っているのだね?」
私が黙っていても先生の追求は止むことがなかった。私は致し方なく、
「……つ、罪を犯す彼らを止められなかったからです」
と判然とした事実だけを述べた。
「それだけかね?」
「はい」
翁の面に空いた孔を確乎りと見詰めて、私は潔く返事をした。
盗まれたことも事実であり、それを止められなかったのも事実である。そして何よりあのふたりの少年を犯罪者にしてしまったのは、紛れもない私自身の所為であったからだ。
ただそれしか云えなかった。先生に献上する筈だった土産物を奪われたのは、私の落ち度に依る処が大きかったから、誰もあの少年たちを罪に問うことはできない――否、してはいけないのだ。
それは真実被害者である私でさえも同じことで。彼らの罪をなかったことに出来ても軽くしてやることはできない。罪は罪として孰れは裁かれるときが来るだろうが、今日だけは私の愚行に免じて無罪放免にしてやる依り道はないのである。
これは紛う事なき擁護である。
「……もういい。君の眸を見ていたら説教する気も失せたよ。全く君もお人好しだな。罪を犯した者を庇おうなど可笑しいよ。下手したら犯人隠避罪や蔵匿罪に値する重大違反行為だ。下手をしたら、その少年たちの代わりに君を警察に突き出さなければならない。小生にそんな真似はさせんでくれ」
「そうですね。その通りです。そんな愧辱を先生に掻かせるわけにはいきません。ですが私に罪はありませんよ。勿論その少年たちにも、ね」
「ふん、減らず口を云う。解ったよ。警察には届けん。但しこの落とし前はつけて貰わねばならんな――」
そう云うと先生は、私の鼻先に指を二本突き立てて、
「今日損失した分も合わせて、次回来るときは千住庵のどら焼きを二○個用意してき賜え。それで今回の不備は手討ちとしよう」
と云った。
「ありがとうございます先生。助かります」
「助かるのは君じゃなくて、その不良少年たちの方だろう。確乎りし賜えよ簑辺君」
「はい! 次こそは必ずや極上の献上品を奉じさせていただきます」
「期待しているよ」
などと云う先生の声を耳に、私は己の財布との綿密な相談を余儀なくされたのであった。
「――さぁ一段落着いた処で、そろそろ仕事の話をしよう。簑辺君、小生の仕事部屋に来なさい」
それだけを云うと、童遊麒助先生は席を立った。私は、
「はい先生」
と威勢良く返事をし、店舗の更に奥にある母屋へと消えゆく先生の後ろ姿を追っていったのだった。
*
母屋へと通ずる框で靴を脱いだ私は先生の仕事部屋に通された。
其処は元は仏間だったらしい。
抹香だか線香だか能く解らぬ芳香りが立ち籠める室内には、一基の仏壇が建立っていた。
酷く襤褸な仏壇である。
背丈は私より頭二つ分程高いその仏壇は、如何にも何処ぞの廃材置き場などで材料を調達してきたような乱雑な造りをしていた。
元は朱色の漆が塗布されていたであろう筺型の板切れは、今や当時の荘厳さなど見る影もなく、その全体を白蟻の餌として捧げたかのような幾つも坑が空いている。
真に貧相な仏壇である。
また仏壇の内部には、これまた見窄らしい格好をした坊主の木像が納められていた。
先生の談に依れば、その坊主は弘法大師空海なのであると云う。
空海と云えば、真言宗の開祖として有名であるが、私にはそれしか判らなかった。
空海は座禅を組んでいる。
眸を瞑り瞑想に耽るその姿は、如何にも俗世間から乖離しているかのように私には見えた。
部屋には私ひとりだった。
先生は細君に茶を煎れて貰おうと席を外している。
部屋に入る為りひとりきりにされた私は、瓦落多のような仏壇の前に坐った。
坐って私が手にしたのは、経机の上に在った黒檀のリン棒だった。
リン棒はリンを拍つための道具である。当然私は経机に乗ったリンをそれで拍った。
チーン……――という真鍮の奏でる音は静謐な室内にいつまでも木霊した。
金属質の迚も澄んだ音色である。私はそのまま手を合わせた――合唱する。
そうして瞑った眸を開けて背後を振り返ると、其処には童遊先生が立っていた。
「偉いね簑辺君。小生が居なくともちゃんと約束を守っているじゃないか」
「当然です。私は約束を破りません」
そうなのである。私は先生との仕事に入る前に、仏壇に手を合わせることを約束させられていた。
曰く仏壇に手を合わせることは、精神の統一に繋がると先生は云う。
仕事とは精錬な気持ちで臨んでこそ意味があるのだ、というのが先生の持論である。
故に先生と仕事をする者は、否応なくそれを強要された。
まるで大晦日の晩に釣り鐘を衝いて爛れた煩悩を滅却するかのようなこの行為は、しかし意外と私に嵌まった。
仏壇に手を合わせることは、心の浄化に繋がることを、私は此処で学んだのである。
「何嘘を云っているんだ。今日さっそく約束を破ったじゃないか」
「何のことです? 私は嘘を云ったりしませんよ。約束のどら焼きは必ずや今度持って参ります。なので是非とも楽しみに待っていてください」
「本当に口の減らぬ男だな、君は」
そう云って先生は頭痛を堪えるかのように頭を振った。しかし、
「いま妻に茶を煎れさせている。菓子を盗られた君でもあの坂を登ってくるのは嘸や骨が折れただろうから、茶でも一杯飲んで一息吐いてくれ。生憎と茶菓子はないがな」
などと、矢鱈と『菓子』の部分を強調して云うのは、単なる意趣返しなのだろうか。
私は皮肉とも取れる先生の言葉を敢然と無視して立ち上がった。
部屋の隅には、申し訳なさそうに一台の座卓が置いてあった。
その座卓の周囲りには、店舗より稍劣るが、それでも多くの本が山と為って積まれていた。先生と私は、それらの本をぞんざいに横へと退かし互いが対面するような形で坐り合った。
店舗での距離よりも些か近くに先生の貌があった。
薄暗かった店内よりも瞭然と先生の貌――面は見て取れた。しかしその面に刻まれた皺の一本一本は眸に出来ても、穿たれた孔から覗く眸の輝きは一切眸にすることは出来なかった。
昏い昏い虚のような孔が昏然と私を見詰めている。
私は手にした仕事鞄とハンチング帽を悄然と畳みの上に置いた。
「それでは先生、原稿の方をお願いします」
私が本日の用向きを端的に窺伺うと、先生は傍に在った本の山に手を伸ばして、
「そら、これが校倉出版さんの今回分の原稿だよ」
と云って、ざっと三〇枚程の紙の束を座卓の上に颯然と放った。
それは四○○字詰め原稿用紙の束だった。それも童遊麒助先生の新作小説の――だ。
私はありがとうございます、と云って、その原稿を手に取った。
三〇枚程の紙の束は意外と重いものである。汗で湿った指先で汚さぬよう慎重に気を配りながら、私は原稿のチェックを始めた。
その小説の内容は、先生のライフワークとも云える鬼の物語である。
童遊先生は処女作『凍螂』をはじめ、第二作『黒犬は黙らない』、第三作『微睡む羊』と現代を生きる鬼の姿を描いた物語を書き続けている。
これらは俗に鬼シリーズとも呼ばれ、一貫して怪奇小説の体裁を執ってはいるもの、その中身は至って人間臭さに塗れ、まるで一生の人間賛歌を唄っているかのような構成と為っていた。
その第四作目に当たるのが、いま私が手にしている小説『雷螂と炫燿』である。
この作品もまた鬼――しかも女の子――を物語の主人公に据えている、ようだ。
――ようだ、というのもこの小説は、我が校倉出版第三文芸編集部が、月一で発行している月刊誌『月刊 幽玄の友』の夏季号より定期連載が開始される予定の作品だからだ。
つまり私が畏る畏る貢を捲る原稿は、その草稿に外ならず、未だ校正すら手を付けられていない生原稿なのである。勿論私とて読むのはこれが初めてだ。
〝鬼才〟童遊麒助の次期作品、その第一話を読み終えた私は、暫し感懐を深めていた。
そのときの私は、屹度締まりのない顔をしていたに違いない。
なぜなら、今この瞬間、世界広しと云えど先生の未発表作品を私のみが読むことを許されているからだ。これこそ編集者冥利に尽きる役得というものである。
