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Satellite(3)

 奏はある建物の中を走っていた。走るたびに風景が移り変わっていって、そこがどこなのかわからない。小さい頃に出かけた区の公民館や、子どもの頃に通った小学校の校舎に変わったりした。

 建物に窓は無く、現在が昼なのか夜なのかもわからなかった。光沢のある床は張り替えたばかりなのか、油とゴムが混じったようなにおいがした。一歩踏み出すたびに靴底のゴムがこすれて耳障りな音をたてる。それが奏にとって不快だった。

 奏は誰かから追われるように走っている。延々と続く薄暗い廊下をしばらく走ると、扉を発見した。奏は立ち止まり、その扉に手を伸ばした。立て付けの悪い扉を開くと、その向こうは学校の教室になっていた。

「ここは僕のクラスの教室か……?」

 目の前に広がっていたのは、見慣れた光景だった。真っ白な天井と壁に覆われた部屋。グレーのカーペットの上に二人用の机が並べられている。教卓のあたりには100インチの電子黒板が置かれている。一通り教室を見渡した奏は、自分の机の上に座る一人の男の姿に気がついた。

「よう、遅かったな」

 男はそう言って振り返った。そこにいたのは天貝仙太郎だった。仙太郎は長い足を組んで、机の上に土足を乗せていた。鋭い目つきに射すくめられて、奏は勢いよく教室を飛び出した。

「何であいつがいるんだよ」

 奏はさっきまで走ってきた廊下を慌てて戻った。再び薄暗い廊下を走る。天貝仙太郎のいない場所へ行かなければ、奏はそれだけ考えながら、ひたすら足を動かした。曲がり角を折れて、階段を上ろうとする。しかし、そんな奏の目の前に再び何者かが立ちはだかった。

「逃げるな、家守奏」

 階段の踊り場に、さっきまで教室にいたはずの仙太郎が立っていた。奏は恐ろしくなって、仙太郎から逃げるように階段を駆け下りていった。

「冗談じゃない、冗談じゃない……」

 奏は呪文を唱えるように呟きながら、別の教室へ飛び込んだ。そしてすぐに扉を閉め、鍵をかけてしまった。完全に扉を固定してしまうと、ようやく一息つくことが出来た。走りっぱなしだった奏は、その疲れと焦りから呼吸が乱れている。奏は息を整えて、ゆっくりと振り返った。

 闇雲に飛び込んだ部屋は学校の教室では無かった。十畳程度の和室となっていて、古びた畳の上に絵本やぬいぐるみが散在していた。

 奏は畳の上を歩いた。切れかけた電灯があたりをわずかに照らしている。天井には古びた木板がはめ込まれ、不思議な木目模様が出来ている。部屋には物干し竿が設置されていて、そこにくたびれた布が何枚も干してあった。奏は何気なくそれを手に取った。

「なんだ、これ……」

 それは時計だった。溶けかけたチーズのように形が崩れた時計。美術の授業でこんな時計を見たことがあった。ダリという画家が描いていた絵に、こういうくたくたに歪んだ時計が出てきた。それが部屋の物干し竿に何枚もかけられていた。長針と短針があるが、それもすっかり歪んでいてとても時計として機能するような様子では無かった。

 奏は時計を物干し竿に戻した。するとその時、部屋の隅から物音が聞こえた。奏が音のする方向へ振り返ると、そこに一人の男が座っていた。

「ったく、こんなところまで逃げやがって……」

 そう言って立ちあがったのは、また天貝仙太郎だった。扉から逃げようとする奏だったが、さっき鍵をかけたはずの扉はもうそこには無かった。奏は振り返って、仙太郎に向かって言った。

「何なんだよ、お前は。どうしてこんなところにいるんだ」

「どうだっていいだろ、そんな事」

「どうでもよくない! 何が目的なんだ、僕に何の用なんだよ!」

「本当に、お前はこのままでいいのか?」

 仙太郎は奏の問いを無視して、そう言った。

 電車が通過したような物音が聞こえて、部屋の電灯が激しく揺れた。物干し竿に下げられていた布のような時計は、その振動で何枚か畳の上に落ちた。仙太郎は落ちた時計を拾い上げた。すると不思議な事に、その時計は息を吹き返したように動き始めた。

「いつまでも、そのままでいられないことは、お前自身が一番よく知っているはずだ」

 仙太郎が言うと、再び部屋が揺れた。今度の揺れはすさまじかった。奏は立っていられなくなって、その場に膝をついてしまった。しかし仙太郎は、この揺れにも表情を変えずに立っていた。仙太郎はいつの間にか右手に拳銃を構えていた。

「お前は一度死ぬ。死んで生まれ変わる」

 仙太郎はそう呟いて、奏の元に近づいて来る。まだ部屋は揺れている。奏は立ち上がることも出来ない。

「やめろ! やめてくれ!」

 そう叫ぶ奏に向かって、仙太郎は拳銃を向けた。そしてゆっくりと引き金を引いた。



          ◇◇◇



「兄さん! 起きてください」

 耳元で甲高い声が聞こえた。その声を聞いて、奏の意識は急速に覚醒していった。ゆっくりと目を開けると、目の前に琴音の顔があった。琴音は心配そうな表情で奏の顔を覗き込んでいた。

