Satellite(2)
2045年の宇宙には、未来予報衛星という人工衛星が周回している。
1号機が打ち上げられたのは5年前、2040年の出来事であり、現在ではその数は123機に上っていた。
未来予報衛星は、別名「衛星型巨大演算装置」と呼ばれ、高速演算をするためだけに宇宙空間へ打ち上げられた。それらは休む間もなく、膨大なデータを処理し続けている。
その衛星が計算するもの、それはこの世界の未来だ。
未来を計算する演算システムを確立させたのが日本の科学者、天貝准。
天貝博士の開発した人工衛星型未来予報計算システムは、円柱状の衛星の形状と天貝博士の名字からA-cylinderと命名された。
A-cylinderには学習期間というフェーズが設けられており、この学習期間に無数のパターンの未来シミュレートと、現実の結果との照合が行われる。
そして最も正確な計算結果が得られたデータを引き継ぎ、次の計算処理のインプットとする。このサイクルを衛星型の強力な演算装置で繰り返すことで、予報精度を格段に上げることに成功したのだ。普通の高校生である家守奏も、そのくらいは常識として知っている。
A-cylinderの最大の特性は、インプットとなるデータのフォーマットは問わないという点だった。自由度の高い入力インターフェースは、どんな些細なデータでも収集可能としており、その特性が予測不可能とされている未来を高い精度ではじき出すことを可能とした。
この未来予報システムが、世界に与えた影響は大きかった。
日本のもつ精度の高い未来予報データは各国から危険視され、他国もその後を追って次々と未来予報衛星の打ち上げ、研究を進めていった。宇宙空間には様々な衛星が混在するようになったことには、そういう背景がある。
そして2041年、国際法で未来予報データを特別なデータとして管理することが決定された。先進国が連盟となりデータの管理に加わった。未来予報データの運用は、連盟の中で決定され、情報にはレベルが設定された。
一般人が知ることが出来るのは「パーソナルレベル」と呼ばれる自分自身に関する無害な未来のみとされた。これが現在の国民のほとんどが「未来予報」と呼ぶデータのことだった。
この未来予報データを配信するサービスを提供したのが、米国のSecondSightという企業だった。
その企業が提供する予報配信サービスSecondSight(社名のまま)は、僅か1年で全世界に普及した。
◇◇◇
奏は公園のベンチに座り、空を見上げていた。
生い茂った葉が空を覆い尽くしている。この木々に満開の桜の花が咲いていたのは、もう二ヶ月以上前のことになる。桜の木はすっかり夏仕様となった。深緑の葉の間から、透明な青空が見える。さすがにこの時間帯は、宇宙空間を周回する衛星を見ることは出来なそうだ。
未来予報技術による産業の発達は、21世紀の最大の革新だと言われた。
情報に誤差はあるが、未来のトラブルが通知されることで事故は激減した。世界の紛争、災害も高い確率で予測可能となり、人々の都合の良いように未来を操作出来た。こうして、未来予報はわずか数年で人々の生活様式すら変化させてしまった。
もちろん奏も例外ではなかった。
奏の一日の行動は、未来予報配信にべったり依存している。
もちろん、配信される予報はパーソナルレベルのものだが、十分過ぎるほど有益な情報だった。一日の予定すら予報頼みになっているし、それに疑問も抱いていなかった。むしろ、予報が来ないと、奏は自分が何をしたら良いかわからなくなるほどだった。
奏はベンチの背もたれに寄りかかりながら、携帯を眺めた。
「それにしても、今日は予報配信が少ないな」
奏は小さな声で呟いた。
普段なら、1時間に1通は未来予報を受信していたはずだが、今日は昼ご飯に関する予報以来、メッセージを受信していない。未来予報を参考に一日の行動を決めようと思った奏だったが、どうも予報配信の調子が悪い。
「とりあえず駅の方に行ってみるか」
そう呟いて、奏はゆっくりと立ち上がった。
目的も無く街を歩くこと。奏にとって、その行動は休日の日課となっていた。外に出れば何でもあるし、十分な小遣いも与えられている。それは毎月の休日を外で過ごすには十分過ぎる額だ。
