戦火の火種 3
道中、結局ケモノには遭遇せず、一向は最後の広場に辿り着いた。この先を行けば、事件のあった空洞に到着だ。
が、広場に踏み込んだ瞬間、ミンミが身構えた。
「奥にいる。でかいやつだ。」
ミンミの耳が、びくびくと大きく動いた。
「どうすっぺ?」
「どうするか。おびき寄せるか。」
「それがいいかも。この広場、結構天井高いし。」
「ドでかいのが来たりしてなぁ。」
「そんときゃ、そん時。」
広場の中で分散しつつ、釣り役はミンミが行う事になった。
リチュは、ミンミが連れて来たケモノを空洞に一番近い場所で見定める。四人の戦力で勝てないような相手だと判断した場合は、直ちに横穴に封術を施し、この場からも立ち去る。
広場の広さは、東西南北の直径がほぼ同等で十メートル強、天井の高さは五メートルというところだ。ミンミが壁蹴りをクッションにして高飛びをした場合の最高点が四メートル強である事を考えると、行動するにはギリギリの広さという感じであるが、ここより入り口までは連れないし、狭すぎる。
「行くよ。」
大槌を背負い、片手弓を構えたミンミが空洞への最後の横穴の前に立った。
ミンミの腕に鳥肌が立つ。
「いいよ。」
「OK。」
「じゅんびおっけーだべ。」
各人の返事を待って、リチュがミンミに暗視補強術を施した。一時的に暗闇で視界が利く様になったミンミは、ゆっくりと横穴へ入っていく。
松明を数本焚き、広場にあった古いオイルランプにも火を入れて照明を確保した三人の視界から、ミンミが闇に溶けて消えてすぐに、ヒュッという弓を放つ音が聞こえた。次いで素早く走って引き返してくる足音と、それを追うように、ずん、ずんという足音が徐々に大きくなって聞こえて来た。
「来た。」
横穴を覗き込んでいたリチュが、自身にも軽い暗視補強術を施し、目を凝らす。闇の中で、必死に走るミンミと、その後ろからミンミをゆっくりと追いかけてくる得体の知れぬ”モノ”が見えた。
徐々に明瞭になる視界に、とうとうソレは見えた。
「ウォルフ、『顔のない者』だ。」
「いけそうか。」
「ど…、」
リチュが言いかけているうち、計算を大幅に早めてミンミが広場に逃げ込んで来た。次いで、やはり予想より脚の早かった『顔のない者』が姿を現す。
『顔のない者』は、漆黒の体に黒い靄がかかり、体の至るところに青白い光の筋が光っていた。馬のような脚の先は尖り、足先を地面に突き刺す事でバランスを取っている様子が伺える。名の通り、顔はない。顔と思われる部分には、五つの光が散らばっている。その光は、真っ直ぐミンミを捉えている。全長四メートル弱と言ったところか、広場が一気に『顔のない者』の容積で満たされたような威圧感は、今まで対峙した『顔のない者』とか比べ物にならず、四人全員が一歩足を退いた。
「でけぇ…!」
アルバインが叫んで杖を構え、保護術を唱える。
「『オルダ:カブルア:ウォルタ』!」
アルバインの言葉に杖の先が光り、四人の体の周りを青白く光る風が舞い上がった。
アルバインの保護術を合図に、大剣を引き摺り持っていたリチュが、力の強化を促す保護術を唱え始めた。
「『オルダ:プロブダ:エアル』…。」
リチュの言葉に、全員の武器が淡く緑色に光る。
その間に、既にミンミが壁を蹴って飛び上がり、ウォルフが『顔のない者』へ突進していた。
ミンミが天井付近へ一気に飛び上がり、降下の勢いに任せ振り下ろした大槌を『顔のない者』が腕で制し、その空いた脇をウォルフが切り込んだ。
スッ…という風を切る音が聞こえ、散った黒い靄に混じって、青白い液体が噴出し、ミンミの顔にかかった。液体は柔らかなのに鋭く、ミンミの頬を引っ掻いた。
「水風船か、こいつ…ッ!」
弾かれたミンミが壁に足を付き、再度天井へ向けて飛び上がる。リチュも、切り込んで一瞬背を向けたウォルフをカバーするように、反対側から大剣を振り上げ駆け出す。それに気付いた『顔のない者』が、視線をリチュに移した。その隙を狙い、アルバインが攻撃術を唱えた。
「『オルダ:アルオ:エアル』っ!」
『顔のない者』へ向けた杖の先から、緑色の光が矢のように噴き出した。攻撃の気配を察した『顔のない者』が、青白く光る手のひらを炎に翳すと、光が水のように渦を巻き現る。その瞬間、視線が外れたリチュが地面を一気に蹴り上げ、大剣の刃にふっと息を吹きかけた。リチュの息は白い氷の結晶になり、刃に纏わり付く。その大剣を、リチュは『顔のない者』の首元へ勢いよく突き刺した。
ぐにゅり、と奇妙な音を立て、大剣が刺さった。思いの外弾力のある皮膚と肉が、剣に釣られて体の内側へ食い込み、『顔のない者』はよろけた拍子に手のひらをウォルフに向けた。噴き出た光がウォルフにかかる直前、素早く飛び寄って来たアルバインの保護術による膜がウォルフを包み、光を弾く。
