Satellite(1)
――あれから5年 未来予報研究の第一人者 天貝教授失踪事件 未だ解決せず
2040年7月3日。その日、天貝教授はいつものように自分の研究室に籠もり、研究を続けていた。
周囲との接触を一切断ち、部屋に一人籠もって研究を続けるというのは、教授の研究スタイルだった。大学でもその姿を見かける人間は少なく、モグラのような生活を送っていたが、偶然にもその日だけは守衛の男性が教授が学校から出て行くのを目撃していた。そして、それが天貝教授を最後に目撃した証言となった。
――途絶えた消息 謎の消失
大学を後にした天貝教授は車で自宅へ向かったはずだった。しかし、その車は近所の空き地に乗り捨てられており、足取りはそこで途絶えていた。
何らかの事故に巻き込まれた可能性があるとして行方を調べた警視庁だったが、その捜査でも博士の足取りは掴めなかった。
天貝准30歳。最年少で博士号を取得した天才科学者。
25歳の若さで「未来予報理論」を発表。以降、未来予報研究の最前線で活躍し、今日の未来予報システムを作り上げた。
研究に身を捧げた人生で、身内は一人もいなかった。大学以外での交友関係も無く、その消息はまるで煙のように消えてしまった。
天貝博士は未来予報理論発表後も精力的に研究を続けていたが、その成果が公にされることはなかった。なお、同大学の関係者は――
そこまで記事を読んで、男はその週刊誌を閉じた。
駅のホームには一台の鈍行列車が停車している。乗客はまばらで空席が目立った。平日昼間の列車はどこもこんな感じだろう。ほとんどが年配の乗客で、その中には、営業とおぼしきサラリーマンの姿が混じっていた。
男はホームのベンチに座ったまま、静かに目を閉じた。
先週発売の週刊誌に書き連ねられていたのは、無意味な記事ばかりだった。教授の失踪事件の核心には触れられず、語られる予想はどれも憶測の域を出ていない。
この事件のために与えられたスペースは僅か1ページで、この他に事件を論じるメディアはない。このまま事件が風化してしまうことは明らかだったし、事実そのようになった。男はそのことをよく知っている。
発車のベルが鳴り終わり、停車していた列車は、ゆっくりと動き始めた。その長い車両がホームから消えてしまうと、生暖かい夏の風が男の目の前を通りすぎていった。線路の向こうは繁華街になっていて、道路は人で溢れていた。
七月の風は、都会の熱気をたっぷりと含んでいた。暑さに耐えられず、男は新品のスーツを脱ぎ、ベンチの背もたれにかけた。いつもの癖で何気なく腕時計に目をやったが、時計の針は停止していた。
「まあ、そりゃ壊れるよな」
男はぼそりと呟いて、腕時計を外した。
修理に出そうにも、替えのパーツはおそらく存在しない。男は懐に手を入れると、そこから新しい時計を取り出した。それはほんの数時間前に、近くの時計店で20万円ほどで購入したものだ。新調した時計は銀色の光沢を放っている。男は改めて、今日の日時を確認した。
2045年 7月7日 14時13分
時計の針はしっかりと時間を刻んでいる。これが2045年の時間だ。
時刻を確認すると、男は立ち上がった。そして、壊れた時計は左手に持ち替え、近くのくずかごに捨ててしまった。
「やっぱり、未来は明るくないとな」
男はそう言って、改札階へ向かって歩いていった。
◇◇◇
家守奏がその光を見たのは、数日前のことだった。
日が暮れかけた時間帯、何気なく見上げた空に、くっきりとした光が動いていた。それはとても不思議な動きだった。まるで何かメッセージでも伝えるように、遠い空を円を描くように旋回し、時にジグザグに動いたりもした。
星でも無いし、飛行機とも少し違う。携帯のカメラを起動しようとしたが、気がつくとその光は消えてしまっていた。
奏は普段、空など見ない。飛行機にも鳥にも興味は無いし、星の名前さえ10個覚えられているかも怪しい。しかし、空に浮かんでいたその光に限っては、どうも気になって仕方がなかった。
奏は翌日、学校でそのことを離した。
他に同じ光を見た生徒がいないだろうか。元々口数の少ない奏だったが、思いつく何人かの生徒に尋ねてみた。しかし返ってきた答えは、表現の差こそあれ、どれも同じ内容だった。
「それはたぶん人工衛星じゃないかな」
夕暮れ時などは、地球を周回する衛星が太陽の光を反射して、星のように明るく見えることがあるという。衛星にはそれぞれ独自の軌道があり、変わった動きをするものも多い。奏が見たのはそのうちの一つなのではないかと言われた。
