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鬼霖堂書房幽鬱録ー完全版ー

久方振りの投稿……宜しくお願いします。

 ぽたり――と、何か雫のようなものが道征()く私の頬に落ちてきた。

 雨だろうか。

 そう思って頭に()せたハンチング帽ごと空を仰いだ。

 しかしそこには雨雲のひとつも見当たらなくて、

 見事な皐月晴(さつきば)れの空が、恢々(かいかい)と広がっているだけであった。

 気のせいか。

 そう思って()げていた顔を前へと戻し道途(みち)を急ぐ私の頬にまた、

 ぽたり――と、何か雫のようなものが落ちてきた。

 矢張(やは)り雨だろうか。

 そう思ってまた頭に載せたハンチング帽ごと空を見上げた。

 だけれど、矢張(やは)り空には雲ひとつ無くて、

 (さん)々(さん)と()()つく太陽ばかりが()()いた。

 あれ?

 そのとき私はふと気がついた。

 頭にハンチング帽を被っているのなら、

 頬に雨など当たるわけがないではないか――と。

 そう思い当たった瞬間もう遅かった。

 ぽたりぽたりと落ちてくる雫のようなものは、

 次第に(あま)(あし)を速め、(やが)て颯々(ぱらぱら)と降り注ぐ()(つき)(あめ)となった。

 そうなってから私は初めてその正体を知った。

 狐雨である。

 そう快晴に近い天気のもと、

 しとどに私の(からだ)濡塗(ぬら)す雫の正体は、正しく狐が(おこ)した幽霖(ゆうりん)である。

 なれば頭に()せたハンチング帽を透過(すか)して私の頬を濡塗(ぬら)したのも頷ける。

 これは幻惑(まや)かしの雨――なのだ。

 東京より少しばかり距離を置いた赤城の麓で、

 狐たちの一団が、嫁に行く雌狐の門出を祝い流す天泣(てんきゆう)――それが狐雨である。

 そう思うと私の胸懐(むね)は、(いささ)か苦しくなった。

 狐とはいえ、それは紛れもない親子の別離(わか)れなのだ――と感慨を深めてしまったから。

 そうして私の(からだ)濡塗(ぬら)していた雨はいつしか止んでいた。

 にも(かか)わらず私の頬に(とう)々(とう)と流れる流沫(しずく)の粒は、

 果たして私の()から零れ落ちた(てい)(るい)だったのかもしれない――……



 (さつ)(そう)とした一陣の夏疾風(かぜ)が、私の横を唐突に通り過ぎていった。

 その瞬間、私は(うつむ)けていた顔を(とつ)()()げ、過ぎ去った風の方向に()()った。すると()()には、軽快な調子で駆けて()く一台の自転車の姿があり、それにはふたりの少年が乗っていた――所謂(いわゆる)、二人乗りという行為(やつ)だ。

 前のサドルに(すわ)った運転者が、ハンドルを操作し全速力でペダルを()ぎ、後ろの荷台に載った者は、片方の手を前者の腰に(まわ)し、もう片方の手でなぜか私に向かって手を振っていた。

 その様子を()にして、私もなぜか手を振り返そうと思い片手を挙げたのだが、そこで手にした菓子折の存在が忽然と消失()えていることに気がついた。

「あれ――」

 ()()を凝らすと、自転車の荷台に載って私に手を振る少年の当にその手に、(とて)も見覚えのある(ろく)(しよう)(いろ)の紙袋が、確乎(しつか)りと握られているのが見て取れた。

「あっ、ま――」

 その刹那、私は()られた――と思った。

 ひったくりに()ったのだ。

 銀座の高級菓子店で購入したどら焼きの詰め合わせを、私はまんまと自転車に載ったふたりの不良少年に盗まれてしまったのである。

 そう確信したときには、もう手遅れだった。

 二人分の体重を載せた薄汚れた自転車は、疾走する坂の重力を借りて看々(みるみる)と加速していき、アッという間に私の眼界(しかい)から消え失せてしまった。


 それは総じて一秒と掛からぬ手慣れた犯行だった。


 大事な土産物を途端に盗まれた私は、仕事鞄だけを確乎(しつか)りと抱え、茫然自失(ぼうぜん)とその坂の途上(うえ)で立ち尽くすしかなかった。


 神保町を(はし)る靖国通りを北東に折れた道途(みち)の先には、(ゆう)(めい)(ざか)と呼ばれる坂がある。

 緩々(ゆるゆる)と緩やかな傾斜の続くこの坂道は、()(かく)地元住民から執拗に避けられている(いわ)くある街路(みち)であった。

 その理由を(こと)(さら)に明かすならば、それは()の坂の長程(なが)さにある。

 (ゆう)(めい)(ざか)は、その起伏とは裏腹に、()()を形成する(すん)(しやく)(えら)長途(なが)い。優に登坂時間は、四十分以上にも及び、下手を()てば一時間も掛かってしまう場合すらもある。

 一見して生まれたばかりの乳飲み子ですら、悠々と登ることが叶いそうな法面(のりめん)に見えても、生半可な覚悟で徒行(とこう)しようものなら開始五分と保たず、その()()恐懼(おそろ)しさを知ることになるだろう。

 兎に角終点に着く気がしないのだ。

 進めど進めど一向に進んでいる気が持てず、()()いには、己がいつからその道途(みち)を登っているのかすら解らなくなってしまう程の〝()(げん)〟の()(てい)


 故にその別称は『無間坂』――。


 だからだろうか、そんな不可思議な錯覚を誘発(おこ)させる坂を好き好んで登る者は皆無に等しかった。

 仮に登る者がいたとするならば、それは遊び半分で坂の頂上から自転車に乗って滑走する()()な不良少年たちと、私のような坂の上に用事のある者だけである。

 長途(なが)長途(なが)()(かく)長途(なが)い坂の上には、一軒の古本屋があった。

 その屋号も『鬼霖堂書房(きりんどうしよぼう)』というのだが、私は今当(まさ)()()に向かっている途中であった。

 しかし()()な不良少年たちの()(かげ)で、(せつ)(かく)大枚を(はた)いて手に入れた高級菓子を一瞬のうちに(なく)した私は、(しば)し途方に暮れた。

 とは云え、いつまでも()()惘然(のうぜん)と立ち尽くしているわけにもいかず、()()えず私は歩くことを考え(ようよ)うと足を進めたのであった。

 向かう先は、無論坂に頂上にある鬼霖堂書房(きりんどうしよぼう)に――である。

 (ゆう)(めい)(ざか)を下った先には、警官が(じよう)(ちゆう)している交番も(もち)(ろん)()ったが、また長い時間を掛けて登り降りするのも(おつ)(くう)だったし、何より約束の時間が迫っていることを気にしたからだ。

 それでも逃げて行った少年たちに心残りがないと云えば嘘になる。

 あわよくば先を急ぐ私の背中を呼び止めて、盗んだ菓子折を素直に返して謝罪してくれるのなら、それに越したことはないにだが、それも詮無(せんな)い望みだと思い(あきら)めた。


 皐月晴(さつきば)れの空が私の背中を焦々(じりじり)と()いた。

 六月も間近に迫った()(せつ)だというのに、何とも爽然(さつぱり)とした陽気である。

 (たし)か今日の降水確率は、一○パーセントもないはずだ。

 (すこぶ)る良い天気である――が、私の気持ちは頭上に広がる空ほど快晴ではなかった。

 私は坂を登りながら不意に自分の身に降り掛かってきた犯罪被害について考えていた。

 そう私は犯罪被害者なのだ。

 生まれて()の方二十と六年、これといって犯罪らしい犯罪に巻き込まれたことがなかった私は、不意に襲ってきた〝犯罪〟という名の人災に(うま)く対処することができなかった。

 予期していなかったのだ――否、想像だにすらしていなかったに違いない。

 頭の中ではそういった不幸な出来事もあると理解(わか)っていても、いざ己がそういった事案に遭遇したならば――と考えを巡らすことを放棄していたのだ。

 それ故、持つべき警戒心を(いつ)していた。

 それを(おこた)ったらこそ、あの少年たちを犯罪者にしてしまったのである。

 つまり私が普段から揺るぎない警戒心と、用心を事欠(ことか)かなければ、少なくとも今日この日だけは、彼らは〝犯罪者〟という烙印(レツテル)を貼られずに済んだのである。

 そう思うと、私は途方も無い()り切れなさを感じた。

 私さえ確乎(しつか)りしていれば、無益な罪を背負うこともなかった(はず)なのに――と。

 ふと瞬く間に烈風の如き速度で過ぎ去っていく少年たちの後ろ姿が()に浮かんだ。

 あの少年たちは、他人の災いになることを()しとしてるのだろうか。

 もしそうなのであれば、誰かが(ただ)さなくてはならない。

 彼らの将来を(うれ)う心優しき誰かが――


 ――などと熟々(つらつら)と(やく)(たい)もない考えに(ふけ)っていると、妙に口が渇いていることに気がついた。


 仕方なく私は、胸ポケットに忍ばせておいた飴玉を一粒摘()まみ出し、ひょいっ――と糖分を欲した(からだ)に放り込んだ――すると疲れた(からだ)に深々(しんしん)と広がっていくその甘露(あまみ)はほろ苦く、いつまでもいつまでも私の心に(しん)々(しん)と降り積もっていった。


 (えい)(えん)長途(なが)長途(なが)いを坂を()く途上、私は被っていたハンチング帽を頭から外した。

 団扇(うちわ)代わりにする為だ。(つい)でに額に浮いた汗の玉もシャツの袖口で()(れい)に拭い去ると、程なくして頂上に辿り着いた。総じて一時間十三分にも及ぶ徒行(とこう)の果てだった。

 途中予期せぬ事件に遭遇したとはいえ、()()ずの時間である。

 私の息は、切れに切れていた。

 ()(げん)(ざか)――(もと)(ゆう)(めい)(ざか)呼称()ばれ地元民ですら()()する坂を初めて登ったのは、昨年の十一月末のことだった。

 その日も、今日と似て冬の日にしては(やや)陽射(ひざ)しの強い日で、私は柄にもなく大量の汗を()いて登ったのを()く覚えている。

 それからというもの、私は月に四度の間隔で(ゆう)(めい)(ざか)を登り降りしているのだが、いつに()っても私は、()の坂道のことが好きになれなかった。

 元々あまり運動が得意な方ではなかったし、学生時代は根っからの文学少年であったから、(なお)(さら)体力に自信があるわけでもなかった。

 所謂(いわゆる)私は、根っからの引き籠もり(インテリ)なのである。

 そして無類の本好きでもあった。

 だから大学を卒業して()ぐ私は出版社に就職した。文芸の仕事がしたかったからだ。

 本を通して多くの人々に感動と希望を与えたい――そんな思いもあった。

 しかし蓋を開けてみれば、割り振られた部署は、本を作ることに何の関係も持たない総務部だった。

 何の(やく)(たい)もない会社の雑務を(こな)していく中で、それでも私は文芸編集部への転属願いを出し続けた。そして(ようや)くその意望(いぼう)が叶ったのが昨年の十月のことだった。

 それから一ヶ月ほどの時間を掛けて編集の仕事を学び、(つい)に私は、とある作家先生の担当編集の仕事を手にすることができたのである――が、()てられた作家先生の住居は、長途(なが)長途(なが)い坂の上に()った。

 幾ら運動することを嫌っていても仕事とあっては断るわけにもいかず、本日私は二十七回目の登高を終えた。

 私の全身はぐっしょりと濡塗(ぬれ)れていた。発汗したシャツに(しん)(じゆん)して(ひど)くベタついた。

 そうして切れた息を整えつつ足を向けた先には、一軒の木造家屋が建っていた。

 質素な外観をした草臥(くたび)れた古民家のような建物である――(もと)いそれは歴とした店舗なのであった。

 店舗(みせ)屋号()は『鬼霖堂書房(きりんどうしよぼう)』といった。

 (あきな)う品は古書ばかりの、所謂(いわゆる)古本屋というやつだ。

 この店舗(みせ)の亭主兼作家先生に私は用があって来たのだ。


 その建物には大々的な看板が無かった。代わりに店舗の出入り口たる(がら)()戸には、(かす)れた金文字で細く『鬼霖堂書房』と印字してあった。

 いつもの調子で硝子戸に生えた把手(とつて)を握り中へと押し()ると、建て付けが悪いのか案の定ちょっとした抵抗感がビクリ、と(からだ)に走った。そうして程なくギィィィ……という耳障りな悲鳴を上げて粛然(ゆつくり)と扉が開いていくのと同時に、私の鼻腔に()も云えない()()の臭いが微かに充満した。

 ()えているのか()び臭いだけなのか(わか)らぬ臭いである。(しか)して決して嫌いになれる臭いではない。(むし)ろ時を経て古びた紙の臭いに、そこはかとない安堵感を私はいつも覚える。

 店舗の中はいつもの様に薄暗かった。明かり()りの窓が(ほとん)どないせいだ。

 それ故、外の陽射(ひざ)しに()かれた()が仄暗い空間に慣れるまで(しば)し数瞬を要した。

 そうして()えてきた店内の景観に()を奪われたのは、これで何度目となるだろうか。

 店舗の中央には、大量の本を収納した巨大な本棚が()った。その本棚は、店舗の奥へと(はし)る通路を真っ二つに分断している――私は迷わず右側の通路に足を向けた。

 両側の壁も同じく巨大な書棚と化していた。その(たけ)は、今や色褪(いろあ)せた木目の天井に届かんばかりの(おお)きさを誇り、こぢんまりとした家屋の空間に収まり切れぬほど飽和した本の数々を、その腹の(うち)にたっぷりと抱え込んでいた。