いつ消えたのか、靄の晴れた体は、水脹れを起こしたようにブヨブヨと膨れ、無数の小さな膿疱が白く光ながら浮き出ていた。肌表面は乾き、ボロボロと細かく剥がれている。
『顔のない者』は、肩に着地し、尚も大剣を体の奥深く差し込むリチュを払い除けるように、腕を振り上げた。
脇が、空いた。
ウォルフがアルバインの膜を突き破り、剣を脇に構えて一気に『顔のない者』へ飛び掛った。振り上げた腕を戻す間もなく、ウォルフの剣が『顔のない者』に突き刺さる。
ぐにょり。とぷり…。
肉が切れ、中の水が動く音が聞こえた。
痛みを感じるのか、『顔のない者』が振り上げた腕をウォルフ目掛けて思いっきり振り下ろした。避け切れず、ウォルフが叩き飛ばされ、壁に体を撃ち付けた。
『ブブ…ブブブブブ…ブブブ…。』
『顔のない者』が、風を震わせたような音を発した。体の膿疱が、ぱち、ぱちと弾け割れた。リチュがさらに大剣を深く差し込むと、『顔のない者』がもがいた拍子に大剣が肉を前後に裁った。右肩と首が体から外れかけ、青白い液体を噴出しながらぶらぶらと揺れた。
「もういっちょ!」
叫びながら、ミンミが壁を蹴り飛び上がると、『顔のない者』へ真正面から飛び掛った。大槌を振り上げ、体を思い切り捩じると、反動に任せて一気に振る。大槌は『顔のない者』の顔面を叩いた。うしろに倒れる速さが、叩かれた頭部が後方へ持っていかれる速さについていけず、不安定にくっ付いていた肉が、ぶちゅぶちゅと音を立てて千切れて行く。
そして、一足先に地面に零れた肉片と頭部に覆い被さる様に、『顔のない者』の体が地面に倒れこんだ。
ニ三度びくびくと体が痙攣した後、黒い皮膚は塵のように粉々になり、地面に散らばった。
『顔のない者』の最後は、いつも黒い塵だった。ただいつもと違うのは、その塵が、風によって散り消えない事だった。
「どうする?」
ミンミが言うと、リチュが塵に歩み寄り、塵に手を翳して目を閉じた。
そして優しく、
「『コマン:ヘイヴン』…。」
と呟くと、真っ白な風が塵をかき乱し、消し去った。
「やっぱり、『顔のない者』は闇属性なのかな?」
「違うよ。」
ミンミの声を、恐らく風が去っていった横穴を見つめていたリチュが、少し鋭く遮った。
「彼らは、光属性だよ。しかも、純白の。」
「どういう事だ? 青白い光を放ったり、体の内部にも青があった。俺はてっきり、紺青系だと思っていたが…。」
「んだっぺ。だからオラも、碧緑系の保護術をかけたっぺ。」
「そうじゃないんだ。」
首を傾げるウォルフとアルバインに、リチュが小刻みに首を振って見せた。
「『顔のない者』は、『顔のない者』に肉を齧られる事でそれに変化する。だから元々は『顔のない者』ではない”何か”だった。ボクが見て来た限りでは、生きている時の『顔のない者』の属性は、変化する前の属性に由来する。
その証拠に、さっきのやつにはちゃんと碧緑系の攻撃が効いていたし、紺青系の保護によってダメージも和らいでいた。
でも、死んで塵になった後は違うんだ。闇属性のケモノの残塵は、『コマン・アビシズ』でしか昇天させる事は出来ないのに、さっきのやつは『ヘイヴン』へ還った。
ボクは気まぐれに『ヘイヴン』を選んだんじゃなく、前にも『ヘイヴン』で昇天した残塵がいたんだ。だからずっと、『顔のない者』を昇天させる時は、『ヘイヴン』を使ってた。逆に、『アビシズ』で昇天した『顔のない者』の残塵は、ボクは見た事がない。」
リチュが困った顔をした。否、哀しい顔、と表現した方が適切であるように、ウォルフには思えた。
「つまり、純白系の何かが体を乗っ取っているかも知れない、と言う事か?」
ウォルフが訊ねると、リチュはもっと顔を歪め、泣きそうな顔をした。
「…解らない。ごめん、解らない…。純白系のケモノなんて、この世には存在しないと言われてた。だから、有り得ない事かも知れない。ボクの勘違いかも知れない。
でも、ボクは『顔のない者』は倒すべき者ではない気がしてて…。
訳わからない事言ってるかも知れない。ごめん…。」
俯いて首を振るリチュの脇に、アルバインがしゃがみ込んだ。そしてリチュの頭を捏ね繰り回す。
「謝る事じゃねぇべ…。『顔のない者』の事は、誰も調べないっぺ。まだまだ謎だらけだ。
だから、そこまで調べたリチュは偉ぇだよ。
んだぁなぁ、ゴルタダに『雨乞いの唄』を調べに行った時、ついでにそれについても聞いてみっぺ。何か知っている人がいるかも知れねぇべ。」
アルバインに倣って、ミンミもしゃがみ込む。
「そうそう。それに、『顔のない者』に変化してしまうのは、ケモノだけじゃないだろ?