そうして緩解んだ顔を僅かに引き戻しつつ私は率直な感想を述べた。
「良いですね。素晴らしい出来です。特にこの主人公の女の子が格好いい。えーと『夏越灯冴』――ですか?男の子のような口調と行動力をして、尚且つ雷を操る特殊能力を持っている。何とも伝奇的な要素も兼ね備えていて、新しい読者を獲得するには持ってこいの作品だと思います」
私が嬉々としてそう語ると、先生は些か憮然とした様子で、
「存外にそう褒めてくれるな。小生は愚図で愚鈍な冴えない古本屋の亭主だよ。故に素人文藻の欠片もない。もっと何処が悪かったとか、此処を直すべきだとか意見はないのかね? 小生はそれが聞きたいのだがね」
と云った。
その言葉を耳にした私はそうですね――と顎に手を遣って、
「改善為べき点は多々あるかと思います。譬えば小難しい比喩表現を使っていたり、内容が全体的に難かったり、それが先生の持ち味と為っていることは十分に承知しているのですが、少々読むのに骨が折れる箇所が多分にあるものかと……申し訳ありません。出過ぎた口出しだったでしょうか?」
「否、正直に云ってくれて嬉しいよ。他の出版社の編集は其処まで口にしないからな。何分名が売れているというだけで皆ヘコヘコと頭を下げてばかりいる。作品の批評をする依り小生の機嫌を損ねまいと常に必死だ。それが一番小生の癇に障るというのに、気づきもしない。全く度し難くて敵わんよ」
そう云って先生は腕を組んだ。本当に腹に据えかねているようだ。
まぁその同業者たちの気持ちも判らんでもない、と私は思った。
なにせ若手とは云え、相手は今を時めく売れっ子作家なのだ。下手に臍を曲げられて仕事が滞る依りも、上手く機嫌を取って仕事を熟して貰う方が何倍もいいに決まっている。しかし彼らは、その方法を大いに間違えているのだ。
編集の仕事は作家の機嫌を取ることでは決してない。編集の仕事とは、作家が描く物語世界に適切な指示を与えて遣ることにこそある。
編集は編集らしく作家が描く作品と真摯に向き合ってこそ一人前になれるのだ――と私は先輩の編集者に教わった。
だから私はどんな作家先生を相手にしても率直な意見を云うことを憚らないようにしている――まぁ遭ったことのある先生など数える程しかいないのだが――譬え書き手の意見と真っ向から対立しようと、共に良い作品を創作るには、それが一番だと心得ているから。
そして何よりそれが編集者の責務だと、私は知っていたからだ。
誰もが愉しめる幸福に満ちた作品を世に残すことは、即ちそういうことなのである。
「それでは原稿は戴いていきます。編集部に帰って再度見直しますので、推敲はその後でお願いします」
先生から戴いた原稿を仕事鞄に仕舞いながら私がそう云うと、先生は相解った、と面に生えた白髭を揺らして頷いた。
「それにしても意外でしたね。今回の主人公がまさか女の子――基い女の鬼とは。何か宗旨変えでもされたのですか?」
「宗旨変えとは妙な云い方だな。其処は単純に思う処があったのか――でいいのではないかね」
私のその言葉に先生は少々鼻白んだようだった。面の奥で溜息とも嘆息とも取れぬ微かに息を吐く音が私の耳朶に喟然と届いた。
私は云った。
「これは失礼をば致しました。云えね、これまで先生がお書きに為った作品の主人公は孰れも精悍な印象を受ける鬼たちばかりだったでしょう? 処女作の『凍螂』の主人公は、監察医務院に勤める監察医の男鬼。第二作の『黒犬は黙らない』では、戦場から復員してきた元兵士の男鬼。第三作の『微睡む羊』では女の鬼こそすれ、その職業は法医人類学の教授と為っていて、孰れも無骨で堅い印象のものばかりだった。しかし此処に来て思春期の女の子を――鬼ですが――主人公にするなど、一体如何いう風の吹き回しかな、と思いまして率直に口にさせて頂いた次第何です。まぁ先生の心境にどんな変化があろうと、こういった作品も書けるのだな、と感心するばかりで、弘法も筆を選ばずと云いましょうか。否、実に面白いです」
と私が感嘆の声を上げると、先生はまた憮然とした態度に為って、
「煽てた処で何も出んぞ。それに心境の変化なぞ何もない。ただ今回は些か伝奇物の体裁を強めてみただけだ。頭の硬い小生では、思春期の少年少女の気持ちなど優に解ろう筈もないが、伝奇物の主人公と云えば、少年少女と相場が決まっているだろう。小生は、ただそれに倣っただけのこと。他意はない。それはそうと簑辺君。君、先程また妙なことを云ったな――」
と云った。
「は? 妙なこと? 私何か変なことを口走りましたか?」
「嗚呼云った。実に妙なことだ。覚えてないのか?」
「いえ全く覚えてないです。私何か云いました?」
先生のその詰問に私は些か頸を捻った。一体私は何を口にしてしまったのだろうか。なぜか先生は露骨に機嫌を悪くしていた。面に空いた孔から私のことをきつく詰るような声が徐に聞こえた。
「君は小生を莫迦にしているのか? 小生が真言宗の信徒だからと云って、その言葉を口にするのは些か可笑しい――」
「いえ、だから何のことでしょうか童遊先生。私が何を――」
「君はついさっき小生の作品を差して弘法は筆を選ばずと云った。小生はそれが許せんのだよ」
「は?」
何のことだろうか。慥かに私は先生の書いた作品の主人公を差してそう云った譬えを口にした。しかしそれが一体何だというのだろうか。その諺の何処に先生の気を損ねる部分があったのだろうか。
童遊先生の真意が掴めぬ私は、仕方なく次に先生が吐く言葉を待った――そして、
「いいかね簑辺君。君が口にした諺は些か間違っているよ。恐らく君は、小生がどんな題材を取っても一端の小説が書けるもんだから、そんな言葉を使ってしまったのだと思うが、そもそも弘法大師――空海は君が思う程の男ではない――否、これでは語弊があるな。弘法大師空海は、嵯峨天皇時世の三筆として有名だが、決して筆を選ばなかったわけではないのだ。その諺は、その道を極めた名人や達人は、道具や用具の選り好みを一切しない、という意味に取られ勝ちだが、真意としてはその逆、弘法大師ぐらいの名筆家にもなれば、依り良い筆を選んで書を描くというのが常道だった。依り完成度の高い作品を仕上げるには、仕上げられる分だけの依り良い道具が必然的に必要となってくる、それが道理だ。しかしその諺の真意を知らぬ後世の人間には、弘法大師ほどの書の大家ともなれば、どんな筆を使っても嘸かし立派な作品が綴れただろう、という希望的想像が込められ、現代の誤った使い方と為ってしまった。これは実に嘆かわしいことではあるが、私が落胆したのはね簑辺君。仮にも言葉を生業とする編集のプロが誤った言葉の使い方をする。小生はそれが迚も許せんのだよ」
そう云って先生は面に刻まれた皺を指先で拭い、
「弘法大師空海も嘸呆れていることだろうよ――」
と壁際に坐した仏壇の方に視線を遣った――ように見えた。
吊られて私もそちらの方に眸を遣った。
巨観な仏壇の中には、茶色に痩けた木彫りの坊主が戚然と座禅を組んでいた。
生後間もない赤子と差して変わらぬ体躯をした空海象は実に善く出来ている。禿頭の皺。顔の皺。頸の皺。袈裟の皺に至るまで彫り込まれた木彫り加減は、豪く精巧に私の眸に暉映った。
これでもこの坊主は、私の犯した過ちに幾と呆れているのだろうか――私には些かもそうは見えなかった。
しかし何も云わずでは、先生の機嫌も収まるまいと思い直し、私は深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にしたのだった。
「申し訳ありません。如何やら私は編集者として、否、いち文化人として多いに間違っていたようです。先生のご指摘に返す言葉も御座いません。ご高説痛み入ります」
すると先生は、
「恐縮し過ぎだよ莫迦者」
と途端に面の奥からの声を優柔らかくして云った。如何やら機嫌は直ったようである――がしかし私は改めてこの現前に居る作家先生のことが解らなくなった。憤恚りのスイッチが噸と掴めぬし、かと思えば直ぐ様機嫌を取り直す。扱い易いのか辛いのか、全く解らなくなってしまった。