大抵の休日は外で過ごした。平日の大半を学校で過ごしていることを考えると、今のマンションは奏にとって寝るだけの場所だった。
マンションには、実質、妹と二人っきりで暮らしている。
父親は忙しい人で、マンションに顔を出すことはほとんど無い。去年などは年末しか家にやってこなかった。母親も今はいない。そのため家事全般は琴音がやってくれていた。
琴音はこうした家の仕事をしながら高校受験し、今年、奏と同じ高校に入学した。
成績から考えれば、奏の通う高校よりも、もっと高いレベルの学校へ行けるはずだった。しかし琴音は敢えて奏と同じ高校を進路に選んだのだ。
「わたし、兄さんと同じ高校を受験するんですよ! 受かったら春から一緒に学校に行けますね」
琴音は笑顔でそう言った。
しかし、嬉しそうな琴音とは反対に奏の気分は重かった。
決して口には出さないが、妹に下のレベルに合わせられること。それは奏にとって憂鬱なことだった。入学後も、学年トップを維持する琴音の噂を聞く度に暗い気持ちになる。
琴音が何故か自分を慕ってくれていることは、奏もよく知っていた。しかし、奏はそれに応えなかった。
同じ高校なのに、兄妹の間で学校の話をすることもないし、一緒に学校へ行くこともない。高校の合格発表の時も、「おめでとう」の一言さえ、琴音に言っていなかった。
しかし、これを「兄妹仲が悪い」と決めてしまうのは少し理解がずれている。これは「ただ一方的に奏が妹を避けている」だけで、はっきり言ってしまえば、奏が単純に妹に遠慮しているに過ぎなかった。
それは奏も、おそらく琴音も知っている。
◇◇◇
公園を出て、奏は中央通りを歩いていた。通りは通行人で溢れている。奏は人混みに混じって通りを歩いた。休日は一部区間が歩行者天国となっており、とにかく賑やかだった。
店頭から賑やかな音楽が流れ、毎日お祭りのような賑やかさで溢れていた。歩く人々の年齢や格好はバラバラ。地方からも様々な人々が観光に来ている。こうして人が多く集まれば、その分、変わった連中も集まってくる。
奏はふと、路肩に止まる黄色いワゴン車に目を止めた。そのワゴン車には、大きな横断幕が掲げられている。
「未来予報システムの廃止 子どもたちの安全な未来を」
そう書かれたメッセージは、その団体のスローガンのようだった。
黄色いジャンパーを着た老人が、ワゴン車の上に昇り演説をしている。彼らは未来予報反対を掲げていた。
ここ1年で、こうした未来予報反対運動は活発になっていた。
過激派のグループはSecondSightの日本支社に刃物を持って暴れたり、爆破テロを(幸い死傷者はいなかった)を起こしたりして、世間の印象はすこぶる悪い。
奏は演説するワゴン車の前を通りながら、再び予報配信サービスが来ていないか確認した。しかし、13時になった今も、まったくメッセージは受信していなかった。
奏がしかめっ面をしたまま携帯をいじっていると、突然横から声をかけられた。
「あなた、未来予報についてどう思いますか?」
そう尋ねてきたのは、黄色いジャンパーを着た中年の女性だった。
突然声をかけられた奏は、自分に話しかけているとは思わず、後ろを振り返った。
「あなたですよ、あなた。携帯で何を見てたんですか」
「別に」
「別にってことおはないでしょう。あなたもSecondSightを利用してますか?」
「さあ」
「さあって、どういうこと? まあいいわ、利用してるってことね。今、高校生の8割は何らかの未来予報サービスを利用しているといいます。あなた未来予報についてどう思いますか」
「どうでもいいです」
奏は携帯をポケットにしまいこみ、早歩きでその場を立ち去ろうとした。
しかし、その女性は慌てて奏を引き留めた。
「どうでもいいってことはないでしょう。あなた未来の予報を受信して、簡単に未来が変えられると思っていませんか」
「思ってるけど」
「その考えが間違っているんです。本来、人というものは、未来に捕らわれず、今を忠実に生きることが――」
「すいません、用事があるんで」
奏は女性の手を振りほどいて、人混みをかき分けながら道路を走った。
◇◇◇
「何だよ、気分悪い……」
しばらく走った後、奏は路肩で息を整えていた。もう一度携帯確認したが、未来予報は受信していない。