ヒトだってなっちまう。
もしかしたら、今倒したアイツは、元々ヒトだったかも知れない。そうだったら、『ヘイヴン』で昇天出来た事で、この世への蟠りも消えたかも知れない。
リチュは、今まで誰かを救ってたかも知れない。」
そう言ってリチュの頭を捏ね繰り回す二人を、ウォルフは少し複雑な心境で見下ろしていた。属性や系統について明るくない二人には気付けないリチュの言葉の意味に、気付いてしまったからだ。
◆ ◆
最後の広場から、件の空洞までは、ものの数分で辿り着いた。
だが、一行はそこで、暫し呆然と沈黙を余儀なくされる事となった。
アルバインとミンミは、空洞へ通ずる穴の周辺に無数に散らばる、壊れた装備品のなれの果てに言葉を失っていた。しかし、リチュとウォルフは違う理由で息を飲んでいた。
「封が…ない…。」
最初に言葉を発したのは、リチュだった。
「え?」
アルバインが眉を顰めた。
「手記にあった封の事?」
ミンミが訊ねると、リチュが呆然としたまま頷いた。
「おかしい…。あれは内側からした封だから、簡単に解ける訳ないのに…。」
リチュがゆっくり穴に歩み寄り、辺りを見回した。ウォルフも近付き、壁一体を見回すが、特に岩が削り取られたり、誰かが侵入した跡は見受けられなかった。
「リチュ。」
「…封術が破られると、必ずそうと解る跡が残るはずなんだけど、ここにはそれがない。」
「とすると?」
「どういう事になるっぺ?」
まだ首を傾げるアルバインとミンミに、ウォルフが言った。
「内側から解かれた、と言う事だ。」
「内側から!?」
「んな筈ないべ!?」
ウォルフの言葉に、二人が食って掛かった。
手記に依れば、内側に閉じ込められたのは”水竜”に食われたトールズと癒しの魔道士だけの筈だった。
ウォルフが手記を確認するが、皆に朗読をした後にも前にも、逃げ遅れた傭兵がいたという記述はなかった。
「記述しなかっただけで、いた可能性も…。」
「いたとしても、封術が綺麗に消える事は有り得ないよ。」
ミンミの言葉に、リチュはそう言いながら空洞へ足を踏み入れた。
手記の通り、空洞内部は深い漆黒の闇に包まれ、一メートル先も見えなかった。松明に照らされるのは、穴周辺の壁と階段だけ。途切れた足場の先に道があるのか、それすら見る事は出来ない。
リチュは封紋があるであろう穴の上の壁を見上げた。暗闇で見難いが、封紋と思しきものは確認出来なかった。
「封紋がない。やっぱり、内側から解かれたんだ。」
リチュが言うと、横に立っていたウォルフが階段を一段下がった。
「遺跡まで降りよう。ケモノの気配もないし、恐らく危険はないだろう。」
言いながら、ウォルフは松明を持ってすたすたと歩いて行ってしまったので、三人は小走りに彼を追った。
階段は長く、時々段そのものが崩れ落ちていた。相変わらず灯りを反射するのは壁と階段だけで、他一切、闇に飲まれている。
こんなに深い闇は、四人とも見た事がなかった。
「光を吸い込んでるみたいだべ…。」
アルバインが呟いたが、皆その通りだと思った。
やがて階段が終わり、広く広がる岩床になった。床は多少の凸凹こそあれど、丁寧に削られた様子が伺えた。
「右回りで行ってたな。」
ウォルフはそう言うと、「じゃあ左回りだ。」と言って、左手を壁に付け、歩いて行った。闇に浮かぶように遠ざかるウォルフを、三人が追う。暗いので、全員が固まって動いた。いつもより、距離も近い。
左回りに五分歩いた先で、漸く松明の灯りが壁と足元以外の何かを照らした。
それは手記にもあった柱だった。
「遺跡…。」
さらに歩くと、柱、扉、屋根、と徐々に闇から浮かび上がり、遺跡が姿を現した。
「大きい…。」
「見た事ねぇ様式だべ。」
見上げながら、リチュとアルバインが言った。
ウォルフは扉へ歩くと、松明を近付けた。手記にあるとおり、扉には確かに模様が彫り刻まれていた。そこへ来て、脇から扉を覗いたミンミが、息を飲んだ。
「…!」