一体この先生は、どんなことを考え日々を過ごしているのか――私は少しばかりそれが気になり識りたくもなった――故に、
「童遊先生。この簑辺熾郎、後学の為に何か学んで帰ろうかと思うのですが、何かご教授願えませんかね?何でも結構です。何なら弘法大師空海――否さ、真言密教についてでも構いません。此処は如何かこの愚痴者に知恵のひとつでも授けて遣ってくれませんか?」
と云ってみた。すると先生は見るからに嬉々として、
「自らの無知を自覚するとは上出来だよ、簑辺君。其処まで云うのであれば仕方無い。孰れ何を語って聞かせて遣ろうか――」
などと口にし、面から伸びた白髭を指先で撫で付けるのを見て、実は相当扱い易い人なのではないだろうか――などと私は不遜にもそう思ってしまったのだった。
*
「知恵をひとつ、と云うのであれば真言密教の出番だな――」
静閑かな室内に先生の声が木霊した。
「真言密教ですか?」
私が鸚鵡返しに呟くと先生はそうだ、と云った。
「簑辺君。君は真言密教の経典を識っているかね?」
私は暫し考え、
「解りません」
と素っ気なく云った。
「本当解らないのか?」
「解りません――」
決然と断言する。
本当に解らなかった。
私は宗教には噸と疎いのである。それに私の実家は代々曹洞宗の檀家であるが故、そもそも他宗派の経典がどんなものかすら識る由もなかったのである。
私は所謂無神論者であった。否、仏教であるから無仏論者――か。まぁ其処は如何でもいいことだが、兎に角私は真言宗の経典など一切何も識らなかった。
そんあ惚けたことを抜かす私を尻目に先生は云った。
「君は『般若心経』も識らないのか。真言宗の経典と云ったら『般若心経』だろう」
「はんにゃしんぎょう……嗚呼、」
それは聞いたことがある。般若心経とは――、
「あの色即是空だの空不異色だの、あと、それこそ般若波羅密多だの――のですか?」
「それだよそれ。識っているじゃないか」
覚束無い言葉の遣り取りに、先生は今度こそ満足げに相槌を拍った。そして、
「『般若心経』は真言宗――否、真言密教に於ける所謂経文のことだ。その根幹には、この世のあらゆる存在を肯定し認めると云った老荘的な宗教精神がある。それは能の『山姥』の演目にも登場する文句【邪正一如と見る時は、色即是空そのままに、仏あれば世法あり、煩悩あれば、菩提あり、仏あれば衆生あり、衆生あれば山姥あり。柳は緑、花は紅の色色――】にも登用され、衆生にその存在の肯定を祈願する稍観念的思想に為っている――のだが、此処で問題と為ってくるのが、その『般若心経』と『般若』の関係性だ」
「先生。般若とは、あの般若ですか? あの角の生えた鬼面の般若?」
「正しくその〝鬼女〟の般若だよ。般若の言葉とは、真言密教で〝知恵〟を意味する仏教用語だ。識っていたかね?」
「いえ今の今まで噸と――」
――識りませんでした、と私が口にすると先生は、だろうね――と即座に返事をした。
「なら先ずは『般若心経』の『般若』がなぜ鬼女の般若に為ったのか――から話そうか。我々が能く眸にする般若――所謂〝般若面〟は『葵の上』という謡曲の演目に使用される能面をその起源としている」
「あおいの、うえ……」
能楽も門外漢だ。
「嗚呼、この物語は女の愛執を核としている。その原点は『源氏物語』の一幕『葵』を元にしているのだが、まぁこれを簡潔に説明すると、光源氏の愛人である六条の御息所が嫉妬に狂い、愛執の生霊と為り物ノ怪と為って源氏の本妻である葵上に取り憑き、死に至らしめる――と云った内容なんだが、此処で問題と為ってくるのが、生霊と化した六条の御息所の容貌だ。六条の御息所は、生霊と為り物ノ怪と化して憎き女に取り憑き殺す、という過程で次第に人間から逸脱していく――が、此処では未だ六条の御息所は般若の面容を獲得するに至っていない。六条の御息所が般若の面容を獲得するには、先ず加持祈祷に依って祓われることを絶対の条件としなければならないんだ」
「加持祈祷……坊主の出番ですか?」
「如何にもその通り。その様子を意訳すると次の通りだ――」
其処で先生は浅く息を吸った。
「【……さても左大臣のおん息女葵の上のおん物ノ怪以つての外にござ候ふほどに、貴僧高僧を請じ申され大法秘法医療さまざまのおんことにて候へどもさらにそのしるしなし――】――つまり葵上に取り憑いた悪霊を祓おうと高僧を呼んで加持祈祷、医術を施したが一向に効き目がない。あるとき梓弓の音に惹かれて現れた悪霊に名を問うと【これは六条の御息所の怨霊なり、……ただいつとなきわが心、ものうき野べの早蕨の、萌え出て初めし思ひの露、かかる恨みを晴らさんとて、これまで現れ出てたるなり】――光源氏の君の訪れが途絶えるようになったので、物憂さに閉ざされていった私の心に、いつしか葵上を憎む気持ちが湧いてきて、その耐え難い恨みを晴らすために出てきたのです、とこう答えた」
「はぁ」
私は惘然と頷いた。
「そうして、物ノ怪と化した六条の御息所の生霊を祓うため、横川の小聖が呼ばれ、密教の五大尊明王の助力を求める呪文を唱えた。するとその効力で六条の御息所の生霊はこう云った――【あらあら恐ろしの、般若声や。これぞ怨霊、この後また来るまじ】――」
「般若声……般若だ」
「そう般若だよ。そうして六条の御息所の悪鬼は消え物ノ怪ではなくなるのだが、この横川の小聖が唱えた呪文こそ『般若心経』だったのだな。そのことから裏切りの愛に対し嫉妬深い未練をない交ぜにした情念に支配され、復讐の鬼に変貌した女の姿こそ、後に有名な鬼面の〝般若〟となったのだ」
「はぁ、女は鬼と為ったのですか。昔から女は恐ろしい存在だったのですね。愛に狂い怒りに燃えた女の情念――大変背筋が凍る思いです」
私は豪く感心した声を上げた。また先生は、
「現代の風習の中にも、愛執に狂った女が鬼に為ることを予感させる習わしがちゃんと残っているぞ」
と云うので私は反射的に、
「へぇ、それは何ですか?」
と遂々(ついつい)尋ねてしまった。まるで大学の講義を受けているようである。
先生は短く答えた。
「それはな、白無垢だよ」
「白無垢って、祝言の席で女性が着るあの白無垢ですか?」
「嗚呼。女性は白無垢を着る際、頭に角隠しと呼ばれる布を被る。これは古来より、女は嫉妬に狂うと鬼に為ると云われ、角を出して鬼に為るのを防止し、貞淑な妻と為ることを誓うためのものなんだ」
「そのままじゃないですか。『葵』に出てくる般若と理由が丸被りだ。強い嫉妬と怒りの情念が女を鬼――基い般若の姿へと変えてしまう。女の恐ろしさは底が知れません」
私は酷く怯えた。怯えて身を小さく縮こまらせた。すると、
「――般若の形相は何も嫉妬に狂う女の姿を顕しているだけではないよ。あの貌は、妬みは勿論のこと、苦しみや哀しみを如実に表現した面容なんだ」
と諭すように先生は云った。しかし私は、
「私からすれば女の哀しみと怒りはどっこいですよ」
と突っ慳貪な反論を返した。
「君は女に余程酷い目にでも遭わされたのか? まぁいい。それで、だ。そう云った経緯があって『般若心経』は鬼面の〝般若〟と為るに至ったのだが、また此処で『般若心経』の意義に立ち返ってみようか。『般若心経』の『般若』の意味は――」
「〝知恵〟ですよね」
「その通り。それも仏教に於ける最高の〝智慧〟を表す言葉、それが〝般若〟だ」
そう云うと先生は、近くに在った紙と筆を手にし〝知恵〟から〝智慧〟と書き記した。
「『般若心経』には衆生――つまり凡ての生物、特に人間にその存在を肯定して欲しいという観念が込められている。そして般若の智慧とは、仏法の真理を認識し悟りを開くはたらきをいい、これを以てその道に至ろうとする得脱の真理でもある――とするならば、葵の上に取り憑いた六条の御息所の【あらあら恐ろしの、般若声や】という叫び声は『般若心経』の唱文に依って見事に得脱し〝智慧〟を授けられたことに依って理性を取り戻すことに成功した結果、人間に戻ることが出来たのではないか、とも解釈できる」