「どうして何もメッセージがないんだよ」
奏はメッセージの問い合わせをした。しかし何度問い合わせても、「現在の未来予報メッセージはありません」の文言が返ってくるだけだった。
普段だったら、ああいう妙な勧誘を受けることも事前に予報されていたはずだ。それなのに、今日に限って奏の携帯は何も反応していない。奏は何かの不具合でサービスが停止しているのではないかと心配になったほどだった。
奏は近くの街路樹の下で立ち止まり、SecondSightのサイトにアクセスしようとした。その時、奏の携帯がようやく反応した。
急いで携帯を確認すると、1通の予報配信が送られてきた。
「やっと来た、不具合じゃなかったんだ」
奏が受信した未来予報メッセージを開封すると、ディスプレイに無機質な文字列が並べられた。
14:10 あなたは中央通り住吉ビルの喫茶店に入ります。
14:11 あなたは喫茶店で天貝仙太郎と会います。
14:15 天貝仙太郎はあなたに頼み事をします。それはあなたにとって好ましくないものです。
「天貝仙太郎……? 誰それ」
それは見慣れない名前だった。
ネットで調べてみたが、該当する有名人はいない。自分の記憶を探ってみたが、心当たりは全く無い。メッセージの文面から察するに、あまり良い予報では無さそうだ。
現在の時刻は14:05。予報に示されている喫茶店に入ろうとした奏だったが、予報を見て、その前を素通りすることにした。
「変な予報……」
奏はそう呟いて予報メッセージに対して、自分が取った行動を返信した。
SecondSightでは、予報に対して行動の結果を返信をすることで、次の予報を受信する仕組みになっている。これで未来を変えた後の予報も正しく受け取ることが出来る。返信を終えた奏は、中央通りを進み、歩行者天国を抜けた。
交差点の信号で立ち止まり、次のメッセージを待っていると、次の予報はすぐに返信された。奏はさっそくメッセージを開封した。
14:12 あなたは中央通りの横断歩道で通行人とぶつかります
14:13 地面に座りこむあなたは、天貝仙太郎と会います。
14:17 天貝仙太郎はあなたに頼み事をします。それはあなたにとって好ましくないものです。
「また天貝仙太郎!?」
書かれていたのは、一つ前に受信した予報とほとんど同じ内容だった。
さすがに奏は気味が悪くなった。目の前の信号が青になったが、奏は小走りになりながら予報の横断歩道とは別方向へ走った。
「何だよコレ……、気持ち悪い……」
奏は急いでメッセージに返信した。
返信を終え、息を切らして走る奏の目の前にコンビニが見えた。
「とりあえず、店の中に入ればいいや」
奏はコンビニの入口前に建った。しかし奏は念のため、一瞬だけ予報配信を待った。すると、今回もまたすぐに返信が返ってきた。
14:14 あなたは蔵前橋通り前のコンビニで通り魔に襲われます。
14:41 あなたは病室のベッドで、天貝仙太郎と会います。
14:42 天貝仙太郎はあなたに頼み事をします。それはあなたにとって好ましくないものです。
「通り魔……、病院!?」
そのメッセージを見た奏は、急いで時刻を確認した。
現在時刻は14:12。約1分後、奏は通り魔に襲われる。
奏は慌てて周囲を覗った。道をたくさんの人が歩いている。この中に通り魔がいるかもしれない。そう考えると、奏は背筋が寒くなった。目の前にタクシーが通りかかったのを見て、奏は手を挙げた。
「すいません、ここから離れてください」
タクシーに乗り込むと、奏は運転手に向かってそう告げた。
「え? 離れるって……」
「とりあえず、秋葉原の駅前まで、お願いします」
奏が告げると、運転手は渋々頷いた。その時、携帯が再びメッセージを受信する。
14:16 あなたの乗るタクシーは台東1丁目の交差点でダンプカーと衝突します。
14:21 切断されたあなたの右腕を、天貝仙太郎が運んできます。
14:22 天貝仙太郎はあなたに頼み事をします。それはあなたにとって好ましくないものです。
切断。
その異様な単語が奏の目から離れなかった。
「すいません! 車、止めてください! 今すぐに」
「ああ、そんなこと言ったって」
「いいんです! 早く」
奏は運転手に千円札を渡し、タクシーを飛び出した。運転手が呼び止める声が聞こえたが、奏は振り返らなかった。