 それに壁の書棚には、確乎(しつか)りとした()(ばし)()も備え付けてあった。高所に位置する本を取るときに足場とするためのものだ。

 それらの様子を()にするだけで、この鬼霖堂書房が、(りつ)(すい)の地を(うま)く利用した収納術に()って商品を陳列していることが()く判った。

 この空間は、余す(ところ)なく本で満たされている。それは今、私が足を進めている薄闇に染まった通路にも云えることで――私は床の上に(うずたか)く積まれた本の山を上手に(かわ)しながら恬然(ゆつくり)とした歩調で闇の奥へと進んでいった。

 (あん)(きよ)(ずい)(どう)を思わせる通路を()きながら、私の()はつい瞥々(ちらちら)と眼界(しかい)に入ってきた本の背表紙を黙読していった。

 其処には『日本書記』やら『古事記』やらといった学校の教科書などで()()にする題名(タイトル)書物(もの)もあれば、『彗琳音義(せいりんおんぎ)』だの『三教源流捜神大全(さんきようげんりゆうそうしんたいぜん)』だのといった()(わか)らぬものまで収まっている。

 これらの品揃えは、すべて亭主の趣味であった。

 鬼霖堂書房は、(いわ)く民俗学の書籍を取り扱う専門店なのだ。

 しかし相も変わらず鬼霖堂書房には客の姿が無かった。亭主が作家として幾ら稼いでも、赤字経営は(まぬが)れないだろう――などと過ぎた(じや)(すい)をしていると、私の眼界(しかい)にその(くだん)の作家先生の姿が飛び込んできた。

 先生は店番宜(よろ)しく勘定台の椅子に(すわ)っていた。しかしその視線は、店内には一切向けられておらず、凝然(じつ)と勘定台の上へと落とされていた。

 その微動だにしない姿を見て私は思った。嗚呼(ああ)、本を読んでいるな――と。

 静息(しず)かに近寄ってみると案の定、先生は本を読んでいた。

 場所は店舗の最奥であるが故、雀の泪程しか光量はないのだが、先生は黙々と私の存在にも気がつかず一心に読書に(ふけ)っている。

 一見して寝ているのではないか、と疑いたくなってしまう程、先生は微動だにしなかった――のだが、時折り(ページ)(めく)手指(ゆび)(わず)かに動くので、それはないと確信する。

 果たして数秒程先生の仕草を観察してから私は(しばら)く振りの声を上げた。

「何の本を読んでらっしゃるのですか、童遊(おになし)先生?」

「……」

 声は無かった。

 無視されたのだ――否、集中しているのだろう。ペラリ――とまた(ページ)(めく)る音がした。

 先生は(とん)でも無い(しよ)(いん)()なのだ。(いわ)く本の虫である。

 しかしこれでは一向に(らち)が明かないので、私は(いささ)か大きな声を出して先生の雅号()を呼んだ。

童遊麒助(おになしきすけ)先生! こんにちわ、簑辺熾郎(みのべしろう)です!」

 そう云うと、(ようや)く私の声が届いたのか、先生は幽然(ゆつくり)(おもて)を上げた。

「なんだ簑辺(みのべ)君か。来ていたのだな君――」

 などと()けた声を出して私の顔を見上げた先生の(かお)は、


 ――いつもと変わらぬ(おきな)の面容だった。


「またそんなお面を被ってらっしゃるんですか。似合いませんよ、それ」

 その皺深い白い髭を生やした木彫りの面を見遣(みや)って、私はいつもと変わらぬ軽口を叩いた。

 すると先生は決まって、

「君には関係のないことだ。(しよう)(せい)は根っからの赧愧(たんき)なのだからな」

 などと恥ずかしげもなく、そう云うのであった。


 童遊麒助(おになしきすけ)は、私が担当する作家先生である。

 普段より能楽で使うような翁の面を被ったこの()(たい)な小説家は、一昨年の暮れに突如として文壇登場(デビユー)を果たした謎多き人物である。

 彼の本業は、古本屋の亭主なのであるが、ふとした気紛(きまぐ)れで投稿した作品が一挙に話題を呼んだ。

 その題名()も『凍螂(とうろう)』という怪奇小説である。

 この現代を懸命に生きる鬼の姿を描いた物語は、その(ほん)(ぽう)な舞台構成とは裏腹に、実に涕涙(なみだ)を誘う異類恋愛奇譚ものとして真に好評を博した。

 そうして、とある出版社の小説賞を受賞した本作は、書籍化されると同時に四十万部の売り上げを二ヶ月で叩き出し、瞬く間にその年のベストセラー本の仲間入りを果たした。

 それから半年の内に第二作『黒犬(くろいぬ)(だま)らない』。第三作『微睡(まどろ)(ひつじ)』という鬼を主人公にしたシリーズものの作品を書き上げ、登場から一年も経たぬうちに人気作家としての地位を不動のものとした。

 何はともあれ、新進気鋭の若手作家として異例の大出世を果たした(おん)(たい)ではあるが、しかしなぜこの作家先生が常時翁の面を着けているのか、私は(いず)れとして知らなかった。

 本人の談からすれば、人前に出るのが恥ずかしいからだと云うが、それも本当のことかどうか定かではない。――まぁ私は信じていないのだが。

 最初に先生とお会いしたとき、恐らく(ほとん)どの人間がそうであるように、なぜ翁の面を被っているのか(せん)(さく)した時期もあったが、今ではこうして冗談を交える程に、私にとってそれは()(ごく)当たり前の光景と()りつつあった。


「先程もお訊きしましたが、いったい今日は何の本をお読みなんです?」

 私はついさっき先生に無視された言葉と同じことを訊いた。

 すると先生は、嗚呼(ああ)、これかね――と云って本の表紙を私に見せ、

「これは(かな)(もり)出版発行の『現代法医学大全』だよ」

 と(とく)()()に云った。

 ――また可笑(おか)しな本を読んでいるものである。

「現代法医学ですか。これはまた卦体(けつたい)なものをお読みで」

 心の中で呟いたことを包み隠さず私が口にすると、先生は(しば)しムッ、としたように言葉を荒げた。

「何が卦体(けつたい)なものか。これは実に素晴らしい読み物だぞ。彼の法医学の大家、永渕夷造(ながぶちいぞう)名誉教授が著した名書として支持も熱い傑作だよ。そもそも死とはという先生独自の哲学的意見から始まり、不可逆的心肺機能の停止が起こす屍体現象と死の様態を余すとことなく披露してくれている。人は如何(どう)やって死ぬのか、殺されるのか。その過程を科学的見地から考察し解明しようと試みている実践書がこれだ――何なら簑辺君、君の(からだ)を借りてこの本の正しさを証明してみてもいいのだよ?」

 (いささ)か本気とも取れるその言葉に私は少しばかり身を引いた。

「はは、勘弁してくださいよ先生。私はまだ死にたくないです。死は怖い」

 この人なら、いっそ()りかねない――殺されて(たま)るものか。

 そんな私の兢々(びくびく)とした姿を小さな(あな)の空いた面から見遣(みや)って先生は云った。

「ふふ、冗談だよ。小生には人を綺麗に解剖できる技量はないよ。あるのは知識だけだ。しかし簑辺君。君は一寸(ちよつと)とっばかり勘違いをしているよ。本当に怖いのは〝死〟そのものではなく〝死に至る過程〟の方だ。間違っちゃいけない」

「は、死に至る過程ですか?」

「そうだよ」

 先生は(こう)々(こう)()(よろ)しく頷いた。

「死というものはね、酷く虚無的な現象なのだよ。古えの時代から人は死ねば、肉体から魂が(かい)()し天国やら地獄やらといった()く解らぬ世界に()くという宗教的観念に(とら)われているが、そんなものは()(びゆう)だよ。人は死んだら(むくろ)()るだけだ。(むくろ)()ったら土に(かえ)り有機物の()やしと()るが末路と決まっている。それは人として、(いや)、生物として生まれたからには避けては通れぬ末期(まつご)()り方だ。つまり皆が一度は通る道でもある。だから死そのものを恐れることなど何もないのだ。()く云うじゃないか『赤信号、皆で渡れば怖くない』――とね」

「童遊先生、その(たと)えだと皆一緒に死んじゃいます」

 嗚呼(ああ)、そうだよ――と先生はあっけらかんとした調子でまた頷いた。

(たし)かにそれでは皆死んでしまう。しかし重要なのは〝死ぬ〟ことではなくそれに至る過程の方だ。――簑辺君、君痛いのは嫌いかい?」

 また唐突に何を訊いてくるのだろうか、この先生は。

(もち)(ろん)嫌いですけど……」

 私が()(げん)に眉を(ひそ)めてそう答えると、先生は何処(どこ)か納得したように、

「そうだろう。つまりそういうことだよ」

 と云った。

「は?」

 訳が解らなかった。つまり如何(どう)いうことだ? 先生は何が云いたいのだ?――と私が汗の引いた(くび)(ひと)りでに(ひね)っていると、

「君も察しの悪い男だな」

 と先生は溜息をひとつ吐いて、

「いいかね、赤信号を下手に渡ると如何(どう)なる?」

「え、と車に()ねられます」

「車に()ねられたら?」

「い、痛いです……」

「そうだな。ならば、それは死ぬようなものかな?」

「場合に()っては死ぬでしょう。当たり(どころ)が悪ければ」

 ――特に頭など強打しようものなら致命的である。

「ではこれはどうだ。老衰だ。老衰は痛いだろうか?」

「い、痛くないでしょう。老衰は歳に()る衰弱死ですから。(むし)ろ痛みは感じないものかと」

「そうだ。では先に挙げたこの二例、死ぬなら君はどちらを選ぶ?」

「も、勿論老衰です」

「それはなぜだ?」

「て、天寿を(まつと)うしたいからです。それに(だい)(おう)(じよう)ともなれば、香典も多そうだ」

「死んだ後でも金が欲しいのか、君は」

 面の奥で先生は鼻を鳴らして笑った。それから、

「天寿を(まつと)うするのもいいが他にはないか? 老衰を選ぶ理由は」

「そうですね。()()り事故死は痛そうだからでしょうか。痛い思いをして死ぬのは()(めん)(こうむ)りますよ私は――あ、」

 ()()(ようや)く私は理解した。先生が云わんとすることを、だ。

 つまりこういうことだろうか。

 〝死に至る過程〟とは、単に楽易(らく)して死ぬか、苦悶(くる)しんで死ぬかの二択だということだ。

 人は誰しも痛い思いをして死にたくない。しかし世の中には、痛い思いをして死ぬ人間が(たし)かに居る。それは事故死だったり、病気だったり、殺人だったり様々だ。

 それは自分では決して選ぶことのできない死の形である。

 朝の通勤時に交通事故に遭ったり、治る見込みのない病気を患ってしまったり、突然強盗に襲われ金だけでなく生命すら奪われてしまったり、と実に様々な死の形が悲痛を伴って世の中には転がっている。

 そして、それらは(いず)れも〝怖い〟ことなのだ。

 

 自動車に()ねられ死ぬのは怖い。


 重い心臓病を患い死ぬのは怖い。


 ナイフで刺撃()され死ぬのは怖い。


 そう皆怖いことなのだ。故に一番〝怖い〟ことは、そうして無為に死んでいくことである。

 それに比べれば〝死〟そのものなど大して怖くはない。

 先生が云ったように、死ねば(むくろ)が残るだけである。残った(むくろ)は微生物などの餌と()って分解され土塊(つちくれ)へと(かえ)るだけ、何も怖れることなどないではないか。

 死に至る過程に比べれば屁でもない。

 死よ、恐るるに足らず――である。

 (ようや)く得心のいった顔をしたであろう私を見据えて先生は云った。

「どうやら合点がいったようだね」

「はい、(とつく)()と」

 杉の木材で造られた古びた勘定台を挟んで私はポンッ――と掌を()った。

()まる(ところ)、死に至る過程とは、死に逝く状況にあると私は解釈しました」

「ほう――それで?」

「はい。死に至る過程には、大まかに見積もって二種類あります。一つは老衰のように身体機能の低下に伴う安楽な死――と、もう一つは、事故に遭うなど突発的な状況に()って引き起こされる苦痛を伴う死――です。それら二種類の死は、自分で選ぶことは叶いません。なぜなら、死に逝く状況とは己の(らち)(がい)にあるからです――まぁ自殺は別ですが――そうした内発的ではなく、()くまで外発的な要因に()って(もたら)される〝死に逝く状況〟こそが、人の(もつと)も怖れるべきことなのではないでしょうか」

 ()()で一端言葉を切った。先生の()が面の奥で僅かに(すが)められたような気がした。

 私は言葉の続きを口にした。

「〝死に逝く状況〟とは私なりの言葉ですが、それに至って〝死に至る過程〟と何ら(そん)(しよく)ないと考えます。(むし)ろ〝死に逝く状況〟とは〝死に至る過程〟の前段階であって切っても切り離せない〝縁〟のようなもの。そしてその〝縁〟はいつ人の身に降り掛かるか解らない――」

 (つたな)い私の言葉を聴いて先生は露骨(あか)らさまにフムフムと首肯した。

「人の死は人に()って異なる。出来れば己の身に降り掛かる〝死〟は安楽なものがいい、と考えるのが人です。何も怖い思いや、痛い思いをして死にたくはないでしょう――しかし世の中には、厳然とそんな惨い思いをして死に()げる人も(たし)かにいる。それは(とて)も〝怖い〟ことです。目を背けたくなるほどに……出来れば私はそんな過程を辿りたくはありません。だけれども〝死に逝く状況〟は、誰にも選ぶことができないのですから、私の死に方も(いず)れは苦痛を伴うものになるやも知れない。そう考えると、私は(とて)も怖いです」