「兄さん、大丈夫ですか?」

 奏は部屋のベッドに仰向けで寝ていた。窓の外から朝日が差し込んでいる。琴音はベッドの上に乗り、必死に奏の肩を揺さぶっていたようだ。

「どうしたんだよ、朝から」

「兄さん、すごくうなされてたんですよ? だから私、心配になって……。平気ですか? 怖い夢、見たんですか?」

 本気で心配しているのだろう、琴音はベッドの上に乗り、覆い被さるようにして奏の顔を覗き込んでいる。右腕を動かすと、エプロン姿の琴音の胸のあたりに肘が触れた。

「近いよ、琴音」

「あっ、ごめんなさい……」

 琴音は我に返って、慌ててベッドから降りた。時計を見ると、八時を回ったところだ。今日は日曜日で学校もない。体を起こすと、頭の奥がちくりと痛んだ。ついさっきまで見ていた妙な光景を思い出す。あれは全て夢の出来事だったと知って、奏は心からほっとした。

「朝ご飯が出来ましたよ、あの、温かい方がおいしいと思うので……」

「わかったよ」

「あの、今日の食卓はですね――」

「わかったって、着替えたら行くから」

「はい、わかりました……」

 琴音はそう呟いて、そそくさと部屋から出て行ってしまった。


 夢に出てきたのは昨日出会った妙な男だった。天貝仙太郎と名乗り、自分を「タイムトラベラー」だと語る変な男。奏とは初対面のはずだが、仙太郎は何故か奏の名前を知っていた。それが不気味だった。

 奏はしばらく考え込んだ後、部屋のテレビをつけた。そしてチャンネルを変え、朝のニュースを映した。


―ー東京都千代田区 蔵前橋通りの交差点で追突事故 3人が重軽傷


 そのニュースは全国報道されていた。あの時奏が目撃した事故は、やはり現実に起きた出来事のようだった。奏の携帯にはその事故を予告したメッセージも配信されている。奏は枕元の携帯を手に取ってみた。何も変わったところはない。使い慣れた携帯のはずだった。

 昨日から、奏の未来予報配信が変になっている。昨日受信した「天貝仙太郎と出会い頼み事をされる」という予報についてもそうだ。予報は確かに現実のものになった。しかしこれが今までの予報と違う点は、回避することが出来なかったという点だった。普段なら未来と違う行動を取れば、どんな嫌な予報であろうと回避することが出来た。しかし「天貝仙太郎という男に会う」という予報だけは、何をしても覆らなかった。変えようとする度に、無茶苦茶な未来が予告され、それが昨日の自動車事故に繋がっていった。

 あの予報は何だったのか、奏は考えたがわからなかった。天貝仙太郎と名乗った男は、何か知っている感じだったが、もう彼と関わりたくもなかった。


 奏はテレビを消して、リビングへと向かった。食卓では、ちょうど琴音が奏の分のご飯をよそってくれるところだった。

「おはようございます。さあ、座ってください」

 琴音はそう言って椅子を空けた。

 朝食は目玉焼きとサラダ、それと焼き魚だった。椅子に座って食卓を眺めてみると、焼き魚が三人分用意されていた。奏は味噌汁を用意している琴音の背中に向かって声をかけた。

「どうして魚が三つもあるんだ」

 奏が尋ねると、琴音は振り返った。

「あ、兄さん、それはですね――」

 琴音がそう言いかけると、リビングの扉が勢いよく開いた。その音に驚いて、奏は振り返った。

「ふぃ~、いい湯だった。久しぶりの風呂は気持ちがいいな」

 扉の向こうから、タオルを頭に巻いた男現れた。男は堂々とした足取りでこちらに歩いてくる。奏は持っていた箸を床に落とした。口を開けたまま、何も言葉が出てこない。その男は奏に気づくと、にやりと笑った。

「兄さん、この人は、今日から私たちの面倒をみてくれることになった、天貝仙太郎さんです。父さんの遠い親戚の人なんですよ」

 琴音はそう言って仙太郎を紹介した。

「お前……」

 奏は仙太郎を睨みつけた。仙太郎は涼しげな顔で口笛を吹いていた。その様子を見て、琴音は首を傾げた。

「兄さん? 仙太郎さんを知ってるんですか?」

 琴音が尋ねると、仙太郎が横から口を挟んでくる。

「いやいや、初対面だよね。奏クン」

 仙太郎は意味ありげに口元をゆがめた。奏は琴音の様子をうかがったが、琴音はすっかり仙太郎を信用しきっている様子だった。

「はあ……、そんな感じ、ですかねえ」

 奏が言うと、琴音は嬉しそうに両手を合わせた。

「良かったです。じゃあ仙太郎さんも朝食どうぞ、用意は出来てますので」

「琴音ちゃん、ありがとう」

 仙太郎はそう言って、奏の隣に立った。

「これからも、よろしくね! 家守奏クン」

 そう言って仙太郎は右手を差し出した。嘘くさい演技だと、奏は思った。琴音は安心しきった表情で二人のことを眺めている。奏は仕方なく立ち上がって、仙太郎の手を取った。二人はしっかりと握手をした。そして仙太郎は笑顔のまま、奏の耳元でささやいた。

「そういう事だ、このクソガキ」

 奏は仙太郎の顔を睨みつけた。しかし、仙太郎は涼しげに笑っているだけだった。






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