「何だよ、一体何が起きてるんだ」
奏は一心不乱に走った。
そして走りながら、交差点の前で携帯を取りだした。その直後、耳を裂くようなクラクションがあたりに響く。
そして顔を上げた奏の瞳に、その一部始終がはっきりと映った。
高架下の交差点に、赤信号を無視したダンプカーが突然現れた。それは突然現れたとしか表現出来ないほど、スピードを出していた。
そしてそのダンプカーは、交差点を通っていた普通乗用車に側面から衝突した。
衝突された普通乗用車は歩道まで弾き飛ばされ、近くの電灯に激突。ダンプカーはそのまま高架柱にぶつかって止まった。車体のぶつかる鈍い音。それはまるで別世界の音のように聞こえた。
奏は、ただ呆然とその光景を眺めていた。
「何だよ、それ……」
奏は携帯を持つ腕をだらりと垂らした。
放心状態で、手にした携帯すら地面に落としてしまいそうだった。
あのままタクシーに乗っていたら――。
そう考えると、背筋が寒くなった。
あたりには、タイヤの焦げたにおいが充満している。後続の車は停車し、道路は混乱状態になっていた。
あたりに怒号が飛ぶ。歩道に弾き飛ばされた乗用車から、血まみれの運転手が救出されていた。運転手は意識を失っているようで、地面に横たわったまま動かない。タクシーを降りなかったら、自分があの立場になっていたのだ。
「そ、そうだ、早く次の未来予報を……」
奏が思い出したように携帯を取り出して、結果を返信した。
そして祈るような気持ちで、予報を待っていると、突然、背後から肩を叩かれた。
心臓が口から飛び出てくるかと思った。あわてて振り返ると、奏の背後に一人の男が立っていた。
「命拾いしたなあ、オイ」
そこに立っていたのは背の高い中年男だった。
すらりとした細身のスーツを着こなしている。その風体は、会社員というよりホストクラブの店員のように見える。年は30歳前後だろう、シャツの袖から銀色のカフスと、高級そうな腕時計が光っていた。
くっきりした眉。眉間のあたりは皺が刻み込まれている。険しい顔つきだが、口元には怪しい笑みを浮かべていた。
「もう未来予報サービスなんて見なくても平気だぜ。あのまま俺を避けてたら、もっと非道い未来に巻き込まれてただろうな。こっちから出向いてやったんだ。感謝しろよ」
「僕を知ってるの……?」
「家守奏だな」
「どうして名前を?」
「うるせえ! 俺が話してるんだ、質問すんな!」
男はビシッと奏の目の前に人差し指を立てた。
そのしゃべり方は粗暴で偉そうだった。奏の苦手なタイプだ。奏はじろりと男の顔を睨んだ。しかし男は奏の反応など全く気にしていない。そういう態度から、自己中心的な性格がにじみ出ている。
そして、男は腕組みしたまま、こう言った。
「俺は天貝仙太郎、45年後の世界からやって来たタイムトラベラーだ」
その一言を聞いて、奏は口をあんぐり開けた。
仙太郎と名乗った男は、相変わらず不敵な笑みを浮かべている。本気で言っているのだろうか、冗談だとしてもあまりに唐突で笑えない。
奏は不審そうに仙太郎の顔を眺めた。
「タイムトラベラー……?」
「うっせえな、言葉の通りだよ。ガキはこのくらいの英語もわからないのか。直訳すると時間の旅行者って意味でな、ここでは――」
「違う! そういうことじゃなくて……」
「じゃあ理解したってことでいいな」
仙太郎は面倒くさそうな顔をして、小指で耳の穴を掻いていた。奏はただじっと仙太郎のことを見ていた。
これが再三の未来予報で告げられた、天貝仙太郎という人物のようだった。何度未来を変えても、この男に会う事実は変わらなかった。
さらに目の前で起きた大事故に、危うく巻き込まれるところだったのだ。次々と起こる事態に奏の頭は混乱していた。しかし、仙太郎はそんな奏の様子など気にせず、こう続けた。
「いつの時代だって、未来ってのは明るくないといけないんだ」
仙太郎は、小指に息を吹きかけながら言った。そして耳の穴をほじった右手を、奏に差し出した。
「俺と一緒に未来を変える手伝いをしろ!」
未来予報の返信はまだ来ていなかったが、一つだけわかりきっている事があった。
それは、この男、天貝仙太郎の頼み事が、奏にとって非常に好ましくない事であるという事実だった。