 朗々と語っているうちに、私は不意に怖くなった。己にいつ訪れるやも知れぬ〝死〟の()り方に云いようのない不安を感じたからだ。

 私は一体どのような死を()げるのだろうか。考える程に切りがない――切りが無く切なくなった。未来に死する己の姿が、急して脳裏に浮かんでは消滅()えていく。数え切れぬ程に膨らむ死に至る過程の妄想に、私の小心(こころ)は押し潰されそうになった――そのとき、

「大丈夫だよ簑辺君」

 そんな私の心の(うち)(しん)(しやく)するかのような先生の声が、不意に私の()()()った。

「君の解釈は(おおむ)ね正しいよ。そう君が今怖がっているように死そのものよりも、死に至る過程の方が余程怖いものなのだ。それは人間的な本能から来る純然な恐怖心に(ほか)ならない。故にそうである以上、誰もその恐怖心から逃避(のが)れることは出来ないのだ――解るね?」

 私は嫋々(なよなよ)と(くび)を縦に振った。

(よろ)しい。ではこう考えてみ(たま)えよ。〝死〟そのものと〝死に至る過程〟は大生(おおう)にして切り離してみることだ。(たし)かに世間には痛烈とも()れる苦痛を伴う死もあるだろう。そうなれば人の(からだ)は単なる(むくろ)()るだけだが、そうした(からだ)から(かい)()した魂だけが健在なら、また人としての道も歩めるというものだ。輪廻転生だよ。どんな死に方であれ魂だけが不滅ならば、人は幾らでも遣り直しが利くものだ。だから怖がるな簑辺君。怖がっちゃいけない」

 そう云って先生は静厳(しず)かに言葉を切った。

 それは決して励ましとは取れぬ言葉であった。なぜなら先程先生は、人の死を(むくろ)()るだけと云ったからだ。人は死んだら(むくろ)()り土に(かえ)るだけ――真実私もそう思う。しかし先生は、己の言葉を曲げてまで私の気を紛らわそうとしてくれた。そして、それは不思議と強張(こわば)っていた私の肩の荷を降ろしてくれたような気がした。スウ――と軽くなった肩を前のめりに脱力させた私は、何となく減らず口を叩きたくなって、

「先生、大変なご高説痛み入るのですが、それでは何やら宗教の勧誘染みて怪しいです」

「何を云うか。君は仏教も知らんのか。困ったときの仏頼みだよ」

「それを云うなら神頼みではないですか?」

「それこそ何を云う――だ。異教の神に頼むことなど何もない。小生は(しん)(ごん)(みつ)(きよう)()だぞ」

()(よう)ですか」

 などと他愛もないことを口にしながら、私と先生は互いに笑い合った。

「――処で簑辺(みのべ)君、今日は土産物はないのかな? 手ぶらのようだが」

 一頻(ひとしき)り笑って先生は(おもむ)に私の手を見てそう云った。

 (あい)(にく)と私の手元には、茶色の仕事鞄と、被ってきたハンチング帽だけしか握られておらず、土産物などといった気の利いた代物は、(すで)()かったのである。

 なので私が店舗に来る途中に遭遇()った出来事を正直に打ち明けると、

(まつた)く何てことだ」

 と云って先生は、面の額に指を()って黯然(がつくり)と肩を落としてしまった。

「君は小生の好物が千住庵(せんじゆあん)のどら焼きであることを承知しているだろう。なぜこんなことになった。(せつ)(かく)、好物のどら焼きが食べられる――(もと)い手土産を持参する君を待っていたというのに」

 明らかに私が持参するどら焼きの到着を()()びていたという本音と、それを微塵も隠そうとしない建前に私は自ずと苦笑するしかなかった。

「何を嘲笑(わら)っているのかね」

 苦し(まぎ)れの私の笑みに(いささ)か不服を感じたらしい先生の声には(じやつ)(かん)の棘があった。

 (しか)る後に私が()に見えて肩を(すぼ)めて、

「すみません」

 と低頭してみせると先生は、

「まぁ奪われてしまったものは仕方が無い。君に怪我がなくて良かったよ」

 と云って淡然(あつさり)と、どら焼きへの未練を断ち切り、私の無事に安堵してくれた。

(めん)(ぼく)()(だい)もありません」

 そうして改めて私が謝罪の言葉を述べると、

「しかしなぁ、その少年たちにも困ったものだな。人の物を盗み取るなど、遊びとしては少々度が過ぎている。警察にでも被害届けを出しておくか」

 などと()(ごく)不穏なことを云うので、私は一寸(ちよつと)ばかり慌ててその意見に口を挟んだ。

「あ、いえ先生。それには及びません。帰りにでも私自ら交番にでも立ち寄りますので、お気遣い無く」

「そうかい。君がそう云うのならいいだろう。しかしこういった事案(こと)は時間との勝負だから()るべく早めに手を()っておいた方がいいぞ。何せ()られた物はどら焼きだ。食ってしまえば証拠も残らんからな。矢張(やは)り今届け出をして来よう。善は急げ悪は()べよ、だ」

 そう云いつつ(すわ)った椅子から腰を上げようとする先生の(からだ)を私は全力で()(とど)めた。

「いえッ……! ですから被害者である私自ら届け出をしておきますので、先生は行かなくて結構です! ()()に居てください!」

「結構とは何だ結構とは。奪われたのは本来小生が食うはずだった菓子なのだぞ。それなら小生にだって被害届を出す権利くらい生じるはずだ。それとも何か小生に被害届けを出されては、何か困る理由でもあるのかね、ん?」

「そ、それは……」

 その尋問のような問い掛けに私は答えを(きゆう)してしまった。

 しかしそれは口にし辛く、何と云うか私情に近いことで――

「まさか君。その不良少年たちを(かば)っているのではないだろうね?」

 ――(まさ)にそれである。

「何だ図星かね? なら君は何て愚かなんだ。被害者のくせして加害者の肩を持つなど呆れて物も云えぬよ。同情の余地もない唯の愚行ではないか、(まつた)く」

(おつしや)る通りです。申し開きも御座(ござ)いません」

(いや)、申し開きはして貰う。そうでなければ小生の気が収まらん。なぜそう思うね?」

「…………」

 私は(また)もや口を噤んでしまった。云った(ところ)で、私の考えなど先生には到底理解されないと心得ていたからだ。

「答え(たま)え簑辺君。君はなぜ小生のどら焼きを()った少年たちを(かば)っているのだね?」

 私が黙っていても先生の追求は止むことがなかった。私は致し方なく、

「……つ、罪を犯す彼らを止められなかったからです」

 と判然(はつきり)とした事実だけを述べた。

「それだけかね?」

「はい」

 翁の面に()いた(あな)確乎(しつか)りと見詰めて、私は(いさぎよ)く返事をした。

 盗まれたことも事実であり、それを止められなかったのも事実である。そして何よりあのふたりの少年を犯罪者にしてしまったのは、(まぎ)れもない私自身の所為(せい)であったからだ。

 ただそれしか云えなかった。先生に献上する筈だった土産物を奪われたのは、私の落ち度に()(ところ)が大きかったから、誰もあの少年たちを罪に問うことはできない――(いや)、してはいけないのだ。

 それは真実被害者である私でさえも同じことで。彼らの罪をなかったことに出来ても軽くしてやることはできない。罪は罪として(いず)れは裁かれるときが来るだろうが、今日だけは私の愚行に免じて無罪放免にしてやる()り道はないのである。

 これは(まご)う事なき擁護である。

「……もういい。君の()を見ていたら説教する気も()せたよ。(まつた)く君もお人好しだな。罪を犯した者を(かば)おうなど可笑(おか)しいよ。下手したら(はん)(にん)(いん)()(ざい)(ぞう)(とく)(ざい)に値する重大違反行為だ。下手をしたら、その少年たちの代わりに君を警察に突き出さなければならない。小生にそんな真似はさせんでくれ」

「そうですね。その通りです。そんな愧辱(きじよく)を先生に()かせるわけにはいきません。ですが私に罪はありませんよ。(もち)(ろん)その少年たちにも、ね」

「ふん、減らず口を云う。解ったよ。警察には届けん。(ただ)しこの落とし前はつけて貰わねばならんな――」

 そう云うと先生は、私の鼻先に指を二本突き立てて、

「今日損失した分も合わせて、次回来るときは千住庵(せんじゆあん)のどら焼きを二○個用意してき(たま)え。それで今回の不備は手討ちとしよう」

 と云った。

「ありがとうございます先生。助かります」

「助かるのは君じゃなくて、その不良少年たちの方だろう。確乎(しつか)りし(たま)えよ簑辺君」

「はい! 次こそは必ずや極上の献上品を奉じさせていただきます」

「期待しているよ」

 などと云う先生の声を耳に、私は己の財布との綿密な相談を余儀なくされたのであった。

「――さぁ一段落着いた(ところ)で、そろそろ仕事の話をしよう。簑辺君、小生の仕事部屋に来なさい」

 それだけを云うと、童遊麒助(おになしきすけ)先生は席を立った。私は、

「はい先生」

 と威勢良く返事をし、店舗の更に奥にある母屋へと消えゆく先生の後ろ姿を追っていったのだった。


 

 母屋へと通ずる(かまち)で靴を脱いだ私は先生の仕事部屋に通された。

 ()()は元は仏間だったらしい。

 (まつ)(こう)だか線香だか()く解らぬ芳香(かお)りが立ち籠める室内には、(いつ)()の仏壇が建立()っていた。

 酷く襤褸(ぼろぼろ)な仏壇である。

 背丈は私より頭二つ分程高いその仏壇は、如何(いか)にも何処(どこ)ぞの廃材置き場などで材料を調達してきたような乱雑な造りをしていた。

 元は朱色の漆が塗布されていたであろう(はこ)(がた)の板切れは、今や当時の荘厳さなど見る影もなく、その全体を白蟻の餌として捧げたかのような幾つも(あな)()いている。

 (まこと)に貧相な仏壇である。

 また仏壇の内部には、これまた見窄(みすぼ)らしい格好をした坊主の木像が納められていた。

 先生の談に()れば、その坊主は(こう)(ぼう)(たい)()(くう)(かい)なのであると云う。

 空海と云えば、真言宗の開祖として有名であるが、私にはそれしか判らなかった。

 空海は座禅を組んでいる。

 ()(つむ)り瞑想に(ふけ)るその姿は、如何(いか)にも俗世間から(かい)()しているかのように私には見えた。

 

 部屋には私ひとりだった。

 先生は(さい)(くん)に茶を()れて貰おうと席を外している。

 部屋に入る()りひとりきりにされた私は、瓦落多(がらくた)のような仏壇の前に(すわ)った。

 (すわ)って私が手にしたのは、(きよう)(づくえ)の上に()った(こく)(たん)のリン棒だった。

 リン棒はリンを()つための道具である。当然私は(きよう)(づくえ)に乗ったリンをそれで()った。

 チーン……――という(しん)(ちゆう)の奏でる音は静謐(しずか)な室内にいつまでも木霊した。

 金属質の(とて)も澄んだ音色である。私はそのまま手を合わせた――合唱する。

 そうして(つむ)った()を開けて背後を振り返ると、()()には童遊(おになし)先生が立っていた。

「偉いね簑辺君。小生が居なくともちゃんと約束を守っているじゃないか」

「当然です。私は約束を破りません」

 そうなのである。私は先生との仕事に入る前に、仏壇に手を合わせることを約束させられていた。

 (いわ)く仏壇に手を合わせることは、精神の統一に繋がると先生は云う。

 仕事とは(せい)(れん)な気持ちで臨んでこそ意味があるのだ、というのが先生の持論である。

 故に先生と仕事をする者は、(いや)(おう)なくそれを強要された。

 まるで大晦日の晩に釣り鐘を()いて(ただ)れた(ぼん)(のう)(めつ)(きやく)するかのようなこの行為は、しかし意外と私に()まった。

 仏壇に手を合わせることは、心の浄化に繋がることを、私は()()で学んだのである。

「何嘘を云っているんだ。今日さっそく約束を破ったじゃないか」

「何のことです? 私は嘘を云ったりしませんよ。約束のどら焼きは必ずや今度持って参ります。なので是非とも楽しみに待っていてください」

「本当に口の減らぬ男だな、君は」

 そう云って先生は頭痛を(こら)えるかのように頭を振った。しかし、

「いま妻に茶を()れさせている。菓子を()られた君でもあの坂を登ってくるのは(さぞ)や骨が折れただろうから、茶でも一杯飲んで一息吐いてくれ。(あい)(にく)と茶菓子はないがな」

 などと、()(たら)と『菓子』の部分を強調して云うのは、単なる意趣返(いしゆがえ)しなのだろうか。

 私は皮肉とも取れる先生の言葉を(かん)(ぜん)と無視して立ち上がった。

 部屋の隅には、申し訳なさそうに一台の座卓が置いてあった。

 その座卓の周囲(まわ)りには、店舗より(やや)劣るが、それでも多くの本が山と()って積まれていた。先生と私は、それらの本をぞんざいに横へと退()かし互いが対面するような形で(すわ)り合った。

 店舗での距離よりも(いささ)か近くに先生の(かお)があった。

 薄暗かった店内よりも瞭然(はつきり)と先生の(かお)――面は見て取れた。しかしその面に刻まれた(しわ)の一本一本は()に出来ても、穿(うが)たれた(あな)から覗く()の輝きは一切眸()にすることは出来なかった。