ウォルフが振り返ると、ミンミは額に脂汗を浮かべて険しい顔をしていた。
「…大丈夫か?」
リチュとアルバインに気付かれないように小声で訊ねると、ミンミは一度ごくりと音を立てて唾を飲み込んで、頷いた。
「…大丈夫…。」
ウォルフには、ミンミが驚いた理由が手に取るように解る。
ウォルフは彼女が、エル・アムルと、この模様を刻印とする神から逃げている事を知っている。そのために、ともにいる事も決して忘れない。
「戻ろう。ドルトムントに、状況を報告する。」
ウォルフが言うと、リチュとアルバインが頷いた。
◆ ◆
鉱山を出ると、既に陽は少し西へ傾き始めていた。
屋敷へ戻り、ドルトムントに報告をする。
手記にあった封術が解けていた事、強力な『顔のない者』がいた事、遺跡には近付いても害はないが、あまり手荒な真似はしない方が良さそうである事…。
扉の刻印は、見た事がないので何の事だか解らないとだけ伝え、それ以上の事は告げなかった。
口外可能な事が限られるため、ウォルフだけでドルトムントの書斎を訪れた。
「ただのケモノではなく、『顔のない者』がいるのか。」
報告を受け、ドルトムントが腕組をした。予想に反して、気弱な反応だとウォルフは思った。が、世情を考えると、無理もない。
「どうされますか?」
ウォルフが尋ねると、「どうするもこうするも…。」とドルトムントが口をへの字に曲げた。
「そのままにする外なかろう。」
それを聞いて、ウォルフがそっと胸を撫で下ろす。
「それがいいかと思います。中にいた『顔のない者』は、私たちも少し緊張するレベルのものでしたし。」
「うむ。ちょっとした儲けが出来るかと思ったが、致し方ないな。ところで…。」
ドルトムントはさっさと納得をし、すぐに邪悪に口の端を上げた。
「ウォルフよ。
メルガニスタがマルレインに宣戦布告したのは、もう耳に入っているか?」
「…えっ!?」
ウォルフがソファセットのテーブルに手を突いて、ソファから腰を浮かせた。
メルガニスタはルーンのすぐ近くの、ミルグ王国との国境付近にある。リチュが言っていた村やゴルタダにも近かった。
アムル教の大聖堂がある事もあり、グランド・カスタやパルバ・ア・ダルからの観光客も多い。
兼ねてよりマルレインからの独立を所望していたメルガニスタと王国との関係は年々緊張度を増しており、一時はいつ宣戦布告が行われてもおかしくないと囁かれるまでに悪化した事もあったが、最近は地区を治める最高指導者がマルレインとの協和を掲げ、その関係も復旧しつつあった。
その状況にあって、宣戦布告とは…?
表情から内心を悟ったドルトムントが、ウォルフににやりと笑った。
「メルガニスタの謳うマルレインとの協和政策の裏には、猫が猫なで声を上げていたと言うぞ?」
ミンミの存在を知っての発言に、ウォルフがドルトムントを睨み付けた。
「私を睨んでも仕方あるまいよ。
鬱憤ここに晴らせり、という事だ。」
「鬱憤…?」
「ほぅ。やはり知らぬか。
元々、メルガニスタはミルグの土地だ。あそこにある泉の底には、ミルグの猫どもが血眼になって捜しているエル・ジェルシーの宮殿があるという伝説もある。
さらには、ガルルダで取れる鉱物資源の鉱脈の殆どがマルレインにあるが、メルガニスタはその四分の一を締める。
建国以来、長きに渡り自然主義などと声高に謳い上げられていたミルグ王国も、腹の裏では産業の遅れを懸念し続けていたのだ。
既に戦争屋が傭兵をミルグ西部へ集めているという情報もあるぞ?
だが、もっと面白い情報もある。」
愕然とした表情で我が顔を見るウォルフを面白そうに見つめ、ドルトムントが顔の前で手を組み、デスクに凭れた。
「メルガニスタは自分たちが『顔のない者』を生み出したと主張している。しかもマルレイン政府からの要請で、というおまけ付きだ。
この技術を兵器として発展、応用すれば、世界征服も強ち夢物語ではなくなるな。」
立ち上がったままドルトムントの話を聞いていたウォルフは、今度は軽い眩暈を覚えて座り込んだ。