「理性を取り戻しても女は滅法恐いです」
「本当にそればかりだな。一体君の過去に何があったんだ」
恰も呆れたように先生は溜息を吐いた。そして、
「では次に鬼と為った女を見事人間の姿へと戻した『般若心経』の内容をば紐解いていこうか。先ずは色即是空――だ。このことは承知していたね君は――」
先生のその問いに、私は何となく相槌を拍った。
「色即是空とは『般若心経』に於ける智慧の究極『一切是空』の真理を説いた一節、つまり【観自在菩薩、行深般若波羅密多時、照見五蘊皆空度一切苦厄、舎利子、色不異空、空不異色、色即是空……】に中り即ち、一切は凡て空なのであって、それを悟るときは、あらゆる魂の苦患を免れる――という教えに基づいている」
「はぁ、何だか解るような解らぬような……」
という依り理解の範疇を超えている。
総じて私のような朴念仁にとって、仏教をはじめとする宗教などは、ただ生あるうちに盲信する一種の救済装置のようなものである。其処へ得脱だの悟りだの真理だのと説かれても、有り難がるのは、徳の高い坊さんぐらいなもので、私のような愚にも付かない一般庶民からすれば、へぇそんな意味のあるものなのか、と無関心を気取るのが関の山だろう。
私は宗教には、噸と関心がないのである。
そんな私の心中など知る由もなく先生が何度目かの声を発した。
「今度は、なぜ般若が鬼の面容をしているのか考察してみよう――と云っても、結論のようなものは既に出ているのだがな。まぁ聞いてくれ。真言密教で〝智慧〟の意味を顕す般若が、なぜ鬼の形相をしているのか。それは一説に依れば謡曲『葵上』に於いて六条の御息所を演じる役者が被る鬼面を創作した人物こそ〝般若坊〟なる面打ち職人であったからだ――という説がある。聞いて解るように〝般若〟の語源は、この職人の名に由来しているとも考えられる」
「え? 般若心経が元ネタではないのですか?」
「だから一説に依れば――だ。『葵上』の原作と為った『源氏物語』の『葵』には、六条の御息所が生霊や悪霊、または物ノ怪と為って葵上に取り憑き殺そうとした記述はある。しかし実の処、その面容についての描写は一切記載がないのだ……つまり――」
「つまり?」
「――つまり皆が能く知る般若の面容は――否、般若という鬼女は『源氏物語』を読んだ後世の人間に依って形作られた存在である、ということだ。そしてそれを創作った張本人こそ面打ち職人の般若坊であり、彼の眸には、哀しみや怒りといった負の感情に苦しむ女の姿が、正しく鬼の形相となって暉映ったことだろう、ということが解る」
「恐かったのでしょうね。その般若坊さんも女のことが」
能く判る――思わず私は、嘗ての面打ち職人に思いを馳せた。
女は恐いものである。
更に先生は云った。
「それと〝般若〟の語源にはもう一つ定説があってな。〝般若〟とは〝半蛇〟が訛ったものである――という説だ」
「はんじゃ、ですか?」
「半蛇は言葉の通り、半分蛇の軀をした女のことを云う。これは『今昔物語集』巻の十四『紀伊国道成寺僧、写法花救蛇話 第三』に登場する蛇女の話なのだが、これも矢張り男の裏切りに依って半獣半身の化け物に為ってしまう。この場合恨みの対象は、約束を破った男に向けられ且つその男は殺されてしまうんだ」
「殺されるのですか、男は」
「殺されるよ、救いの無いことにね。そして女も一緒に死んでしまう。この物語と『葵上』との決定的な相違がコレだ。情炎の炎に焼かれ、人を逸脱した存在に為るまでは同じだが、半蛇は結局、六条の御息所のように得脱して人間の姿へと戻ることができなかったんだ。しかし後世には〝半蛇〟イクォール〝般若〟の図式ばかりが注目され、結果〝般若〟は〝半蛇〟が訛ったものだという説が残ったわけだ」
「はぁ、蛇に為ったり鬼に為ったり女は兎角恨みがましいものですね」
――とそのとき、背後に在る襖がスウ、と開く気配がした。
「嗚呼、簑辺君。茶が入煎ったようだよ」
程なくして先生と私の眼前に湯気の発ったお茶が悄然と置かれた。
私は、嗚呼こりゃどうも――と云ってお茶を差し出した人物の方へと顔を向け、そして心臓が口から飛び出しそうになった。
何と其処に居たのは、鬼面の〝般若〟だった――のだ。
*
その突然の状況に、私は思わず腰を抜かしそうになった。
なぜなら、実に驚愕いた表情をしているであろう私の現前には、鬼面の般若が居たからである。
私が童遊麒助先生に般若の成立について講釈を受けていた折りのことだ。
般若の話を聞きつつ私が頻りに「女は恐い、女は恐い」と連呼していたことが災いしたのであろうか――と最初のうちはそう思った。
それはそうだろう。話題の渦中にある筈の鬼女のことを私は殊更に蔑んでいたのだ。それは鬼面の般若を、延いては世に生きる凡ての女性を敵に回す発言だったのかもしれない。
故に物語の中に登場する般若が、私の瞽言を聞きつけて現実の世界に乗り込んできたのではないか、と私は大いに肝を冷やした。
しかし眼前の般若が次に起こした行動を見て、私の不安は何の事はない、ただの被害妄想に過ぎなかったのだと知るのである。
鬼面の般若は割烹着を着ていた。あの家事で着る真っ白な衣装である。
能く見ると畳みの上に坐した般若の脇には、朱色の漆が塗られた艶々(つや)とした木の盆が置かれていた。
盆の上には、武骨な形をした大きな湯呑み茶碗が一杯載かっている。
真っ新な割烹着を身に纏った般若は、実に静厳かな動作で朱色に輝く木の盆からその湯呑み茶碗を手に取ると、また悄然と音も無く傍に居る先生の眼前にそれを置いた。
その一連の様子を童遊先生も翁面に穿たれた孔から見遣っていたのだろう。童遊先生は、何の当惑も頓着もなく、而も平然と鬼面の般若に向かって「ありがとう」と礼を云った。
その光景は、端から見ればいち一般家庭に於ける夫婦間の何気ない遣り取りに暉映ったことだろう。しかし其処で交わされたのは、翁面を着けた男と、般若面を被った女の奇態な遣り取りに外ならなかった。少なくとも私の眸には、二匹の妖怪変化が織り成す奇妙な邂逅にしか見えなかった。
まるで百鬼夜行である。
「如何したね簑辺君。そんなに呆けて? さっさと茶を呑み賜えよ。冷めてしまう」
面の奥から聞き慣れた嗄れ声を出して童遊先生がそう勧めるものだから私は、
「い、頂きます……」
と云って熱々と湯気の発った湯呑みを手に取った。そして一口啜ってから、
「お、童遊先生……そ、そちらの方は……」
などと今更ながらの質問をした。
極度の緊張と不安に駆られた私の間の抜けた問いに、童遊先生はなぜか小首を傾げて、
「ん、彼女のことかね?」
と空惚けた返事をし、
「君は小生の妻と遭うのは、初めてだったな――妻の香子だ」
と云った。
「お、奥方様でしたか」
その答えを耳にして私の心は些か安堵した。
そう云えば童遊先生の担当編集に為って此の方、私は一度も先生のご家族に遭ったことが無かった。
何か都合が悪かったのか、時機が悪かったのか知らぬが、この半年間で一度も遭ったことが無いなど、可笑しな話である。まぁ童遊先生の容貌からして、その伴侶も並々為らぬお人柄であるものと想像はしていたが、真逆それが般若面を被った女性であるとは思いもしなかった。寧ろ時機が悪すぎである。今まで一向に遭うことが無かった筈の細君が、なぜ般若の話をしている最中に出てくるのだろうか。
眼前に般若の貌を眸にした瞬間、私の生命は終焉った、と思った。生き肝を取って喰われると本気で思ったのである。しかしその危機感も杞憂に終わった。先生の細君と判ったからには、その人格が如何であれ、普通に接すればいいだけのことである。恐るるに足らん。
「初めてお目に掛かります、香子夫人。私は校倉出版第三文芸編集部の簑辺熾郎と申します」
突如として果たされた邂逅に、私は取り敢えず挨拶をした。
すると香子夫人は、無言でペコリと頭を下げ、徐に何やら私に差し出してきた。