 (くら)(くら)(うろ)のような(あな)昏然(ひつそり)と私を見詰めている。

 私は手にした仕事鞄とハンチング帽を悄然(そつ)と畳みの上に置いた。

「それでは先生、原稿の方をお願いします」

 私が本日の用向きを端的に窺伺(うかが)うと、先生は傍に()った本の山に手を伸ばして、

「そら、これが(あぜ)(くら)出版さんの今回分の原稿だよ」

 と云って、ざっと三〇枚程の紙の束を座卓の上に颯然(さつ)と放った。

 それは四○○字詰め原稿用紙の束だった。それも童遊麒(おになしきすけ)助先生の新作小説の――だ。

 私はありがとうございます、と云って、その原稿を手に取った。

 三〇枚程の紙の束は意外と重いものである。汗で湿った指先で汚さぬよう慎重に気を配りながら、私は原稿のチェックを始めた。

 その小説の内容は、先生のライフワークとも云える鬼の物語である。

 童遊先生は処女作『凍螂(とうろう)』をはじめ、第二作『黒犬(くろいぬ)(だま)らない』、第三作『微睡(まどろ)(ひつじ)』と現代を生きる鬼の姿を描いた物語を書き続けている。

 これらは俗に鬼シリーズとも呼ばれ、一貫して怪奇小説の体裁を()ってはいるもの、その中身は至って人間臭さに(まみ)れ、まるで一生の人間賛歌を唄っているかのような構成と()っていた。

 その第四作目に当たるのが、いま私が手にしている小説『雷螂(はち)炫燿(げんよう)』である。

 この作品もまた鬼――しかも女の子――を物語の主人公に据えている、ようだ。

 ――ようだ、というのもこの小説は、我が(あぜ)(くら)(しゆつ)(ぱん)(だい)(さん)(ぶん)(げい)(へん)(しゆう)()が、月一で発行している月刊誌『月刊 (ゆう)(げん)(とも)』の夏季号より定期連載が開始される予定の作品だからだ。

 つまり私が(おそ)(おそ)(ページ)(めく)る原稿は、その草稿に(ほか)ならず、()だ校正すら手を付けられていない生原稿なのである。(もち)(ろん)私とて読むのはこれが初めてだ。

 〝鬼才〟童遊麒助(おになしきすけ)の次期作品、その第一話を読み終えた私は、(しば)(かん)(かい)を深めていた。

 そのときの私は、(きつ)()締まりのない顔をしていたに違いない。

 なぜなら、今この瞬間、世界広しと云えど先生の未発表作品を私のみが読むことを許されているからだ。これこそ編集者冥(みよう)()に尽きる役得というものである。

 そうして緩解(ゆる)んだ顔を僅かに引き戻しつつ私は率直な感想を述べた。

「良いですね。素晴らしい出来です。特にこの主人公の女の子が格好いい。えーと『夏越灯冴(なごしとうこ)』――ですか?男の子のような口調と行動力をして、尚且つ雷を操る特殊能力を持っている。何とも伝奇的な要素も兼ね備えていて、新しい読者を獲得するには持ってこいの作品だと思います」

 私が嬉々としてそう語ると、先生は(いささ)か憮然とした様子で、

「存外にそう褒めてくれるな。小生は()()()(どん)()えない古本屋の亭主だよ。故に素人文(ぶん)(そう)の欠片もない。もっと何処(どこ)が悪かったとか、()()を直すべきだとか意見はないのかね? 小生はそれが聞きたいのだがね」

 と云った。

 その言葉を耳にした私はそうですね――と顎に手を()って、

改善為()べき点は多々あるかと思います。(たと)えば小難しい比喩表現を使っていたり、内容が全体的に難かったり、それが先生の持ち味と()っていることは十分に承知しているのですが、少々読むのに骨が折れる箇所が多分にあるものかと……申し訳ありません。出過ぎた口出しだったでしょうか?」

(いや)、正直に云ってくれて嬉しいよ。他の出版社の編集は()()まで口にしないからな。何分名が売れているというだけで皆ヘコヘコと頭を下げてばかりいる。作品の批評をする()り小生の機嫌を損ねまいと常に必死だ。それが一番小生の(かん)(さわ)るというのに、気づきもしない。(まつた)()(がた)くて敵わんよ」

 そう云って先生は腕を組んだ。本当に腹に据えかねているようだ。

 まぁその同業者たちの気持ちも判らんでもない、と私は思った。

 なにせ若手とは云え、相手は今を時めく売れっ子作家なのだ。下手に(へそ)を曲げられて仕事が(とどこお)()りも、上手く機嫌を取って仕事を(こな)して貰う方が何倍もいいに決まっている。しかし彼らは、その方法を大いに間違えているのだ。

 編集の仕事は作家の機嫌を取ることでは決してない。編集の仕事とは、作家が描く物語世界に適切な指示(アドバイス)を与えて()ることにこそある。

 編集は編集らしく作家が描く作品と(しん)()に向き合ってこそ一人前になれるのだ――と私は先輩の編集者に教わった。

 だから私はどんな作家先生を相手にしても率直な意見を云うことを(はばか)らないようにしている――まぁ()ったことのある先生など数える程しかいないのだが――(たと)え書き手の意見と真っ向から対立しようと、共に良い作品を創作(つく)るには、それが一番だと心得ているから。

 そして何よりそれが編集者の責務だと、私は知っていたからだ。

 誰もが愉しめる幸福に満ちた作品を世に残すことは、(すなわ)ちそういうことなのである。


「それでは原稿は戴いていきます。編集部に帰って再度見直しますので、(すい)(こう)はその後でお願いします」

 先生から戴いた原稿を仕事鞄に仕舞(しま)いながら私がそう云うと、先生は相解(あいわか)った、と面に生えた白髭を揺らして頷いた。

「それにしても意外でしたね。今回の主人公がまさか女の子――(もと)い女の鬼とは。何か宗旨変えでもされたのですか?」

「宗旨変えとは妙な云い方だな。()()は単純に思う(ところ)があったのか――でいいのではないかね」

 私のその言葉に先生は少々鼻白(はなじろ)んだようだった。面の奥で溜息とも嘆息とも取れぬ微かに息を吐く音が私の耳朶(みみ)喟然(ひつそり)と届いた。

 私は云った。

「これは失礼をば致しました。云えね、これまで先生がお書きに()った作品の主人公は(いず)れも(せい)(かん)な印象を受ける鬼たちばかりだったでしょう? 処女作の『凍螂(とうろう)』の主人公は、監察医務院に勤める監察医の男鬼。第二作の『黒犬(くろいぬ)(だま)らない』では、戦場から復員してきた元兵士の男鬼。第三作の『微睡(まどろ)(ひつじ)』では女の鬼こそすれ、その職業は法医人類学の教授と()っていて、(いず)れも無骨で堅い印象のものばかりだった。しかし()()に来て思春期の女の子を――鬼ですが――主人公にするなど、一体如何(どう)いう風の吹き回しかな、と思いまして率直に口にさせて頂いた次第何です。まぁ先生の心境にどんな変化があろうと、こういった作品も書けるのだな、と感心するばかりで、弘法も筆を選ばずと云いましょうか。(いや)、実に面白いです」

 と私が感嘆の声を上げると、先生はまた憮然とした態度に()って、

(おだ)てた(ところ)で何も出んぞ。それに心境の変化なぞ何もない。ただ今回は(いささ)か伝奇物の体裁を強めてみただけだ。頭の硬い小生では、思春期の少年少女の気持ちなど(ゆう)に解ろう(はず)もないが、伝奇物の主人公と云えば、少年少女と相場が決まっているだろう。小生は、ただそれに(なら)っただけのこと。他意はない。それはそうと簑辺君。君、先程また妙なことを云ったな――」

 と云った。

「は? 妙なこと? 私何か変なことを口走りましたか?」

嗚呼(ああ)云った。実に妙なことだ。覚えてないのか?」

「いえ(まつた)く覚えてないです。私何か云いました?」

 先生のその詰問に私は(いささ)(くび)(ひね)った。一体私は何を口にしてしまったのだろうか。なぜか先生は露骨に機嫌を悪くしていた。面に()いた(あな)から私のことをきつく(なじ)るような声が(おもむろ)に聞こえた。

「君は小生を()()にしているのか? 小生が真言宗の信徒だからと云って、その言葉を口にするのは(いささ)可笑(おか)しい――」

「いえ、だから何のことでしょうか童遊先生。私が何を――」

「君はついさっき小生の作品を差して弘法は筆を選ばずと云った。小生はそれが許せんのだよ」

「は?」

 何のことだろうか。(たし)かに私は先生の書いた作品の主人公を差してそう云った(たと)えを口にした。しかしそれが一体何だというのだろうか。その(ことわざ)何処(どこ)に先生の気を(そこ)ねる部分があったのだろうか。

 童遊先生の真意が掴めぬ私は、仕方なく次に先生が吐く言葉を待った――そして、

「いいかね簑辺君。君が口にした(ことわざ)(いささ)か間違っているよ。恐らく君は、小生がどんな題材を取っても(いつ)(ぱし)の小説が書けるもんだから、そんな言葉を使ってしまったのだと思うが、そもそも(こう)(ぼう)(たい)()――空海は君が思う程の男ではない――(いや)、これでは()(へい)があるな。弘法大師空海は、()()天皇時()(せい)(さん)(ぴつ)として有名だが、決して筆を選ばなかったわけではないのだ。その(ことわざ)は、その道を極めた名人や達人は、道具や用具の選り好みを一切しない、という意味に取られ勝ちだが、真意としてはその逆、弘法大師ぐらいの名筆家にもなれば、()り良い筆を選んで書を描くというのが常道だった。()り完成度の高い作品を仕上げるには、仕上げられる分だけの()り良い道具が必然的に必要となってくる、それが道理だ。しかしその(ことわざ)の真意を知らぬ後世の人間には、弘法大師ほどの書の大家ともなれば、どんな筆を使っても(さぞ)かし立派な作品が(つづ)れただろう、という希望的想像が込められ、現代の誤った使い方と()ってしまった。これは実に嘆かわしいことではあるが、私が落胆したのはね簑辺君。仮にも言葉を生業(なりわい)とする編集のプロが誤った言葉の使い方をする。小生はそれが(とて)も許せんのだよ」

 そう云って先生は面に刻まれた皺を指先で拭い、

「弘法大師空海も(さぞ)呆れていることだろうよ――」

 と壁際に()した仏壇の方に視線を()った――ように見えた。

 吊られて私もそちらの方に()()った。 

 巨観(おおき)な仏壇の中には、茶色に()けた木彫りの坊主が戚然(ひつそり)と座禅を組んでいた。

 生後間もない赤子と差して変わらぬ体躯をした空海象は実に()く出来ている。禿頭の皺。顔の皺。頸の皺。袈裟の皺に至るまで彫り込まれた木彫り加減は、(えら)く精巧に私の()暉映(うつ)った。

 これでもこの坊主は、私の犯した過ちに幾と呆れているのだろうか――私には些かもそうは見えなかった。

 しかし何も云わずでは、先生の機嫌も収まるまいと思い直し、私は深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にしたのだった。

「申し訳ありません。如何(どう)やら私は編集者として、(いや)、いち文化人として多いに間違っていたようです。先生のご指摘に返す言葉も御座(ござ)いません。ご高説痛み入ります」

 すると先生は、

「恐縮し過ぎだよ莫迦者(ばかもの)

 と途端に面の奥からの声を優柔(やわ)らかくして云った。如何(どう)やら機嫌は直ったようである――がしかし私は改めてこの現前に居る作家先生のことが解らなくなった。憤恚(いか)りのスイッチが(とん)と掴めぬし、かと思えば直ぐ様機嫌を取り直す。扱い易いのか辛いのか、全く解らなくなってしまった。

 一体この先生は、どんなことを考え日々を過ごしているのか――私は少しばかりそれが気になり()りたくもなった――故に、

童遊(おになし)先生。この簑辺熾郎(みのべしろう)、後学の(ため)に何か学んで帰ろうかと思うのですが、何かご教授願えませんかね?何でも結構です。何なら弘法大師空海――(いや)さ、真言密教についてでも構いません。()()如何(どう)かこの()()者に知恵のひとつでも授けて()ってくれませんか?」

 と云ってみた。すると先生は見るからに嬉々として、

「自らの無知を自覚するとは上出来だよ、簑辺君。()()まで云うのであれば仕方無い。()れ何を語って聞かせて()ろうか――」

 などと口にし、面から伸びた白髭を指先で撫で付けるのを見て、実は相当扱い易い人なのではないだろうか――などと私は不遜にもそう思ってしまったのだった。



「知恵をひとつ、と云うのであれば真言密教の出番だな――」

 静閑(しず)かな室内に先生の声が木霊した。

「真言密教ですか?」

 私が(おう)()返しに呟くと先生はそうだ、と云った。

簑辺(みのべ)君。君は真言密教の経典を()っているかね?」

 私は(しば)し考え、

「解りません」

 と素っ気なく云った。

「本当解らないのか?」

「解りません――」

 決然(きつぱり)と断言する。

 本当に解らなかった。

 私は宗教には(とん)(うと)いのである。それに私の実家は代々曹洞宗(そうどうしゆう)の檀家であるが故、そもそも他宗派の経典がどんなものかすら()(よし)もなかったのである。

 私は所謂(いわゆる)無神論者であった。(いや)、仏教であるから無仏論者(むぶつろんしや)――か。まぁ()()如何(どう)でもいいことだが、兎に角私は真言宗の経典など一切何も()らなかった。

 そんあ()けたことを抜かす私を尻目に先生は云った。

「君は『(はん)(にや)(しん)(ぎよう)』も()らないのか。真言宗の経典と云ったら『般若心経』だろう」

「はんにゃしんぎょう……嗚呼、」

 それは聞いたことがある。般若心経とは――、

「あの(しき)(そく)()(くう)だの空不異色(くうふいしき)だの、あと、それこそ般若波羅密(はんにやはらみた)多だの――のですか?」

「それだよそれ。()っているじゃないか」

 覚束無(おぼつかな)い言葉の()()りに、先生は今度こそ満足げに(あい)(づち)()った。そして、

「『般若心経』は真言宗――(いや)、真言密教に()ける所謂(いわゆる)経文のことだ。その根幹には、この世のあらゆる存在を肯定し認めると云った老荘的な宗教精神がある。それは(のう)の『山姥(うまうば)』の演目にも登場する文句【邪正一(じやしよういち)(じよ)と見る時は、(しき)(そく)()(くう)そのままに、仏あれば世法(ぜほう)あり、煩悩あれば、()(だい)あり、仏あれば(しゆ)(じよう)あり、(しゆ)(じよう)あれば山姥(やまうば)あり。柳は緑、花は紅の色色――】にも登用され、(しゆ)(じよう)にその存在の肯定を祈願する(やや)観念的思想に()っている――のだが、()()で問題と()ってくるのが、その『般若心経』と『般若』の関係性だ」

