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空蝉  作者: その辺の人
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空蝉一

何時になったらこのうざったい暑さは何処かへ行ってくれるのだろうか。私としてはこの暑い日差しの中での登校などは拷問でしかないのであり、しかしして夏が終わって冬になればこの暑さが懐かしくなって待ち遠しくなるのだから人間の感情というのはなんとも不思議なものである。

とは言ったものの、だからと言ってじゃあこの暑さが嬉しいと感じるかと言うとそんな事は全くないのである。

近くで、或いは遠くで、或いは周り一帯で蝉が鳴いている。ご苦労様な事である。蝉が鳴いているのは求婚の為であるらしいが、では果たして結婚とは蝉にとっては一番の幸福なのであろうか。まあ、どうでもいい事である。

駐輪場には沢山の自転車が止められ、この炎天下の中で運動部が朝練をしている。私には彼らが何故そんな事をするのかがわからない。わざわざ苦労をして、一体何になるのであろう。

きっと青春の一コマが作られるとでも言うのであろう。しかし青春の一コマというのはどう過ごしたって青春の一コマなのであり、そこに付けられる幸福話もまた結局は個人の感情でしかない。本人が楽しいと感じる思い出であっても、第三者が楽しいと感じる思い出である保障はどこにもない。そんなのは本人の自由であると言うのであれば、集団行動をせずに1人で好きな事をすればいい。つまるところ、意味はないのだ。

いや、意味はある。それは周りから浮きたくないという欲求、自分を大きく、素晴らしく思わせたいという欲求から来るものである。

彼らは群れる事によって自己の存在意義を確立し、その群れの価値観に従って行動、或いは演技をする。群れの調和を乱さぬように懸命な努力をする。

しかしこれは生き物としてはきっと当然であるのだろう。生き物としては当然でないのならば、日本人の特性である。

私はそのような誰かに合わせ、自分を我慢して生きる生活などまっぴらごめんである。

いや、この言い方だと嘘、或いは戯言、或いはこれらに準ずるものとなってしまうだろう。

私はなれるのだ。そのような事は可能なのだ。ただ、それを通して感じる自分の何も無さが心地よす過ぎるのだ。心地よい所為で私はおかしくなってしまう。


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