それは一枚の折り紙だった。
その朱色の折り紙は、表面の色が面に為るように綺麗に二つ織りにされていた。
じわりと汗ばんだ指先でその織られた紙片を開くと、その中には、
『存じ上げております簑辺様。主人がいつもお世話になっております』
と迚も達筆な筆致でそうした文字が綴られていた。
「お、恐れ入ります」
その何気ない夫人の所作に、私は些か肩を落とした。
般若の形相をした細君が、一体私に何の用があるのかと少なからず警戒していたのだが、それは何の事はない、唯の社交辞令だったのだ。
そうして暫し私が脱力した様子でいると、徐に香子夫人は立ち上がり、またペコリと無言で私に頭を下げると、そそくさと部屋を後にしていった。
その後ろ姿を見送る私に向かって先生は云った。
「すまんな簑辺君。妻は小生以上の赧愧者故、他人と同じ場にそう長くは居られんのだ。故に碌に会話も儘為らん。今日だって君が小生の処に来て半年経つというので、やっとの思いで出て来た次第なのだ」
「は、はぁ……それは難儀なことですね――」
と先生の言葉に生返事をした私は、香子夫人が去っていった方へと眸を遣った――瞬間、また口から心臓が飛び出しそうになった。
何と其処には、襖の陰に隠れて私と先生の居る室内を凝然と睨み付ける般若の貌が半分だけ在ったからだ。
「…………!?」
一体香子夫人は、其処で何をしているのだろうか。
「お、童遊先生……奥方は彼処で何をしていらっしゃるのですか?」
恐る恐る私が事態の現状を把握しようと声を掛けると先生は、
「嗚呼、気にするな。あれは妻の日課だ」
と酷く寞然とした答えを返してきた。
「に、日課?」
「応とも、妻は四時六中小生を監視することを日課にしている。だから気にすることはない」
と云われても気に為る。
私は如何にも落ち着かなくなって、再び先生に声を掛けようとした――そのとき明後日の方角から――正確には、香子夫人のいる襖の方から――何かが飛んできて、先生の面にコツン、と当たった。
「せ、先生……それは?」
それは折り紙で出来た手裏剣だった。何の躊躇もなく童遊先生は、その緑と黄色で出来た手裏剣を丁寧に解き、そして、
「嗚呼、すまんな香子。『監視』じゃなくて『観察』か――」
などと更に事態を混迷させる言葉を口にした。
「は――?」
そう私が呆けた声を上げると先生は「否、何……」と言葉を続けた。
「先程も云ったが、香子は他人と碌に会話をすることも儘ならない程の人見知りなのだ。故に客人が居る前では、こうして小生に文字を綴った折り紙を投げつけて代弁をさせる。まぁ一種の意思疎通道具のようなものだな、これは」
と云って、投げつけられた折り紙をひらひらと風に戦めかした。
「はぁ……」
そんな意思の疎通方法があるものか。
私は、なぜか此処に来てどっと疲れが出たような気がした。
そして早く家に帰りたくなった。
この状況を作り出している存在のことは何となく解ったが、理解は出来なかった。故に襖の陰から此方を睨み付けている般若の存在が至極気に為り、途轍もない居心地の悪さを感じていたからだ。
こう云っては何だが、鬼魅が悪い。
「ん、どうしたね簑辺君。顔色が優れないようだが」
期せずして内心に抱いた嫌悪感が露骨に表情に出てしまったようだ。
童遊先生が、面に空いた孔から私の顔を確乎りと覗き込んでいた。
「い、いえ大丈夫です」
辛うじて私はそれだけを云うことが出来た。気を取り直すように、私はまた先生に新たな話題を振った。
「先生、ひとつお窺伺いしたいのですが。先生はなぜ〝鬼〟を題材にした小説を書かれるのですか?」
すると先生はその貌を私の方に向け、
「何だね、また藪から棒に」
と頸を傾げた。
「いえね、私が思うに先生は、何処か〝鬼〟というものについて固執しているような印象を受けるんですよ。鬼を主人公とした小説といい、屋号に付いた〝鬼〟の文字といい、先生の雅号といい、将又奥方の姿――基い鬼面の般若の講釈といい、如何にも鬼に関連することが多いように思うんです。何かこう作為的なものを感じると云いましょうか、腑に落ちないんですよ。これは私の単なる好奇心ですが、何か理由があるのなら聞いておきたい。先生についてひとつでも多くのことを識りたいのです――」
もう我慢するのも疲れた。私は正直に此れまで溜めてきた疑問を一気に先生へとぶつけてみた。
〝鬼〟とは一体何なのだろうか。何の因果があって私の周りに――否、先生の周りにこうも〝鬼〟というものが跳梁跋扈しているのだろうか。
先生と〝鬼〟との間には何かがある、と私の直感は云っている。
私は先生と初めて遭ったときのことを思い出していた。
面の下にある顔が見たい。その素顔を白日の下に曝したい、という欲求が嘗てはあった。
しかしその野次馬のような欲求は、いつしか私の中から塊然と消え失せていた。
だから訊きたくなった。
童遊麒助という人間が持つ事情を、私は心の底から識りたくなったのだ。
故に、その謎を解く鍵言葉こそ――〝鬼〟なのではないだろうか。
そう思ったからこそ、私は〝鬼〟について尋いたのだ。しかし私のその質問に、先生は些か肩を竦めただけだった。
先生は云った。
「別に小生は鬼に固執しているわけではない。ただ小生の周りには、それを論じるだけの研究資料が偶々(たま)傍に在っただけのことだ。別段君が疑うような作為的なものは何も無いよ簑辺君」
「それを論じるだけの研究資料? それは何処から?」
「君には関係のないことだ――」
先生の言葉尻を取って透かさず言葉を重ねた私に、先生は決然とそう云った。
その何処か威圧するかのような物言いに、私は一瞬言葉を失った――とそのとき、私憤に駆られているであろう先生の面に、またコツン、と一通の折り紙手裏剣が当たった。香子夫人が投げたのだ。
「…………」
先生は緘黙ったままその紙片を拾い上げ、その中に書かれた言葉に視線を落とした。すると溜息をひとつ吐き、
「香子――」
と襖に身を隠す細君の方へと眸を向けた。
「先生……?」
その様子を端から窺伺っていた私は、また恐る恐る先生に声を掛けた。すると先生は、
「妻からの言葉だ。君に出来る限りのことを教えてやれ――とさ」
「香子夫人が?」
先生に倣い私も香子夫人の居る方に視線を送った。其処には、相も変わらず鬼面の般若が凝然と此方を見詰めている処であった――先程依りも、稍壁にした襖に隠れるようであったけれど。
「全く君といい、香子といいなぜ小生の周りには、こんなにも物好きが多いものかね。理解に苦患しむよ。解ったよ。語ってやろうじゃないか。小生と〝鬼〟の関係を。聞いた処で大した内容でもないがな」
其処で先生は大きく息を吐き、
「小生はな簑辺君。婿養子なのだよ」
と重い重い口を開き始めた。
「この鬼霖堂書房の亭主は小生で二代目になるのだが、その前は妻の父――まぁ小生の義父だな――がこの店舗の亭主をしていたのだ。先代の名は博右衛門と云って、中々偏屈な性分の持ち主で、己のことを鬼の子孫だと周りに触れ回っていた程のものだった」
「鬼の子孫ですか?」
「嗚呼、しかし鬼の子孫などという家系は、然程珍しいものではないんだがな――」
「そうなんですか?」
「嗚呼、鬼を先祖に持つ家系は全国津々(つ)浦々(うら)多々(た)とある。例えば兵庫県の大江山、これは世に名高い酒呑童子という鬼が猛勢を振るった土地として有名なのだが、其処に暮らす藤原家という一族は、この酒呑童子の子孫だと云われている。また奈良県吉野郡天川村坪ノ内には、柿坂という神主の家があるのだが、この家も代々鬼の子孫であると云われ、それを象徴するかのように節分の豆撒きの掛け声などは【福は内、鬼も内】と掛けるそうだ」
「福と一緒に鬼も家の中へ招き入れるのですか?」
「そうだ。これは鬼である先祖を敬った象徴的儀式行為だな。それと――」
「まだいるのですか?」