「先生。般若とは、あの般若ですか? あの角の生えた()(めん)の般若?」

(まさ)しくその〝()(じよ)〟の般若だよ。般若の言葉とは、真言密教で〝知恵〟を意味する仏教用語だ。()っていたかね?」

「いえ今の今まで(とん)と――」

 ――()りませんでした、と私が口にすると先生は、だろうね――と即座に返事をした。

「なら()ずは『般若心経』の『般若』がなぜ鬼女の般若に()ったのか――から話そうか。我々が()()にする般若――所謂(いわゆる)〝般若面〟は『(あおい)(うえ)』という(よう)(きよく)の演目に使用される能面をその起源としている」

「あおいの、うえ……」

 能楽も門外漢だ。

嗚呼(ああ)、この物語は女の(あい)(しゆう)を核としている。その原点は『源氏物語』の一幕『葵』を元にしているのだが、まぁこれを簡潔に説明すると、(ひかる)(げん)()の愛人である(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)が嫉妬に狂い、愛執の生霊と()(もの)()()って源氏の本妻である葵上に()()き、死に至らしめる――と云った内容なんだが、()()で問題と()ってくるのが、生霊と化した(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)の容貌だ。(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)は、生霊と()り物ノ怪と化して憎き女に取り憑き殺す、という過程で次第に人間から逸脱していく――が、()()では()(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)は般若の面容を獲得するに至っていない。(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)が般若の面容を獲得するには、()()()()(とう)()って(はら)われることを絶対の条件としなければならないんだ」

()()()(とう)……坊主の出番ですか?」

如何(いか)にもその通り。その様子を意訳すると次の通りだ――」

 ()()で先生は浅く息を吸った。

「【……さても()(だい)(じん)のおん(そく)(じよ)葵の上のおん(もの)()()つての(ほか)にござ(そうろう)ふほどに、()(そう)(こう)(そう)(しよう)じ申され大法秘法医療(だいほおひほおいりよお)さまざまのおんことにて(そうろう)へどもさらにそのしるしなし――】――つまり葵上に取り憑いた悪霊を祓おうと高僧を呼んで()()()(とう)、医術を施したが一向に効き目がない。あるとき(あずさ)(ゆみ)の音に()かれて現れた悪霊に名を問うと【これは(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)の怨霊なり、……ただいつとなきわが心、ものうき野べの()(わらび)の、萌え出て初めし思ひの露、かかる恨みを晴らさんとて、これまで現れ出てたるなり】――光源氏の君の訪れが途絶(とだ)えるようになったので、物憂(ものう)さに閉ざされていった私の心に、いつしか葵上を憎む気持ちが湧いてきて、その耐え難い恨みを晴らすために出てきたのです、とこう答えた」

「はぁ」

 私は惘然(ぼうぜん)と頷いた。

「そうして、(もの)()と化した(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)の生霊を祓うため、横川の(しよう)(ひじり)が呼ばれ、密教の五大尊明王(どだいそんみようおう)の助力を求める呪文を唱えた。するとその効力で(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)の生霊はこう云った――【あらあら恐ろしの、般若声や。これぞ怨霊、この後また来るまじ】――」

「般若声……般若だ」

「そう般若だよ。そうして(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)(あつ)()は消え物ノ怪ではなくなるのだが、この横川の(しよう)(ひじり)が唱えた呪文こそ『(はん)(にや)(しん)(ぎよう)』だったのだな。そのことから裏切りの愛に対し嫉妬深い未練をない交ぜにした情念に支配され、復讐の鬼に変貌した女の姿こそ、後に有名な鬼面の〝般若〟となったのだ」

「はぁ、女は鬼と()ったのですか。昔から女は恐ろしい存在だったのですね。愛に狂い怒りに燃えた女の情念――大変背筋が凍る思いです」

 私は(えら)く感心した声を上げた。また先生は、

「現代の風習の中にも、(あい)(しゆう)に狂った女が鬼に()ることを予感させる習わしがちゃんと残っているぞ」

 と云うので私は反射的に、

「へぇ、それは何ですか?」

 と遂々(ついつい)尋ねてしまった。まるで大学の講義を受けているようである。

 先生は短く答えた。

「それはな、(しろ)()()だよ」

(しろ)()()って、(しゆう)(げん)の席で女性が着るあの(しろ)()()ですか?」

嗚呼(ああ)。女性は(しろ)()()を着る際、頭に角隠(つのかく)しと呼ばれる布を被る。これは古来より、女は嫉妬に狂うと鬼に()ると云われ、角を出して鬼に()るのを防止し、(てい)(しゆく)な妻と()ることを誓うためのものなんだ」

「そのままじゃないですか。『葵』に出てくる般若と理由が丸被りだ。強い嫉妬と怒りの情念が女を鬼――(もと)い般若の姿へと変えてしまう。女の恐ろしさは底が知れません」

 私は酷く怯えた。怯えて身を小さく縮こまらせた。すると、

「――般若の形相は何も嫉妬に狂う女の姿を(あらわ)しているだけではないよ。あの(かお)は、(ねた)みは(もち)(ろん)のこと、苦しみや哀しみを如実に表現した面容なんだ」

 と(さと)すように先生は云った。しかし私は、

「私からすれば女の哀しみと怒りはどっこいですよ」

 と()(けん)(どん)な反論を返した。

「君は女に()(ほど)酷い目にでも()わされたのか? まぁいい。それで、だ。そう云った経緯があって『般若心経』は鬼面の〝般若〟と()るに至ったのだが、また()()で『般若心経』の意義に立ち返ってみようか。『般若心経』の『般若』の意味は――」

「〝知恵〟ですよね」

「その通り。それも仏教に()ける最高の〝()()〟を表す言葉、それが〝般若〟だ」

 そう云うと先生は、近くに在った紙と筆を手にし〝知恵〟から〝()()〟と書き記した。

「『般若心経』には(しゆ)(じよう)――つまり(すべ)ての生物、特に人間にその存在を肯定して欲しいという観念が込められている。そして般若の()()とは、仏法の真理を認識し悟りを開くはたらきをいい、これを(もつ)てその道に至ろうとする(とく)(だつ)の真理でもある――とするならば、葵の上に取り憑いた(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)の【あらあら恐ろしの、般若声や】という叫び声は『般若心経』の唱文に()って見事に(とく)(だつ)し〝()()〟を授けられたことに()って理性を取り戻すことに成功した結果、人間に戻ることが出来たのではないか、とも解釈できる」

「理性を取り戻しても女は(めつ)(ぽう)恐いです」

「本当にそればかりだな。一体君の過去に何があったんだ」

 (あたか)も呆れたように先生は溜息を吐いた。そして、

「では次に鬼と()った女を見事人間の姿へと戻した『般若心経』の内容をば紐解いていこうか。()ずは色即是空――だ。このことは承知していたね君は――」

 先生のその問いに、私は何となく(あい)(づち)を拍った。

(しき)(そく)()(くう)とは『般若心経』に()ける()()の究極『一切是空(いつさいぜくう)』の真理を説いた一節、つまり【(かん)()(ざい)()(さつ)行深般若波羅密多時(ぎようしんはんにやはらみたじ)、照見五蘊皆空度一切苦厄(しようけんごうんかいくうどいつさいくやく)(しや)()()色不異空(しきふいくう)空不異色(くうふいしき)(しき)(そく)()(くう)……】に(あた)り即ち、一切は(すべ)(くう)なのであって、それを悟るときは、あらゆる魂の苦患(くげん)を免れる――という教えに(もと)づいている」

「はぁ、何だか解るような解らぬような……」

 という()り理解の範疇を超えている。

 総じて私のような(ぼく)(ねん)(じん)にとって、仏教をはじめとする宗教などは、ただ生あるうちに盲信する一種の救済装置のようなものである。()()(とく)(だつ)だの悟りだの真理だのと説かれても、()(がた)がるのは、徳の高い坊さんぐらいなもので、私のような()にも付かない一般庶民からすれば、へぇそんな意味のあるものなのか、と無関心を気取るのが関の山だろう。

 私は宗教には、(とん)と関心がないのである。

 そんな私の心中など知る(よし)もなく先生が何度目かの声を発した。

「今度は、なぜ般若が鬼の面容をしているのか考察してみよう――と云っても、結論のようなものは既に出ているのだがな。まぁ聞いてくれ。真言密教で〝()()〟の意味を(あらわ)す般若が、なぜ鬼の形相をしているのか。それは一説に()れば(よう)(きよく)『葵上』に()いて(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)を演じる役者が被る鬼面を創作した人物こそ〝般若坊(はんにやぼう)〟なる面打ち職人であったからだ――という説がある。聞いて解るように〝般若〟の語源は、この職人の名に由来しているとも考えられる」

「え? 般若心経が元ネタではないのですか?」

「だから一説に()れば――だ。『葵上』の原作と()った『(げん)()(もの)(がたり)』の『葵』には、(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)が生霊や悪霊、または(もの)()()って葵上に()()き殺そうとした記述はある。しかし実の(ところ)、その面容についての描写は一切記載がないのだ……つまり――」

「つまり?」

「――つまり皆が()く知る般若の面容は――(いや)、般若という鬼女は『源氏物語』を読んだ後世の人間に()って形作られた存在である、ということだ。そしてそれを創作(つく)った張本人こそ面打ち職人の般若坊であり、彼の()には、哀しみや怒りといった負の感情に苦しむ女の姿が、(まさ)しく鬼の形相となって暉映(うつ)ったことだろう、ということが解る」

「恐かったのでしょうね。その般若坊さんも女のことが」

 ()く判る――思わず私は、(かつ)ての面打ち職人に思いを()せた。

 女は恐いものである。

 更に先生は云った。

「それと〝般若〟の語源にはもう一つ定説があってな。〝般若〟とは〝半蛇(はんじや)〟が(なま)ったものである――という説だ」

「はんじゃ、ですか?」

半蛇(はんじや)は言葉の通り、半分蛇の(からだ)をした女のことを云う。これは『(こん)(じやく)(もの)(がたり)(しゆう)』巻の十四『()(いの)(くに)道成(どうじよう)()(そう)写法花救蛇話(しやほうかきゆうじやばなし) 第三』に登場する蛇女の話なのだが、これも矢張(やは)り男の裏切りに()って半獣半身(はんじゆうはんしん)の化け物に()ってしまう。この場合恨みの対象は、約束を破った男に向けられ()つその男は殺されてしまうんだ」

「殺されるのですか、男は」

「殺されるよ、救いの無いことにね。そして女も一緒に死んでしまう。この物語と『葵上』との決定的な(そう)()がコレだ。(じよう)(えん)の炎に焼かれ、人を逸脱した存在に()るまでは同じだが、半蛇(はんじや)は結局、(ろく)(じよう)御息所(みやすんどころ)のように(とく)(だつ)して人間の姿へと戻ることができなかったんだ。しかし後世には〝半蛇(はんじや)〟イクォール〝(はん)(にや)〟の図式ばかりが注目され、結果〝般若〟は〝半蛇〟が(なま)ったものだという説が残ったわけだ」

「はぁ、蛇に()ったり鬼に()ったり女は()(かく)恨みがましいものですね」

 ――とそのとき、背後に()(ふすま)がスウ、と開く気配がした。

嗚呼(ああ)、簑辺君。茶が入煎(はい)ったようだよ」

 程なくして先生と私の眼前に湯気の()ったお茶が悄然(そつ)と置かれた。

 私は、嗚呼(ああ)こりゃどうも――と云ってお茶を差し出した人物の方へと顔を向け、そして心臓が口から飛び出しそうになった。

 何と()()に居たのは、鬼面の〝般若〟だった――のだ。



 その突然の状況に、私は思わず腰を抜かしそうになった。

 なぜなら、実に驚愕(おどろ)いた表情をしているであろう私の現前には、鬼面の般若が居たからである。

 私が童遊麒助(おになしきすけ)先生に般若の成立について講釈を受けていた折りのことだ。

 般若の話を聞きつつ私が(しき)りに「女は恐い、女は恐い」と連呼していたことが災いしたのであろうか――と最初のうちはそう思った。

 それはそうだろう。話題の渦中にある筈の鬼女のことを私は(こと)(さら)(さげず)んでいたのだ。それは鬼面の般若を、()いては世に生きる(すべ)ての女性を敵に回す発言だったのかもしれない。

 故に物語の中に登場する般若が、私の瞽言(こげん)を聞きつけて現実の世界に乗り込んできたのではないか、と私は大いに肝を冷やした。

 しかし眼前の般若が次に起こした行動を見て、私の不安は何の事はない、ただの被害妄想に過ぎなかったのだと知るのである。

 鬼面の般若は(かつ)(ぽう)()を着ていた。あの家事で着る真っ白な衣装である。

 ()く見ると畳みの上に()した般若の脇には、朱色の漆が塗られた(つや)々(つや)とした木の盆が置かれていた。

 盆の上には、武骨な形をした大きな湯呑み茶碗が一杯載()かっている。

 真っ新な(かつ)(ぽう)()を身に纏った般若は、実に静厳(しず)かな動作で朱色に輝く木の盆からその湯呑み茶碗を手に取ると、また悄然(そつ)と音も無く傍に居る先生の眼前にそれを置いた。