2045年のこの空には、無数の衛星が飛び交っている。その中に、変わった挙動を示す衛星があっても何らおかしくなかった。尋ねた生徒ほとんどにそう答えられると、さすがに奏も納得するしかなかった。
「まあ、別にどうでもいいんだけどさ」
奏はそう言ってその話題を終わらせた。この台詞は奏の口癖のようなものだった。
こうして、妙な光の正体がただの人工衛星だと判明したのが金曜日のことだ。それから一日明けた土曜日の朝、奏は自室の勉強机に向き合いながら、ぼんやりと空を眺めていた。
休日の午前中は勉強がはかどると、クラスメイトに言われたが、どうも奏にそのサイクルは合わなかったようだ。少し勉強を始めただけで、すぐに体が拒絶反応を起こしてしまう。
かれこれ勉強を始めてから一時間が経つが、新品の参考書は、左上に僅かに書き込んだ跡が残っているだけだった。奏は鉛筆を置いて、窓の外を眺めた。
秋葉原駅から少し離れた場所に、高層マンションが建っている。奏が住んでいるのは、その25階の角部屋だった。高層階のマンションは日当たりも良い。部屋のカーテンは、外の風を受けて小さく揺れていた。真新しいフローリングは、外の日射しを浴びて艶やかに光っている。
奏がこの部屋に住むようになったのは高校に入学してからなので、1年以上経過したことになる。父親が勝手に決めた場所だったが、奏はそれなりに今の住まいが気に入っていた。
何となく始めた勉強だったが、奏はすっかり飽きてしまった。そして指先でペンを回していると、突然携帯電話から着信音が流れた。
奏は机の上の携帯を手に取り、タッチスクリーンの画面を開いた。すると、画面上のあるアイコンが、青く点滅していた。
――11:24 未来予報メッセージを受信しました
アイコンを選択し、受信メッセージを開封する。画面には単調な本文が表示された。
11:40 あなたの妹が昼食の用意が出来たことを知らせに来ます。
11:45 あなたは勉強を中断し、妹と一緒に食事を摂ります。
12:01 あなたと妹は、特に会話のないまま食事を終えます。
その通知を見て、奏は表情を曇らせた。奏はすぐに参考書をを閉じて、机の中に放り込んだ。そしてスタンドの電気も消すと、奏はベッドに潜り込んでしまった。
布団にくるまりながら、もう一度時刻を確認する。そして時計が11:24を回った時、奏の部屋の扉がノックされた。
「あの……、兄さん、起きてますか?」
扉の向こうから、か細い声が聞こえてきた。そして遠慮がちにもう一度、扉がノックされる。
「兄さん、入りますよ?」
その後、そっと扉を開けて妹の家守琴音が顔を出した。
琴音は不安そうに奏の部屋を見回し、ベッドにくるまる奏の姿を見て、申し訳なさそうに頭を下げた。
「あ、寝てたんですか。ごめんなさい」
謝る琴音向かって、奏は不機嫌そうな声で答えた。
「何か用事?」
「あの、ご飯の支度が出来たので、呼びに来たんです。その……、一緒に食べませんか?」
琴音は奏に向かって言った。
琴音は奏の一つ年下の妹で、今年から奏と同じ学校に通っている高校一年生だ。
蜜柑色の髪の毛を肩まで伸ばしている。真っ直ぐ奏を見つめる瞳は、綺麗な琥珀色をしていた。その瞳と髪の色は日本人離れしていて、黒髪黒目の奏とは対照的な容姿だった。
小さい頃の琴音は、地味なショートカットだった。眼鏡をかけ、目元まで伸ばした前髪で自分の瞳を隠すようにしていた。
幼い琴音にとって、この変わった瞳と髪の色はコンプレックスだったらしい。
しかし、中学校に入学したあたりから、琴音はそのコンプレックスを払拭し、眼鏡を外して髪も伸ばすようになった。
それから急に女の子らしくなり、積極的に奏の身辺を世話をしてくれるようになった。よく気が利き、立ち振る舞いも端然としている。
男子からの人気も高く、学年の違う奏のところにまで噂が聞こえてくるほどだった。
「ご飯なら、後で食べるからいい。先に食べてて」
奏は布団から手だけ出して、軽く振ってみせた。
「で、でも、もうお昼ですし。兄さんは朝も……」
「いいよ、別に。少ししたら一人で食べるし」
「そうですか……」
布団越しに琴音の声が聞こえた。その声を聞くだけで、琴音の落ち込んでいる顔が想像出来た。
「あの、兄さん、最近気候の変化が激しいですから、体調に気をつけてくださいね。不規則な生活が続くと――」
「大丈夫だから」
奏は琴音の言葉を遮った。言い終わってから、口調が強くなっていることに気づく。
「ご、ごめんなさい」
琴音はそれだけ告げて、そっと扉を閉めた。
妹の足音が遠くなっていくのを確認して、奏は布団から顔を出した。
何気なく携帯を天井にかざしてみた。新しいメッセージが来ていないか見てみたが、何の通知も来ていなかった。