「云っただろう。全国に多々居ると。まぁそういった例もあって、博右衛門は己のことを鬼の子孫であると信じていたのだが、何分この家には、それを証明するだけの文献や資料、果ては家宝などと云った証拠と為るものは一切伝わっておらず、一体何を以て己を鬼の子孫だと断定したのか能く解らない御仁だった」
「とても口にし辛いのですが、その、気が狂れていたのですか? 博右衛門氏は」
「それならばまだ善かったのだが――」
「そうではなかった、と」
「嗚呼。博右衛門は迚も意志の強い思考の持ち主だった。家族が彼の意に適わぬ言葉を吐けば、それを正論にして返し論破してしまうような思考の明瞭とした人だった」
「それは厄介ですね」
「うん、家族共々幾と困り果てていたそうだ」
「そうだ、とはその時分、先生は未だ婿に入っていなかったのですか?」
「小生がこの家に婿に入ったのは、博右衛門が鬼の研究を始め、この古本屋を開業して暫く経ってからのことだ」
「鬼の研究? それは何です?」
「それはな――」
童遊先生は其処で浅く息を吸い込んだ。そうして、
「博右衛門自身が口にするように、己が鬼の子孫であると証明するための研究だよ」
と静虚かに云った。
「鬼の子孫であることの証明……」
「そうだ。さっきも話したが、博右衛門が己を鬼の子孫であると証明するだけの文献資料などは、残念ながらこの家には伝わっていない。其処で博右衛門は、その根拠となる物的証拠を外部に求めたのだ」
「外部と云いますと――嗚呼、」
「そう、この国には古く依り鬼の子孫として繁栄してきた家系が多々ある。なので生家の家系にその根拠と為る痕跡がないのであれば、外の家系にそれを見出せないかと、博右衛門は考えた」
「若しかしたら、余所の一族の家系図などにその痕跡が残っているかもしれないと?」
「如何にもな。そう考えた博右衛門は、先ず全国に古くから語り継がれている鬼の伝説や説話などを収集し解析を始めた。それに依って多くの文献や資料などを山のように買い込み研究に取り組んだのだ」
「ならばこの古本屋は――」
「云って仕舞えば博右衛門の夢の残骸だな。研究を始めたものの大量の書物を買い漁ってしまった所為で直ぐに資金は底をついた。それからは借金地獄だ。質の悪い高利貸しに手をつけ、金を借りては本を買い、また借りては本を買いを繰り返し、到頭莫大な負債を抱え頸が回らなくなってしまった。そんなときに始めたのが、この鬼霖堂書房なのだ」
「なるほど」
「幸いにも博右衛門が収集した書物の数々は、歴史的にも非常に価値が高いものも含まれていたため、借金の関しては、店舗を始めて直ぐに返済出来たそうだ」
「自分の蒐集品を売っぱらってしまったのですか?」
「博右衛門は、一度読んだ本の内容は確乎り記憶していたから必要がないのだ。それに蒐集品などという認識も持ち合わせてなかった。一度読んだ本は紙切れ同然だと云って興味も失せていたからな」
「ほう」
それもまた立派な書淫家である。しかし、
「しかし家族に迷惑を掛けてまで、その鬼の研究とやらに没頭する理由があったのでしょうか? 私には噸と解り兼ねますね」
鬼の子孫であることの証明――それは如何にも途方もない話のようだった。
そう私が黙りこくっていると先生は云った。
「鬼の子孫であることの証明依りも、寧ろ〝鬼〟に対する畏敬の念の方が強かったのかもしれん」
「と云いますと?」
「この店舗の屋号『鬼霖堂書房』の『鬼霖』とは『伯州日野群楽々福大明神記録事(はくしゆうひのぐんささふくだいみようじんきろくごと)』という文献に登場する牛鬼と呼ばれる鬼の怪物が巣くう山の名――大林山の別名、鬼林山から由来している。博右衛門は、なぜかその書物だけは売らずに取っていたから、何か深い思い入れがあったのだと思う」
「それこそ、その書物に己の起源を視たのではないですか?」
「そうかもしれん。しかし慥かなことは解らない。なぜなら博右衛門はもう此処にはいないからな」
「そうですか。それでその鬼の子孫とやらの証明はできたのですか?」
「否、噸とな」
と呟きながら先生は窈然と頸を横に振った。
「ふぅむ。嘸かし未練が残ったでしょうね。鬼の子孫たる証明も果たせぬまま鬼籍に入ってしまわれるとは、皮肉なものです――」
「何を云っている、博右衛門は未だ生きているぞ」
「は、はい?」
「だから博右衛門は存命している」
「え、とお亡くなりに為ったのでは……」
「誰がそんな戯言を云った。博右衛門は、小生にこの店舗を任せ各地の鬼の子孫を訪ね歩き回っているだけだ。まぁ今は何処に居るのか報せも全くなく、殆ど行方知れずに近い状態だから死んだも同然かもしれんが、ちゃんと生きている筈だよ、あの御仁は」
「あの、童遊先生。何かその、云い淀んでいたのはなぜです?」
「嗚呼、それは鬼の子孫などと嘯き豪語する博右衛門のことを、親類縁者皆して身内の恥と思ったいるので、敢えて話すことでもないと思っていたからな、それだけだ」
「はぁ、そうですか。先生も博右衛門氏のことをそう思っておいでで?」
「否、小生にとって博右衛門は生涯を掛けての大恩人だ。嫌うなど飛んでもない。娘である香子だって父である博右衛門のことは迚も尊敬しているよ」
「はぁ……」
如何にも途轍もない肩透かしを喰らった感じがする。
話の出始めから何やらきな臭い様子だったので思わず聞き為してしまった。
全く先生が鬼を題材にして小説を書いていたのは、その直ぐ傍に材料と為る資料が多分に在ったからなのだ。
そうした私の落胆した考えを敏感に感じ取ったのか先生は、
「小生が鬼の一族などという荒唐無稽な題材を取り小説としたのは、一重に博右衛門の研究が在ってこそだ。あの御仁の研究なくして『凍螂』以下の作品を書き上げることは出来なかった」
「下地があった分けですね。鬼のことに関する下地が」
それこそ由縁という奴か――否、
「では先生の雅号もまた博右衛門氏の研究に端を発しているのですか? それこそ畏敬の念的な意味を含んだ」
「如何だろうな。下の名は本名を捩ったものだが、姓の童遊は小生の卑しい身持ちを反映させたものだ。畏敬の念など飛んでもないことだ――」
「如何いう意味です?」
そう私が訊くと、先生はまた云い淀むような素振りを見せた。そして、
「簑辺君。君は〝河童〟という言葉を識っているか?」
「河童? 河童とは、胡瓜が好物で人の尻子玉を抜き、頭に皿を乗せた、あの河童ですか?」
「その河童だ」
また突飛なことを訊くものである。しかし何か思惑があってのことだろう。
私は瞬時にそう思い、童遊先生が発する次の言葉に静観かに耳を貸すことにした。
「識っての通り、河童は日本古来依りその存在が信じられ、全国的にも一二を争う程有名な妖怪だ。一般的と云ってもいい。そしてその形態は江戸時代には、既に完成されていたと云われている。この河童は水生の妖怪視された幻獣で、中国の水虎や水唐、水蘆といった水中の妖怪が日本に移入して、亀や獺などの誤認に依る幻覚がサブリミナル的に習合されたものだと考えられている。ではその形態とは、一体如何いったものだったのか――」
「それは矢張り頭に皿を乗せ甲羅を背負ったあの緑色の姿では?」
「そうだ。しかし正確には、河童の頭部には周囲に毛があり、それこそ〝お河童頭〟で頭部の上には窪みがあり水を並々と湛えている。軀は小児の如き体躯で背中に甲羅を背負い全身に毛を生やしている。その色は青黄色で粘膜に包まれ、手足には水掻きがあり鼻は突き出て狗または猿に似ている。口は嘴のような形をしていて、臀部には三つの肛門があり、短い尻尾を持っている――これが河童と呼ばれる妖怪の主な形態だ」
先生は一呼吸置いた。そして、
「では簑辺君。この河童の形態話を聞いて、なぜ河童が〝河〟の〝童〟なのか解るかね?」
「……それは河童の頭が〝お河童頭〟で軀もまた子どものようであるから、としか……」
「そうだな。一般的な認識に於いて河童は、子どものような態をした河に棲む妖怪だから〝河童〟なのだと思われている――」
「違うのですか?」
「大いに違う。いいか簑辺君。河童はな、〝河〟に棲む〝卑しい〟ものだから〝河童〟なのだよ」