 その一連の様子を童遊先生も翁面に穿(うが)たれた(あな)から見遣(みや)っていたのだろう。童遊先生は、何の当惑も(とん)(ちやく)もなく、(しか)も平然と鬼面の般若に向かって「ありがとう」と礼を云った。

 その光景は、端から見ればいち一般家庭に()ける夫婦間の何気ない遣り取りに暉映(うつ)ったことだろう。しかし()()で交わされたのは、翁面を着けた男と、般若面を被った女の()(たい)な遣り取りに(ほか)ならなかった。少なくとも私の()には、二匹の妖怪変化が織り成す奇妙な邂逅にしか見えなかった。

 まるで百鬼夜行である。

如何(どう)したね簑辺君。そんなに(ほう)けて? さっさと茶を呑み(たま)えよ。冷めてしまう」

 面の奥から聞き慣れた(しやが)れ声を出して童遊先生がそう(すす)めるものだから私は、

「い、頂きます……」

 と云って熱々と湯気の()った湯呑みを手に取った。そして一口啜ってから、

「お、童遊先生……そ、そちらの方は……」

 などと今更ながらの質問をした。

 極度の緊張と不安に駆られた私の間の抜けた問いに、童遊先生はなぜか小首を傾げて、

「ん、彼女のことかね?」

 と空惚(そらとぼ)けた返事をし、

「君は小生の妻と遭うのは、初めてだったな――妻の香子(きようこ)だ」

 と云った。

「お、奥方様でしたか」

 その答えを耳にして私の心は(いささ)か安堵した。

 そう云えば童遊先生の担当編集に()って()(かた)、私は一度も先生のご家族に遭ったことが無かった。

 何か都合が悪かったのか、時機(タイミング)が悪かったのか知らぬが、この半年間で一度も遭ったことが無いなど、可笑(おか)しな話である。まぁ童遊先生の容貌からして、その伴侶も並々()らぬお人柄であるものと想像はしていたが、真逆(まさか)それが般若面を被った女性であるとは思いもしなかった。(むし)時機(タイミング)が悪すぎである。今まで一向に遭うことが無かった筈の(さい)(くん)が、なぜ般若の話をしている最中に出てくるのだろうか。

 眼前に般若の(かお)()にした瞬間、私の生命は終焉(おわ)った、と思った。生き肝を取って喰われると本気で思ったのである。しかしその危機感も杞憂に終わった。先生の細君と判ったからには、その人格が如何(どう)であれ、普通に接すればいいだけのことである。恐るるに足らん。

「初めてお目に掛かります、香子夫人。私は(あぜ)(くら)(しゆつ)(ぱん)(だい)(さん)(ぶん)(げい)(へん)(しゆう)部の簑辺熾郎(みのべしろう)と申します」

 突如として果たされた邂逅に、私は()()えず挨拶をした。

 すると香子夫人は、無言でペコリと頭を下げ、(おもむろ)に何やら私に差し出してきた。

 それは一枚の折り紙だった。

 その朱色の折り紙は、表面の色が面に()るように綺麗に二つ織りにされていた。

 じわりと汗ばんだ指先でその織られた紙片を開くと、その中には、

『存じ上げております簑辺様。主人がいつもお世話になっております』

 と(とて)も達筆な(ひつ)()でそうした文字が綴られていた。

「お、恐れ入ります」

 その何気ない夫人の所作に、私は(いささ)か肩を落とした。

 般若の形相をした細君が、一体私に何の用があるのかと少なからず警戒していたのだが、それは何の事はない、(ただ)の社交辞令だったのだ。

 そうして(しば)し私が脱力した様子でいると、(おもむろ)に香子夫人は立ち上がり、またペコリと無言で私に頭を下げると、そそくさと部屋を後にしていった。

 その後ろ姿を見送る私に向かって先生は云った。

「すまんな簑辺君。妻は小生以上の赧愧者(たんきもの)故、他人と同じ場にそう長くは居られんのだ。故に(ろく)に会話も(まま)()らん。今日だって君が小生の(ところ)に来て半年経つというので、やっとの思いで出て来た次第なのだ」

「は、はぁ……それは難儀なことですね――」

 と先生の言葉に生返事をした私は、香子夫人が去っていった方へと()()った――瞬間、また口から心臓が飛び出しそうになった。

 

 何と()()には、襖の(かげ)に隠れて私と先生の居る室内を凝然(じつ)と睨み付ける般若の(かお)が半分だけ()ったからだ。


「…………!?」

 一体香子夫人は、()()で何をしているのだろうか。

「お、童遊先生……奥方は彼処(あそこ)で何をしていらっしゃるのですか?」

 恐る恐る私が事態の現状を把握しようと声を掛けると先生は、

嗚呼(ああ)、気にするな。あれは妻の日課だ」

 と酷く寞然(ばくぜん)とした答えを返してきた。

「に、日課?」

(おう)とも、妻は四時六中小生を監視することを日課にしている。だから気にすることはない」

 と云われても気に()る。

 私は如何(どう)にも落ち着かなくなって、再び先生に声を掛けようとした――そのとき明後日(あさつて)の方角から――正確には、香子夫人のいる(ふすま)の方から――何かが飛んできて、先生の面にコツン、と当たった。

「せ、先生……それは?」

 それは折り紙で出来た手裏剣だった。何の(ちゆう)(ちよ)もなく童遊先生は、その緑と黄色で出来た手裏剣を丁寧に解き、そして、

嗚呼(ああ)、すまんな香子。『監視』じゃなくて『観察』か――」

 などと更に事態を混迷させる言葉を口にした。

「は――?」

 そう私が(ほう)けた声を上げると先生は「(いや)、何……」と言葉を続けた。

「先程も云ったが、香子は他人と(ろく)に会話をすることも(まま)ならない程の人見知りなのだ。故に客人が居る前では、こうして小生に文字を綴った折り紙を投げつけて代弁をさせる。まぁ一種の意思疎通道具(コミユニケーシヨンツール)のようなものだな、これは」

 と云って、投げつけられた折り紙をひらひらと風に(そよ)めかした。

「はぁ……」

 そんな意思の疎通方法があるものか。

 私は、なぜか()()に来てどっと疲れが出たような気がした。

 そして早く家に帰りたくなった。

 この状況を作り出している存在のことは何となく解ったが、理解は出来なかった。故に(ふすま)(かげ)から()(ちら)を睨み付けている般若の存在が()(ごく)気に()り、途轍(とてつ)もない居心地の悪さを感じていたからだ。

 こう云っては何だが、鬼魅(きみ)が悪い。

「ん、どうしたね簑辺君。顔色が優れないようだが」

 ()せずして内心に抱いた嫌悪感が露骨に表情に出てしまったようだ。

 童遊先生が、面に()いた(あな)から私の顔を確乎(しつか)りと覗き込んでいた。

「い、いえ大丈夫です」

 辛うじて私はそれだけを云うことが出来た。気を取り直すように、私はまた先生に新たな話題を振った。

「先生、ひとつお窺伺(うかが)いしたいのですが。先生はなぜ〝鬼〟を題材にした小説を書かれるのですか?」

 すると先生はその(かお)を私の方に向け、

「何だね、また(やぶ)から(ぼう)に」

 と頸を傾げた。

「いえね、私が思うに先生は、何処(どこ)か〝鬼〟というものについて()(しつ)しているような印象を受けるんですよ。鬼を主人公とした小説といい、屋号に付いた〝鬼〟の文字といい、先生の雅号(ペンネーム)といい、(はた)(また)奥方の姿――(もと)い鬼面の般若の講釈といい、如何(どう)にも鬼に関連することが多いように思うんです。何かこう作為的なものを感じると云いましょうか、腑に落ちないんですよ。これは私の単なる好奇心ですが、何か理由があるのなら聞いておきたい。先生についてひとつでも多くのことを()りたいのです――」

 もう我慢するのも疲れた。私は正直に()れまで溜めてきた疑問を一気に先生へとぶつけてみた。

 〝鬼〟とは一体何なのだろうか。何の因果があって私の周りに――(いや)、先生の周りにこうも〝鬼〟というものが(ちよう)(りよう)(ばつ)()しているのだろうか。

 先生と〝鬼〟との間には何かがある、と私の直感は云っている。

 私は先生と初めて()ったときのことを思い出していた。

 面の下にある顔が見たい。その素顔を白日の下に(さら)したい、という欲求が(かつ)てはあった。

 しかしその野次馬のような欲求は、いつしか私の中から塊然(すつかり)と消え失せていた。

 だから訊きたくなった。

 童遊麒助(おになしきすけ)という人間が持つ事情を、私は心の底から()りたくなったのだ。

 故に、その謎を解く鍵言葉(キーワード)こそ――〝鬼〟なのではないだろうか。

 そう思ったからこそ、私は〝鬼〟について()いたのだ。しかし私のその質問に、先生は(いささ)か肩を(すく)めただけだった。

 先生は云った。

「別に小生は鬼に()(しつ)しているわけではない。ただ小生の周りには、それを論じるだけの研究資料が(たま)々(たま)傍に()っただけのことだ。別段君が疑うような作為的なものは何も無いよ簑辺君」

「それを論じるだけの研究資料? それは何処(どこ)から?」

「君には関係のないことだ――」

 先生の言葉尻を取って()かさず言葉を重ねた私に、先生は決然(きつぱり)とそう云った。

 その何処(どこ)か威圧するかのような物言いに、私は一瞬言葉を失った――とそのとき、()(ふん)に駆られているであろう先生の面に、またコツン、と一通の折り紙手裏剣が当たった。香子夫人が投げたのだ。

「…………」

 先生は緘黙(だま)ったままその紙片を拾い上げ、その中に書かれた言葉に視線を落とした。すると溜息をひとつ吐き、

香子(きようこ)――」

 と(ふすま)に身を隠す(さい)(くん)の方へと()を向けた。

「先生……?」

 その様子を端から窺伺(うかが)っていた私は、また恐る恐る先生に声を掛けた。すると先生は、

「妻からの言葉だ。君に出来る限りのことを教えてやれ――とさ」

「香子夫人が?」

 先生に(なら)い私も香子夫人の居る方に視線を送った。()()には、相も変わらず鬼面の般若が凝然(じつ)()(ちら)を見詰めている(ところ)であった――先程依()りも、(やや)壁にした(ふすま)に隠れるようであったけれど。

(まつた)く君といい、香子といいなぜ小生の周りには、こんなにも物好きが多いものかね。理解に苦患(くる)しむよ。解ったよ。語ってやろうじゃないか。小生と〝鬼〟の関係を。聞いた(ところ)で大した内容でもないがな」

 ()()で先生は大きく息を吐き、

「小生はな簑辺君。婿(むこ)(よう)()なのだよ」

 と重い重い口を開き始めた。

「この鬼霖堂書房(きりんどうしよぼう)の亭主は小生で二代目になるのだが、その前は妻の父――まぁ小生の義父だな――がこの店舗(みせ)の亭主をしていたのだ。先代の名は博右衛門(ひろえもん)と云って、中々(へん)(くつ)な性分の持ち主で、己のことを鬼の子孫だと周りに触れ回っていた程のものだった」

「鬼の子孫ですか?」

嗚呼(ああ)、しかし鬼の子孫などという家系は、()(ほど)珍しいものではないんだがな――」

「そうなんですか?」

嗚呼(ああ)、鬼を先祖に持つ家系は(ぜん)(こく)()々(つ)(うら)々(うら)()々(た)とある。例えば兵庫県の(おお)()(やま)、これは世に名高い酒呑童(しゆてんどう)()という鬼が猛勢を振るった土地として有名なのだが、()()に暮らす藤原家という一族は、この(しゆ)(てん)(どう)()の子孫だと云われている。また奈良県吉(よし)()(ぐん)天川村(あまかわむら)(つぼ)(うち)には、柿坂(かきざか)という神主の家があるのだが、この家も代々鬼の子孫であると云われ、それを象徴するかのように節分の豆撒きの掛け声などは【福は内、鬼も内】と掛けるそうだ」

「福と一緒に鬼も家の中へ招き入れるのですか?」

「そうだ。これは鬼である先祖を敬った象徴的儀式行為だな。それと――」

「まだいるのですか?」

「云っただろう。全国に多々居ると。まぁそういった例もあって、博右衛門(ひろえもん)は己のことを鬼の子孫であると信じていたのだが、何分この家には、それを証明するだけの文献や資料、果ては家宝などと云った証拠と()るものは一切伝わっておらず、一体何を(もつ)て己を鬼の子孫だと断定したのか()く解らない()(じん)だった」

「とても口にし辛いのですが、その、気が()れていたのですか? 博右衛門氏は」

「それならばまだ()かったのだが――」

「そうではなかった、と」

嗚呼(ああ)。博右衛門は(とて)も意志の強い思考の持ち主だった。家族が彼の意に(そぐ)わぬ言葉を吐けば、それを正論にして返し論破してしまうような思考の明瞭(はつきり)とした人だった」

「それは厄介ですね」

「うん、家族共々(ほとほ)と困り果てていたそうだ」

「そうだ、とはその時分、先生は()婿(むこ)に入っていなかったのですか?」

「小生がこの家に婿(むこ)に入ったのは、博右衛門が鬼の研究を始め、この古本屋を開業して(しばら)く経ってからのことだ」

「鬼の研究? それは何です?」

「それはな――」

 童遊先生は()()で浅く息を吸い込んだ。そうして、

「博右衛門自身が口にするように、己が鬼の子孫であると証明するための研究だよ」

 と静虚(しず)かに云った。

「鬼の子孫であることの証明……」

「そうだ。さっきも話したが、博右衛門が己を鬼の子孫であると証明するだけの文献資料などは、残念ながらこの家には伝わっていない。()()で博右衛門は、その根拠となる物的証拠を外部に求めたのだ」

