4話
スタッフルームからフロアに戻ったら、取り敢えずカウンターに居るマスターに、急に引っ込んでしまった事を間単にだが謝った。何にせよ、数分間は仕事をサボってしまった事には変わりない訳だし…その間、現場の責任者であるマスターに迷惑を掛けてしまった。…後で、迷惑を掛けてしまった他のバイトの人達にも謝っておこう。
「まぁ、南雲さん反省してるみたいだから、今回は特に怒らないけど…二度目はないからね?」
「はい…分かってます。」
マスターの、まぁ仕方ないと割り切っている様な、呆れた様な声に、頭が上がらなくなってしまった…。自分が、一体何をしたか自覚している分、僅かながら鼻の奥がツンとなってきた。…でも、泣いても仕方がないから、腹に力を込めて涙を堪えた。
こう言う時、普段からあまり表情に変化がない身で助かったと思う。顔が歪んで惨めな顔をした所で、泣いて全てが解決すると思われるっていう勘違いされなくて済む。
「それじゃ反省がてら、あのお客様も謝ってきて…あ、勿論あのお客様のコーヒーは、南雲さんの今月分のお給料から引かせてもらったからね?」
「流石に、分かってますよ。…じゃあ、行ってきます。」
先程の事を引きずっていないとなると嘘になるが…でも、やっぱりちゃんと謝罪はしたいので…私は意を決して、先程失礼をしてしまったお客様の所まで行く事にした。
平地で、しかもたった十数歩程度の距離なのに…あんな事があった後だと、とても足が重く感じたのが、余計に気が進まなかったが…ケジメはしっかり付けるべきだろう。
何とか、そのお客様の前まで来れた私は、私の気配か何かに気付いてこちらを向いたお客様に、出来るだけ丁寧に謝罪の言葉を告げた。
「さ、先程は、すみませんでした。お詫びと言ってはなんですが、今回はコーヒーのお代は頂きません。」
「ああ、僕は特に気にしていないのですが…はい、分かりました。ありがとうございます。」
…何か、この事でこのお客様にお礼を言われるのも違う気がしたが…許してもらえて良かった。人によったら、もう二度とこの店には来てもらえないだろう失態をしてしまったのに。しかも、声が吃ってしまっている上に不慣れで拙い謝罪だ。気にする人なら、最後の最後まで気にしてしまうだろう…それでも、ここまで優しい言葉を掛けてくれる。
「そう言っていただけて、助かります。次からは、このような事が起こらないよう善処しますので…失礼します。」
そんなこのお客様の心遣いと優しさに、安心した気持ちと、心の底からお礼の言葉が出てきた。
ううん…でも、あまりこんな風な事態に遭遇しないから、謝罪からの返しが上手くいかなかった…どうしよう。暇な時間に、マスター辺りに教えて貰おうかな?…何にしても、『次』はないと言う事を肝に銘じとかなきゃ。
『次』がない事を頭にいれつつも、先程の失敗を引きずらないよう心掛けながら、その後の仕事は…本調子とはいかなかったものの、まぁ個人的に及第点な働きは出来たと思う。伊達に一年近く、このお店で働いていない。
そんな評価を個人的にしつつ、バイトのユニフォームから学校の制服に着替えて、バイトの同僚に今日の謝罪をし、軽く挨拶をしてからバイトを上がる。
暖かくなってきたとはいえ、やはり日が落ちると肌寒い…帰りに温かい飲み物とかでも、近くのコンビニで買って帰ろうかと考えていたら…コンビニの店内に、見覚えあるシルエットが見えた。
「あ、あのお客様…。」
どうやらあのお客様も、コンビニで買い物をしているらしい…そう分かったら、何だか親近感が湧いてきた。暖かい様な、ホッとしたような、そんな気持ちが、心の底から湧いてきた。
お客様の日常生活を、ちょっとだけ見えたってだけで湧き上がってきたこの感情に、戸惑いを感じたが…それも、恐らく些細な事なのだろう。すぐに落ち着いた。
それもその筈だ。店ではお客様とアルバイトの店員という間柄ではあるが、その枠を取ってしまえば、あの人と私には何の接点もない。精々、私と彼の年が近い程度だろう…。
しかも、私は今は店のユニフォームではなく、学校の制服に着替えている。…髪型とかは流石に変えてはいないが、かといって即座に私だと理解するのは難しいだろう。
「…そうだ、今日は温かいほうじ茶を買って帰ろう。そして、何か甘いモノを買って帰ろう。」
コーヒーや紅茶では、カフェインの関係で目が覚めてしまいそうで…今日は色々あって疲れたから、家に帰ってご飯食べて、自分の部屋で甘いものを食べてホッと息が吐いてから、宿題とか予習復習とか気にせずに、さっさとお風呂に入ってすぐに寝たかった。
ほうじ茶を買うのは決定として…ほうじ茶に合わせるなら、和風のテイストのお菓子の方が良いだろう…確か、あのコンビニには美味しそうなクリームあんみつが売っていた筈だから、それを買おう。
あのお客様がまだ居る事に、ちょっとだけ気が進まなかったけど…ここで足踏みをしても仕方ないから、そのままコンビニへ足を進めていった。