「い、意味が解りません」
如何いう意味だろう? 〝河〟に棲む〝卑しい〟ものだから〝河童〟とは――。
「簑辺君、能く考えてみ賜え。君はさっき小生に河童のことを問われて何と答えた?」
「それは、その胡瓜が好物で人の尻子玉を抜き――」
「――其処だよ。河童が〝河童〟たる由縁は」
「し、尻子玉を抜き――という処がですか?」
「嗚呼、正しく。河童の名の由来はその形態にあるのではなく、その生態にあるのだ」
「生態?」
「河童の生態――否、所業と云い変えてもいいだろう――は、主にその悪行に尽きる」
「悪行……尻子玉を抜くような?」
「そうだ。河童が人間の肛門から抜き出す尻子玉とは、生き肝のことを云う。生き肝とは、つまり内臓のことだ。これを抜き取られたら人は容易に死んでしまう」
「それは――」
――そうだろう。内臓を抜き取られたら死んでしまう。しかし肛門に水掻きのついた手を突っ込まれた時点で絶命しても可笑しくない筈だ――などと想像し、私はひとり慄然とした。
「その他の河童の悪行には、人の飼う牛や馬などを水中に引き摺り込んで殺してしまったり、それこそ人間の子どもなども引き摺り込んで溺死させたりと、人に害を及ぼす水難的行為が目立つな」
「飛んでもない奴ですね」
「飛んでもない奴だよ」
童遊先生は、翁面を揺らし私の言葉に安然と同意した。
「このように人の眸から見ても――否、人の眸で見ずとも河童が人に及ぼす行為は、正しく〝卑しい〟姿に映る。つまり河童とは【川や水辺に棲む卑しい奴】という意味なんだ」
「なるほど。しかしその河童と先生の雅号と何が関係しているのですか?」
「あるよ」
先生は云った。
「――次は酒呑童子を例にとってみようか」
「何です? また藪から棒に」
「まぁ聞き賜え。小生の雅号が持つ意味を識りたいのだろう?」
「はい。勿論」
「酒呑童子――これは云わずと知れた大江山を根城にした鬼たちの首魁たる大鬼の名だな」
「鬼たち――とは、他にも鬼が居たのですか、大江山には」
「嗚呼、酒呑童子にはその配下と為る鬼が居た。その名も茨木童子、星熊童子、熊童子、虎熊童子などの鬼が――な」
「待ってください。皆〝童子〟と名の付くのはなぜです? 〝鬼〟なんですよね?」
「そうだよ。鬼だ。しかも唯の鬼ではない。盗賊鬼だ」
「盗賊鬼?」
「盗賊鬼とは、小生が編み出した造語のようなものだ。まぁ指し示す意味はそのまま、人を襲って金品強奪を働く鬼のことだ」
「そのままですね」
「嗚呼、そのままだ――」
呆気羅漢とした返答である。
「それで、その金品強奪を働く盗賊鬼たちの名に〝童子〟という言葉が入っているのはなぜなんです?〝童子〟とは子どもを指して云う言葉ではないんですか?」
「そうだな。現代語訳すれば〝童子〟とは、子どもの意と為るな。だが酒呑童子を筆頭とする多くの鬼たちが、盗賊として猛勢を振るった平安時代に於いてはそうではなかった。」
「別の意味があったと?」
「如何にも。本来〝童子〟とは、一般に寺に入って未だ剃髪得度をしていない少年を指して云っていた――」
「少年――子どもじゃないですか」
「まぁそう焦るな。慥かに平安初期に於いては〝童子〟とは子どもの意だった。しかし刻が経つに連れその意味は、次第に年輩僧をも指して云うように為ったのだ。それが〝大童〟という呼称だ。〝大童〟は、頭髪の髻が解けてバラバラになった長髪姿を云うが、大人に為っても元服せず、長髪のままで結髪もせず、烏帽子も被らない下層階級の人々の姿でもあった」
「つまり外見は大人に見えても容姿は子どもであった――と?」
「そうだ。また〝大童〟の類縁として〝牛飼の童〟という職業もあった。これは貴人が乗る牛の世話や口取りなどを生業とした、矢張り雑役の民たる大人に使われた呼称だ」
「雑役の民ですか」
「〝牛飼の童〟もまた〝大童〟同様、老人に為っても烏帽子を被らず、髪も後頭部で紐で結んで垂らし髪にし、当に〝童子〟相応の姿をしていた。そして大江山の酒呑童子や茨木童子など〝童子〟と目される鬼たちもまた肩まで髪を垂らした〝大童〟の髪をしていた――」
「それが童子……」
「〝童子〟とは得てして〝卑しい〟身分の者を指して使用されていた形跡がある。それこそ金品強奪を働く盗賊や無頼の徒などは、平安の時代に於いて尤も〝卑しい〟存在として人々から迚も疎まれていた……此処まで話せばもう判っただろう、簑辺君。〝河童〟と〝酒呑童子〟が持つその共通項が――」
「ど、どちらも〝童〟の文字が付き……〝卑しい〟意味を持つ存在――」
「その通り」
私が朦朧りとそう呟くと先生は満足そうに首肯した。
「今でこそ〝童〟という文字は、子どもの意に捉えて使われているが、古くは〝卑しい〟存在を非難して云う際の――謂わば、差別用語的な意味合いで使用されていたのだ」
「さ、差別用語……」
「更に云うならば〝童〟という文字の語源は、古代中国に於いて【罪人】を意味してもいた」
「罪人、それは何とも」
――真逆ではないか。あどけない子どもの響きなどまるで感じられない。
「漢字の原産国である中国に於いて〝童〟という文字は、酷く悪性の強い言葉として用いられてきた。その起源は古く、彼の有名な『説文解字』にも記載されているほどだ。それに依れば〝童〟という文字の原義は【目の上に辛で入墨された者】の意――つまり眉の上に針で罪人の烙印たる入墨を彫られた者こそ〝童〟なのである――と示唆されているのだ」
「で、では〝童〟の本来の意味とは……」
「罪人は卑賤な身分の象徴的な存在だ。ならば答えは見えている」
「……〝卑しい〟である、と」
「正しくその通り。そして『説文解字』にはこうもある。【奴婢はみな古の罪人なり】――つまり奴婢――召使いなどの賤民もまた罪人に等しく〝童〟の文字を中てる」
「嗚呼、召使い――賤民――雑役の民――下層階級――奴婢――皆連絡している」
「そう凡ては連絡している。〝童〟とは皆〝卑しい〟身持ちの存在に付けられた卑陋の言葉なのだ。真に〝童〟の文字を子どもに中てたいのであれば、人と交わりが出来るよう人偏に〝童〟と書くべきなのだ。そうすれば意味だけは通る――しかし流れ征く刻の中で、本来の意味は都合能く変換され、その意義を失った……」
童遊先生は、其処で何かを噛み締めるかのように言葉を切った――そして、
「小生はな、簑辺君。そういった失われた意義を取り戻したいのだよ」
「意義を、取り戻すですか……嗚呼、」
其処で漸く私は童遊麒助の名に込められた意味に思い当たった。
〝童〟の文字とは〝卑しい〟意味である。ならば童遊とは、それを体現した雅号なのではないか。己のそれを以て、失われた意義を取り戻したいのではないか――ならば、
「せ、先生はご自分のことを卑しい身持ちと云いました。仮に〝童〟の文字が賤民のような卑陋の言葉なら――あるいは罪人のような卑俗の言葉なら先生は……」
「さぁ、それは如何だろうな。ただ云えることは、〝童遊〟とは〝卑しい〟意味たる〝童〟の文字に遊民たる〝遊〟の文字を連結させた酷く手前勝手な和穆の言葉なのだよ――」
それだけを云うと童遊先生は、幽々(ゆうゆう)と私を見詰めるのであった。
*
私は沈黙していた。
まさか〝童〟の字に秘められていた意味が、そんな禍々(まがまが)しいものだったとは、思いも寄らなかったからだ。
私がいつまでも言葉を発せずにいると、徐に童遊先生は眼前に在った湯呑みを手に取り、器用に面の端を上げて茶を啜った。
その瞬間、惘然とする私の眼界にほんの僅かだが先生の素顔が見えた――ような気がした。しかしそれも一瞬のことで、茶を啜り終えた先生は、直ぐ様ズレた面を元に戻し私に向けてこう云った。
「簑辺君。君は鬼とは何だと思うね?」
「は……?」
それは私が先生に聞きたい――寧ろ今まさに聞いている最中の事柄であった。
鬼とは何か――それが解らないからこそ、それに精通しているであろう先生にお窺伺いを立てているのに、それを質問として返されるとは、一向に私は想定していなかった。