「外部と云いますと――嗚呼(ああ)、」

「そう、この国には古く()り鬼の子孫として繁栄してきた家系が多々ある。なので生家の家系にその根拠と()る痕跡がないのであれば、外の家系にそれを見出せないかと、博右衛門は考えた」

()しかしたら、()()の一族の家系図などにその痕跡が残っているかもしれないと?」

如何(いか)にもな。そう考えた博右衛門は、()ず全国に古くから語り継がれている鬼の伝説や説話などを収集し解析を始めた。それに()って多くの文献や資料などを山のように買い込み研究に取り組んだのだ」

「ならばこの古本屋は――」

「云って仕舞(しま)えば博右衛門の夢の残骸だな。研究を始めたものの大量の書物を買い漁ってしまった所為(せい)()ぐに資金は底をついた。それからは借金地獄だ。(たち)の悪い高利貸(こうりが)しに手をつけ、金を借りては本を買い、また借りては本を買いを繰り返し、(とう)(とう)莫大な負債を抱え(くび)が回らなくなってしまった。そんなときに始めたのが、この鬼霖堂書房なのだ」

「なるほど」

「幸いにも博右衛門が収集した書物の数々は、歴史的にも非常に価値が高いものも含まれていたため、借金の関しては、店舗を始めて直ぐに返済出来たそうだ」

「自分の蒐集品(コレクシヨン)を売っぱらってしまったのですか?」

「博右衛門は、一度読んだ本の内容は確乎(しつか)り記憶していたから必要がないのだ。それに蒐集品(コレクシヨン)などという認識も持ち合わせてなかった。一度読んだ本は紙切れ同然だと云って興味も()せていたからな」

「ほう」

 それもまた立派な(しよ)(いん)()である。しかし、

「しかし家族に迷惑を掛けてまで、その鬼の研究とやらに没頭する理由があったのでしょうか? 私には(とん)と解り兼ねますね」

 鬼の子孫であることの証明――それは如何(どう)にも途方もない話のようだった。

 そう私が黙りこくっていると先生は云った。

「鬼の子孫であることの証明依()りも、(むし)ろ〝鬼〟に対する畏敬の念の方が強かったのかもしれん」

「と云いますと?」

「この店舗の屋号『鬼霖堂書房(きりんどうしよぼう)』の『鬼霖(きりん)』とは『伯州日野群楽々福大明神記録事(はくしゆうひのぐんささふくだいみようじんきろくごと)』という文献に登場する牛鬼(ぎゆうき)と呼ばれる鬼の怪物が巣くう山の名――大林山(おおばやしやま)の別名、鬼林山(きりんやま)から由来している。博右衛門は、なぜかその書物だけは売らずに取っていたから、何か深い思い入れがあったのだと思う」

「それこそ、その書物に己の起源を()たのではないですか?」

「そうかもしれん。しかし(たし)かなことは解らない。なぜなら博右衛門はもう()()にはいないからな」

「そうですか。それでその鬼の子孫とやらの証明はできたのですか?」

「否、(とん)とな」

 と呟きながら先生は窈然(ひつそり)(くび)を横に振った。

「ふぅむ。(さぞ)かし未練が残ったでしょうね。鬼の子孫たる証明も果たせぬまま()(せき)に入ってしまわれるとは、皮肉なものです――」

「何を云っている、博右衛門は()だ生きているぞ」

「は、はい?」

「だから博右衛門は存命している」

「え、とお亡くなりに()ったのでは……」

「誰がそんな戯言(ざれごと)を云った。博右衛門は、小生にこの店舗を任せ各地の鬼の子孫を訪ね歩き回っているだけだ。まぁ今は何処(どこ)に居るのか(しら)せも(まつた)くなく、(ほとん)ど行方知れずに近い状態だから死んだも同然かもしれんが、ちゃんと生きている筈だよ、あの御仁(ひと)は」

「あの、童遊先生。何かその、云い(よど)んでいたのはなぜです?」

嗚呼(ああ)、それは鬼の子孫などと(うそぶ)(ごう)()する博右衛門のことを、親類縁者皆(みな)して身内の恥と思ったいるので、()えて話すことでもないと思っていたからな、それだけだ」

「はぁ、そうですか。先生も博右衛門氏のことをそう思っておいでで?」

(いや)、小生にとって博右衛門は生涯を掛けての大恩人だ。嫌うなど()んでもない。娘である香子だって父である博右衛門のことは(とて)も尊敬しているよ」

「はぁ……」

 如何(どう)にも途轍(とてつ)もない肩透(かたす)かしを喰らった感じがする。

 話の出始めから何やらきな臭い様子だったので思わず聞き()してしまった。

 (まつた)く先生が鬼を題材にして小説を書いていたのは、その()ぐ傍に材料と()る資料が多分に()ったからなのだ。

 そうした私の落胆した考えを敏感に感じ取ったのか先生は、

「小生が鬼の一族などという(こう)(とう)()(けい)な題材を取り小説としたのは、(ひと)()に博右衛門の研究が()ってこそだ。あの御仁(ひと)の研究なくして『凍螂(とうろう)』以下の作品を書き上げることは出来なかった」

「下地があった分けですね。鬼のことに関する下地が」

 それこそ()(えん)という奴か――(いや)

「では先生の雅号(ペンネーム)もまた博右衛門氏の研究に(たん)を発しているのですか? それこそ畏敬の(リスペクト)的な意味を含んだ」

如何(どう)だろうな。下の名は本名を(もじ)ったものだが、姓の童遊(おになし)は小生の卑しい身持ちを反映させたものだ。畏敬の念など()んでもないことだ――」

如何(どう)いう意味です?」

 そう私が訊くと、先生はまた云い(よど)むような素振りを見せた。そして、

「簑辺君。君は〝(かつ)()〟という言葉を()っているか?」

「河童? 河童とは、(きゆ)(うり)が好物で人の尻子玉(しりこだま)を抜き、頭に皿を乗せた、あの河童ですか?」

「その河童だ」

 また(とつ)()なことを訊くものである。しかし何か思惑があってのことだろう。

 私は瞬時にそう思い、童遊先生が発する次の言葉に静観(しず)かに耳を貸すことにした。

()っての通り、河童は日本古来依()りその存在が信じられ、全国的にも一二を争う程有名な妖怪だ。一般的(ポピユラー)と云ってもいい。そしてその形態は江戸時代には、既に完成されていたと云われている。この河童は水生の妖怪視された幻獣で、中国の(すい)()(みず)(とう)水蘆(すいろ)といった水中の妖怪が日本に移入して、亀や(かわうそ)などの誤認に()る幻覚がサブリミナル的に習合されたものだと考えられている。ではその形態とは、一体如何(どう)いったものだったのか――」

「それは矢張(やは)り頭に皿を乗せ甲羅を背負ったあの緑色の姿では?」

「そうだ。しかし正確には、河童の頭部には周囲に毛があり、それこそ〝お(かつ)()(あたま)〟で頭部の上には(くぼ)みがあり水を並々と(たた)えている。軀は小児の如き体躯で背中に甲羅を背負い全身に毛を生やしている。その色は青黄色で粘膜に包まれ、手足には水掻(みずか)きがあり鼻は突き出て狗または猿に似ている。口は嘴のような形をしていて、臀部には三つの肛門があり、短い尻尾を持っている――これが河童と呼ばれる妖怪の主な形態だ」

 先生は一呼吸置いた。そして、

「では簑辺君。この河童の形態話を聞いて、なぜ河童が〝(かわ)〟の〝(わらし)〟なのか解るかね?」

「……それは河童の頭が〝お(かつ)()(あたま)〟で(からだ)もまた子どものようであるから、としか……」

「そうだな。一般的な認識に()いて河童は、子どものような(なり)をした河に棲む妖怪だから〝河童〟なのだと思われている――」

「違うのですか?」

「大いに違う。いいか簑辺君。河童はな、〝(かわ)〟に棲む〝(いや)しい〟ものだから〝(かつ)()〟なのだよ」

「い、意味が解りません」

 如何(どう)いう意味だろう? 〝河〟に棲む〝卑しい〟ものだから〝河童〟とは――。

「簑辺君、()く考えてみ(たま)え。君はさっき小生に河童のことを問われて何と答えた?」

「それは、その(きゆ)(うり)が好物で人の尻子玉(しりこだま)を抜き――」

「――()()だよ。河童が〝河童〟たる()(えん)は」

「し、尻子玉(しりこだま)を抜き――という(ところ)がですか?」

嗚呼(ああ)(まさ)しく。河童の名の由来はその形態にあるのではなく、その生態にあるのだ」

「生態?」

「河童の生態――(いや)(しよ)(ぎよう)と云い変えてもいいだろう――は、主にその(あく)(ぎよう)()きる」

(あく)(ぎよう)……尻子玉(しりこだま)を抜くような?」

「そうだ。河童が人間の肛門から抜き出す尻子玉(しりこだま)とは、生き肝のことを云う。生き肝とは、つまり内臓のことだ。これを抜き取られたら人は容易に死んでしまう」

「それは――」

 ――そうだろう。内臓を抜き取られたら死んでしまう。しかし肛門に水掻(みずか)きのついた手を突っ込まれた時点で絶命しても可笑(おか)しくない筈だ――などと想像し、私はひとり慄然(ぞつ)とした。

「その他の河童の(あく)(ぎよう)には、人の飼う牛や馬などを水中に引き摺り込んで殺してしまったり、それこそ人間の子どもなども引き摺り込んで溺死させたりと、人に害を及ぼす水難的行為が目立つな」

()んでもない奴ですね」

()んでもない奴だよ」

 童遊先生は、翁面を揺らし私の言葉に安然(ゆつくり)と同意した。

「このように人の()から見ても――(いや)、人の()で見ずとも河童が人に及ぼす行為は、正しく〝卑しい〟姿に映る。つまり河童とは【川や水辺に棲む卑しい奴】という意味なんだ」

「なるほど。しかしその河童と先生の雅号(ペンネーム)と何が関係しているのですか?」

「あるよ」

 先生は云った。

「――次は(しゆ)(てん)(どう)()を例にとってみようか」

「何です? また(やぶ)から(ぼう)に」

「まぁ聞き(たま)え。小生の雅号(ペンネーム)が持つ意味を()りたいのだろう?」

「はい。(もち)(ろん)

(しゆ)(てん)(どう)()――これは云わずと知れた(おお)()(やま)を根城にした鬼たちの(しゆ)(かい)たる大鬼(おおおに)の名だな」

「鬼たち――とは、他にも鬼が居たのですか、(おお)()(やま)には」

嗚呼(ああ)(しゆ)(てん)(どう)()にはその配下と()る鬼が居た。その名も(いばら)()(どう)()星熊童子(ほしくまどうじ)(くま)(どう)()虎熊童子(とらくまどうじ)などの鬼が――な」

「待ってください。皆〝(どう)()〟と名の付くのはなぜです? 〝鬼〟なんですよね?」

「そうだよ。鬼だ。しかも(ただ)の鬼ではない。盗賊鬼(とうぞくおに)だ」

盗賊鬼(とうぞくおに)?」

盗賊鬼(とうぞくおに)とは、小生が()み出した造語のようなものだ。まぁ指し示す意味はそのまま、人を襲って金品強奪を働く鬼のことだ」

「そのままですね」

嗚呼(ああ)、そのままだ――」

 (あつ)()()(かん)とした返答である。

「それで、その金品強奪を働く盗賊鬼(とうぞくおに)たちの名に〝(どう)()〟という言葉が入っているのはなぜなんです?〝童子〟とは子どもを指して云う言葉ではないんですか?」

「そうだな。現代語訳すれば〝童子〟とは、子どもの意と()るな。だが(しゆ)(てん)(どう)()(ひつ)(とう)とする多くの鬼たちが、盗賊として猛勢を振るった平安時代に()いてはそうではなかった。」

「別の意味があったと?」

如何(いか)にも。本来〝(どう)()〟とは、一般に寺に入って未だ(てい)(はつ)(とく)()をしていない少年を指して云っていた――」

「少年――子どもじゃないですか」

「まぁそう焦るな。(たし)かに平安初期に()いては〝童子〟とは子どもの意だった。しかし刻が経つに連れその意味は、次第に(ねん)(ぱい)(そう)をも指して云うように()ったのだ。それが〝(おお)(わらわ)〟という呼称だ。〝(おお)(わらわ)〟は、頭髪の(もとどり)が解けてバラバラになった長髪姿を云うが、大人に()っても元服せず、長髪のままで結髪もせず、()()()も被らない下層階級の人々の姿でもあった」

「つまり外見は大人に見えても容姿は子どもであった――と?」

「そうだ。また〝(おお)(わらわ)〟の類縁として〝牛飼(うしかい)(わらわ)〟という職業もあった。これは()(じん)が乗る牛の世話や口取りなどを生業とした、矢張(やは)雑役(ざつやく)の民たる大人に使われた呼称だ」

雑役(ざつやく)の民ですか」

「〝牛飼(うしかい)(わらわ)〟もまた〝大童(おおわらわ)〟同様、老人に()っても()()()を被らず、髪も後頭部で紐で結んで垂らし髪にし、当に〝(どう)()〟相応の姿をしていた。そして(おお)()(やま)(しゆ)(てん)(どう)()(いばら)()(どう)()など〝童子〟と(もく)される鬼たちもまた肩まで髪を垂らした〝大童〟の髪をしていた――」

「それが童子……」

「〝童子〟とは得てして〝卑しい〟身分の者を指して使用されていた形跡がある。それこそ金品強奪を働く盗賊や()(らい)の徒などは、平安の時代に()いて(もつと)も〝卑しい〟存在として人々から(とて)も疎まれていた……()()まで話せばもう判っただろう、簑辺君。〝河童〟と〝酒呑童子〟が持つその共通項が――」


「ど、どちらも〝(どう)〟の文字が付き……〝卑しい〟意味を持つ存在――」


「その通り」

 私が朦朧(ぼんや)りとそう呟くと先生は満足そうに首肯した。

「今でこそ〝童〟という文字は、子どもの意に捉えて使われているが、古くは〝卑しい〟存在を非難して云う際の――謂わば、差別用語的な意味合いで使用されていたのだ」

「さ、差別用語……」

「更に云うならば〝童〟という文字の語源は、古代中国に於いて【罪人】を意味してもいた」

「罪人、それは何とも」

 ――()(ぎやく)ではないか。あどけない子どもの響きなどまるで感じられない。

「漢字の原産国である中国に()いて〝童〟という文字は、酷く悪性の強い言葉として用いられてきた。その起源は古く、彼の有名な『(せつ)(もん)(かい)()』にも記載されているほどだ。それに()れば〝童〟という文字の原義は【目の上に(しん)で入墨された者】の意――つまり眉の上に針で罪人の烙印たる入墨を彫られた者こそ〝童〟なのである――と示唆されているのだ」

「で、では〝童〟の本来の意味とは……」

「罪人は()(せん)な身分の象徴的な存在だ。ならば答えは見えている」

「……〝卑しい〟である、と」

(まさ)しくその通り。そして『(せつ)(もん)(かい)()』にはこうもある。【()()はみな古の罪人なり】――つまり()()――召使いなどの賤民(せんみん)もまた罪人に等しく〝童〟の文字を中てる」

嗚呼(ああ)、召使い――賤民(せんみん)――雑役(ざつやく)の民――下層階級――()()――皆連絡している」

「そう(すべ)ては連絡している。〝童〟とは皆〝卑しい〟身持ちの存在に付けられた卑陋(ひろう)の言葉なのだ。真に〝童〟の文字を子どもに()てたいのであれば、人と交わりが出来るよう(にん)(べん)に〝童〟と書くべきなのだ。そうすれば意味だけは通る――しかし流れ()く刻の中で、本来の意味は都合能()く変換され、その意義を失った……」

 童遊先生は、()()で何かを噛み締めるかのように言葉を切った――そして、

「小生はな、簑辺君。そういった失われた意義を取り戻したいのだよ」

「意義を、取り戻すですか……嗚呼(ああ)、」

 ()()(ようや)く私は童遊麒助の名に込められた意味に思い当たった。

 〝童〟の文字とは〝卑しい〟意味である。ならば童遊とは、それを体現した雅号(ペンネーム)なのではないか。己のそれを(もつ)て、失われた意義を取り戻したいのではないか――ならば、

「せ、先生はご自分のことを卑しい身持ちと云いました。仮に〝童〟の文字が賤民(せんみん)のような卑陋(ひろう)の言葉なら――あるいは罪人のような()(ぞく)の言葉なら先生は……」

「さぁ、それは如何(どう)だろうな。ただ云えることは、〝童遊(おになし)〟とは〝卑しい〟意味たる〝童〟の文字に(ゆう)(みん)たる〝遊〟の文字を連結させた酷く手前勝手な和穆(わぼく)の言葉なのだよ――」

 それだけを云うと童遊先生は、幽々(ゆうゆう)と私を見詰めるのであった。



 私は沈黙していた。

 まさか〝童〟の字に秘められていた意味が、そんな禍々(まがまが)しいものだったとは、思いも寄らなかったからだ。

 私がいつまでも言葉を発せずにいると、(おもむろ)に童遊先生は眼前に()った湯呑みを手に取り、器用に面の(はし)を上げて茶を啜った。

 その瞬間、惘然(ぼうぜん)とする私の(がん)(かい)にほんの僅かだが先生の素顔が見えた――ような気がした。しかしそれも一瞬のことで、茶を啜り終えた先生は、()ぐ様ズレた面を元に戻し私に向けてこう云った。

「簑辺君。君は鬼とは何だと思うね?」

「は……?」

 それは私が先生に聞きたい――(むし)ろ今まさに聞いている最中の事柄(こと)であった。

 鬼とは何か――それが解らないからこそ、それに精通しているであろう先生にお窺伺(うかが)いを立てているのに、それを質問として返されるとは、一向に私は想定していなかった。

 故に、

「鬼――悪魔のようなものでしょうか……」

 などといった(ちん)()な答えしか私の中にはなかった。

 しかし先生は、

「まぁそんなものだろうよ。一般的な認識は、な」

 と私の発した言葉に同意をしてくれた。そして、

「いいかね簑辺君。君が云うように鬼とは、西洋で云う(ところ)の悪魔のような存在のことを云う。しかしそれは正解であって不正解でもある。(いや)、民俗学的側面から云えば、それは()(ごく)不正解に近い回答だ。鬼とは、そんな簡単に語れる代物ではない。それは理解してくれ」

 と静寧(しず)かに云った。

 童遊先生の言葉に私は眉間に皺を寄せながら、

「簡単に語れないとは、鬼とはそれほど厄介な存在なのですか?」

 と訊き返した。

「厄介か……それであればまだ説明の()(よう)もあるが、如何(いかん)せん鬼に限ってはそうではないのだ。いいかね簑辺君。民俗学的に云えば、鬼とは『人ならぬ力を備えたもの』であって『()く解らぬもの』なのだよ」

()く解らぬもの?」

嗚呼(ああ)、誰も鬼のことなど知らぬのだよ。鬼とは姿形の無いまさに幽鬼のようなもの、誰もその姿を見たことはないし、存在はしない」

「は、はぁ……」

 私は()く理解もせずに頷いた。

「鬼とは()く解らぬものだ。しかし一言で鬼と云っても色々あるし、鬼の姿形などは人々が勝手に想像したものに過ぎん。故に鬼と呼ばれるものは、決して人々が思い描く鬼の姿をしていない――」

「訳が解りません」

「簑辺君。君は鬼とは幽霊のことである、という話を聞いたことがあるかい?」

「いえ、初耳です」

「そうだろう。これは余り知られてないことだが、中国では幽霊――つまり死者のことを『()』――オニと呼んでいたんだ」

「はぁ――」

 初めて聞く説である。

「幽霊とは、詰まるところ()く解らぬものだろう? それはそうだ。幽霊などというものは()()めがなく、酷く不確かなものである。故に幽霊イクォール鬼の図式は、(とて)も簡略的ではあるが真っ当な答えでもある。どちらも捉え(ところ)がなく、儚いという意味では、同じ存在と云っても過言ではない」

 一呼吸置く先生。

「ではなぜ幽霊と鬼が同一視されるようになったのか……その答えは『鬼やらい』――『(つい)()』の儀式にある」

「おに、やらい。ついな」

「『鬼やらい』とは、まぁ今で云う(ところ)の節分のことなのだが、この『鬼やらい』には、方相氏(ほうそうし)と呼ばれる儀式人が現れる。方相氏(ほうそうし)は大きな、それこそ鬼の形相を(かたど)った面を被っているのだが、その起源は古代中国に存在した(こう)(てい)(きさき)『ボボ』に由来する。『ボボ』は(こう)(てい)(きさき)でありながら酷く醜い()(なり)をしていた。しかしその心根は優しく偉大な人物であっったため、夫である(こう)(てい)は『ボボ』に第一妃で死んだ『ルイソ』の(りよう)()を守護する任を与えたんだ。『ボボ』は(おもり)のような額に、(まさかり)のような鼻をして体格は大きく肌は黒かった。それ故に方相氏(ほうそうし)が被る面は、その『ボボ』の(かお)をモチーフにしているのだとされている。そして方相氏(ほうそうし)が被る面こそ鬼の原形だとも――な」

「その『ボボ』という女性が鬼の原形ですか」

「『ボボ』は夫である(こう)(てい)の命に()り第一妃たる『ルイソ』の墓を護った。では何から護ったのかと云えば、それは疫鬼(えきき)と呼ばれる化け物たちからだ。疫鬼(えきき)の中には、死んだ人間の肉体を喰らうものもいた。『ボボ』はそれらから『ルイソ』の遺体を護っていたのだ」

「『ボボ』は墓守だったのですね」

如何(いか)にも。それも偉大な――な。そしてその『ボボ』が行った墓守業こそが、後に方相氏(ほうそうし)に受け継がれ、方相氏(ほうそうし)もまた死者の墓を疫鬼(えきき)から護った。そう方相氏(ほうそうし)が護ったのは、死者の魂そのものだったのだ。そしてそれは中国で云う(ところ)の『()』に繋がる。先程も云ったが、中国では死者――つまり幽霊のことを『()』と云う。『()』を構成する字義には『(ゆう)』の文字が使われている。『(ゆう)』は『(ゆう)』に繋がり『死者』に直結する。『死者』は魂そのものだ。故に魂とは即ち『(はく)』と()る。そしてそれは我が国に於ける『(おん)』と()る。『(おん)』とは黄泉(よみ)の国のことだ。黄泉(よみ)の国は別名『(おん)(くに)』とも云う。そして『(おん)(くに)』は死者の国である――つまりは『(おに)』だ。中国では死者のことを『()』と呼び、我が国では死者のことを『(おん)』と呼ぶ。()()で『(おに)』と『(おん)』が結びつく。そうして『(おん)』が(なま)り今日で云う(ところ)の『(おに)』と()ったのだ」

「ふむ――」

 随分と遠回しな一致である。

 中国では死者のことを『()』と呼ぶ。我が国、日本では死者のことを『(おん)』と呼ぶ。それらの二つが交わりあって『(おに)』の字が、呼び名が生まれたのだと――ならば、鬼とは死者のことなのだろうか。

 私はふと湧いて出た疑問を先生にぶつけてみた。すると先生は、

(おおむ)ねその見解で間違いないよ」

 とこう云う。

 では私たちが知る『鬼』とは、一体何なのであろうか。

「先生、鬼が死者のことを云うのであれば、私たちが知る『鬼』とは何なのですか?」

「うーん、そうだな。世間一般で云う(ところ)の鬼のイメージには、仏教の影響が大きいと云わざるを得ない。そしてそれに拍車を掛けたのが『陰陽道(おんみようどう)』だ」

「陰陽道……」

「そうだ。陰陽道には『陰陽思想(おんみようしそう)』――俗に云う『陰陽五行(おんみようごぎよう)』というものがあるが、鬼のイメージには陰陽師が使用する(ぼく)(せん)が大きく関わっているのだ。つまり『(じつ)(かん)(じゆう)()()』のことだ――」

(じつ)(かん)(じゆう)()()とは、子丑寅(ねうしとら)の?」

嗚呼(ああ)(じつ)(かん)(じゆう)()()は、子丑寅(ねうしとら)……と続き、丁度鬼()(もん)と呼ばれる不吉な位置に(うし)(とら)が陣取っている」

「それは聞いたことがあります。(たし)(うし)が鬼の角を(あらわ)し、(とら)が鬼の履く下着を(あらわ)しているとか」

「なんだ、識っているのか。そうだな、世間一般の人々が持つ鬼のイメージはまさにそれだ。鬼の姿形とは、仏教と陰陽道――つまり宗教が深く関わっているのだ」

「なるほど、(しん)(ぶつ)(しゆう)(ごう)ですね」

 私は先生の言葉に独自の解釈を付け加えた。

「うん? 微妙に違うが、まぁいいだろう。古来より人々が持つ鬼のイメージには、仏教や陰陽道といった宗教が根深く関係している。鬼とは宗教が作り出した怪物でもあるのだ」

 そう云うと先生は、忽然(ぱつたり)と話を締め括った。

 そうして、その場に一瞬の静寂が訪れた――かと思えば、突如、


 ……ジリリリン……ジリリリン……――


 というけたたましいベル音が、店舗(みせ)のある方角から聴こえた。

 どうやら電話が鳴っているようだった。

 気がつくといつの間にか(ふすま)の陰にいた細君の姿がなかった。電話を取りにいったのか、と思いを巡らせていると、これまたいつ戻ったのか襖の陰にまたもや細君の姿が現れ、紙手裏剣を童遊先生に向かって投げて寄越した。すると先生はそれを拾い上げ中身を読む振りをし、

「簑辺君、君に電話のようだ。(あぜ)(くら)(しゆつ)(ぱん)さんから――」

 と私に云った。

 その言葉を受け、はぁどうも――と私は細君の横を過ぎ電話のある店舗(みせ)の方へと足を向けた。その際、細君は面と向かって人と話すことはできないのに、電話は出られるのか、などといった如何(どう)でもいいことを考え電話に出ると、編集長からの帰投命令が私に下った。どうやら突発的な編集部会議をすることになったらしい。

 そのことを童遊先生に話すと、先生は、

「早く戻り(たま)え。鬼についてのことはまた機会を改めて話してやる」

 と云ってくれたので、私は戴いた原稿に手に店舗出入り口へと向かった。

 店舗を出て行く際に先生は、私に釘を刺すように、

「簑辺君。次こそ約束通り千住庵(せんじゆあん)のどら焼きを持ってくるのだぞ。持ってくるのは二十個だ」

 としつこく云った。

 私は、解ってますよ――と云って店舗(みせ)を出た。

 坂を降り行く私の背中を先生と細君は見送ってくれた。長久(なが)いこと先生の(ところ)にお邪魔していたな、と思っていたが、外の天気は来たときと()(ほど)変わっていなかった。

 焦々(じりじり)と肌を焼く皐月晴(さつきば)れの空の下、私はまた額に汗を掻きながら坂を下っていく。また来週にもこの坂を登り降りしなければならないことを考えると(いささ)(ゆう)(うつ)な気分に()ったが、それも致し方ないことだと割り切り、私は会社への帰路を急ぐのであった。


 またぽたり――と頬に雫のようなものが落ちてきた気がしたが、私は塊然(すつかり)と前を向いて歩いて行った。 (了)



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