故に、
「鬼――悪魔のようなものでしょうか……」
などといった陳腐な答えしか私の中にはなかった。
しかし先生は、
「まぁそんなものだろうよ。一般的な認識は、な」
と私の発した言葉に同意をしてくれた。そして、
「いいかね簑辺君。君が云うように鬼とは、西洋で云う処の悪魔のような存在のことを云う。しかしそれは正解であって不正解でもある。否、民俗学的側面から云えば、それは至極不正解に近い回答だ。鬼とは、そんな簡単に語れる代物ではない。それは理解してくれ」
と静寧かに云った。
童遊先生の言葉に私は眉間に皺を寄せながら、
「簡単に語れないとは、鬼とはそれほど厄介な存在なのですか?」
と訊き返した。
「厄介か……それであればまだ説明の仕様もあるが、如何せん鬼に限ってはそうではないのだ。いいかね簑辺君。民俗学的に云えば、鬼とは『人ならぬ力を備えたもの』であって『能く解らぬもの』なのだよ」
「能く解らぬもの?」
「嗚呼、誰も鬼のことなど知らぬのだよ。鬼とは姿形の無いまさに幽鬼のようなもの、誰もその姿を見たことはないし、存在はしない」
「は、はぁ……」
私は能く理解もせずに頷いた。
「鬼とは能く解らぬものだ。しかし一言で鬼と云っても色々あるし、鬼の姿形などは人々が勝手に想像したものに過ぎん。故に鬼と呼ばれるものは、決して人々が思い描く鬼の姿をしていない――」
「訳が解りません」
「簑辺君。君は鬼とは幽霊のことである、という話を聞いたことがあるかい?」
「いえ、初耳です」
「そうだろう。これは余り知られてないことだが、中国では幽霊――つまり死者のことを『鬼』――オニと呼んでいたんだ」
「はぁ――」
初めて聞く説である。
「幽霊とは、詰まるところ能く解らぬものだろう? それはそうだ。幽霊などというものは取り留めがなく、酷く不確かなものである。故に幽霊イクォール鬼の図式は、迚も簡略的ではあるが真っ当な答えでもある。どちらも捉え処がなく、儚いという意味では、同じ存在と云っても過言ではない」
一呼吸置く先生。
「ではなぜ幽霊と鬼が同一視されるようになったのか……その答えは『鬼やらい』――『追儺』の儀式にある」
「おに、やらい。ついな」
「『鬼やらい』とは、まぁ今で云う処の節分のことなのだが、この『鬼やらい』には、方相氏と呼ばれる儀式人が現れる。方相氏は大きな、それこそ鬼の形相を象った面を被っているのだが、その起源は古代中国に存在した黄帝の妃『ボボ』に由来する。『ボボ』は黄帝の妃でありながら酷く醜い身形をしていた。しかしその心根は優しく偉大な人物であっったため、夫である黄帝は『ボボ』に第一妃で死んだ『ルイソ』の陵墓を守護する任を与えたんだ。『ボボ』は錘のような額に、鉞のような鼻をして体格は大きく肌は黒かった。それ故に方相氏が被る面は、その『ボボ』の貌をモチーフにしているのだとされている。そして方相氏が被る面こそ鬼の原形だとも――な」
「その『ボボ』という女性が鬼の原形ですか」
「『ボボ』は夫である黄帝の命に依り第一妃たる『ルイソ』の墓を護った。では何から護ったのかと云えば、それは疫鬼と呼ばれる化け物たちからだ。疫鬼の中には、死んだ人間の肉体を喰らうものもいた。『ボボ』はそれらから『ルイソ』の遺体を護っていたのだ」
「『ボボ』は墓守だったのですね」
「如何にも。それも偉大な――な。そしてその『ボボ』が行った墓守業こそが、後に方相氏に受け継がれ、方相氏もまた死者の墓を疫鬼から護った。そう方相氏が護ったのは、死者の魂そのものだったのだ。そしてそれは中国で云う処の『鬼』に繋がる。先程も云ったが、中国では死者――つまり幽霊のことを『鬼』と云う。『鬼』を構成する字義には『由』の文字が使われている。『由』は『幽』に繋がり『死者』に直結する。『死者』は魂そのものだ。故に魂とは即ち『魄』と為る。そしてそれは我が国に於ける『隠』と為る。『隠』とは黄泉の国のことだ。黄泉の国は別名『隠の国』とも云う。そして『隠の国』は死者の国である――つまりは『鬼』だ。中国では死者のことを『鬼』と呼び、我が国では死者のことを『隠』と呼ぶ。此処で『鬼』と『隠』が結びつく。そうして『隠』が訛り今日で云う処の『鬼』と為ったのだ」
「ふむ――」
随分と遠回しな一致である。
中国では死者のことを『鬼』と呼ぶ。我が国、日本では死者のことを『隠』と呼ぶ。それらの二つが交わりあって『鬼』の字が、呼び名が生まれたのだと――ならば、鬼とは死者のことなのだろうか。
私はふと湧いて出た疑問を先生にぶつけてみた。すると先生は、
「概ねその見解で間違いないよ」
とこう云う。
では私たちが知る『鬼』とは、一体何なのであろうか。
「先生、鬼が死者のことを云うのであれば、私たちが知る『鬼』とは何なのですか?」
「うーん、そうだな。世間一般で云う処の鬼のイメージには、仏教の影響が大きいと云わざるを得ない。そしてそれに拍車を掛けたのが『陰陽道』だ」
「陰陽道……」
「そうだ。陰陽道には『陰陽思想』――俗に云う『陰陽五行』というものがあるが、鬼のイメージには陰陽師が使用する卜占が大きく関わっているのだ。つまり『十干十二支』のことだ――」
「十干十二支とは、子丑寅の?」
「嗚呼。十干十二支は、子丑寅……と続き、丁度鬼門と呼ばれる不吉な位置に丑と寅が陣取っている」
「それは聞いたことがあります。慥か丑が鬼の角を顕し、寅が鬼の履く下着を顕しているとか」
「なんだ、識っているのか。そうだな、世間一般の人々が持つ鬼のイメージはまさにそれだ。鬼の姿形とは、仏教と陰陽道――つまり宗教が深く関わっているのだ」
「なるほど、神仏習合ですね」
私は先生の言葉に独自の解釈を付け加えた。
「うん? 微妙に違うが、まぁいいだろう。古来より人々が持つ鬼のイメージには、仏教や陰陽道といった宗教が根深く関係している。鬼とは宗教が作り出した怪物でもあるのだ」
そう云うと先生は、忽然と話を締め括った。
そうして、その場に一瞬の静寂が訪れた――かと思えば、突如、
……ジリリリン……ジリリリン……――
というけたたましいベル音が、店舗のある方角から聴こえた。
どうやら電話が鳴っているようだった。
気がつくといつの間にか襖の陰にいた細君の姿がなかった。電話を取りにいったのか、と思いを巡らせていると、これまたいつ戻ったのか襖の陰にまたもや細君の姿が現れ、紙手裏剣を童遊先生に向かって投げて寄越した。すると先生はそれを拾い上げ中身を読む振りをし、
「簑辺君、君に電話のようだ。校倉出版さんから――」
と私に云った。
その言葉を受け、はぁどうも――と私は細君の横を過ぎ電話のある店舗の方へと足を向けた。その際、細君は面と向かって人と話すことはできないのに、電話は出られるのか、などといった如何でもいいことを考え電話に出ると、編集長からの帰投命令が私に下った。どうやら突発的な編集部会議をすることになったらしい。
そのことを童遊先生に話すと、先生は、
「早く戻り賜え。鬼についてのことはまた機会を改めて話してやる」
と云ってくれたので、私は戴いた原稿に手に店舗出入り口へと向かった。
店舗を出て行く際に先生は、私に釘を刺すように、
「簑辺君。次こそ約束通り千住庵のどら焼きを持ってくるのだぞ。持ってくるのは二十個だ」
としつこく云った。
私は、解ってますよ――と云って店舗を出た。
坂を降り行く私の背中を先生と細君は見送ってくれた。長久いこと先生の処にお邪魔していたな、と思っていたが、外の天気は来たときと然程変わっていなかった。
焦々(じりじり)と肌を焼く皐月晴れの空の下、私はまた額に汗を掻きながら坂を下っていく。また来週にもこの坂を登り降りしなければならないことを考えると些か幽鬱な気分に為ったが、それも致し方ないことだと割り切り、私は会社への帰路を急ぐのであった。
またぽたり――と頬に雫のようなものが落ちてきた気がしたが、私は塊然と前を向いて歩いて行った。 (了)